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使う言語によって使う脳が違う?

    塞翁河博


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    東進ではなくZ会でした


    言語そのものが好きなわけではなく、複雑性を求めている。

    その理由を少し考えてみた。
    言語におけるパラドックスが始まりかもしれない。
    自己言及のパラドックス
    https://youtu.be/pWZtCKm2VbE?si=0Le_nmTzz7qyagiJ

    正直村と嘘つき村
    https://youtu.be/hC1cInTiXdM?si=yEFg6D79mFKPocjq
    そのほか無限ホテルのパラドックス、祖父殺しのパラドックスについても空想していたのでこうしたねじれのような問題が好きなんだと思う。

    それでどういう経緯かわからないがウィトゲンシュタインの存在を知る。
    "The limits of my language mean the limits of my world."
    「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」
    これを勘違いして「言語」を個別の英語や日本語のことを意味しているのだと思い翻訳に興味を持つようになる。

    私自身は日本語(母語)と英語とほんの少しの中国語しか勉強したことないのでサンプル数が少ないが、疲れる脳の場所が言語によって異なる気がする。
    それともただ習得度が関係しているのだろうか。
    もし習得度と疲れ具合が関係しているのなら「英語が話せる」の基準を「英語で話しても疲れない」と定めることができる
    そんな妄想が楽しい今日。

     
     
     
    4歳から9歳までアメリカに住んでいた帰国子女。日本語も英語もどっちも苦手だけど文章で映像で絵で物語作りたい。そのために面白いことを知りたい 長文→ https://koshitantanmen.hatenablog.com/

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