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昭和MSX物語⑦愛機に忠誠を誓うPC少年と,ゆかいな秋葉原探検記

    サイボーグMSX

    『俺はアスキー生まれ、MSX育ち、パソコンやる奴は大体友達♪』
    俺様のイカれたブラザーを紹介するぜ!

    1985年のパソコン少年はマイノリティでした。狭い世界ですからPCショップなどで顔見知りになると、あっと言う間に意気投合することも珍しくありません。しかし自分の愛機に絶対の忠誠を誓う狂信者どうし、決して相容れない不倶戴天の敵…同じ空の下には生きられない悲しいサダメだったのです。

    一方パソコンという趣味は当時最も尖ったオタク勢力でもありました。ゲームは当然のこと、アニメ、漫画の他数々のマニアックなホビーに精通し、まさに「何でもあり」の異形なオタクコミニティを形成していきます。

    今回はそんなカオスな昭和を振り返りながら、僕のゆかいなパソコン仲間を紹介します。

    ★😁「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」

    ★僕の所持品以外、明記のない資料はヤフオクやアマゾン、海外のまとめサイトなどからの転載となります。ご了解下さい🙇

    ❶パソコン少年という生き方


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    1982年のパソコン。全てに夢が詰まっていました。


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    FM7くんやX1くんがパソコンを購入した1984年のイベント。
    次々と新マシンが登場した華やかな時代でした。


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    1984年4月の広告。MSXからIBMまでというコピーがいいですね。 密かに小学生の男の子がもっているのはソニーのMSX「HIT BIT HB-55」です。

    🤔「アレは麻薬だよ、クソガキの中二病をこじらすな…」

    いつだったかパソコン少年の居酒屋談義で、腐れ縁のX1くんがつぶやいてましたっけ。

    今でもMSXを入手した時の感動は忘れることが出来ません。自分だけのプログラム、音楽、グラフィック、そして何と言ってもゲームが創れるかもしれない!これは小学生にとって究極の「自分だけの秘密基地」であり、「にわか創造主」になったと錯覚するのに十分でした。まさにRPGの「伝説の剣」を入手した勇者の心境でしたよ。当時本気でこう思ってました。

    🤩「MSXを極めて世界征服だ!」

    自分でも振り返って顔から火が出る思いです😅しかしパソコン少年のイカれた選民思想の根底には、少なからずこういう意識があったように思うんですね。


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    あの頃を思い出すと、思わずこんな心境になります😁


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    1983年の広告。パソコンはこんなオシャレで上品なガジェットだと言うイメージを各メーカーは演出していましたが…


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    実際のパソコンマニア。黎明期のパソコンでの作曲風景ですが、大量の機材に囲まれての真剣な表情が最高です😉

    元々パソコンはこんな感じでリッチ層が使用するイメージを各社打ち出していました。しかしパソコンユーザーは完全に真逆の方向へ進化していったのです。


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    1984年あのファンロードが別冊のパソコン雑誌を発行してたりしてました。


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    1984年4月の広告


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    1984年12月の広告


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    1984年のMSX特集


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    安いとは言えMSXも小学生には高額なホビーでした。


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    パソコンに関わるもの全てが高額でした。
    このCGツール、16ビット機用とは言え198,000円ですよ!


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    楳図かずお先生の描いたファミコン。まだ子供の玩具という印象が強かったです。

    前回紹介しましたが、1985年の小学生にとってパソコンはとんでもなく高額なホビーでした。ブームになっていたファミコンですらそれまでおもちゃに比べて高額だと言われていたのに、軽く10倍以上する機種も珍しくありません。最も安価なMSXですら5万円前後と5倍近くします。しかしクラスメイトがスーパーマリオに熱中するのを尻目に、ゾクゾクするような背徳感があったこともまた事実なのでした。

    しかし学校の友達に

    😁「夢幻の心臓がサー、BASICがサー、CLOADがサー」

    と、ドヤ顔で宇宙語で話しかけても気味悪がられるばかり。特に女の子の受けは最悪でした。結果パソコン少年同士自然とつるむようになるのですが、ここに例の機種の壁が立ちふさがります。

