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結婚したら、モラ夫でした

    第1章:モラ男を選ぶ才能だけはあった

    私たちの出逢いは、某生命保険会社が主催したお見合いパーティーだった。
    第一印象は――さすがモラ男(まだ夫になっていないので、ここでは“男”と呼ぶ)。
    見た目はごく普通。けど、謙虚で出しゃばらない、優しげな“好青年”風。
    お互いに一目惚れ……っぽい感じやった。
    彼は大手企業勤務で、性格は“温厚風”。
    背もまあまあ高くて、収入も安定。
    ――これ、女としては「逃したらあかん物件や」と思うやん?
    当時の私は、大手メーカーの子会社で正社員として働いていた。
    だからこそ、結婚相手に求める「条件」みたいなものも、ちゃんと見ていたつもりやった。
    でも、モラ男のズルいところはな、私の連絡先を聞いてこーへんねん。
    代わりに、自分の名刺をスッと差し出して、
    「良かったら、連絡ください」――って。
    いやいや、それって“丸投げ”やん!?
    気に入ったらかけてこいやスタイル、ほんま何様やねんと思った。
    当時はまだ携帯電話を持ってる人が少なかった時代。
    いきなり会社に電話するって、めっちゃハードル高いんですけど!?😅
    1週間悩みに悩んで、ようやく会社に電話した私。
    そしたら第一声がこれや。
    「もう、電話かけてくるの遅いわ〜!」
    ……いや、お前が私の連絡先聞いて、かけてこんかい!
    と内心ツッコミ入れながらも、当時21歳。
    うら若き乙女、初めての恋愛。比較対象もなければ、「これって普通?」って疑うこともなかった。
    まだモラ・アンテナも立ってなかったしな(笑)


    地獄の「おーいお茶」俳句事件

    デートを重ねるうちに、じわじわとモラ気質が発動しはじめた。
    最初の5~6回くらいは普通やったかな……いや、たぶん10回くらいまではギリセーフ。
    でも、モラ男ってじわじわレベルアップしていくタイプやねん。
    最初は優しくて、だんだん「ん?おかしくない?」ってなる。
    事件は、ドライブ中に起きた。
    モラ男と“おーいお茶”を飲みながら車に乗ってたら、ペットボトルに載ってた短歌か俳句の話になった。
    「紀真ちゃんも、俳句つくって♪」
    ……は?急になんなん。
    「え、そんなん急に言われても無理やし😅」
    と言っても、モラ男はしつこく「作って作って」とねだってくる。
    いや、お前が作れや。
    私が「もう、しつこいわぁ」と言った瞬間、モラ男の態度が豹変。
    「……車から降りろ!!」
    は?????
    なんで俳句ひとつ作らへんかっただけで、車から降ろされそうにならなあかんねん!?
    幸い、なんとか宥めて車は降りずに済んだけど、心の中では伊藤園を恨んだ。
    (※伊藤園さん、ごめんなさい。)

    電話=モラ劇場
    付き合いだしてからは、毎晩電話。
    ……と言っても、あれは電話というより精神拷問やった。
    毎回、途中でモラ男がキレてくる。
    因縁をつけて、夜中までネチネチネチネチ……
    私はどんどん痩せていった。
    (※痩せたのはちょっと嬉しかった)
    「そんなの別れればいいじゃん!」と読者のみなさんは思うかもしれません。
    でも、そのときの私は――ほんまに、わからなかったんです。
    これが恋愛なのか、我慢なのか、苦行なのか……。

    ♦ワンポイントアドバイス♦
    結婚前から少しづつコントロールが始まっていた。”デートDV”(恋人間のモラハラ)も。後のモラ夫につながるサインです。
    私もそうでした。

    チャペルの音は、地獄のファンファーレ

    さすがの私も、連日のモラハラ電話に疲れ果て、とうとう別れを決意✨

    ……が、その日の会社帰り。
    なんと、会社の前にモラ男が待ち伏せしていた。

    車は某有名メーカーの外車のオープンカー(当時めちゃ高いやつ)。
    オープンなんて恥ずかしいから、毎回「屋根おろして」って頼んでたけどな。

    彼は何かを察知してたんやと思う。
    モラ男って、「相手が離れそう」な空気にはめちゃくちゃ敏感。
    そして、いざとなったら謝ってくる。

    車の中で、「電話の件、ごめん……」と頭を下げるモラ男。
    単純な私は「この人、案外いい人やん」なんて思ってしまった。

    あのとき、きっぱり別れていたら……
    きっと、違う人生を歩めてたんやろうな。

    モラ男は一見すると“有料物件”やった。
    昔で言う“三高”:高学歴・高収入・高身長。

    でも、歴代の彼女に全部振られてた。
    今ならわかる。
    みんな、ちゃんと見抜いてたんやな。

    なんやかんやで2年近く付き合って、結婚することになった。
    (※付き合ったのは実質1年半、あとの半年は結婚準備)

    初めて義母と会ったとき、言われた言葉がこれ。

    「紀真ちゃん、こんなわがままな子でいいの?」

    最初は「なんかようできたお義母さんやな~」なんて思ってたけど、
    あれは警告やったんや。

    そして、結婚式の日。
    チャペルに鳴り響いたのは――

    地獄の結婚生活へのファンファーレだった。


    第2章:愛じゃなくて、支配でした-地獄はまだ続く-

    新婚生活は、枚方市内のとある賃貸マンションから始まった。
    新婚旅行のイタリアから帰国して――
    読者の皆さま。
    もしここで「ラブラブ新婚生活」を期待しているなら、残念ながらハズレです。
    なぜなら、相手はモラ男改め――モラ夫なのです。


