試し読み「正義の味方」
そこは三階建のアパートに見えた。番地をもう一度確認した。住所では一階の事務所に来てくださいとあるが、どれも同じ扉で同じ間取りに見えた。事務所? 地図で住所を確認し、一〇三号室の部屋番号を見つけ、呼び鈴を鳴らす。扉が細く開いた。メガネをかけた女が顔を覗かせた。
「古川司です。十四時からお約束していました」
「ああ」
チェーンががしゃがしゃと外れる音がして、扉が全開になった。
「入ってください」
うつむいたままの事務員は無愛想で、入ってと促された先はどう見てもキッチンだった。安っぽいピンク系のチェックのテカテカしたマットが敷かれたテーブルは、マットもコーヒーで汚れていて、椅子にかけられたカバーも少し破れていた。
「ちょっと座っててもらえますか」
小声で事務員がいい、俺は仕方なくその椅子に座った。隣の部屋がちらっと見えた。六畳一間くらいで簡易ベッドと机、パソコンが置かれていた。プリンタもあったから、一応仕事部屋なんだろう。急に、部屋で女と二人きりなのを意識して、俺は少し強張る。事務員は隣の部屋から何枚かの紙をボードに挟んで持ってきた。ボールペンを渡される。
「契約書です。読んでいただいて、サインお願いします」
「え、あの、オーディションとか、ないんですか」
俺が聞くと、向かいに座った事務員はメガネの奥から俺をじっと見た。
「面談は今やってます。うん」
女は一度頷いた。そして無表情のまま言った。
「アオレンジャーっぽいですね。合格です」
生活がかかっていた俺は、拍子抜けした。アオレンジャーっぽい?
「あなたが決めるんですか?」
俺が聞くと女は少し眉をひそめた。
「私が全権を任されています」
女は白シャツにグレーのベスト、そしてグレーのタイトスカートという、少し前の事務員の制服を着こなしながら、そう言った。胸元に名札までついていた。ストッキングもきっちり履いていたが、足元だけスリッパだった。俺はすぐに謝った。
「そうですか、すみません」
人を見た目で判断してはいけない。京美によくそう言われていた。
女は首を傾げてから、立ち上がる。奥の部屋に入り、次に持ってきたのは大きな旅行鞄だった。
「ここにアオレンジャーの衣装が入っています。持っていただけますか。部屋まで、ご案内しますね」
俺は鞄を受け取って肩にかけた。すごく重かった。硬いものも入っていて、太ももにあたった。キャリーケースも持ち上げて、階段を上がるだけで息が切れた。二階だと言われてほっとした。
二〇三号室。事務所の真上の部屋の前で、鍵を渡された。
「じゃあ、ごゆっくり。お食事は、賄いつきと書きましたが、お向かいのカフェと提携して、提供しています。お口に合えばいいですけど。夜は六時からあいてますから」
そう言って去っていこうとする事務員に、俺は聞いた。
「あの、イベントは明日からですか。リハーサルとかあるんですか」
事務員は首をかしげた。
「イベント?」
「スケジュールはまた教えていただけるんですか」
「ああ」
事務員は無表情に頷く。
「また、おいおいわかると思います。明日また説明します」
そして俺は一人になった。部屋は事務所と同じ間取りだった。入ったら小さなキッチン、その横の扉の先には簡易式ベッドに机と椅子。俺は荷物を全部床に置いて、とりあえずベッドに横になった。ベッドは綺麗に整えてくれていて、清掃も行き届いていた。気分が良かった。
なんだかよくわからないが今日はフリーらしい。疲れた。夜まで少し仮眠しよう。枕元にメガネを置いて目を閉じた。
「アオレンジャーさん」
呼ばれた。目を開くとさっきの事務員が俺の顔を覗き込んでいるのがぼんやりと見える。どうやら俺は眠っていたらしい。手探りで探して、メガネをかけた。時計をみたら数時間経っていた。事務員は肩で息をしていた。
「出動です。衣装、着ていただけますか」
そういって事務員は勝手にさっきの鞄をあけていて、アオレンジャーの衣装を俺に差し出した。
なんでいきなり出動なのか全く説明がなかったが、仕方なく俺は着ていた半袖シャツを脱いだ。何か気付いたのか、事務員が隣の部屋に行った。俺はそのまま着替え続ける。青い服は全身タイツで俺の肌に吸い付くが、着心地が良くて驚く。だいたいこういう衣装は汗を吸わない安い素材でできていて夏場は汗をかいては地獄を見るのだが、通気性がよく、快適だった。太いベルトがあってそれをつけると、全身タイツだがそれなりに様になった気がする。顔をすっぽり覆うマスクが鞄の底から出てきた。俺は少し困った。
「あの、コンタクトつけてきていいですか、目が悪くて」
「いいから、マスクかぶってください」
見えない位置で事務員が叫ぶ。急いでいるようだ。仕方がないからメガネを外してそのまま被った。マスクも肌にはりつき、快適だった。俺はそのまま黒いブーツを手に取り玄関まで歩いて、歩きながら気付いた。メガネがなくても鮮明に見えている。
「え、なんで見えるの」
俺がつぶやくと事務員は当然だという顔をした。
「大丈夫でしょう? あ」
そして慌てて部屋に戻り鞄の底からもう一つ長い青い布と、銃を持って戻ってきた。銃を渡された。右手に持ったそれは、どっしりと重かった。ベルトに挿す場所があったから押し込んだ。前を向いたら目の前に事務員がいた。事務員は黙ったまま、青いスカーフを俺の首にきゅっと巻いてくれた。青い衣装越しに事務員の息が胸元にかかった。事務員は俺をじっと見て「オッケーです」と微笑んだ。距離が近くて、俺は少し息を止めた。