    😼FM7くん「MSXなんて、なんちゃってパソコンだろ。」

    😡僕「なんだよこのFM-7のクソだせえデザイン。」

    これは1985年のホビーパソコン情勢と深く関係していました。PC黎明期、百花繚乱の戦国春秋時代はユーザーの所有機種がかなりバラけていたようです。当時のPC雑誌を見ると多数の機種をサポートしていてその雰囲気が伺えますね。これは僕より前の世代の方に聞いたのですが、その頃は「他人と違うパソコンがカッコいい!」という意識があったとか。また単純に自分の好みにあったマシンを選択したというのもあると思います。

    しかし85年辺りになると、もうパソコンは性能がどうとか云々よりも、シェア率が絶対正義の時代になってきました。無知な僕でもその流れは実感してましたよ。まさにドズル・ザビの名台詞の世界です。

    😭「戦いは数だよ兄貴!」

    これがいわゆる「8ビット御三家」に、時代が収束しようとしていた背景になります。僕はこの言い方には異論があるんですよね。というのも各メーカーは御三家体制に安穏とする気は毛頭なく、天下統一を虎視眈々と狙っていたからです。ですから

    「8ビット三國志時代」

    と言う方がよりそれっぽい気がするんです。一方、入門機カテゴリーを事実上統一したMSXは、4番手から一気に上位を喰ってやろうと企む新興勢力という情勢でした。伝統ある3機種に比べてMSXはニューウエーブな存在だったんですね。そんな話をすると悪友FM-7くんがまた煽りやがります。

    🤭「じゃあMSXは三國志の孟獲だな!」

    つまり己の愛機と一心同体となったパソコン少年にとって、同じ機種の同志を増やすことは「富国強兵」そのものだった訳ですよ。一方他機種ユーザーは「同じパソコンの民」だったのにも関わらず、お互いが相容れない「仮想敵国民」だったんですね。この仲が良いんだか悪いんだかよく解らない関係こそ、この頃の熱いパソコン文化の象徴だったと思うんです。

    しかし歴史とは残酷なもの。最終的にはファミコン帝国を尖兵とする、家庭用ゲーム機という異民族に敗れ去る運命にあるのですが…(これはゲームだけの話な上、完全なジョークなので怒んないでね😁)

    祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。盛者必衰の理をあらはす…源平討魔伝のOPが聞こえてきそうです。


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    ファミコン雑誌で特殊されたパソコン版三國志。
    ファミっ子にとってパソコンは憧れでもありました。


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    知らない方のために説明すると、MSXはこの中の黄色って煽ってたんです。


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    またパソコン少年のサガとして「しつこく後継機種を買い続ける」と言うのもありました。この点も居酒屋談義したことがあるんですが、こうFM-7くんがボヤいてたっけ。

    😣「もう呪いだよノロイ。ボルタック商店でもお断りのな。」

    まずゲームや周辺機器を全部諦めなくてはならない現実的な問題がありました。FM-7くんも1986年にFM77AVを購入する歳、ライバルのPC-8801FHも候補に上がっていたそうですが、長年購読していた『Oh!FM』を並べた棚を指さしてこう吠えるのでした。

    😭「今更NECに宗旨変え出来るかよ!」

    そう、機種を変えるということは、長年集めた資料がゴミになることを意味していました。


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    FM-7ユーザーの必読書『Oh!FM』


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    初期MSXマガジンの象徴である大野一興氏の表紙。
    MSXを購入すればこんな凄いCGをすぐ描けると思い込んでましたよ。


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    X68000版『ファイナルファイト』は当時最強の移植度でした。

    また当時の各社パソコンは相当独自性が強かったので、他機種に乗り換えると知識ゼロからやり直すというハンデもありました。随分後になってX1くんからX68000を安く譲って貰ったんですが、どうしても『ファイナルファイト』が起動しないので泣きついたことがあります。実はX68000でゲームをする際、最も基本的なメモリ設定すら知らなかったんですね。

    Human68kのシステムディスクを起動>コマンドプロンプト画面からSWITCH.Xの起動>設定画面で「MEMORY」項目から設定

    現在ではGoogle様に一発で教えてもらえるのですが、この時はX1くんにラーメン奢ってわざわざ来て貰いましたよ。おまけにこんなイヤミまで言われました。

    😏「お前こんな基本的なことも知らねえのか。」

    ちなみに憧れのX68kを入手したのでプログラムも挑戦したんです。しかしX68kのBASIC言語『X-BASIC』は相当クセがあって、MSX-BASICと全くタイプが違っていて歯が立ちませんでした。結局僕にはMSXがちょうど良いんですよ。


