
東洲斎写楽(伝)《大谷鬼次の奴江戸兵衛下絵 万代五郎兵衛 》|Le Cabinet de Chineur名画の裏道を歩く、物好きの蒐集室。|荒川騷香
収蔵品010|万代五郎兵衛 大谷鬼次の奴江戸兵衛下絵

作品詳細
東洲斎写楽(伝)《大谷鬼次の奴江戸兵衛下絵 万代五郎兵衛 》
制作年:寛政年間頃
紙本着色
Le Cabinet de Chineur 蔵
英語表記
Tōshūsai Sharaku (attrib.)
Study for Edobei: Bandai Gorobē
来歴
本作は、かつて酒田の商家に伝来したとされる作品である。
伝承によれば、越後屋で番頭を務めていた万代五郎兵衛は、後に暖簾分けを許され、酒田にて呉服商を開いたという。
その頃、写楽は人気役者・三代目大谷鬼次が演じる江戸兵衛の役者絵を制作していた。しかし当の大谷本人は多忙で、なかなか写生の時間が取れなかった。
そこで写楽は、江戸兵衛に似た眼光を持つと評判だった五郎兵衛を店先で写したと伝えられる。
本作はその際に描かれた習作であり、後に《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》が無事完成した折、礼として写楽から五郎兵衛へ贈られたものだという。
五郎兵衛はこの絵を酒田の店の帳場奥に掲げた。
すると商売が繁盛した。
やがてその噂は北前船によって各地へ伝わり、本作は「睨み番頭の図」と呼ばれるようになった。
「万代の睨み絵を掛ければ勘定が合う」「あの目に見張られている店では掛け売りが焦げ付かない」など、さまざまな伝説が生まれたという。
もっとも絵は代々門外不出とされ、店に訪れた者以外の目に触れることはなかった。
そのため本作は長らく「存在だけが知られている絵」として半ば伝説化していた。
転機となったのは昭和五十一年の酒田大火である。
本作は火災そのものによる焼失こそ免れたものの、消火活動による放水で大きく損傷したと伝えられる。
所蔵者は修復を試みたが、作品は複数の修復業者や表具師の手を経るうちに所在が曖昧となり、ついには行方不明となった。
その後、本作は失われたものと考えられていた。
近年になり、関東地方の旧絵画修復工房の倉庫整理中、巻かれた状態で保管されていた本作が発見された。
収納箱には「酒田番頭図」「写楽習作」「勘定江戸兵衛」など異なる筆跡の記載が残されており、来歴の複雑さを物語っている。
なお、発見時には古い算盤が一本添えられていたが、本作との関係は不明である。
作品解説
画面中央の人物は、広く知られる写楽の《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》をただちに想起させる。
しかし本作では、江戸兵衛として知られるあの鋭い表情と手つきが、座卓に向かい、算盤と大福帳を前にした番頭の姿として描かれている。
伝承によれば、万代五郎兵衛は越後屋でも指折りの番頭であり、店の出入り、掛け売り、客の顔色、丁稚の手元に至るまで、常に鋭く目を配っていたという。
その眼光は、金を睨むというより、商いそのものを見抜く目であった。
やがて「越後屋には、大谷鬼次にも劣らぬ目をした番頭がいる」と噂されるようになり、その評判が写楽の耳に入ったとされる。
写楽が本作で求めたのは、単なる悪人相ではなかったのかもしれない。
相手の隙を見抜き、一瞬で場を支配する眼差し。
それは舞台の上では江戸兵衛の凄みとなり、帳場においては優れた番頭の才覚となる。
背後には店の暖簾が見え、掃除中の丁稚あるいは女中と思われる人物も描かれている。
穏やかな商家の日常の中にあって、五郎兵衛の眼光だけが、まるで芝居の一場面のように画面を切り裂いている。
江戸兵衛の下絵でありながら、本作は同時に、一人の名番頭の肖像でもある。
館長メモ
奪う手と、数える手は、よく似ている。