    朝ごはん大爆発事件

    モラ夫が会社に行く初日。
    私は張り切って朝食をつくりましたよ。
    ごはんに手作りのお味噌汁、焼き魚を添えて――
    私の中の妄想はこうだった。
    「ありがとう!朝からこんなん作らんでいいのに。もっと簡単なんでいいよ」って言ってくれるはずやん?
    でも、さすがモラ夫。違う意味で期待を裏切らない。
    なぜか怒り出して、
    「朝からこんなもん食べられへんわ!!💢 朝はパンと牛乳でいいねん!!」
    ……はぁ?!
    でも私は黙ってた。「はいはい、一生パンと牛乳でも食べていってください」と心でつぶやきながら。

    扇風機クラッシュ事件

    もう、何で揉めたのかは覚えてない。
    ただ、モラ夫は“えっ、こんなんで?”というところで、怒りのスイッチが入る。
    それが予測不能で、地雷がどこにあるか全然わからへん。
    ある日、その怒りのスイッチが入って、扇風機を破壊。
    私はびっくりして、まだ自分がマインドコントロールされてなかった頃やったから、すぐに実家の母に電話した。
    母:「今から行くわ」
    それをモラ夫に伝えると――まるで逃げるように逃走。
    いや逃げるって、お前、自分が悪いって認めてるようなもんやろ!!
    母が到着したら、部屋には脱皮したセミの抜け殻みたいにモラ夫のパジャマが散乱。
    母:「えっ、出ていったん?お母さん、別に怒りにきたんちゃうねんで。“気に入らないなら娘を連れて帰ります”って言おうと思ってきたのに。」
    ――いやお母さん、それ、充分怒ってるセリフやで(笑)
    でもほんま、あのとき連れて帰ってもらっておけばよかったよ。



    桃、降臨🐶💕

    それから何だかんだありながら、我が家に天使がやってきた。

    おっ、赤ちゃん?と思った方、違います。
    シーズーの女の子・桃が来てくれたんです。

    産まれて3か月ちょっとで我が家の一員に。
    めちゃくちゃ優しくて、おりこうさん。まさに姫!

    モラ夫がいつもイライラしてるから(※お姑さん曰く“瞬間湯沸かし器みたいな子”)、
    少しでも心が和んでくれたら……と思って。

    私も犬は大好きだったから、桃の存在は癒しそのものでした。


    モデルルーム地獄めぐり&“俺の理想のマイホーム”事件

    ある日、私が言ったちょっとした一言が、また地雷を踏んでしまった。

    「これからのお出かけってさ、モデルルーム巡りにしてみーひん?(私は家を買う気なし)
     デート代も浮くし、色んな家見るのって楽しいやん😊」

    モラ夫、食いついた。

    そこから始まる、地獄のモデルルーム巡り。

    一戸建てからマンションまで、あれこれ見て回った。
    私は「買うとしたら西宮とか豊中が良いなぁ〜。郊外でも一戸建てがいい」と思ってた。

    でもモラ夫はマンション一択。

    ある日、大阪市内の某高級住宅地にある3階建て・エレベーターなしのマンションに、モラ夫が一目惚れ。

    一級建築士の彼から見ると、「この小規模マンションこそ地震の時に揉めない」とか色々うんちく。

    しかも、三階建ての三階に住みたいと言い出す。

    いやいやいや、屋根の下とか、夏クソ暑いやん!?
    しかも買い物の荷物を運ぶのは私やで??
    私:「1階か2階でよくない?」
    → モラ夫:「いや!絶対3階!!」

    しかもそのマンション、私から見たら場所も微妙。
    「え、ここはちょっと嫌やわ」と言ったら――

    モラ夫、大暴れ。

    「今のこの賃貸マンションに住むのも、紀真ちゃんが決めたけど、会社から遠くて不便やねん!!」
    ……いや、それなら最初から言えや。


    そして妥協の条件交渉へ

    翌日、モラ夫から会社に電話がかかってきた。

    「やっぱり、もうあのマンションいいわ……」

    ……そう来たか。
    私はもう折れることにした。その代わり、条件付きで。

    • 車を手放すこと(大阪市内だし、駐車場高いし不要)

    • ローンはモラ夫が払う

    理由?だってモラ夫、週末にスーパー行くのに車出してくれたの3回だけ。
    しかも、「週末に車でスーパー?ダサい。所帯じみてる」とか言ってた。

    ――結婚してて所帯じみてて何が悪いねん!!💢


    結婚式場も親まかせ、モラ夫の見栄全開

    そもそもモラ夫がマイホームを欲しがったのは、
    お姑さんが“頭金を出してあげる”と言ってたから。

    そう、モラ夫には最初から「自分たちでやっていこう」なんて意志はゼロ。

    結婚式場もそう。
    うちの親が「もっと安くできへんの?自分たちで貯めてからやったら?」と言ったら、モラ夫はこう言い放った。

    「会社の人も呼ぶのに、ショボい式場でやるくらいなら、結婚式せん方がマシ!!」

    見栄。全方向に振り切ってた。

    結局、私の親が式代を出して、ご祝儀は親に渡すという条件で太閤園(※現在は閉業)で挙げた。

    ちなみに、モラ夫が太閤園を希望した理由は、学生時代に家庭教師のバイトしてた時に前を通って憧れてたから。

    ……ハイヒール・モモコか、お前は。

    枚方市編・終幕

    こうして、枚方市での生活は約2年で終了。

    でも――
    地獄の結婚生活、これはほんの序章にすぎなかった。

    2人と1匹(桃)は、次なるステージ――
    大阪市内へと、引っ越すこととなった。


    ― 大阪市内編 ―

    大阪市内に引っ越してから――
    モラ夫のモラハラレベルは、さらにグレードアップしていった。


    「これは僕の家や」理論

    まず言われたのが、これ。

    「僕の親(ママ)が頭金を出した。紀真ちゃんの親は出してない。だから、この家は僕の家。」

    何回も何回も、繰り返しなじられた。
    まるで念仏みたいに。

    でもな。
    あんた、引っ越し後の後片付け、何もせーへんかったやん。

    うちの親は、3〜4日も京都から大阪まで車で通ってくれて、
    一緒に片付けしてくれたんやで。
    そのありがたさは、お金には換算できひん。

    「金出してくれた人が偉い」って、
    ほんまにそうか?
    それって、“金を出す”ことしか誇れることがない人の言い訳ちゃう?