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    1984年のラオックスの広告。お世話になりました。


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    1977年のZ80のお値段。
    Z80もMC6800系も黎明期のパソコンを支えた偉大なプロセッサです。


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    X68000は当時世界最強のホビーマシンだったと思います。

    もっとも同じメーカーの後継機種だからと言って、全ての知識が継承出来る訳でもないのがこの世界の恐ろしい所。シャープ信者のX1くんはFM-7を必要以上にライバル視していて、マシンの中枢であるCUP、インテル系のZ80とモトローラ系のMC6809を比較して煽りまくってました。

    😏「Z80は最高!MC6809はクソ。」

    この優劣は世界中でも決着のついてない不毛過ぎる論争なんです。しかし神々の言語アセンブラを習得していた凄腕プログラマーX1くんの熱弁に、ベーシック組のFM-7くんは臍を噛んで沈黙するしかありませんでした。僕はぼんやりと鼻をほじりながら聞いてましたね。

    ☺️「MSXのCPU、Z80Aは最強なんだなあ」

    そして時は流れ運命の1989年…バイトの末念願のX68000 EXPERTを購入し、僕達にドヤ顔で自慢するX1くんに放った僕の何気ない一言が伝説の始まりでした。

    😲「え?X68kのCPU、MC68000ってモトローラ製なの?MC6809はクソって言ってたじゃん。」

    この時のX1くんのキレっぷりは語り草になってますよ。

    😡「て、てめえSharpの開発陣はなあ、数あるプロセッサの中から散々検討してMC68000を選んだんだよ。世界標準のセガ様のメガドライブもMC68000になっただろ!」

    🤔「だけどインテル系とモトローラ系だと全然命令系統が違うんでしょ。コレってX1ユーザーへの裏切りなんじゃ…」

    😠「コイツBASICもロクに出来ないくせに…いいか、確かにCPUは変わった。だけどX1の魂は受け継がれてるんだよ!」

    その後も僕らが全然理解できない解説を、延々と吠え続けるのでした。

    僕は全然詳しくないので下手なことは言えないのですが、X1シリーズとX68kはあまり互換性がないと思います。それにも関わらず多くのX1ユーザーがX68kを選択したことは、やはりシャープに対する愛着と信頼が、その道を選ばせたんだと思うんですよ。まあX68kがとびきり魅力的なパソコンだと言うのが一番なんでしょうけど…


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    メガドライブとX68kがMC68000を搭載したことは、一つの潮流になった気がします。


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    自分で言うのもなんですが、パソコン少年は相当イカれ…アワワ個性的な面々ばかりでした。ネット上でもリアルでもレトロパソコンユーザーに昔話を聞いていると、とんでもない武勇伝を持っていることに驚かされます。恐ろしいのは誰もが平然と言うんですよ。

    😑「え、普通だよフツー。」

    逆に言えばオタクの果てしない荒野を渡り歩いて、最後にたどり着いたエルドラド・黄金郷がパソコンだった人が多いのかもしれません。そのためパソコン少年はPC以外にもオタク業界に造詣が深く、かつ独創的な趣味の持ち主ばかりでした。自宅に遊びに行くと全然知らなかったマンガやホビーが並んでいて、いつも圧倒されたことを覚えています。

    そうしたブツを貸し借りしながら「ああでもないこうでもない」とお互いの得意分野を披露していくうちに、まさに「何でもあり」の異形なオタクコミニティが形成されていくのでした。これは僕の周辺だけでなく全国的な傾向だと思っています。

    その一例として以前特集した『86年オタク文化の最前線・コンプティーク特集』が挙げられます。
    コンプにはあらゆる新世代オタク文化が集結していました。当時最も勢いがあったのは家庭用ゲーム機だったにも関わらず、情報発信の中核にパソコン雑誌があったことは偶然ではなかったと思うんですよね。それはきっとパソコンユーザーが、最も自由なオタク文化を形成していたから…少なくとも僕はそう信じているんです。


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    ❷朋友FM7君とアキバ探検記


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    FM7くんは僕がMSXを購入する際、富士通のFM-Xを猛烈に推していました。でも僕はどうしてもFM7の子分格というイメージで嫌だったんですよ。


