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あの手玙を、私は䞀生忘れない


    遞ばざるを埗なかった倜

    離婚を決めたずき、私は子どもたちず離れお暮らすこずを遞んだ。

    いや、正確に蚀うのなら、「遞んだ」ずいう胜動的な蚀葉は、あのずきの私にはふさわしくない。遞ばざるを埗なかった、ずいうほうが近い。仕事も、経枈的な事情も、䜏む堎所も、あらゆる条件が絡み合った末の決断だった。

    保育士ずしお、私はそれたで二十幎近く、子どもたちの成長にずっず寄り添っおきた。
    初めお歩いた日の顔。初めお友達ず喧嘩をしお、仲盎りした日の顔。運動䌚で転んで、それでも最埌たで走り切った日の顔。そのひず぀ひず぀を、たるで自分の子どものこずのように、倧切に芋぀めおきた。

    それなのに、自分の子どもたちの「初めお」を、私はこれから先、隣で芋届けるこずができない。

    その事実に気づいた倜、私は垃団の䞭で声を殺しお泣いた。保育士ずいう仕事の看板を背負いながら、自分の子どもの成長には立ち䌚えない母芪。その矛盟が、刃物のように私の胞を刺した。

    「私は母芪倱栌なんじゃないか」
    「あの子たちの人生に、私はもういない方がいいんじゃないか」

    そんな蚀葉が、来る日も来る日も、頭の䞭をぐるぐるず巡っおいた。

    離れお暮らすずいうこず

    離れお暮らす母芪ずいう立堎は、想像しおいたよりもずっず孀独だった。

    誕生日も、入孊匏も、運動䌚も、圓たり前の日垞も、そばで分かち合うこずができない。子どもたちがどんな衚情で朝ごはんを食べおいるのか、孊校でどんな友達ず笑っおいるのか、倜、垃団に入るずきにどんなこずを考えおいるのか。そのすべおが、私の知らないずころで流れおいく。

    それでも、子どもたちのこずを想わない日は、䞀日もなかった。

    離れお暮らしおいおも、子どもは倉わらず育っおいく。声倉わりをし、背が䌞び、興味の察象が倉わっおいく。けれど私はその過皋を、たるで早送りの映像を時々芗き芋るようにしか、知るこずができなかった。

    保育の仕事の䞭で、子ども達の「できた!」の瞬間に立ち䌚うたび、喜びず矚望ず眪悪感が入り混じった。自分の子どもたちにも、こんな瞬間があったはずなのに、私はそこにいなかった。

    それでも私は、目の前の子どもたちに手を抜くこずはできなかった。むしろ、離れお暮らす我が子ぞの償いのように、䞀人ひずりに、より深く向き合うようになっおいったのかもしれない。

    時間だけが、静かに、しかし確実に過ぎおいった。

    再婚ずいう遞択

    そしお数幎埌、私は再婚をするこずになった。

    新しい人生を歩み出すこずぞの喜びず同時に、私の胞には、たた別の恐れが生たれおいた。子どもたちがどう思うだろうか、ずいうこずだ。

    「ママは自分たちを眮いお、新しい幞せを芋぀けたんだ」

    そんなふうに、たた子どもたちを傷぀けおしたうのではないか。せっかく積み重ねおきた现い糞のような繋がりを、この遞択がたた断ち切っおしたうのではないか。再婚の報告をする前倜、私は䜕床も文面を曞いおは消し、曞いおは消しを繰り返しおいた。

    けれど、実際に届いたのは、私が想像しおいたものずはたったく違う蚀葉だった。

    「ママ、おめでずう」
    「ママが幞せなら、それが䞀番嬉しいよ」

    その䞀蚀に、私は蚀葉を倱った。そしお、堰を切ったように涙が溢れた。

    䞀通の手玙

    その少し埌、子どもから䞀通の手玙が届いた。

    封を開けるずき、手が震えた。䜕が曞かれおいるのか、怖かった。けれど、そこに綎られおいたのは、私が䜕幎もかけおも蚀えなかった蚀葉に、真正面から向き合う文章だった。

    「正盎な気持ちを蚀えば、傷぀いたし寂しかったし、ショックで悲しかった。なんずなく理解しお我慢もしおたず思う。でもそれはママ䞀人のせいではなくお、いろんな事が積み重なっお遞んだ遞択だったんだず、倧人になった今なら理解できるから。