    「約束なんて守るわけないやん」byモラ夫

    お姑さんが頭金を出す条件は、
    「会社に近くなるんやから、早く家に帰ること」やった。

    でも、モラ夫は――
    そんな約束、当然のように破る。

    なぜなら、彼は嘘つきの名人やから。

    表面上は「うん、わかってる」とニコニコしながら、
    帰宅は毎日深夜。

    お母さんの条件、どこいったん???


    「僕に逆らわへんようになった」って何の呪文?

    引っ越してしばらくしてから、モラ夫がよく言うようになった言葉がある。

    「紀真ちゃん、引っ越してきてから、僕に逆らわへんようになった。」

    ……は??

    夫婦関係で「逆らう/逆らわへん」って、どういうこと??

    そもそも、私はあなたの部下でも、家来でもない。
    夫婦って、本来は対等ちゃうの?

    その言葉を聞いたとき、何とも言えない違和感が、胸の奥で膨らんでいった。


    ♦ワンポイントアドバイス♦

    モラハラ加害者は、あなたを孤立させようとします。両親や兄弟、友人から切り離し、外の情報を入れさせないことで、自分に都合よくコントロールしようとするのです。

    だからこそ、絶対に孤立しないでください。安心できる人や行政機関に相談することが大切です。

    私自身も、テレビからの情報ですら「こんなもの見なくていい」と止められ、危うく視野を完全に閉ざされるところでした。

    あなたが一歩でも外につながれば、必ず助けてくれる手はあります。

    睡眠ハラスメント・24時の語り部モラ夫
    モラ夫は毎日、深夜に帰宅していた。
    私が寝ていても――翌日パートの仕事があっても――
    お構いなしに、当然のように私を起こしてきた。
    「お願いやから、起こさんといて」
    何度も頼んだ。でも、モラ夫には聞く耳なし。
    それどころか、
    「朝まで語り合おう」とか言い出す始末。
    いや、こっちは明日仕事やし、語るより寝たいねん!
    そして、なぜか多くのモラ夫って、睡眠時間が短くても元気な人が多い。
    というか、**睡眠よりも“モラハラしてる方が楽しい”**んちゃうかって本気で思った。


    体が出したSOS

    連日の睡眠不足と、心を削るストレス。
    その影響は、じわじわと体に出始めた。

    ある日、モラ夫が会社に出かけたあと――
    私はトイレで吐いていた。

    毎朝、同じように。

    心はまだ麻痺していて、
    「こんなもんかな」と思っていたのかもしれない。
    でも、体は確実に、SOSを出していた。

    桃だけが、私の味方だった

    トイレで吐いていると、桃がそっと入ってきて、
    心配そうな顔で私を見つめていた。

    「大丈夫? 大丈夫?」
    そう言っているような目をして、私の足元にぴったりくっついてくれる。

    本当に、桃だけが私の心の支えだった。

    ところが、モラ夫は――
    私がトイレで吐いていると、こう言った。

    「気持ち悪いな! ドア閉めて!!」

    ……この時点で、人としてどうなん。

    パニックの朝、桃が寄り添ってくれた

    ある朝、モラ夫が出勤した直後、
    急に頭がガンガンして、立っていられなくなった。

    「もう死ぬかもしれへん……」と本気で思った。

    そのまま、その場に倒れ込んだ。

    気がついたら、外はもう夕方。
    ずっと寝ていたらしい。

    そして、そばには桃。
    私にぴったりくっついて、一緒に寝てくれていた。

    「そばにいてくれてたんやな……」

    あれは、今思うとパニック障害だったのかもしれない。

    40度の熱でも、私のごはんはない

    こんなこともあった。

    朝起きたら、急に扁桃腺が腫れて、40度の熱。
    近所の病院に行って、毎日点滴と注射。

    でも、そんなにすぐ治るわけない。私は寝込んでいた。

    モラ夫は……もちろん、看病なんてしてくれなかった。
    完全放置。

    スポーツドリンクくらい買ってきてくれてもええやん?
    と思ったけど、買ってきたのは自分の夕食だけ。

    「私のは?」と聞いたら、こう返された。

    「紀真ちゃん、しんどいのに食べるの?」

    ――いやいやいや、そういう話ちゃうやろ!

    3日目、熱がようやく38度台まで下がったころ。
    モラ夫が帰宅して開口一番、

    「紀真ちゃん、まだ寝てんの?いつまで寝るつもりなん?僕のごはんは?」

    ……。

    私は、必死で起き上がって、フラフラになりながら夕食を作った。

    心の中で、何回も思った。
    なんで、この人、こんなに思いやりがないんやろう?


    書類地獄(その1)年末調整編

    そしてやってきた、毎年の嫌な季節。12月――年末調整。

    ……って、それ、自分のことやん?

    みんな会社で自分で書くやん?

    でもモラ夫は「書け」と言う。

    「僕は毎日遅くまで働いてるんやから、書類書くのは妻の務めやろ」

    そう言われて、私は書けなかった。
    わからないし、正直やったことない。

    置いていたら、モラ夫が聞いてきた。

    「明日までなんやけど、書けた?」

    「……わからないから、まだ」

    その瞬間、烈火のごとく激怒。
    そして、一晩中説教。

    朝になるまで、ずーーーっと。

    今思うと、そんなに怒る時間があるなら、
    自分で書いたら早いやん!?