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    何度も見せつけられた『ラムちゃんのジグソー』


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    FM-7のイメージキャラクターはタモリさん。キャッチコピーは「青少年は興奮する」。FM-7は入門用のパソコンとして高性能かつバランスの取れた名機でした。


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    FM-7最大の弱点が独特のキーボード。
    キーから指を離しても「離した瞬間」を認識できず、キャラクターが移動し続けてしまいます。そのため専用のジョイスティックが必須でしたが、これがまたクソ高いんですよ。パソコンを極めるにはとにかく金がかかりました。

    MSXを入手した後、FM-7くんとは年間200日は遊んでいました。理由は簡単です、MSXにないFM-7の魅力的なゲームをいっぱい持っていたからです。
    じゃあ仲が良かったのかって?とんでもない!年100回は絶交していました。
    理由は簡単です、奴がMSXの悪口を言いまくるからです!

    😼FM7君「MSXは赤が汚い、ディスクがない、ザナドゥが出ない。」

    😡僕「うるせえ、出てけ!もう絶交だ!」

    次の日・・・

    😸「一緒に『夢幻の心臓』攻略しようぜ!」

    😍「うん、いくいく!」

    小学生はバカですね~。

    そして40年の歳月がたち、FM-7くんは家業を継いで腕のいい医者となりました。先日市民病院の定期検診で再会すると昔話に花が咲きます。

    😽😆「イーガー皇帝がサー、覇邪の封印がサー」

    👩‍⚕️「先生、他の患者さんもいらっしゃいますので😡」

    🙀😱「シュイません」

    パソコン少年はアラフィフになっても成長しませんね~。


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    なんだかんだ言ってアクションゲームはMSXが強く、二人で楽しく遊んでました。
    イーガー皇帝の対戦、嫌というほどやったなあ。


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    奴はクリィミーマミ推しで…


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    僕はミンキーモモ派でした。

    FM-7くんとは近所の幼馴染で、同じ幼稚園に通った竹馬の友でした。幼少期から同じオタク気質でアニメ好き。奴はクリィミーマミ推し、僕はミンキーモモ派で下らない喧嘩ばかりしてましたが、同時上映の映画は二人で観に行ったりしてましたっけ。小学生の頃ご禁制のゲームセンターに、タイムギャルのレイカちゃん目当てで潜入したのも懐かしい想い出です。この時はメチャ緊張しましたよ。

    FM-7くんは親戚にコンピュータ関連の方がいて、幼少期から興味を持っていたようです。それゆえナイコン時代からパソコン雑誌を購入したり、パソコンショップを覗いていたりしてました。そしてついに聖地秋葉原への冒険を企てるようになります。しかしやはり小学生には不安が大きかったようで、そこに白羽の矢が立ったのが僕だったのでした。

    🤭「ダタでゲームが出来る、とんでもない街があるらしいぜ!」

    タダで機械の体をくれるという…どっかで聞いたことがある、うさん臭すぎる話です。オチでパソコンのパーツに改造されそうですよ。これがメーテルみたいな美女からのお誘いなら大歓迎ですけどねえ。訝しがる僕に奴はこう宣告するのでした。

    😏「なんだビビってんのか?キャプテンハーロックに嘲笑われるぞ!」

    さすが幼馴染だけあって殺し文句を知ってます。そんな訳で1983年初頭、ついに二人で魔界秋葉原に乗り込む事になりました。カネも銀河鉄道のパスもない僕らは自転車で1時間かけて行ったんです、小学生の好奇心は底なしでした。

    今でも秋葉原は一種独特のムードがありますが、この頃は冗談ではなく異世界そのものでした。まずお店の店員さんの使ってる言葉が全然理解できないんですよ。この頃はまだアマチュア無線が全盛で、そっちの知識が皆無だったので尚更でした。商品の価格が桁違いだったのも衝撃でしたね。100円のジュースを買うのも躊躇する小学生には天文学的な値段でした。お金がなくて機械の体を買えなかった星野哲郎の気持ちをイヤというほど思い知らされました。


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    もう完全に『銀河鉄道999』のノリでした。
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    僕の本棚。キャプテンハーロックに嘲笑われるのだけはイヤでした


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    1983年の秋葉原。置いてある商品も全然理解できませんでした。


