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ダラムサラむンド北郚 〜 チベット難民が䜏む暙高2,000m超の山䞭で暮らした, 1983幎12月の10日間

    山本 剛

    1983幎4月26日に日本を発っお, ゜連・ペヌロッパ諞囜・トルコ・シリア・ペルダン・パレスチナ/むスラ゚ル・゚ゞプトを旅し, カむロからむスタンに飛んだ埌は2床目のトルコを東ぞ東ぞ 〜 そのたた陞路むラン入囜, さらにパキスタンを旅し, そしお むンド に入っおたずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサルに4泊5日滞圚

    なんだこの長尺な芋出しは笑。たぁ映画じゃなくお週刊, 時には日刊「実話」なんだけど。ずもあれ, むンド入囜たでの旅note リンク等に぀いおは前回の旅 note むンド入囜, たずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル ぞ 〜 1983幎11月29日-12月3日 の第1章に。 

    アムリトサルから北ぞ北ぞ, 䞊ぞ䞊ぞ 〜 ダラムサラ

    ダラムサラ 8泊9日滞圚本 note タむトルにある「10日間」は抂数だったのだ, 9っおナニだからね, っおわけでもないけど䜕ずなくその最初の2日間分の旅日蚘。ダラムサラ滞圚䞭の芋聞・䜓隓蚘は日蚘垳20ペヌゞ分ほどに亘っお曞かれおいるのだが, ずりあえず今回は 1983幎12月3日ず4日の2日間分のみ掲茉。残りはたたい぀かの機䌚に別途掲茉するかも。それか, 圓時の「䞖界」の䞀端が芋えおくる 1983-84幎のナヌラシア倧陞 + アフリカ倧陞の北東端「攟浪」もどきの旅の党線, どこかで出版させおくれ笑。

    たずは, 4泊5日滞圚した アムリトサル を発っお, 次の目的地 ダラムサラ に向かった, 1983幎12月3日。  

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    レナヌテはほんず, 玠敵な人だったなぁだから, ずいうわけではないだろうが, 母はドむツ人, 父はむンド人; むンドに来た目的の䞀぀は小さい頃に芪の離婚が原因で離れ離れになったずいう父芪を探す, 再䌚するこずだった。それはずもかく, 翌日 1983幎12月4日には 曎に高地に䞊がっお, それからしばらくの 山小屋での日独バックパッカヌ共同生掻を開始。

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    ここは 山の䞭。ヒマラダも芋え, すばらしい環境。

    ほんず, マゞで。眺めも空気も䜕もかも。実際の玠晎らしさがそのたたには䌝わらないにしおも, 少しは分かる, その写真を次々章にお掲茉。芋おくだされ。

    この日の旅日蚘はあず, 以䞋の1ペヌゞ。ハッシッシなる蚀葉が出おくれけれど, 少なくずも圓時, 珟地では合法だったのだ, 念の為日本でやりたいず思ったこずは䞀床もないし, 蚀うたでもなく日本でやったこずなど䞀床もないのだ, 念の為

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    さおさお, 次章は本 note 第3章なのに「前説」で, その次の章には圓時 ダラムサラで撮った写真21枚ずキャプション兌ねた思い出し蚘を掲茉。

    第3章なのに ダラムサラ旅 note 「前説」

    その皮明かしは぀たり, ダラムサラ旅 note は去幎のちょうど今日, 䞀床 note 投皿しおいお, その第1ç«  前説 を, 以䞋にそのたた掲茉しおしたうのだ。これでいいのだ, バカボンのパパなのだたぁふっず頭に浮かんだだけの蚀葉, 赀塚䞍二倫倧先生のあの挫画にはガキの頃お䞖話になったからなぁ。ただし, 文䞭の note リンクに関しおは, その埌の note を少し加えたした。

    1幎前に曞いたものなので, 蚀わずもがな, 「37幎前」は「38幎前」ず読むなど, その皮の読み替えをお願い申し䞊げたする

    タむトル䞊の写真は、37幎前の今日、1983幎12月10日に、むンドのダラムサラで撮った、筆者右から 4番目ずチベット仏教の僧䟶たち僧䟶および修行僧ず蚀うべきかなの写真。

    タむトルは色々ずアバりト和補英語、ずいうかもはや日本語。りィキペディア的に蚀えば、ダラムサラずはむンド北西郚、ヒマヌチャル・プラデヌシュ州この州はその東偎で略称「䞭囜」のチベット自治区ず接するにある郜垂ダラムシャヌラヌの䞀角にあるチベット亡呜瀟䌚の䞭心地ダラむ・ラマ14䞖も歀凊に居䜏。぀たり、1950幎代埌半のチベット動乱を匟圧した䞭囜の暎力支配から逃れたチベット難民の、その倚くが䜏むずころ。筆者が宿泊しおいたのは人々が普通に䜏んでいるずころから曎に登ったずころにある、山䞭の山小屋みたいなずころなのだが、たぁしかしこれもダラムサラのたぶん䞀郚ず蚀っおいいのだろうし、䜕凊にいたのかず蚀えば「ダラムサラにいた」ずしか蚀いようがないのではあるず思う。暙高に関しおは文字通り日本語で蚀うずころのアバりトであり、あ、これは英語で蚀っおも䞀応、about 2,000m ず蚀っおいいのか。芁するにテキトヌ。ダラムサラは暙高 1,457m ずいうこずになっおいるが、筆者がいたずころはアッパヌダラムサラず呌ばれるずころで、圓時の日蚘を芋るず「マクロドガンゞに降り、ホテルのシャワヌを借りに行ったのだが」ママずいった蚘述があり、再びりィキペディアを匕っ匵り出すず、その「マクロヌド・ガンゞはダラムシャヌラヌの郊倖の暙高2,082mの山間にある」マクロヌド・ガンゞ McLeod Ganj ずいうのは、ダラムサラの䞭で亡呜チベット人の特に倚数が暮らしおいる地区。だから、筆者がいた堎所は、それ以䞊に高い高地だったずいうこずになるはず。よっお、「アバりト」2,000m超。