    でもその頃の私は、もう完全に支配されていて、
    「ごめんなさい、ごめんなさい」しか言えなかった。

    書類地獄(その2)住宅控除申請編

    こんなこともあった。

    当時、住宅(マンション)を購入したら一部お金が戻ってくる制度があった。
    私は、それをすっかり忘れていた。

    それをモラ夫に伝えると、また激怒。

    「なんで忘れてんねん!!」

    ……いや、自分も忘れてたんちゃうの?

    でも、またしても朝までの完徹説教コース。

    普通やったら、「じゃあ明日、税務署に電話して確認してくれる?」で済む話やろ?

    それを一晩中怒り続けるって……
    ほんまに異常やで。

    翌朝、私は半泣きで朝一番に税務署に電話をかけた。

    親切な職員さんが言ってくれた。

    「まだまだ申請期間ありますから、ぜんぜん大丈夫ですよ」

    その言葉に、少しだけ救われた気がした。

    モラ夫に報告すると、ホッとしていた様子。
    ――でも、「ごめん」の一言もなかった。

    「鍵忘れた」作戦

    こんなこともあった。
    私が月に一度くらい、友人と晩ごはんを食べに行っていたときのこと。

    いつもは午前様帰宅のモラ夫が、その日に限って早く帰ってくる。
    私が友人とお店にいたら、電話が鳴った。モラ夫からだ。

    私が電話に出ると、開口一番こう言った。

    「今、家やけど鍵を会社に忘れて、家に入られへん。」

    ちょうど食事も終わったところだったので良かったが、
    私は友人にお詫びを言い、事情を話して急いで帰宅することにした。

    「早く帰らなきゃ!!」
    モラ夫の機嫌を損ねてしまう……その思いだけで、私は必死に帰路についた。


    マンションに着くと、何と我が家の部屋の電気がついているではないか。
    「えっ?!」と思いながら玄関ドアの前に立ち、ノブを回してみると――鍵が開いていた。

    中に入ると、そこにはパン1姿でソファーに寝そべり、テレビを見ているモラ夫。

    「えぇっ?!どうしたん?」と私が聞くと、モラ夫は平然と言った。

    「鍵あったわ。」


    安堵したのも束の間、これが一回で終わらなかった。
    その後、友人と会食するたびに――

    「鍵、会社に忘れた。」

    そう電話がかかってくるようになったのだ。


    この繰り返しに、私の中で何かがじわじわ削られていくのを感じていた。

    嫌な季節がやってきた。
    モラ夫の会社では年に一度の昇進試験がある。
    一度目の受験では「最年少で課長代理になるねん!」と自信満々だったが、あっさり落ちた。
    そこからが地獄の始まりだった。

    マンション3階のベランダから下を覗き込み、私が「何してんの?」と声をかけると、ニヤリと笑う。
    (キモッ…3階から飛び降りても死なへんで)と、心の中で毒づく私。
    もちろん飛び降りる気などない。むしろ私を巻き込みたいだけで、「一緒に死んでくれ!」と首を絞めてくる。
    包丁を持ち出す芝居も繰り返す。結局、試験に落ちたことを一か月以上ネチネチ言い続けられ、私の神経が参ってしまう。

    二度目の試験も落ちた。今度は私のせいだと言い出し、「紀真ちゃんと結婚したから出世できひん。○○電車のお偉いさんの娘と結婚しとけば良かった」などと平気で言う。
    三度目も落ち、異常行動は加速していく。

    毎朝「起こして」と頼まれ、必死で何度も起こすが、それでも不機嫌になると私の目を殴ってくる。
    角膜に傷が入り、眼科で事情を話すと医師はしばらく黙り込み、「目薬出しときますね」とだけ言った。
    警察に通報するか迷っていたのかもしれない。

    お風呂で「溺れるふり」も得意芸だった。
    狭い風呂でいい大人が溺れるわけないと分かっていたので放置すると、「なんで助けへんの!」と逆ギレ。
    仕方なく次からはびしょ濡れになって“救出ごっこ”に付き合った。

    さらに、出張先から「うぅぅ…」とだけ言って電話を切る悪質ないたずらも。
    心配してほしいだけの茶番とわかっていても、無視すれば怒鳴られる。
    結局、電話に出るまで何度も掛け直す羽目になる。
    (私、一体何やってんねやろ…)と心の奥でつぶやきながら。

    外でも暴力は容赦なかった。
    大阪の繁華街でバッグで頭を殴られたり、帰省中に態度が悪いといちゃもんをつけられ、別々に帰宅。
    私がスーパーに行っている間に戻ったモラ夫は、わざとチェーンをかけて家に入れないようにした。
    玄関の向こうでしっぽを振る桃だけが、唯一の救いだった。
    正月に私の実家へ行く日は、最寄駅で「やっぱり行かへん!」と急に不機嫌になるのが恒例行事。
    私が何かチクっていると思い込んでいるらしい。
    親に心配をかけたくなくて、私は黙っていた。
    でも、心のどこかで「この人、自分がしていることは恥ずかしいって分かってるんやな」と感じていた。
    ♦ワンポイントアドバイス♦
    マインドコントロールの怖さは、自分では気づきにくいところにあります。相手は価値観をすり替えてきて、「これが当たり前なんだ」と思わせてしまう。私自身も、いつの間にか「逆らったら大変なことになる」「私が悪いんだ」と思い込むようになっていました。

    気づかないうちに心が縛られて、逃げられなくなるのがマインドコントロールの一番怖いところです。だからこそ、完全に取り込まれてしまう前に「あれ?おかしいかも」と感じたら、その直感を大事にして欲しい。信頼できる人や専門機関に話すだけでも、洗脳の糸をほどくきっかけになります。