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    パソコンショップもそうした雰囲気を和らげるため女性コンパニオンを起用してたりしましたが、それが益々メーテルぽくて恐ろしかったです。


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    秋葉原の象徴だったラジオ会館。全く売る気のない店長のコメントが頼もしいです😁


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    テープでゲームが販売されてるのも衝撃でした。


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    まだギリギリ、ワンボードマイコンも販売されていました。


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    こういった手描きのチラシもよく配られていました。
    しかし内容は殆ど理解できなかったです。


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    僕らが初めて行った頃1983年の秋葉原。

    確かに噂通りゲームが無料で解放されている展示用パソコンもあったのですが「新発売!PC-8001mkII、定価123,000円」とか貼ってあると、遊んでいても全然落ち着きませんでした。壊そうものなら店の奥から

    🤨「おい坊や、からだで払ってもらおうか。」

    と、コスモガンを構えた機械伯爵が現れそうでしたよ。マジでこの街の住人の正体は機械の体なんじゃないかと思うぐらいでした。これはちょうどその頃の1983年の秋葉原の映像です。

    ドラマ『特捜最前線』1984年1月18日「爆破0秒前のコンピュータゲーム!」での秋葉原。恐らく撮影は1983年の末だと思います。『惑星メフィウス』や発売直後のMSX『けっきょく南極大冒険』『ぶた丸パンツ』が登場しています。一般社会がパソコンについて、相当ネガティブなイメージを持っていたことが伺える内容ですね。

    「昔の子供は外で遊んだもんだ、ぞっとするよ。」

    余計なお世話だよ!


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    量販店のPC売り場はこんな感じ。『惑星メフィウス』が手前に見えます。


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    1983年末に登場したばかりのMSXが!これはかなり貴重な映像です。
    MSX坊やのマークも見えますね。


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    MSXきってのイカれゲーム『ぶた丸パンツ』がドアップで全国ネットで登場


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    美少女CGも。『戦闘メカ ザブングル』のエルチ・カーゴかな?

    しかし、やはりパソコンとこの電脳街がとびきり魅力的なのは間違いないのでした。どこにもなかった「未来の入り口」みたいな感じが忘れられないんです。洗練されたデパートの玩具売場にあるゲーム機コーナーにはない、雑多な雰囲気がそれに拍車をかけていました。この魔性の魅力に取りつかれ何度も通い詰めるうちに、僕らは立派なパソコン少年予備軍、すなわちナイコン少年にクラスチェンジしたのでした。


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    ひょっこりとお店の裏から現れそう

    翌1984年に小学5年生にして、ついに8bit御三家の一角
    『FM-NEW7』を購入することになります。FM-7くん曰く

    😤「この時は医師免許試験の時より勉強したぜ。」

    そして彼は南野陽子ちゃんと富士通に忠誠を誓い、一気にパソコン少年として覚醒していくのでした。FM-7には傑作RPG『夢幻の心臓II』や良質のAVGが多数発売されていて、僕も遊ばせてもらってるうちにパソコンゲームの世界に魅了されていきました。この時のさらなる体験が僕をパソコンの世界にいざなう決定打になったのかもしれません。


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    1984年8月の販売広告。後に外付けのFDDを購入してました。


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    FM-7、FM-NEW7のFDDゲームは5インチで供給されていたのに、FM-77は3.5インチだったので彼はボヤいてましたね。


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    同時期の第一家電。FM7くんはこの南野陽子ちゃんのPOPをマジで欲しがってました。


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    当時人気絶頂の南野陽子ちゃんは富士通の看板娘でしたが…


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    とある事件にてリストラされてしまうのでした😭

    秋葉原通いも相変わらず続けていて、パソコンショップで購入することも増えてきました。当時のゲームソフトは値段設定がいい加減で、同じゲームでも別の店だと半額なことも珍しくなかったです。特に中古のテープソフトは投げ売り状態でしたね。しかも値切れば値切れるんですよ。そこで弁の立つ僕が価格交渉に当たります。

    🤭「2つ買うから3千円にしてよ。」

    😾「おい!今日の昼飯はどうすんだ!」

    🤗「まあまあ、この『聖なる剣』もおまけしてあげるから喧嘩しなさんな。」

    とまあ、常連になると店員さんも優しかったです。黎明期のテープゲームは難解すぎて、攻略が殆ど不可能なものも多かったですが、この時の独特の雰囲気を味わえたのは凄く幸運でした。このテープゲーム全盛期はこの後1年ぐらいであっと言う間に終息してしまうのです。


