見出し画像

冒頭試し読み「雨の幻想曲」

筒井透子作品集「愛だの恋だの」に収録しているホラー短編の冒頭です。

 街は色に溢れている。水彩画のように様々な色が重なっては消えていく。色に幻惑されるから俺は目を開けてリアルを見続ける。人が俺の左右を流れていく。こんなに街に音が溢れていることに気づかずに歩いていける連中が羨ましい。他人の耳のイヤホンからはみ出した小さな音が紫に光って消える。カフェのドアからはヒット曲を無難にボサノバにした曲が漏れている。誰の耳からも流れ落ちる街のBGMに過ぎない音は、俺の視界を灰色に染める。俺は足早にその場を立ち去る。信号から流れてくる機械音はいつも黄色だ。大きく鳴らされたクラクションが赤い線となる。
 マネージャーの自宅マンションまでもう少し。大通りから角を曲がって脇道に入る。住宅が建ち並ぶ小道から突然カラオケの大音量が聴こえて、どぎついピンク色が灰色と黄色の上に乗った。音を消すイヤホンを忘れたことに気づき、俺は舌打ちする。舌打ちも赤く残像となる。

「パリのピアノコンクールで日本人初の金賞! イケメンピアニストに迫る」
 佐伯和馬氏は三十二歳の新進ピアニスト。パリで開催されたルーブルピアノコンクールで金賞を受賞したのは日本人初の快挙だ。

(写真)コンクールのトロフィーを持ち笑顔の佐伯氏

 このとおりの甘いマスクで一躍人気者に。日曜朝の「クラシックと遊ぼう」では、ピアノのお兄さんとしても活躍している。
 魅力あふれる彼の生い立ちや、音楽への想いを聞いた。(取材 山田明子)
(略)

山田 幼少期からピアノをやっておられたんですよね。
佐伯 はい、ピアノは五歳からですね。グランドピアノが家にありまして。
山田 家にグランドピアノはすごいですね。その頃から神童でいらした?
佐伯 いや、ただのピアノを弾く子どもでしたよ(笑)。でも、小さい頃から弾いていたおかげで音感はしっかり身につきました。
山田 絶対音感ですか。佐伯さんの耳の良さは有名ですよね、聴いた曲をすぐ弾けるとかで。
佐伯 はい、僕の場合は、色や景色も見えます。
山田 色? 音を聴いて?
佐伯 はい。自分でも不思議で、音感の研究をされている方に聞いてみたんですが、珍しいみたいですね。特定の響きを聞くと、かつてそれを聴いた時に自分が見た景色がイメージとしてブレンドされて、独特の色彩や景色が脳裏に浮かぶのではないかと言われました。
山田 それはすごい!
佐伯 よく例えに出すんですが、「田園」を聴くと本当に田園風景が見えます、まあこれは刷り込みかもしれませんが(笑)。モーツァルトやショパンの色は本当に美しいですよ。僕も自分の演奏で美しい色合いを見られるように、日々練習しています。指のタッチが少し甘くても、色は濁るので。
山田 では金賞を獲られた時の景色は最高でしたか?
佐伯 そうですね、最高でした(笑)

「くだらないもの読むなよ」
 マネージャーが読んでいた音楽雑誌をつかんで放り投げ、椅子に座っていた彼女を無理矢理立たせて唇を奪う。キスを続けながらマネージャーは話そうとする。
「和馬さん、今日は仕事の話もある」
「いいから脱げよ、すぐ済むから」
 俺が乱暴にブラウスのボタンに手をかけると、女は俺の手を止めて、おとなしく服を脱ぎ始めた。前にボタンをもぎとったから学習したらしい。俺は部屋のスピーカーから流れているドビュッシーの音を消した。裸になった女が抱きつきながら言う。
「どうして消すの」
 隣の部屋のベッドに女を倒し、背後から攻めながら思う。次からドビュッシーの和音を聴いたらお前の姿が残ってしまう。いらないんだよ。
 全てを終えて服を着ながら「仕事って?」と尋ねると、ぼんやりと寝そべったまま女が言う。
「和馬さんの地元に新しくホールができるんだって。そこでのコンサート依頼」
「地元? どのへん?」
 起きてキャミソールを着た女がパンフレットと封筒を持ってくる。写真の建物はドーム型、地方にありがちな建物だ。
「前に市民会館あったとこだな、日程被ってなければ受けといて。で、これは?」
 俺はもう一つの封筒を開く。女が言う。
「地元出身の新進作曲家の曲だって。そこでぜひ弾いてほしいって」
 くだらない企画だ。封筒から出てきたのは譜面だった。さらっと長さを確認する。主催者からとおぼしき手紙も同封されていたので読む。この曲はO県出身の新進作曲家堀内諒氏が書き下ろしたもので、このホールで初めて公式に演奏されるものとなります。最初の演奏をぜひ佐伯様にお願いしたく思います。
「引き受けると言っておいて」
 言いながら、最初から譜面を見る。楽譜を見たらすぐに頭の中に音が鳴る。
 ピシャ。
 俺は頭を振った。
「どうしたの?」
「いや」
 頬に水がかかったような気がした。

いいなと思ったら応援しよう!