    モラハラは末期へ。
    気に入らないことがあれば「出ていけ!」と怒鳴り、首根っこを掴んで玄関まで引きずる。
    それでも私が「嫌や」と言うと、今度は「離婚しよう」と笑いながら切り出す。
    泣きながら謝る私を見て、モラ夫は楽しそうだった。
    何十回も「ごめんなさい」を繰り返し、最後は土下座までして、「私をこの家に置いてください。悪いところは改めます」と必死にすがった。

    そうして私は完全に、モラ夫の支配下に落ちていった。
    この地獄は、まだ続く――。


    第3章:離婚。それは解放ではなく、崩壊だった

    ― そして、私は夕方の脱出劇へ ―

    いよいよ、あの地獄の住処から脱出する日がやってきた。
    夕方、家のチャイムが鳴る。桃が遠吠えをする。
    カメラに父の姿が映っているのを確認し、私はロックを開けた。

    この日のために荷物はすでにまとめてある。机の上には、短い手紙と、しばらくのモラ夫の生活費——20万か30万円ほどを置いてきた。

    父が家に入ってくると、桃は大喜びで走り回った。父のことが大好きなこの子は、尻尾をブンブン振ってはしゃぎ回っている。
    ——この子だけは、絶対に連れて行かないといけない。モラ夫のことやから、何をされるかわからない。

    私は桃を抱きしめ、父が荷物を持って車へと向かう後を追った。
    エンジンがかかり、車が発進する。バックミラーに映るマンションが、だんだん小さくなっていく。
    ……なのに、涙が溢れて止まらなかった。

    「紀真、家に戻ろうか?」と父が聞く。
    私は「ううん、大丈夫」と答えた。
    でも心の奥では、これが私の人生崩壊の第一歩になる予感がしていた。

    派遣先には、唯一頼れる友人がいた。限界まで追い詰められていた私は、何度もその友人に泣きながら電話をしていた。
    「紀真ちゃんの旦那さん、おかしいで。もう親に全部話して、一度実家に帰った方がええよ」
    そう言われても、当時の私はまだ決心がつかなかった。

    もう一人、顔も知らないけれど仲の良い女性のメル友がいて、相談すると「それ、モラハラかもしれないよ」と返ってきた。
    耳慣れないその言葉が妙に胸に引っかかった。

    ——モラハラ?

    ネットで検索すると、山ほど情報が出てきた。
    「モラハラチェック」を試すと、ほとんどが当てはまる。
    精神的にも肉体的にも、もうボロボロだった私は、女性相談センターの電話番号を見つけ、藁にもすがる思いでかけた。

    受話器の向こうから、優しい女性の声が聞こえる。
    その瞬間、ドッと涙が溢れた。
    「夫に“お前はダメな人間だ”って言われるんです。世の中に何の貢献もしてない、何のために生まれてきたん?って……私、ダメな人間なんでしょうか?」
    嗚咽で声が震える私に、相談員さんはきっぱりと言った。
    「いいえ、あなたはダメな人間なんかじゃありません」

    面談を勧められ、私は予約を入れた。
    センターで会った担当者は、こう告げた。
    「あなたが受けているのは精神的DVです。モラハラとも言います」

    その後、友人に紹介されたモラハラ専門のカウンセラーにも相談した。
    「これは立派なモラハラですね。しかも、かなり強烈な」
    ……その言葉が突き刺さった。どこかで「違うはず」と信じたかった私の希望は、そこで完全に砕け散った。

    帰り道、友人は「もうカウンセラーのお墨付きも出たんやし、早く実家に帰り」と言った。
    「でも、私、一人で働いていく自信がない。何の特技もないし……」と抵抗する私に、
    「このままやったら一生旦那の奴隷やで?派遣なんていくらでもあるやん!」と、最後は突き放すように言われた。
    「もう面倒見きれへん。帰らへんのなら、友達やめる」

    ——そうして、私を心配してくれた唯一の友人も、失った。

    頭の中では「私、何のために生まれてきたん?」という言葉がずっとぐるぐる回っていた。
    子どもの頃からいじめられ、今は夫にまで。情けなさと絶望で押し潰されそうだった。

    派遣先で黙々と入力作業をしていると、勝手に涙が流れて止まらなくなった。
    そんな私に気づいた上司(バツイチの女性)が、心療内科の受診を勧め、クリニックを紹介してくれた。
    そこで私は「うつ病」と診断された。

    ——父の車中。
    モラハラからは逃げたはずなのに、未来は不安しかなかった。
    うちの家は裕福じゃない。結局は働かなあかん。
    自由になったはずなのに、胸の奥には、ずっしりと重い不安が沈んでいた。

    実家に戻ると、夜になって案の定モラ夫から電話がかかってきた。
    きっと、ものすごく怒っているに違いない。私は受話器を取るのが怖くてたまらず、「私が出るのは無理」と父に頼んだ。

    電話口からは、モラ夫お決まりの言い訳が聞こえてきたらしい。
    「鍵を忘れました」――そんなの嘘に決まっている。心の中でそう叫んだ。

    父は淡々と、「それなら、実家に泊めてもらえばどうですか?」と言い返す。
    少し沈黙のあと、モラ夫は諦めたのか電話は切れた。

    その直後から、母が「くさっ、くさっ!」と顔をしかめる。
    母はあまり動物が好きではない。
    「なんで犬なんか連れてきたん?置いてくればよかったのに」
    その言葉は、私の胸をぐさりと刺した。