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    1984年の秋葉原。
    パーツの価格を読者投稿で掲載してるのですが、なんだか今の掲示板ぽいぞ。


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    手描きのタイトルが可愛らしいですね。


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    アスキーアートで芸能人をモデルにしたポーカーゲーム。


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    FM-7には珍しかったファンタジーゲームが多数発売されてました。懐かしいなあ。
    「FM-8では起動しません」でなく「かかりません」なのが黎明期を感じさせます。


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    小学生の僕にはテープでゲームが動くことが驚きでしたよ。


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    1985年の中古ショップの様子。

    こうして首尾よくタダで入手し、二人で攻略したクリスタルソフトの『聖なる剣』は忘れられない1本です。グラフィック画面は一切ない、魔王にさらわれた姫を救う古典的テキストアドベンチャーゲーム。後のゲームブックを彷彿とさせる内容で、想像力がものをいうアドベンチャーゲームの原点でした。広告の通り「ゲーセンにない魅力」に僕らは夢中でしたよ。漆黒の画面に浮かぶカナ文字から二人で地下世界を想像し、冒険の日々に明け暮れていました。

    🤔「ドラゴンか…閃いた!ここで「ニンジン」だ!」

    😒「そんなわけねーだろ。」

    その後も二人で色々なAVGを攻略しましたが、このセピア色の光景が一番楽しかったかもしれません。その後同じ幼馴染のナムコくんと3人でファミコン版『オホーツクに消ゆ』を攻略したのも懐かしい思い出ですね。友達とAVGを攻略するのは、お互いに同じぐらいの想像力がないと成り立たないと思うんですよ。他のゲームの2Pプレイにはない、独特の楽しさがあったと思います。


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    画面はこういう感じ。コレを二人で覗き込みながら大興奮してました。


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    黎明期の傑作AVG『鍵穴殺人事件』


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    『動戦士ガンダム』のAVGもやったなあ。


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    J.B.ハロルドシリーズも名作でした。


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    1985年のFM7人気ソフト

    学校でも評判の秀才だったFM-7くんはプログラムにも精通していました。僕が初めて教えてもらったプログラムはFMシリーズの
    F-BASICだったんです。ただイラストが得意だった彼は本格的なプログラムよりも美少女CGのほうがお気に召したようで、例のサランラップでアニメをコピーするラップスキャンを何度も手伝わされました。

    二人で通っていた絵の教室の息子さんである、美大生のアニメの師匠の部屋にずうずうしくも押しかけてました。そこでビデオ録画の『巨神ゴーグ』のヒロインのドリスちゃんをトレスした経験があります。

    😟「一時停止ボタンを長く使ってるとテープが痛むだろ!」

    と師匠は怒ってましたっけ。しかしそういうときに限って

    😲「ちょっと待ってよ、ああラップが破けちゃった!」

    😡「俺様専用の14インチテレビにマジックがついただろうが!ベンジン持ってこい!」

    と、こんな有様でした。今考えるとクソガキの小学生に、大学生の師匠はよく付き合ってくれたと思います。


    猛烈なアニメファンであるFM-7くんはこのアニメの師匠の勧めで『アニメージュ』を欠かさず買ってました。その影響で『天空の城ラピュタ』は一緒に劇場に見に行きましたよ。その時は映画館を出た後も、延々二人でその感動を語り合ってました。先日『風の谷のナウシカ』が21回目のテレビ放送された時も、速攻でチャットでああだこうだと駄弁ってました。

    🥺「アスベル、ナウシカは諦めろ…」

    😆「アホゥ!無理な恋だから燃えるんだよ!」

    50過ぎたオッサンが、初々しい少年時代に戻れるのですから

    🤗「いやぁ、アニメって本当にいいもんですね~」


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    ヒロイン、ドリス・ウェイブ。巨神ゴーグは悠宇ドリス、二人の物語だと思います。


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    泣き顔もキュート。


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    やっぱりパソコン少年としてラムちゃんは外せませんよね。


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    このイラストをPC88で再現したCG


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    テクノポリスに掲載されたFM7のナウシカのCG。打ち込んでたなあ。


