公募落選日記 7 自分でつくる
さきほどは抽象的なメンタルの話をしたけれど、公募に落ちまくる私がどうして作品を書き続けていられるか、実はかなり具体的に答えが出ている。
私には「公募に落ちたら自分の作品集にして文学フリマで売る」という明確な目標がある。
最近では完全に本末転倒で、公募に応募する時にはすでに「落ちたらどういうスケジュールで冊子にするか」を考えながらやっている。一次選考の結果がいつ出るか、それで落ちた時に冊子にするとして9月の文学フリマ大阪に間に合うのか、いや、11月の東京か?そのあたりまで考えながら、公募作品を書いて出している。
そうなると落ちた時に「うわーまた落ちたー」とはなるんだけど、「よし、今から校正して文庫レイアウトに流しこもう」と作業をはじめるから、忙しくなって先のことを考えるし、それでダメージを紛らわせることができる(なくなるわけではないけど)。
そして何より、書いても無駄にはならない。
公募に出す時もどちらかというと「このあとも商品として売って誰かに(主にお友達に)読んでいただくのだから、ちゃんとしたものを書かなければ」という、プロ意識??(違)が目覚めたりして、いい加減なものを書けなくなる。もちろん公募なんだから最初からいい加減なもの書くなよ、なんだけど、想定読者が「下読みの方々」(めっちゃうまくいけば「選考委員の先生方」)プラス、周りの「知っている人々」になるのは、良いプレッシャーだと思う。
最近では嬉しいことに、「落ちたら文学フリマ大阪(9月)に出す」と思って表紙まで用意していた作品が公募に勝ち残り、文学フリマ大阪には出せなかったという嬉しい事件が起きた。しかも二作品もだ。
しかし残念ながら落ちたので、文学フリマ東京(11月)に出します。現在冊子づくりに向けて作業中。
って、そんなん言うても、冊子作るやなんて言われてもできるわけあらへんやん、という方もおられるかと思うが、「はじめてでもできた」日記を当時に書いていたので、こちらご参照ください。趣味で使えるお金と時間と多少の熱意があれば可能、だと思う。
公募って「落ちるもの」である。少なくても数百作品、多いところでは何千も作品が出てきて、受賞者は一人、多くて五人くらい?
落ちない方がおかしい。
でも落ちて当たり前なのに落ちたら悲しいのが公募。悲しみすぎないように対策を練るしかない。私には「落ちたら自分で本にする」はとても有効だった。
小説を書きはじめてから、文学フリマの存在や、アマチュアでも同人誌作ってる、という世界を知ったのはとても大きかった。誰でも小説を書いて読んでもらえる世界があるというのは、とても励みになる。
そんなわけで、11月23日の文学フリマ東京に新刊をまたひっさげて、お邪魔します。