    「ごめんなさい」としか言えない私を、父がかばってくれる。
    「紀真が可哀想やろ。そんなこと言うな」

    けれど――この瞬間から、私の地獄は第2ラウンドへ突入したのだった。

    ♦ワンポイントアドバイス♦

    避難先を実家と考えているなら、できるだけ親がまだ若く、体力があり、少しでも経済的に余裕があるうちに動いた方が安心です。

    私自身、今の高齢の親を見ていて「もう受け入れたり守ったりする力は残っていない」と感じています。

    これはあくまで私の経験からの気づきですが、同じような状況の方にも参考になるかもしれません。

    もし、実家に頼ろうと思うなら、タイミングを見誤らないようにして欲しいです。

    親への理解作戦成功編

    母にモラハラを理解してもらうべく、私はカウンセラーのもとへ引っ張って行った。
    暑い中、予約時間まで外で待ちぼうけ。ようやく呼ばれて入ったのに、カウンセラーが開口一番、冷たい態度。
    (あちゃ〜、今日は母の心証を良くして帰るはずやのに、いきなりマイナススタートやん…)

    カウンセラーは淡々と説明を始めた。
    「モラハラとは、人を支配しコントロールすることです。娘さんは十数年間ずっと“ダメな人間”“生きる価値がない”と罵られ続け、自尊心はズタボロです。」

    母は恐る恐る質問する。
    「なんでモラハラになるんですか?治らないんですか?」
    「アル中と一緒です。本人に治す気がない限り治りません。しかも自覚がないからタチが悪い」

    ああ、いい感じに核心を突いてくれてる…と思った矢先、カウンセラーが「モラハラ研究家になる必要はありません」と切り上げモード。
    短い30分はあっという間。5,000円也。もちろん私が払った。
    母は「高っ!」と怒りモード。(いやいや、相場そんなもんです…)

    しかし母の関心は、モラハラの深刻さよりカウンセラーの態度と料金だった。
    (そこちゃうやろ…)

    次は弁護士作戦だ。権威の力で母を説得するのだ。

    数週間後、母を伴って弁護士事務所へ。
    出てきたのは「いかにも頭良さそう」なオーラ全開の弁護士。
    「本当にどぎついモラハラです。娘さんは犬と同列の扱いを受けていました」
    愛犬家には悪いが、例えがストレートすぎる。

    母はさすがに弁護士の言葉に神妙な顔。
    30分で1万円。弁護士は「依頼してくれれば返します」と言ったが、結局返金はなかった。
    (1万円返してとは言いづらい…ケチだと思われたくない女心)

    帰宅後、母は泣いた。
    「悔しい。娘が犬と同じ扱いを受けてたなんて…」
    よし、この作戦は成功だ。

    でも私はまだ未練があった。経済的な不安、そして妙な情。
    心療内科の先生に正直に「戻りたい」と話すと、「オウム信者と同じでマインドコントロールされてる」と呆れられた。
    さらに「新潟女児監禁事件と同じ」とまで言われ、さすがに笑えなかった。

    先生は「カウンセリングが一番やけどお金ないなら薬で様子見」と抗うつ剤を処方。
    離婚に消極的な私の迷いは続く。

    藁にもすがる思いで、モラハラ被害者のカリスマ「ハッチーさん」にメール。
    「立派なモラハラです。自信を持って」と即日返信。
    しかし「戻ろうか迷っている」と再び送った瞬間、ブチ切れメールが到着。

    「あなたは今までライオンの檻の中のウサギだった。それでも戻る?飼い犬が飼い主を噛んでおいて、またヨシヨシしてもらえると思うの?」
    最後は「もう二度と連絡しないで!」でシャッターガラガラ。

    後日HPを見ると、有料化のお知らせが出ていた。
    (みんな商魂たくましいな…私には無理や)

    モラ夫の不倫自白電話とクリニック編

    そして日記の続きには、こう書いてあった。
    「僕みたいなおじさんなんか、彼女は相手してくれないだろうなぁ」
    ──その一文を見た瞬間、私は思わず苦笑いした。若い頃の彼はこんなキャラじゃなかったはずなのに…。おじさんになった途端、人ってこんなに変わるものなのかと、少し呆れた。

    そんなある晩、モラ夫から電話がかかってきた。弁護士に言われた通り、録音の準備は万端。受話器を握る手に汗をかきながら出ると、開口一番、彼は怒鳴った。

    「もう〜紀真ちゃんは場の空気読まへんねん!なんで僕が何回も注意してんのに、言うこと聞かへんの?年齢の話はタブーやって、何でわからへんの?」

    確かに彼が年齢のことを気にし過ぎていた時期があり、そこは私も反省点ではある。でも言い方があまりにきつかった。

    そして、唐突にこんな爆弾を落としてきた。
    「今、会社で好きな人がおるねん。その人と話してたら頑張ろうって思えるんや」

    ──おい、待て。それって不倫やないかい!(心の声)

    「それって誰のこと?〇〇さん?」と聞くと、
    「違うわ。別れてから言うわ」とはぐらかす。

    「まだ籍入ってるんやし、私にも聞く権利あるで」と返すと、意味不明な例えが返ってきた。
    「風俗行ってきた人が、わざわざ風俗行ってきたって言うか?それと同じや」

    ──いやいや、どういう理論やねん…。

    その後も「誰なの?」と詰め寄る私と、「関係ないやろ」とはぐらかす彼との押し問答が続き、最終的に彼は超逆ギレ。
    「そんなことあるわッ!!」と怒鳴り、一方的に電話を切った。受話器から聞こえるツーツーツーの音が、やけに虚しかった。

    録音を弁護士に聞かせると、
    「これはもう明らかにモラハラの典型的な手法です」
    と断言された。


    話は変わって、クリニック勤務初日。
    医療事務の資格は持っていても、現場経験はゼロ。右も左もわからない私に、先輩受付兼医療事務の女性はこう言い放った。
    「資格持ってんねやろ?ほな、これ(私が以前作ったマニュアル)見て」──それだけ。