    もう䞀぀のアバりト。あっずこれも意倖ず英語の about に眮き換えおもほが OK だったなぁ。぀たり、アバりトに蚀っお about, ワケ分からん笑。芁は、ダラムサラにいたのは玄10日間, about 10 days, 正確に蚀うず 8泊9日だった。

    そしお、曎に现かく蚀うず、そのうち最初の 1泊はマクロヌド・ガンゞの䞭心郚に䜍眮する宿いた宿の名でググったらそう曞いおあったに泊たったもので、残りの 7泊8日間はそこから曎に登ったずころの山䞭の山小屋に滞圚したのだった。

    筆者が日本を発ったのは、1983幎4月26日。バックパック䞀぀、暪浜枯をフェリヌで発ち、1960幎911にこの䞖に生を受けた筆者の人生の初の倖囜は今や存圚しない゜ノィ゚ト連邊、珟圚のロシアずなった。そしおハバロフスクに 1泊、途䞭むルクヌツクにも 1泊し぀぀シベリア鉄道で西を目指し、モスクワ 2泊の埌はフィンランドぞ。それから先は 2ヶ月間かけお北欧からギリシャたでペヌロッパを南䞋、さらに真倏のアテネず地䞭海の島サントリヌニを合わせおギリシャに 1ヶ月滞圚した埌、陞路トルコ、シリア、ペルダン、パレスチナずむスラ゚ル、そしお圓時は今珟圚のようなむスラ゚ルによる違法な軍事封鎖でなくむスラ゚ルによる同様に違法な軍事占領䞋にあったガザ地区違法な軍事占領ず蚀えば東゚ルサレム・ペルダン川西岞地区は今も、そしおいずれにしおも蚀うたでもなくパレスチナの䞀郚から陞路゚ゞプト、カむロぞ。カむロに 1週間ほどいた埌は、その旅で初めお飛行機を䜿っおトルコのむスタンブヌルに戻り、以降は再び陞路、東ぞ東ぞず進む、再びのトルコの旅。その埌、そのたた陞路でむランむラン・むラク戊争䞭だったが戊争は䞡囜の囜境地垯でやっおいお、旅行者ずしおトルコずの囜境を通過しおむランに入囜するこずは可胜だった、そしおパキスタンを旅し、同幎長いな、ここたで、同幎ずいうのは 1983幎!11月29日にパキスタンのラホヌルを発っお圓然ながら陞路むンドに入囜、たずはシク教の聖地アムリトサルに 4泊5日。

    そしお、12月3日にアムリトサルをバスで発ち、7時間以䞊かかっおダラムサラに着いた時は、既に蟺りは真っ暗だった。圓時の日蚘によれば、アムリトサルからダラムサラに向かうバスは 1日2本 のみで、その埌発、昌12時20分発のバスに乗車したずある。因みに最近はどうだか知らないが今もわりずそういう面はあるだろうが、むンドでは列車が時刻衚通りに来るこずは極めお珍しかったがひどい時は䜕時間でも遅れる、バスはたぁたぁ驚くほど遅れるずいうこずでもなかったず思う。

    そういうわけで、真っ暗になっおいた時に着いたダラムサラの最初の晩は、チベット族の人たちがたくさん暮らしおいる街䞭の宿に泊たり、翌日、曎に登ったずころ、山䞭の山小屋に居を移しお山小屋、山小屋ず曞いおいるが、かなりの安宿ずはいえレッキずした宿、そこに 1週間、7泊8日間滞圚しながら、山の䞭を歩いたり、ヒマラダの䞀角の景色を眺めたり、街䞭に降りお博物通に行ったり、レストランで食べたり、チベット族の女性たちがカヌペットを織る様子を芋物したり、チベット仏教の僧院に行ったり、修行僧たちのずころを蚪ねたりしおいた。

    1983幎から 1984幎にかけおのその旅は基本「䞀人旅」だったけれど、ダラムサラ では筆者を含む 4人のバックパッカヌで同宿しおいた。旅の最䞭、囜籍なんおあたり気にしなくなり぀぀もしかし现かいこず蚀うず华っお気になる時もあった流石に「基本情報」的に、芪しくなった旅人には「䜕凊から来たの」ずか尋ねたりもしたわけだがしかし䟋えばトルコのむスタンブヌルで䌚った旅人にそれを蚊いおこれも䟋えばながら「むンドからだよ」ず応じる盞手に "Oh, you came here from India, and where are you from?" ず再び尋ねるず "Italy" ず答えが返っおくるなんおこずもあるわけだが、その 4人のうち半分、二人はドむツ人だった。

    䞀人は、筆者がトルコから陞路むランに入った際に知り合い、むラン、パキスタンを䞀緒に旅しお、曎にむンドに入っおからもアムリトサルずダラムサラたでの旅を共にしたドむツ人の青幎。1960幎生たれの筆者より若干若かったず蚘憶。もう䞀人は女性で、圌女の名前は圓時の日蚘を捲らなくおも蚀える、倚分い぀たでも忘れないだろう、レナヌテフルネヌムで蚘憶しおいるけれど、「レナヌテ」ずファヌスト・ネヌムの方で呌んでいた。

    レナヌテは筆者ず同じ幎霢だった。筆者の日蚘によれば圓時 23歳。筆者もその旅の途䞭、1983幎9月11日にシリアのパルミラで 23歳の誕生日を迎えおいお、

    だからたぁ同じか、ほが同じ歳だったこずになる。圌女はパキスタンのラホヌルだったず思うから他の日本人男性バックパッカヌず䞀緒でむスラム圏は女性の䞀人旅は色んな意味で困難を䌎うので、女性バックパッカヌは䟿宜的に男性の盞方を芋぀ける䟋が少なくない、その筆者以倖の日本人バックパッカヌ圌も同じ歳、圌は正真正銘、ずいう蚀い方も劙だが、芁するに日本的に蚀えば「同じ孊幎」の幎霢だったを含み、アムリトサルずダラムサラでは、ドむツ人男女2人、日本人の男2人、蚈4人で宿をずったのだった。

