
アンリ・ルソー(伝)《不忍池の群鶏》|Le Cabinet de Chineur名画の裏道を歩く、物好きの蒐集室。|荒川騷香
収蔵品009|不忍池の群鶏

作品詳細
アンリ・ルソー(伝)《不忍池の群鶏》
Henri Rousseau (attrib.), Chickens at Shinobazu Pond
制作年不詳
油彩・カンヴァス
Le Cabinet de Chineur 蔵
来歴
本作は、20世紀初頭より長く、パリ市内の鳥類園附属休憩室に掛けられていたと伝えられる作品である。
当初は作者不詳の異国趣味的装飾画として扱われていたが、密生する植物表現、平面的な空間処理、そして現実と夢の境界が曖昧な静けさから、後年になってアンリ・ルソー周辺作、あるいは本人の手になる可能性が指摘されるようになった。
とりわけ注目されたのは、画面奥に描かれた蓮池と、小島に建つ朱塗りのお堂である。これは日本の上野・不忍池と弁天堂を思わせるが、作者が実際に日本を訪れた記録は確認されていない。
そのため本作は、パリ万国博覧会、あるいは同時期に流通した日本紹介用の絵葉書や図版のなかに、不忍池を描いたものを見たルソーが、その印象に触発されて制作したものではないかと考えられている。
つまり本作における不忍池は、実景ではなく、図版を介して想像された不忍池である。
解説
本作の画面構成は、どう見てもルソー的である。
蓮の浮かぶ静かな水面。
熱帯の密林を思わせる植物の繁茂。
現実の地名を借りながら、どこにも存在しない異国の気配。
だが本作を単なるルソー風の珍品で終わらせないのが、手前に配された鳥たちである。
長らくそれらは「群鶏」と呼ばれてきた。実際、全体としては日本画に見られる鶏図、ことに伊藤若冲の群鶏表現を思わせる。しかし仔細に見ると、これらの鳥は、どうにも普通の鶏ではない。
体つきや尾羽の扱いは鶏に近い。ところが顔貌は異様に赤く、肉垂れも大きく、どこか七面鳥を思わせる。
要するに、顔は七面鳥、体は鶏なのである。
この奇妙な折衷について、近年有力視されているのが、ルソーが日本趣味の図版のなかで若冲風の鶏を見て、「日本には鶏がたいへん多い」と思い込み、その記憶をもとに描こうとしたものの、手元に生きたモデルがなかったため、パリの鳥類園で見た七面鳥や赤い顔の鳥を代用した、という説である。
もしそうだとすれば、本作はきわめてルソーらしい。
見たことのない風景を、見たことがあるように描く。
知らない国を、知っている植物で埋める。
そして記憶のなかの鶏を、目の前の七面鳥で補う。
ルソーには、対象を正確に写すことに、どこか無頓着なところがあった。アポリネールとローランサンを描いた肖像画を贈った際、二人に似ていないと評され、再制作を申し出たものの、描き直された二作目では、人物そのものはほとんど変わらず、周囲の花だけが改められていたという逸話が残る。
この逸話を思えば、本作における鳥たちの奇妙さも、単なる誤りとは言い切れない。ルソーにとって重要だったのは、鶏が正確に鶏であることではなく、画面の中で「異国の鳥」として立っていることだったのかもしれない。
若冲の鶏を見た記憶。
パリの鳥類園で目にした七面鳥。
そして、不忍池を描いた図版。
それらは作者の中で整理されることなく、むしろそのまま一枚の絵へと持ち込まれている。
一部には「鳥の部分のみ後補ではないか」とする説もあるが、現在ではむしろ、この不統一そのものが本作の本質とみなされつつある。
不忍池を実見せず、若冲を誤読し、七面鳥で鶏を補った結果として生まれた、誤解の集積としての名画。本作は、異国趣味がもっとも豊かに錯綜した瞬間を伝える一例といえるだろう。
なお、画面奥の弁天堂らしき建築も、実物を忠実に再現したものではなく、図版上の印象をもとに再構成されたものと思われる。
上野でありながら熱帯であり、熱帯でありながらどこでもない。
そこに、鶏のような七面鳥、あるいは七面鳥のような鶏が、静かにたたずんでいる。
ルソーは、鳥を間違えたのではない。
見た鳥と、思い出した鳥が違っていたのである。
館長メモ
見た鳥と、思い出した鳥が違う。