    大阪の一等地にあるのに患者はほとんど来ず、院長であるボンボン理事長は気まぐれにしか出勤しない。しかも、少ない売上をレジから抜き取る始末。

    ある日、先輩からこんな言葉を聞かされた。
    「患者さんが言ってたで。理事長、風間さんが育ったら私を辞めさす気やって。気ィつけや〜」

    その日を境に、先輩と看護師2人による陰湿ないじめが始まった。差し入れに持って行った飲み物は、全てゴミ箱に捨てられていた。

    さらに、派遣医師への給料未払いで医師が来なくなり、クリニックは事実上の開店休業状態。私は退職を決意したが、何度電話しても理事長は出ない。もう放っておこうと思った。

    家に帰り、両親に猛抗議。
    「だから言ったやん!怪しいって!」
    母は申し訳なさそうに「そこまで酷いとは思わんかった。ごめん」と謝った。

    その頃にはモラ夫が勝手に銀行口座を変え、収入はゼロ。弁護士は「生活費は請求できます」と言っていたが、他にもクライアントがいるので動きは遅い。結果、貯金を切り崩す日々が始まった。

    そしてある日、兄と電話している最中、こう怒鳴られた。
    「お前はな、この家に置いてもらってるんやぞ。働きに行けよッ!!」

    ──両親にも兄にも「働け攻撃」を受け、実家にも私の居場所はなかった。

    クリニックでのいじめに心をすり減らし、私はますます自信を失っていた。「もう社会でやっていくのは無理や…」そう思った私は、モラ夫の元に戻ろうと決意する。
    時間帯を変え、日にちを変え、何度も電話したが、モラ夫は一切出ない。携帯も同じ。後で聞けば、その時期は悠々と旅行に出かけていたらしい。私が家を出た途端、やりたい放題。軽自動車とはいえ、新車まで購入していた。

    私は遠方のカウンセリングルームに通えず、メールカウンセリングを受けていたが、あまりに辛く「もう死にたい」と何度か送ってしまった。その返事は予想外だった。「そういうことを書くなら、カウンセリングは中止します」。えっ、一番しんどい時に中止?しかも料金は払ってるのに…。日割りで返金してほしいとさえ思った(セコいけど本音)。

    絶望感は頂点に達し、何度かODを試みたが、死ぬことはできなかった。医師に正直に話すと「今の薬では簡単に死ねないよ」と淡々と言われた。薬では死ねなくても、吐しゃ物で喉を詰まらせて亡くなる人は多いらしい。
    そして私は、次の職場——弁護士事務所で、再び地獄を見ることになる。

    ♦ワンポイントアドバイス♦

    離婚後は、私の体験からするとドッと疲れがでます。

    個人差はありますが、半年から1年位は、できるだけゆっくりとすきなことをして静養して欲しいです。

    なぜなら、私自身、実家があまり裕福ではなかったので、両親から「働きにいけ!」攻撃に遭い、まだ精神的にズタボロの状態で無理に働きに出た結果、かえって回復が遅れてしまったからです。

    もし経済的に余裕があるのであれば、少しの期間でも静養して、自分を取り戻すためのエネルギーを蓄えることをおすすめします。


    弁護士事務所編

    ある日、突然メールが来た。差出人は、かつて私の案件を担当したあの弁護士。
    「うちでパラリーガル目指して働いてみませんか?」
    ――おお、弁護士直々のお誘いやん。これは、私の事情も知ってるし、働きやすいかもしれん…と、一瞬でも思った私がアホやった。

    結論から言うと、半年もたなかった。いや、正確には半年“耐えた”と言うべきか。あの半年は短くて濃い、地獄のワンダーランドだった。

    まず事務所に入って驚いたのは、クライアントのファイルの山。で、その中に「風間紀真」の分厚いファイルもドーンとある。
    「読んでいいよ」と言われ、ワクワクしながら開いてみたら…
    カウンセラーと弁護士のやりとりメールが出てきた。そこにはこう書いてあった。

    「風間さんから連絡ありました。でも、弁護士がすぐ動ける人とは思われてはいけないので、日にち空けて連絡します。」

    ……性格、悪ッ!!!
    こっちはそこまでヒマちゃうけど? 忙しいのも分かってるし、別に即レス期待してへんし。
    さらにカウンセラーからのメールには「この案件はとてもデリケートです。慎重に扱ってください」と。
    ……いやいや、その慎重さ、私に向けてもらっていいですか?

    しかも事務所のメインソフトが「一太郎」。今の時代に! 私はWordとExcelしか使えへんのに、いきなり昭和の遺産を渡されて「はい、やって」って…。
    外回りもあったけど、私は超・方向音痴。地図アプリなんか当時はまだ頼りにならへんし、裁判所行くだけで汗だくのミステリーツアーやった。

    弁護士は最初こそ優しかった。でも日を追うごとに語尾が荒くなっていく。
    ある日、面談で向かい合ったら、何を言ったか覚えてないけど、めちゃくちゃ直球で責められた挙句――
    「ほら、すぐそんな顔する! その顔が腹立つ!!」と。
    ……私、表情筋まで攻撃されるんか?

    必死やった私は、直接話すのが苦手やから、メールで思いを伝えることにした。
    「今の仕事は私には荷が重いです。でも、もう一人の事務員さんの業務ならできます。時給は下げていただいて構いませんので、このまま置いてください」
    翌朝、「あなた、メールだと意見言えるんですね」とチクリ。いや、それは褒め言葉ですか? 罵倒ですか?