    ダラムサラの埌は、4人散り散りになっお、぀たりそれぞれ䞀人旅に戻ったのだが、因みにレナヌテはお母さんがドむツ人で、お父さんはむンド人、圌女の旅は幌い頃に別れおしたったむンド人の父ず再䌚するための旅でもあった。

    レナヌテ

    さお, 

    ダラムサラ 〜 ヒマラダを拝み, チベット仏教の僧䟶たちず芪しみ, チベット難民の街を歩き ... 写真21枚ずずもにあの日々を思い出す

    さおさおっお前章の最埌にも「さお」ず曞いおたけれど, ここでたたし぀こく昚幎の今日 note 投皿したダラムサラ旅 note のリンクを貌っお, その䞋にその第2章をそのたた掲茉するただし note リンクを䜕点か加え, 圓時撮った写真21枚ず䜵せお。

    長々ず「前説」を曞いたのに、そしお圓時の日蚘には実に色んなこずが曞いおあるのに、ここから先は写真䞭心になるず思う。

    曞いおいお䜕ずなく疲れおきたのだ。ず蚀っおも、心地よい疲れ。で、圓時の出来事の现かいこずは、たた気が向いたら note に曞こうず思うあくたでも「気が向いたら」。

    䞀蚀、この時の旅ずは関係ない劙な「思い出し蚘」を曞いおおくず、筆者がチベット仏教ずいうものの存圚だけを知ったのは、1972幎6月から翌1973幎6月にかけお筆者にずっおは小孊校6幎から䞭孊1幎にかけおの時期だった圓時の「週刊少幎マガゞン」に連茉されおいた倩才・奇才の挫画家・氞井豪の䜜「デビルマン」TVアニメ版の方でなくあくたで挫画版を通じおだった。あのSF挫画、ある皮のホラヌ挫画の傑䜜、基本は匷いお蚀えばキリスト教における抂念から拝借しおきたず蚀えるデヌモンやサタンなどが登堎しながら、その壮倧な物語の終盀の方でチベット仏教の僧䟶たちたで出おくるのだ「時代」を感じさせる衚珟だが、「チベット仏教」ずいう蚀葉ではなく、今はほが䜿われなくなっおいる「ラマ教」ずいう甚語が䜿われおいたず蚘憶しおいる。぀いでながら、ダラムサラを旅しおいた1983幎圓時の筆者の日蚘においおも、「ラマ教」「ラマ僧」ずいった衚蚘が目立぀。今は筆者も䜿わない蚀葉だけれど。

    因みに筆者、ダラむ・ラマ14䞖の䜏居の前にある寺を蚪ねおチベット仏教僧たちの修行の様子を芋せおもらった際1983幎12月7日、ダラむ・ラマ本人に䌚おうずしたのだが圚宅䞭である限り、申し蟌めば基本的に個人でなく耇数ごず䞀般接芋しおくれる、䌚おうず思ったその日はたたたた郜合が぀かないずのこずで「今日は駄目。2~3日埌なら可胜」ずの係官みたいな立堎のずころからの返答があっお、結局、そこたでの拘りがあったわけでもなくその埌 12月11日にダラムサラを発った筆者は、ダラむ・ラマ本人に䌚うこずはなかった。

    ずいうわけでどういうわけだこれは「犅問答」です、犅はチベット仏教ではないけれど、笑、今日は以䞋、写真䞭心。

    で、明日か明埌日、今日のこの note 投皿の「前説」で觊れ、以䞋の写真のキャプションの䞭でも少し觊れる、同宿だったむンド系ドむツ人女性の旅人、レナヌテの思い出に纏わる note 投皿を、別途しようず思っおいる。

    それは以䞋に掲茉する note リンク4点のうち, 2番目のものだったようなその第4章だず思うので, 本 note 次章にこれも掲茉しおしたう。他のは前埌繋がりがあるので, たずめお掲茉

    ではでは、ダラムサラで撮った写真 21枚ず、そのうちの䜕枚かに思い切り短めのキャプションをばいや、ずころどころ長くなるかも。

    キャプションずいうのは普通は写真の䞋に眮かれるず思うけれども、以䞋では䟿宜的に各写真のそれぞれ䞊。

    1) 泊たっおいた山小屋から少したぶん歩いお撮った写真。ヒマラダの䞀角が拝めるのだ。写真ではなくお、肉県で芋たら、泣けたすたぁ泣きはしなかったず思うけど、絶景。1983幎12月6日撮圱。

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    2) 街を眺める。

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    次から6枚は 1983幎12月7日撮圱。

    3) チベット仏教の仏塔。仏舎利釈迊の遺䜓・遺骚、たたはその代替物、だからここでは圓然ながら代替物 .. だよねを安眮した仏教建築。卒塔婆、塔婆、塔、ストゥヌパずいった呌称は党おこれを指すわけだけれど、「ストゥヌパ」はサンスクリット語由来の蚀葉で、仏教がむンドから䞭囜に䌝来した叀代、䞭囜語に音蚳されたのが「卒塔婆」。「塔婆」や「塔」はその略称で、日本にある五重塔などもこうした仏塔の䞀぀。チベット仏教では日本語のカタカナ衚蚘するず「チョルテン」ず蚀った呌ばれ方になるず思う。

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    4) これはもちろん、お釈迊様 .. のカタチを圫った、いわゆる仏像。仏像はほんず、囜によっお、民族によっお、宗掟によっおもかな、兎に角だいぶ趣が違う。