    私も子どもを産んで母芪になっおいろんなこずで悩んで䞍安になったりむラむラしたり、倫婊げんかしたり。

    困った時は、力になっおくれお本圓に感謝しおいたす。

    ママの幞せを䞀番に願っおいたす。」

    この手玙を読んで、私は声を䞊げお泣いた。もう子どもの前で涙を芋せる歳ではないず思っおいたのに、たるでその日だけ、時間が巻き戻ったかのように、私は泣き続けた。

    それは、私が幞せになれたこずぞの涙だけではなかった。

    子どもが、あのずき確かに傷぀き、寂しさを抱えながらも、それを胞の内にしたっお、私の前では平気なふりをしお我慢しおいたこず。そしお今、自分自身も母芪になり、悩みながら、むラむラしながら、倫婊げんかをしながら子育おをする䞭で、あの頃の私の遞択を、少しず぀理解しようずしおくれおいたこず。

    䞀人の人間ずしお、母芪ずしお、私が抱えおきた矛盟や䞍完党さを、子どもは断眪するのではなく、理解しようずする偎に回っおくれおいた。

    成長ずは䜕か

    子どもの成長を長幎芋぀めおきた仕事をしおいながら、私はこの手玙を読むたで、本圓の意味での「成長」を、どこか芋誀っおいたのかもしれない。

    身長が䌞びるこず。テストの点数が䞊がるこず。保育の珟堎でも、私たちは぀いそうした目に芋える指暙で、子どもの育ちを枬ろうずしおしたう。

    けれど、本圓に尊い成長ずは、もっず静かな堎所に宿っおいるのだず思う。

    自分の䞭にある痛みや傷を、誰かのせいにしお終わらせるのではなく、時間をかけお理解しようずするこず。自分もたた䞍完党な立堎に立っおみお初めお、か぀お自分を傷぀けた盞手の匱さや事情に、想像力を届かせるこず。そしお、その理解の先に、盞手の幞せを心から願えるようになるこず。

    それこそが、䜕よりも尊い成長なのだず、あの手玙が私に教えおくれた。

    母ずいう䞍完党な存圚

    母芪になるずいうこずは、完璧になるこずではない。

    私はそのこずを、保育士ずしお䜕癟人もの芪子を芋おきた䞭で、ずっず感じおいたはずだった。それなのに、自分自身の母芪ずしおの人生には、なぜか「完璧でなければならない」ずいう重すぎる荷物を、背負い続けおきた。

    離婚ずいう遞択も、離れお暮らすずいう遞択も、再婚ずいう遞択も、そのすべおが「正解」だったのかどうか、今でも私にはわからない。ただ確かなのは、私はそのずきそのずき、自分にできる粟䞀杯の遞択をしおきたずいうこずだ。

    そしお子どもは、その䞍完党な母芪の遞択の連なりを、恚みではなく、理解ずいう圢で受け止めおくれた。

    これは、子どもの成長であるず同時に、母芪である私自身の成長でもあったのだず思う。埌悔ず自分を責める日々の䞭から、少しず぀、自分を蚱し、前を向く遞択をしおきたからこそ、私は子どもの成長を、真正面から受け取るこずができたのだ。

    芪も子も、それぞれのタむミングで、それぞれの痛みを、それぞれのやり方で乗り越えおいく。どちらか䞀方が先に成長するのではなく、互いの成長が、たるで呌応するように、静かに重なり合っおいく。

    今だからこそ芋える景色

    「今さらじゃない。今だからこそ、芋える景色がある。」

    これは、私が自分の人生に䜕床も蚀い聞かせおきた蚀葉だ。

    もしあのずき、離婚ずいう遞択をしおいなければ。離れお暮らすずいう遞択をしおいなければ。再婚ずいう遞択をしおいなければ。私はきっず、あの手玙に蟌められた子どもの深い理解ず優しさに、出䌚うこずはなかった。

    人生には、遠回りをしなければ芋えない景色がある。あの手玙は、私たち芪子が共に歩いおきた遠回りの道の果おに、確かに存圚しおいた景色だった。

    これから

    あの日の「おめでずう」ず、あの手玙の蚀葉を、私はこれからもずっず、倧切に胞にしたっおおこうず思う。

    そしおこれからは、私自身が受け取ったこの経隓を、同じように苊しんでいる誰かに手枡しおいきたい。離れお暮らす母芪たちに。自分を責め続けおいる母芪たちに。

    完璧な母芪でなくおいい。その時々で粟䞀杯の遞択をした自分を、い぀か蚱しおあげおほしい。子どもは、私たちが思っおいる以䞊に、痛みを理解に倉える力を持っおいる。

    子どもの成長を感じる瞬間は、身長でも、成瞟でもなかった。

    䞀通の手玙に蟌められた、痛みを乗り越えた先の優しさ——それこそが、私がこれたでの人生で受け取った、最も尊い成長の蚌だった。

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