    その頃、カウンセリングでカウンセラーが言った。
    「10年後ならこの職場も良かったかも。でも今はモラハラの影響で気力が落ちてるから無理やね。それに…その弁護士、本人は気づいてないけど、紀真さんにモラハラしてるよ」
    ――椅子から転げ落ちそうになったわ。モラハラ被害者を守るのが売りの弁護士が、モラハラ被害者にモラハラって何のコントやねん。

    日に日に扱いは雑になり、私は「もう辞めます」と告げた。
    同僚に「私が辞めたらお給料浮くやろ」と言うと、「先生も同じこと言ってたで」と返され、笑うしかなかった。

    退職後、母と一緒にカウンセリングへ。母が「あの先生、性格悪いって知ってたんですか?」と聞くと、カウンセラーはコクリ。
    「じゃあ、教えてくれたらよかったのに」と母が言うと、「ご自分で決めたことだから」と。たまにこの人も突き放すのよね。

    で、半年怒涛のように働いてる間に、離婚は勝手に成立していた。いや、勝手にって言い方は悪いけど、調停には何度も呼ばれてた。でも体調不良で欠席続き。もうエネルギー残ってへんかった。
    そんな中、モラ夫が突然「和解」を申し入れてきた。
    ……あぁ、これは再婚したい相手がおるパターンやな、と即ピンときた。ええ、フィクションとして書きますけど(笑)たぶん不倫相手とやろな、と。

    結局、最後の調停にだけ弁護士と出席し、あっけなく終了。離婚届は父と市役所に提出し、旧姓の風間に戻した。
    「これで円満終了やな」と思ったそのとき――
    そうはいかへんのが、私の人生やった。

    離婚調停成立の日(配慮で相手とは顔を合わせないようになっていた)、私はどうしてもモラ夫と最後に話がしたかった。夜になればまた怒り出すかもしれんけど、電話してみることにした。

    「もしもし、紀真ですけど。」
    「えっ、紀真ちゃん?」
    なぜか受話器の向こうで大号泣。――多分、嘘泣きやろな。モラ夫は嘘泣きも大得意や。

    しばらく聞いていると、
    「紀真ちゃん、何であんな弁護士雇ったん?あんな弁護士、全然あかんで。何もわかってないし、(切手か収入印紙か忘れたけど)何も用意してなかったし。それに、紀真ちゃんのお父さんな、あかんわ。僕、お父さんのこと大嫌いや。」
    ――穏やかに言ってるふりして、ただのディスりやん!と思った。

    そして「これからは、いい友達として付き合って行きたい」と言う。調子のいいこと言うなと思ったけど、他人になったしまあええか、と会う約束をしてしまった。

    駅で久々にモラ夫を見た第一印象は「うわっ、気持ち悪ッ!」。昔は王子様に見えてたのになぁ…。

    1回目は普通に歓談で終わったが、3回目、昼間にカフェで会ったときは不機嫌モード全開。口調も荒くなり、またモラハラが始まった。
    「そんなんやったら、私帰るわ。」と席を立って店を出ると、モラ夫が追いかけてきて「おい、待て!」。そして、
    「お前な、もう連絡してくんなよ。お前とは会わへんからな。」
    私が「それでも、仲のいい友達でいようと言ったやん?!」と言い返すと、
    「*$%&#+*%#$!!」
    もう何言ってるかわからん。私はその声を背に走って逃げた。――もう二度と会わない!!!と心に誓った。

    離婚届を出してから1か月後くらい、モラ夫から怒りのメールが届いた。
    「今日、市役所に住民票を取りに行ったら、紀真さんの住民票が抜けてません。すぐに手続きして下さい。金目のものと、二人で育てていた桃を連れ出したくせに…」
    私は離婚後、精神的にボロボロで放心状態。父に頼んで手続きをしてもらった。住民票には確かに「妻」から「同居人」に変わった私の名前。わざとじゃないし、弁護士も何も教えてくれなかったのに…。

    ――そして1年後。離婚調停のとき宙ぶらりんになっていた年金分割の件で、年金事務所に行く必要があった。当時は二人で行かないと手続きできなかったのだ。

    母に相談した。「私が連絡したら、モラ夫は絶対怒ると思うから、お母さんからなら外面いいし怒らんと思う。悪いけど、連絡してくれる?」
    母が連絡してくれて、一緒に行くことになったが、当日、電車の中で私はプレッシャーと吐き気で冷や汗だらだら。足もフラフラになりながら待ち合わせ場所へ向かった。

    道中、モラ夫の一人語りが始まる。
    「再婚してん。」
    ――うん、知ってる。不倫相手おったやろ。それに、離婚半年後に再婚て確信犯やん。
    「結婚式は教会でしてんけど、新婦側には友達いっぱい来てたけど、新郎側はほとんどおらんかってな。会場の人が気ぃ遣って『新郎側にも行ってください』言うてたわ〜」と笑いながら言う。
    私の心の声:そりゃそうやろ、あんた友達おらんもんな。

    さらに「今、奥さん妊娠してるねん」と言う。――おい、こら、待て。私がどれだけ子供欲しがっても「あかん」言うてたやん。

    年金の手続きは意外とサクサク終わった。断れば良かったのに、お茶に誘われて行ったら、モラ夫説教タイムの始まり。さんまの説教部屋みたいに面白ければいいけど、もちろん笑えない。
    「紀真ちゃんも、これから明るく前向きに生きて欲しい。」
    ――何やと?今の私をこうしたのは誰やと思ってんねん。言いたかったけど、また切れられたら面倒なので黙って聞いた。

    少しお茶をして別れた。
    もう二度と会わないでしょう。
    バイバイ、モラ夫。
    そして、これから先の経済的な不安だけが、静かに心の中に残っていた。

    完





     
     
    モラハラ体験をもとに涙あり笑いありのエッセーを書いています。誰かの心が少しでも軽くなれば嬉しいです。これからも自分の体験を言葉にできたらと思ってます。好きなことは料理、美容、劇団四季、AAAです。

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