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    5) 再び、泊たっおいた山小屋から少したぶん .. 「しばらく」だったかも歩いお撮った写真。

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    6) チベット仏教の僧䟶たちの修行の様子ダラむ・ラマ14䞖の䜏居の前にある寺にお。チベット仏教の「蚎論」。二人ず぀ペアになり、䞀方立っおいる方が質問し、手を打぀。そしお、他方日本語の蚀い方で蚀えば「座犅」しおいる方が答える。これを続ける。この「蚎論」、チベット語で䜕ず蚀うのかたでは知らないがググっお知ったかぶりするこずは可胜だけれど、玠人が曞いお玠人が読むずたさしく俗語で蚀うずころの「犅問答」みたいになるので控えたす、笑、犅宗における「犅問答」も源は同じだろうか。

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    7) 同䞊。真ん䞭に写っおいるやや背が高い人は癜人僧。いや、肌の色などどうでもいいのだが、ずにかく、欧米系の人。いちいち尋ねもしなかったので、欧米の「欧」なのか「米」なのか、あるいは䞭米もしくは南米の人なのか分からないけれども、埌者も勿論あり埗ないずは蚀えないが、圓時の時代からしたらいわゆる「欧米」人だず思う。より正確を期すず、日蚘には「癜人僧」ずしか曞いおなくおそれ以䞊の詳现を残しおいないだけで、尋ねたかもしれないのだが、ずなるず37幎前のこず、流石に忘れた笑。これっお読者から蚊かれおもいないのに曞いおいお、ワケ分からん「犅問答」みたいか。いや、犅問答もちゃんず尋ねる人ず答える人がいおこその問答なので、このキャプション、犅問答ではない。こんなこず曞いおいおもキリないので、やめ爆。これは「自爆テロ」の「爆」ではなくお「自爆笑」の「爆」。仏教では普通普通「自爆テロ」などしないはず。

    ごちゃごちゃ癟枈ない、あ、くだらないこずを曞いおしたったけれどあ、癟枈は日本ぞ仏教を䌝来しおくれた朝鮮半島の囜の名、癟枈がないず「くだらない」結果になっおしたうくらい、癟枈は倧切、この写真のキャプション長いなの最埌に真面目な䞀蚀。

    芋おいるだけでも非垞に面癜い、実に興味深い、チベット仏教の僧たちの修行の様子だった。

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    8) チベット仏教僧たちの修行の様子を芋た埌、街に行っお撮った写真。チベット族の埡婊人や若い女性などが、カヌペットを䜜っおいるずころ。䜕人かは歌いながら仕事しおいた。苊圹でなく、楜しんでやっおいる劎働ずいう感じで、奜印象だった。

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    次から8枚は 1983幎12月8日撮圱。

    9) ちょっずピンがけ筆者はロバヌト・キャパなのだ .. なこずぁないの写真だが、前章「前説」に曞いた 4人、぀たりドむツ人の青幎、むンド系ドむツ人の女性、日本人の男性、そしお筆者党員、バックパッカヌの蚈4人が 7泊8日した山小屋。

    アムリトサルを発っおダラムサラに着いたのは 1983幎12月3日の倜で、既に街は真っ暗、その日だけは街䞭の宿に泊たった。4人で䞀郚屋取っお、ドむツ人青幎だけベッドに寝かせ、残る日本人の野郎 2人ずむンド系ドむツ人の女性レナヌテの蚈 3人は床に雑魚寝した。レナヌテは "This is my way" ず蚀っお笑っおいた。

    そしお翌日、12月4日に、街から曎に登ったずころ、ヒマラダの䞀角を拝める玠晎らしい景色の山䞭に居を移したのだが、それがこの山小屋。

    圓時の日蚘を斜め読みするず、その「ダブルルヌムの空き郚屋が 2぀あった」ずころを確保したもののようだ。

    ドむツ人の二人が 4人䞀緒に䞀郚屋取るこずに拘ったのでたぁ女性はレナヌテ䞀人だったし、誰がレナヌテず同じ郚屋になるのだ、ずいう話も面倒くさかったかもしれない、それにレナヌテ䞀人にしたら寂しいだろうし、結局、片方の郚屋だけ䜿っお、4人䞀緒で同郚屋にした。この山小屋のマネヌゞャヌ「因みに」皋床の情報だけどチベット人でなくむンド人だったは「譊察にダブルずか倀段ずかを登録しおいるこずが気になる」ずかで、䞀郚屋に 4人で泊たるこずが蚘録に残るこずを嫌い、それを受け入れお、郚屋は 2぀取り、その分のカネだけ払っお圓然それはマネヌゞャヌの望むずころだっただろうけれど、実際には片方の郚屋だけ䜿うずいうこずにした。ここに 7泊8日。

    レナヌテはドむツ人のバックパッカヌだったが、父芪はむンド人。圌女が子どもの頃に䞡芪は離婚し、芪父さんは故郷の南むンドに垰っおしたった。で、圌女は父芪の圓時の䜏所を知っおいお、レナヌテの「母囜」ドむツ圓時はベルリンの壁の厩壊前、よっお西ドむツを発っお䞭東を経由しおむンドたでやっおきた旅は、単なる攟浪の旅だけのものではなく、父芪に䌚いに行く旅でもあった。ダラムサラに来る前のアムリトサルで撮った数枚の写真を茉せた別の note 投皿の方で分かるけれど、実際、レナヌテは東掋系の顔をした女性だった。

    英語で話すずきは "Maybe" が口癖だった。朝、顔を掗っおるず 、笑いながら "Maybe you can lend me your towel" ず蚀っお近づいおきたレナヌテの顔や、その時の圌女の声は今でも思い出せる。あのバックパックの海倖「攟浪」もどき旅で出䌚った女性バックパッカヌで抜きん出お、最も印象に残っおいるレナヌテ、ああ、懐かしい。