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    この頃のナウシカのCG、どれも懐かしいなあ。


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    このFM音源のナウシカテーマ曲をFM77AVで打ち込んでました。
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    皆さんは何回ぐらいTVでナウシカを見ましたか?
    僕らは1985年4月の第一回から見るたびに同じことを駄弁ってます。


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    ナウシカにドマハリした僕は、本気で風の谷への移住を考えていました。
    僕が所有してるグッツです。


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    小金持ちの彼は1983年頃にβデッキを購入。僕は1985年にVHS購入で、ここでも別陣営に所属するハメに。しかたがないのでデッキを持ち込んでダビングして貰いました。その後「βは画質が違う!」と暫く粘ってましたが、遂にレンタルビデオ屋からβのソフトが消滅して白旗を掲げてました。


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    ここら辺のムフフ❤ゲームは大体攻略しました。特殊なモザイクを掛けております😁


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    高田明美さんの表紙目当てに『月刊PCエンジン』を愛読してましたね


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    『ドルアーガの塔』の移植も名作でした

    漫画家では同じFM-7ユーザーの矢野健太郎先生や佐藤元先生、ミュージシャンでは専門誌『Oh!FM』に連載を持っていた谷山浩子さんを崇拝していました。愛機のユーザーのファンになるのもパソコン少年あるあるですね~。凝り性のFM-7くんは全ての作品を購入していたので、貸してもらった僕もつられてファンになりました。

    テクノポリス誌で矢野健太郎先生が連載していたパソコン漫画『ゲームジョッキー』は二人で毎月楽しみにしていました。特にウィザードリィの回は影響を受け、二人で自分のパーティーを主人公にした漫画を描いたりしてましたよ。プログラム以外にもパソコンは多くの創作の切っ掛けを与えてくれたと思います。

    その他にもゲーム同人誌や同人ソフトを作ってコミケで販売したり、聖地秋葉原を二人で放浪中カツアゲされたり、池袋のゲーセンで『スーパーリアル麻雀 PIII』の香澄ちゃんに全額貢いでオケラになったり、東京ドームで富士通が主催した電脳遊園地で南野陽子ちゃんに当日ドタキャンされたり…と想い出は尽きません。

    いつ会ってもゲームやパソコンで馬鹿笑いすることのできるアイツ…そんなかけがいのない存在が、僕にとってのFM-7くんなのでした。


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    丁度『ウィザードリィII ダイヤモンドの騎士』の頃だったと思います。
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    FM7ユーザーとして『Oh!FM』もかなり初期から愛読していました。


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    この二人には貢がされたなあ。


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    忘れもしない1989年3月11日(土)の第1回電脳遊園地 IN東京ドーム。当時人気絶頂の南野陽子ちゃんのドタキャンで会場は騒然となりました。FM7くんは泣き崩れていましたが、人間だった頃のマーシーが慰めてくれましたよ。

    ❸FM-7くん キャラクターシート


    ●愛機

    FM-NEW7 純正ドライブを後に購入>FM77AV>FM TOWNS>PC-9801DX

    ●家庭用ゲーム機 

    PCエンジン。一推しはFM7で遊べなかった『夢幻戦士ヴァリス』
          
    ●好きなゲーム

    『スターアーサー伝説』『団地妻の誘惑』『鍵穴殺人事件』『ナナちゃんのスター誕生』『天使たちの午後』
    アドベンチャーゲーム及び脱衣麻雀全般

    ●好きな漫画

    『めぞん一刻』『ウイングマン』『八神くんの家庭の事情』『アウトランダーズ』

    ●好きな雑誌

    『テクノポリス』『アニメージュ』『Oh!FM』『PC Engine FAN』『ペンギンクラブ』

    ●好きなアニメ

    『魔法の天使クリィミーマミ』『風の谷のナウシカ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『くりいむレモン』

    ●特技 

    親御さんにゲーム購入を約束されるとIQが3倍に。全国模試で8位に喰い込み、見事FM77AVをゲット。


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    天使たちの午後もやったなあ。


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    ウイングマンのCGの美しさに驚愕したのもFM7君の家でした。


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    『めぞん一刻』の響子さんにぞっこんでした。


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    『きまぐれオレンジ☆ロード』は原作もアニメも大ファンでしたね。


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    『ペンギンクラブ』は87年頃から読んでました。二人でまんがの森で買ったなあ。


