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感覚を、色と形に翻訳する

    音が、色になる日

    音に色がついて見えることがある。
    誰かの声が淡い水色に滲んで見えたり、
    電車の走行音が金属的な灰色の粒子となって
    視界の端をかすめていったり。
    これは説明しようとするといつも歯がゆい。
    言葉にした瞬間、体験の解像度が
    ひとつ落ちてしまうからだ。

    長らく、この感覚は自分の内側だけに
    留めておくものだと思っていた。
    誰かに話しても「面白いね」で
    終わってしまう類の話で、
    共有できるものではないと
    諦めていた部分がある。

    けれど、ある時から考え方を変えた。
    言葉で説明できないなら、
    色と形で見せればいい。
    そう思い立ってから、
    この感覚を起点にした創作が始まった。

    抽象画、キャラクター、和柄、アール・ヌーヴォー——

    一見バラバラに見えるこれらのモチーフは、
    実はすべて同じ場所から生まれている。


    抽象画|説明せずに、見せる

    最初に手をつけたのは抽象画だった。
    ある音が立ち上がらせる質感、
    ある感情が持つ温度、
    そういうものを直接、
    色と形に置き換えていく作業である。

    たとえば静けさの中に混じる小さな緊張感は、
    鋭角と丸みが同居する構図になった。
    逆に、安堵に近い感覚は、
    境界線を持たない滲んだグラデーションになる。
    理屈で説明するより先に、
    目で見て「わかる」ものを目指した。

    抽象画は、感覚を最も加工せずに
    翻訳できる手段だと思っている。
    物語も設定もいらない。
    ただそこにある色と形が、
    見る人の中の何かと共鳴すればそれでいい。


    偶然、生まれてしまったもの

    抽象的な宇宙のイメージを
    作り込んでいたある日、
    思いがけないものが生まれた。
    作業の途中で偶然できあがったのが、
    丸くて、もちもちとした質感を持つ、
    名もなき生き物だった。

    狙って作ったわけではない。
    けれど画面に現れたその姿が
    あまりに愛おしくて、
    消してしまうのが惜しくなった。

    計画通りに生まれたキャラクターより、
    偶然出会ってしまったキャラクターの方が、
    時に強い愛着を持てるのかもしれない。
    感覚から生まれたイメージの中に、
    思いがけない形で命が宿った瞬間だった。


    和柄とアール・ヌーヴォー|様式を超えて宿る感覚

    感覚は、特定の文化や様式に縛られるものではない。
    そのことに気づかせてくれたのが、
    和柄とアール・ヌーヴォーという、
    一見対極にある二つの装飾様式だった。

    東西、時代もまったく異なる
    この二つの様式を並べてみると、
    面白いことに気づく。
    感覚というのは、様式という器を選ばない。
    どんな文法に流し込んでも、
    根っこにあるものは変わらないのだ。


    教会に満ちる光のように

    もうひとつ、繰り返し惹かれるモチーフがある。
    教会に飾られているような、荘厳で静謐な画像である。

    なぜこのモチーフなのか、
    自分でも長らく言語化できずにいた。
    おそらく、ある種の感覚——
    たとえば深い静けさや、言葉にならない敬虔さのようなもの——は、
    日常の中では行き場を持たない。
    それを受け止めてくれる器として、
    祈りの空間というモチーフがしっくりきたのだと思う。

    ステンドグラスを通した光、
    荘厳な柱の連なり。
    そうした要素は、自分の中にある
    「言葉にできない神聖さ」を
    可視化するための、最も自然な選択だった。


    センサーとしての日々|バイク、カメラ、レンズ、風景

    ここまで紹介してきた作品はすべて、
    感覚を「変換した後」の姿である。
    では、その感覚はどこから来るのか。

    答えは単純で、日々の移動と観察の中にある。
    バイクに乗って風を切る瞬間、
    皮膚で感じる温度や湿度の変化。
    カメラのレンズ越しに切り取る、
    一瞬だけの光の角度。
    田舎で暮らしていると、
    風景は毎日少しずつ違う顔を見せる。
    その微細な違いを拾い集めることが、
    自分にとっての「素材集め」なのだと思う。

    言ってしまえば、
    自分自身が一台のセンサーのようなものだ。

    バイクで移動し、
    レンズを構え、
    風景を眺める。

    そうして集めた無数の感覚の断片が、
    抽象画になり、キャラクターになり、
    和柄やアール・ヌーヴォーや
    教会のイメージになっていく。


    おわりに

    こうして並べてみると、抽象画も、
    キャラクターも、和柄も、
    アール・ヌーヴォーも、教会のモチーフも、
    すべて一つの感覚から枝分かれした姿なのだとわかる。
    それぞれ見た目はまったく違うのに、
    根っこは同じ場所にある。

    もしよければ、SUZURIのストアも覗いてみてほしい。

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