    ずいうわけで、レナヌテぞの郷愁に぀いおは、明日か明埌日あらためお note 投皿する、その䞭でたた笑。

    「あらためお note 投皿する」件に぀いおは, 本章の前段の方で觊れた。

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    10) 写っおいるのは 4人のうちの筆者ではない方の日本人たぁ顔はよく分からない、぀たり個人が特定できるわけではないのでいいでしょう。

    ずいうわけで、䞊の 9) の写真ずこの写真の関係はどうなるのかな。タオルずか靎䞋ずか干しおあるし、泊たっおいた宿の䞀郚ず思えるのだが。圓時の日蚘を粟読すれば䜕か分かる可胜性はあるものの、今日のずころは謎のたた笑。

    泊たっおいたのは 10) の方だけで、9) は近くにあった別の山小屋だろうか。いや、違うはず。9) の写真の手前の空き地、あの蟺で掗濯物を干したり、朝、顔を掗ったりしおいたのを憶えおいる。そこでレナヌテが毎日のように "Maybe you can lend me your towel" ず話しかけおきたのは蚘憶に新しいのだ。「新しい」ずいうか、37幎も前の話なのだが、レナヌテのその時の顔の衚情も、声も、忘れられない、そのたんた頭の片隅に残っおいる。

    芁するにこれは、9) の写真の䞀郚を別の角床から撮ったものだろうか。撮圱者は間違いなく筆者自身なのだが、詳しいずころ、思い出せない

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    11)~16) 山小屋を出お、さらに高い方、山䞭を歩いた。暗くなる頃たで歩いお、その時に撮った写真。肉県で芋るずもっず芋事だったはずだが、今こうしおセピア色になっおきたような写真で眺めおも、圓時芋た玠晎らしい景色を思い出せる気がする。

    ここから 6枚はその時の写真。

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    次は, 

    1983幎12月9日の撮圱。

    17) 街䞭のカヌペット補䜜所、8) の写真を撮圱したずころを、再び蚪ねた。ずにかく、楜しそうに働いおいる。

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    残る 4枚は, ダラムサラを発っおデリヌに向かった日の前日, 1983幎12月10日 の撮圱。

    18) 街で撮った䞀コマ。

    画像22

    19)~21) ダラムサラに着いた日の翌日、1983幎12月4日に知り合い、その埌、倕食を埡銳走しおくれたり、朝食を埡銳走しおくれたり「埡銳走」ずいう挢字を曞いおいるが、チャむ・パンケヌキ・オムレツなどで圓然ながら「豪華」なものでなく質玠、しかし矎味しく、勿論ありがたかった、いろいろず案内しおくれたチベット仏教の若い僧䟶の簡玠な僧院にお。

    最埌の䞀枚は、本 note 投皿のタむトル䞊の写真に䜿ったもの。その写真 21) の右端が䞊蚘の僧䟶、右から 4番目は筆者圓時 23歳、今幎「還暊」。

    キャプション代わりのテキストは䞊の方にリンクを眮いた, ちょうど 1幎前の note 投皿から転茉しおいるので, 拙者筆者は昚幎「還暊」を迎えおいお, 今幎ははや16æ­³, 違った, 911の誕生日に既に61歳になっおいる, たぶん笑。

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    ああ, 懐かしや。

    レナヌテを思い出し぀぀, ピンク・フロむド 「゚コヌズ」 聎いおみよう ♫ 〜 歌詞和蚳付き

    以䞋の note の第4章 1983幎11~12月、むンド・アムリトサルずダラムサラで䞀緒だったむンド系ドむツ人バックパッカヌ、レナヌテに "So I throw the windows wide, and call to you across the sky" 〜 ピンク・フロむド 「゚コヌズ」, 'ECHOES - The Best of Pink Floyd' version (歌詞和蚳) 盞倉わらず長い芋出しだなぁ, 笑を, note リンクの䞋にそのたた掲茉。原文テキスト䞭に添えおいたその他の note リンクに぀いおは, その埌のものも加え぀぀。

    詳しくはあちらずこちら笑、筆者の note 投皿2点、そしおその投皿2点ぞのリンクの䞋に、䜕だか淡い系の旅の想い出テキスト。

    今日の本章では, 「note 投皿2点」でなく, 3点。実際にはこれに今日の本 note を加えお 4点かぁ

    むンド人の父を持ち、幌い頃に別れたその父を探す旅でもある「攟浪」の途䞭だったドむツ人バックパッカヌ、レナヌテ。日本語の「颚船」ずいう枟名・愛称を付けられ、実際、颚船のように気たたに歩き、「自由」そのものずいう颚情、䞍思議な趣の颚雅の人だったレナヌテ。

    感受性が匷く、山を歩いおいるずい぀も小さな虫や花に目を留めおいたレナヌテ。

    英語で話すずきは "Maybe" が口癖で、朝、顔を掗っおるず 、笑いながら "Maybe you can lend me your towel" ず蚀っお近づいおきたレナヌテ。その時の圌女の顔、衚情や声は今でも思い出せる。

    圓時の日蚘に色々ず曞いおあっお懐かしいんだが ... レナヌテは、それたでの2週間、旅を共にしおいた 4人がそれぞれ䞀人旅に戻る日の前日、い぀かそう遠くないうち、1幎埌ぐらいには、日本語を少し勉匷した䞊で日本に行きたいず蚀っおいた。孊生ずしお来るずか、あるいは来日しおから倖囜語の䌚話孊校みたいなずころで職をみ぀けおドむツ語を教えたりしながら、日本に長居しお圓時の筆者の日蚘によれば"I wanna see what's going on in Japan" ず蚀っお、その時は筆者のずころを蚪ねたいず蚀っおいた。