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    マニアックなアニメ雑誌もよく購入してましたね。『くりいむレモン』を筆頭にムフフ❤なアニメも大好物で、よくダビングしてもらいましたよ。


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    V ZONE 1985年11月創刊号。その後ブレイクする大御所が多数執筆されています。


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    危険過ぎる『魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく』


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    影次ケイ先生のアニパロも懐かしいなあ


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    僕は『くりいむレモン』のフィルムコミックを本棚に隠し持ってました。
    なおMSXにより特殊なモザイクがかかっています。

    ❹ダチってのは何かが俺なんだ


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    2000年頃、黎明期の総合格闘技の末席にいたことは僕の生涯の誇りです。
    熱い仲間たちと共に過ごした最高の日々でした。


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    2013年組技の大会に出場した時。当時総合格闘技52キロ級で戦ってましたが、無謀にも無差別級にエントリーし、80キロ台の巨漢選手と激突しました。MSX1がPC98と対決するようなもんです😁


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    圧倒的な体格差でピンチの連続でしたが、最後に戦友のサンボ日本王者直伝の飛びつき三角絞めが炸裂。左手で自分の右足を手繰り寄せて完成。50戦以上の公式戦の中で、想い出深い勝利の一つです。


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    いのしか虎寅虎さんに作ってもらった格闘家時代の僕のアイコン。
    寝技と打撃で右耳が変形していてバランスが悪いです😁


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    グローブは壁に吊るしてしまいましたが、僕の戦いはまだ続いています。

    『ダチってのは何かが俺なんだ、何処かが俺なんだ…』

    ある不良マンガで主人公が呟いたセリフです。かつてリングで戦い続けていたあの頃、それを常に感じていました。道場で共に汗を流した仲間達との壮絶なスパーリング…尊敬するからこそ交わしあった拳の技術は、確かに僕の中に生きているのでした。戦友達に叩き込まれたテクニックで危ない試合を切り抜けたことも一度や二度ではありません。

    こうやって思春期のパソコン少年時代を振り返ってみると、オタクの知識も全く同じことに気が付かされました。自分の楽しかった想い出のほとんどは、腐れ縁とも言える彼らに「分けて」貰ったものだったんですね。

    皆さんにもきっと、同じように想い出を共にした友達がいるのではないでしょうか。ただ僕らの関係は「パソコン」という特殊な絆で繋がっていたので、その経緯を面白おかしく綴らせてもらいました。


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    バイク狂のX1くんの愛車だったホンダ・CB750。小太りの彼がこの巨大なバイクを颯爽と乗りこなすのはカッコよかったです。


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    MSXの師匠のマスターでD&Dを4人でプレイしたのがすべての始まりでした。


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    その後ゲームサークルとして活動することに。『ソード・ワールドRPG』時代にX1君のパソコン通信を起点に巨大化していきます。


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    ミリタリー趣味を叩き込んでくれたのもX1くんでしたね。僕の本棚の一部です。


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    今回紹介した幼馴染のFM7くんですが、登場したX1くんも相当個性的なパソコン少年でした。メカ好きの本格派プログラマーでガチのゲーセン野郎、そして熱狂的なメガドライバーと言えば何となく想像が付くんじゃないでしょうか。当然武勇伝も数多く、この投稿に収まりきれなかったので急遽次回に回すことにしました。最近ただでさえ「長すぎる」ってお叱りを受けてるので…😅

    FM7くんとは愛機も育った環境も真逆だったX1くんは、宿命のライバルとして幾度となく激突してきました。しかし40年という時を経て、未だにつるむ間柄なのです。同級生のMSXの師匠と合わせて全く生き方の違う僕ら4人が、パソコンという絆によって生涯の親友になれたことは本当に素晴らしいなと改めて感じるのでした。

    今回もマニアックな内容にも関わらず、最後までお付き合い有難うございました。

    それではまた次回、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
                          
                           サイボーグMSX

    僕は全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇‍♂️

    いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 

    校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇


     
     
     
    1973年製造の電子頭脳にZ80Aを搭載した熱狂的MSXFAN。 ホビーを愛する全ての人たちへ贈ります🥰 皆さんと一緒に想い出の欠片を集める冒険を続けています😊 かつては総合格闘家&ムエタイ戦士でした。 御意見等はコメントへ

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