    別れの日の朝、「トルコを発っお以来、男のせいでプロブレムばかり。男の方が楜だからむスタンブヌルのあるトルコ西郚はただしも、トルコ東郚、むラン、パキスタンずいったむスラム圏では女性のバックパッカヌが䞀人旅するこずはほが䞍可胜で倧抵は男のバックパッカヌを同䌎しお移動せざるを埗なくなる、男になりたいず思うようになっおいたけれど、でも初めお女でありたいず思うようになった」ず筆者に蚀ったレナヌテ。しかしたぁ、色々ずこっちが本気になる、あるいは勘違い笑しおおかしくないようなセリフを圌女はその時に蚀っおいお、筆者はそれをその通り、圓時の日蚘に曞いおいたのだった爆。

    先に発぀筆者が䞀床道を間違えた時、芋送りで䞀緒にいお、「道をみ぀けられなかったのなら、それは発぀必芁がないっおいうサむンだよ」ず蚀ったレナヌテ。これも䜕ずいうか、どう考えおも、こっちは色々ず本気になるなり勘違いするなりしおしたうセリフだなぁ笑。

    最埌に別れる時、レナヌテはたたたた道端で売られおいた颚船をみ぀けお買い、膚らたせ、それをこちらに枡すのでこっちでもたた膚らたせ、筆者がバスに乗る前にあらためお握手、レナヌテは圓時の日蚘によれば"... really with you" ず蚀ったんだけれども、肝心な肝心かどうか分からないが、笑"... " の郚分は聎き取れなかった。楜しかったずか、たた䌚いたいずいった感じの単なる挚拶皋床の蚀葉だったかもしれないが笑 .. 笑ばっかしだな、しかし実際には笑っおいないのだった。単に懐かしい。

    結局、レナヌテは自分の颚船を筆者に枡し、「よく膚らたせたら、空に飛ばしおくれ」ず蚀った。その埌、自分がその颚船をどうしたのか、思い出せない。たぁ圓時の自分の旅日蚘を日毎捲っお䞀所懞呜探すず、䜕凊かに曞いおあるのかな。

    あのバックパック担いだ海倖「攟浪」もどき旅で出䌚った女性バックパッカヌで抜きん出お、最も印象に残っおいるレナヌテ、ああ、懐かしい。

    筆者の日蚘には、互いの䜏所を亀換した時のレナヌテの盎筆の字が残っおいお、そこには "See you somewhere in Japan, Germany, France or maybe Egypt" ずいう圌女のメッセヌゞも添えられおいる。しかし、日本ずドむツは分かるが、なぜフランスず゚ゞプトの囜名も曞かれおいるのか、その理由が党く思い出せない。

    しかし、レナヌテが日本に来るこずはなかった。来おいたら、ほが確実に連絡があったはずだから、実際、来なかったのだず思う。お互い、䜏所を亀換しながら、その埌、手玙のやり取りもしなかったような気がする。

    南むンドに䜏むむンド人の父に再䌚する旅でもあった、その旅の途䞭だったレナヌテ。

    今、レナヌテず実際にもう䞀床䌚いたいずは䞍思議なこずに思わなくお䜕かの瞁があっお䌚ったらそれこそワンダフルだろうけれど、い぀たでも想い出の䞭にいおくれるだけでいいず思っおいる。

    ただ、絶察倧䞈倫だず信じおいるが無神論者の筆者ながら、こういう時は宇宙の䜕凊かか地䞊の其凊圌凊に存圚するであろう物理的・科孊的な意味における「絶察的な」力にでも祈る、祈りの真䌌事をする、ずにかく、あの埌も無事、レナヌテは安党に旅を続け、今頃はドむツかむンドか、はたたたどういうわけかフランスか゚ゞプトか、あるいは他の䜕凊かの囜で、幞せな人生を送っおいるものず信じる。

    そういうわけで 〜 "So I throw the windows wide, and call to you across the sky" ♫

    以䞋の写真 4枚は、レナヌテにさよなら "Auf Wiedersehen" する、その 3日前、むンド・ダラムサラ、暙高2,000m超蟺りの山の䞭で撮った倕日の颚景。

    "Echoes" の歌詞で、最埌に "So I throw the windows wide, and call to you across the sky" が出おくるずころは、実は倕方じゃなくお、"A million bright ambassadors of morning" がやっおくる、朝なんだけどね。

    でもたぁ、そもそもが、あの歌のあの歌詞は、自分ず自分の分身ずの察話みたいなずころがあるように思える、そんな䞍思議な味わいの歌詞なのだ。

    写真 4枚の䞋には、元々は 1971幎リリヌスの "Echoes" が、2001幎に発衚されたピンク・フロむドの2枚組ベスト・アルバム 'ECHOES - The Best of Pink Floyd' (しかも疟うの昔に別れたロゞャヌ・りォヌタヌズを含むメンバヌ4人が遞曲に携わったベスト盀) に収められた時のショヌト・ノァヌゞョンの音源リンクず、歌詞歌詞はオリゞナル、1971幎リリヌス "Meddle" のフル・ノァヌゞョンず同じ、および筆者による和蚳歌詞を掲茉。

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    Echoes (short version) 〜 from "ECHOES - The Best of Pink Floyd", the compilation album by Pink Floyd, released on November 5, 2001

    *䞀般瀟団法人日本音楜著䜜暩協䌚JASRACより「著䜜暩を有する音楜著䜜物の著䜜暩を䟵害しおいる」旚, 指摘を受けた為, 圓初 私の誀認識によりここに掲茉しおいた英語歌詞を削陀したした。英語歌詞・原詞は公匏サむト等に掲茉されおいるものを確認しおください2022.9.1 加筆/削陀/線集。

    ..............................

    頭侊 空高く アホりドリが (*1)
    宙に舞い䞊がったたた静止しお垂れ䞋がる
    そしお 揺れる波間の奥深く
    珊瑚の掞窟の迷宮の䞭
    遠く離れた朮の流れ 遥かな過去の残響が (*2)
    砂地を越え 颚に舞う柳の劂くゆらゆらずやっお来る (*3)
    そしお 䜕もかもが青々ずした緑色を成し 海の底に (*4)

    誰も我々を陞地に導かなかった
    誰もが 䜕凊にいるのか 䜕故そこにいるのかを 分かっおいない
    しかし䜕かが目芚めお動き出し 䜕かが詊みを始める (*5)
    そしお 光に向かっお 登り始めるのだ

    通りすがりの芋知らぬ者どうしが
    偶然にも 䞀瞬その芖線を亀わす
    実は私はあなたであり 私が芋おいるのは私自身なのだ
    私はあなたの手を取り
    この地の䜕凊いずこかに導き
    自らができる最䞊のこずは䜕なのか 理解するこずになるだろうか

    先に進むよう呌びかけるものなどいない
    芖線を萜ずすよう匷いるものもいない
    蚀葉を発するものはいないし 我々のように詊みるものもいない
    倪陜の呚りを飛ぶものなどいないのだ

    雲ひず぀ない毎日 あなたは 芚醒した私の県に舞い降りる
    私に起き䞊がるよう 誘いいざない 錓舞しながら
    そしお 壁に埋められた窓を通し
    陜の光の翌に乗っお差し蟌んでくるのは
    眩いたばゆいばかりに光り茝く䜕癟䞇もの朝の倧䜿 (*6)

    私に子守唄を歌っおくれるものなどいない
    私の目を閉じさせるものもいない
    だから私は窓を倧きく開け攟ち
    空の向こうのあなたに呌びかけるのだ

    .............................................

    泚釈

    *1 albatross

    鳥の名前、アホりドリのこずだけれど、アホりドリは南倪平掋に沢山いお、翌が長いのが特城の氎鳥。この鳥を航海䞭に芋たらそれは嵐の前兆だずされたずかいう話もあるようで、それず関係があるのかどうか、"albatross" には「心配のもず」、芁するに、心配なので「頭痛の皮」になるようなものを意味する堎合がある。

    "albatross" が「頭痛の皮」を意味する堎合がある鳥の名前だず思えば、この歌の歌詞が "Overhead the albatross hangs motionless upon the air", 「頭䞊 空高く アホりドリが 宙に舞い䞊がったたた静止しお垂れ䞋がる」で始たっおいる点、英語で「頭痛」を意味する "headache" にも「頭痛」だけでなく、「頭痛の皮、悩みの皮、困ったこず」ずいった意味があるわけで、"Overhead" ず "albatross" の意味䞊の関連があっおこうした wording, すなわち蚀い回しなり蚀葉遣いなりが為されたのか、その蟺り、興味深いものがある。

    ぀たり、単に「アホりドリ」ずいう氎鳥のむメヌゞだけでなく、「アホりドリ」=「頭痛の皮心配事、困り事、悩みの皮」が「頭䞊」にあっおずいった意味合いが蟌められおいる、そういったダブル・ミヌニング的なニュアンスがあるのかどうか。

    *2 time (tide)

    この箇所、"time" にも "tide" にも聞こえる。文脈䞊、"tide" であっおも䞍自然ではないず思うが、ネット䞊の歌詞サむトで芋る限り、"time" ずしおいる方が倚いようだ。

    "distant time" なら「遠い過去の時代」ずいった意味合いになるず思うが、"tide" も「朮の流れ」「朮流」の他に文語ずしお「奜機」「朮時」、曎にはやはり文語で「季節」「時期」ずいった意味ずしお䜿われるケヌスがあり"Christmastide" などのように結合語の䞀郚ずしおずいうケヌスが倚いようだが、"distant time" なら「 遠い時代」「遥かな過去」ずいった蚳し方ができる䞀方で、"distant tide" も䌌たような意味で解釈するこずは可胜だず思う。

    そこで、圓該の箇所 "The echo of a distant time (tide)" に぀いおは、"tide" の䞀般的な意味が「朮の流れ」であるこずも螏たえ、か぀ "distant tide" ずしおの解釈を先に持っおきた方が日本語ずしおのリズムがいいように思えたため、「遠く離れた朮の流れ 遥かな過去の残響が」ず蚳すこずにした。

    *3 willowing

    willowing は難関。"willow" が動詞ずしお䜿われるこずは、極めお皀だろうず思う。"willow" だけなら通垞は「柳」の意だが、これを動詞ずしお䜿うなら「開繊機にかける」ずいう意味の極めお特殊なケヌスの堎合になる。

    結局、筆者は、"Comes willowing across the sand" に぀いおは、些か苊し玛れであるが、前埌の文脈を考えた䞊で、「砂地を越え 颚に舞う柳の劂くゆらゆらずやっお来る」ずいう長めの日本語衚珟にした。

    この歌の歌詞における "willowing" の解釈は非垞に難しく、英語話者の間でも議論されおいるくらいのもののようだ。

    以䞋は、蚳す際、"willowing" ずいう、"willow" は「柳」の意の名詞でありながら "willowing" ず動名詞に倉化しおいるかに芋えるこの箇所に぀いお、䜕か特殊な意味の「開繊機にかける」の意味以倖の動詞ずしおの "willow" があるのかどうか、䜕か手掛かりがないかずググっお芋぀けたりェブ䞊の耇数意芋。ただし、これを芋おも、結局、はっきりした結論は出ない。ずいうか、正盎蚀っお、途䞭たで読んで、最埌たで粟読しないたたに、歌詞和蚳の䜜業に戻っおしたった笑。

    なお、前項 *2 time (tide) ずの関連で蚀うず、前項においお筆者が 〜 "time" にも "tide" にも聞こえるがネット䞊の歌詞サむトで芋る限り "time" ずしおいる方が倚いようだ 〜 ずしおいる件、以䞋のリンク先では質問者は "tide" の方を採甚しおいる。

    *4 green

    "green" は圓然ながら、普通、日本語では「緑色」ずいうこずになるわけだが、英語の "green" には圢容詞ずしお「緑の」「緑色の」ずいった意味の他に、「怍物などが青々した」ずか、「青々ずした怍物のように〕若々しい」「元気な」ずか、「果実が青い」「未熟の」、それが転じおずいうこずなのだろうが、「青い果実のように人が未熟な」「経隓の浅い」「䞖間知らずの」ずいった意味がある。぀いでながら"Echoes" の歌詞の䞭においおどこたで「぀いで」か分からないが、「顔色が青ざめた」「吐きそうな様子で」「䜓調が悪そうな様子で」ずいった意味もあるようだ。

    たた、䞊蚘より曎に「぀いで」ながら、亀通信号の䞭の日本語でいうずころの「青信号」は英語では "green", "green light", "green signal", "green traffic signal", "green traffic light" ずいった蚀い方になり、いずれにしおも "green", ぀たり日本語に盎蚳すれば「緑」「緑信号」であっお、これに関しおは英語話者の色圩感芚は日本人䞀般のそれず異なる事になる。芁するに、英語の "green" ず日本語の「緑」、英語の "blue" ず日本語の「青」は、その意味するずころがぎったりむコヌルで䞀臎するわけではない。

    "And everything is green and submarine" に぀いおは、䞊蚘のような埮劙なニュアンスを気にし぀぀、「そしお 䜕もかもが青々ずした緑色を成し 海の底に」ずいう日本語のフレヌズに眮き換えるこずにした。

    *5 stir(s)

    "stir" ず蚀えば、筆者の頭に最初に浮かぶのは他動詞で「スプヌンなどの噚具で液䜓をかき回す、かき混ぜる」、自動詞で「スプヌンなどでかき回せる、かき混ぜられる」ずいった意味になる単語だが、"stir" (はこの歌の歌詞の該圓箇所では自動詞) には自動詞ずしお他に「䜍眮がわずかに動く」「ずれる」「揺れる」、「䌑息埌に目芚める」「掻動する」、たた文語ずしお「感情が呌び芚たされる」「感情が湧き䞊がる」、話語ずしお「隒ぎなどが起きる」「発生する」ずいった様々な意味がある。

    "But something stirs and something tries" に぀いおは䞊蚘を螏たえ、「しかし䜕かが目芚めお動き出し 䜕かが詊みを始める」ず蚳すこずにした。

    *6 A million bright ambassadors of morning

    "A million" はもちろん、日本語に盎蚳すれば「癟䞇」。ただ、ここで衚珟したいこずは、「数え切れないほど沢山の」ずいったニュアンスだろうず思う。些か冗談めくが、通貚䟡倀からしおも "A million" US dollars はかなりの倧金だが、「癟䞇」円ずなるずそれず比べた堎合にはそこそこの倧金筆者にはそれもかなりの倧金だが、笑。

    いずれにしおも、この歌詞の䞊蚘フレヌズの䞭での "A million" は、日本語に眮き換えた堎合は「䜕癟䞇もの」ずした方が盞応しいず考え、"A million bright ambassadors of morning" は日本語で「眩いたばゆいばかりに光り茝く䜕癟䞇もの朝の倧䜿」ず衚珟するこずにした。

    * ピンク・フロむド 「゚コヌズ」 歌詞和蚳, 初出 note 投皿はこれ。

    さお, 本 note の最埌の最埌も, 䟋によっお音楜で。

    むンド, アムリトサルずダラムサラで䞀緒だった, 父芪がむンド人のドむツ人女性バックパッカヌ, レナヌテをあらためお想い出し぀぀ 〜 むンド人のシタヌルの達人ラノィ・シャンカルを父芪に持぀異母姉効, ノラ・ゞョヌンズずアヌヌシュカ・シャンカルが共挔した曲で締め括り ♫

    1幎前の今日の note 投皿の最埌の締め括りず同じなのだった。

    今日のダラムサラ旅 note で觊れた, そしお旅 note 前回のアムリトサル旅 note でも觊れた, 38幎前の晩秋から初冬にかけおこれっお日本匏の季節の蚀い方だね, ああ そうだね, ず自問自答の犅問答, むンドのアムリトサルずダラムサラで合わせお 2週間ほど䞀緒だったむンド系ドむツ人, 同じ歳だっただから今も同じ歳だね, そうだよそうだよ同じ歳だよ, ずたたたた自問自答の犅問答, 圓時の海倖「攟浪」もどき旅で出䌚った女性バックパッカヌの䞭で抜きん出お, ぀たり最も, 今も「今も」「トランゞスタラゞオ」♫ これじゃ枅志郎の歌になるね, そうだね, ずし぀こく犅問答, 匷く印象に残っおいるレナヌテを想い出しお, そうなのだ, 父芪がむンド人のレナヌテを想い出しお,

    本 note 投皿の最埌は, ちょうど 1幎前の note 投皿の最埌ず同じく, 父芪はシタヌルの達人であるむンド人ラノィ・シャンカルで母芪は違うけれど姉効のアヌヌシュカ・シャンカルずノラ・ゞョヌンズ现かいこず蚀うず, お姉さんは埌者ノラ・ゞョヌンズが共挔するこの曲, この歌で締め括り。

    Traces Of You 〜 Anoushka Shankar & Norah Jones ♫

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    音楜をこよなく愛する1960幎生たれ。誕生日はシリアの独裁者バッシャヌル・アサド (1965幎) ず同じ、チリの悲劇 (1973幎)、アメリカ合州囜の悲劇 (2001幎)ず同じ日の 911, 圓然ながら偶然。関心事項は䞭東などの囜際政治、宗教等。自身は無神論者ずいうより無宗教者。

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