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『あなたに届くまで』 40

    #創作大賞2026 #お仕事小説部門

    数日後。19階の会議室。蒼策会の定例ミーティングにて、議題が一段落したところで、 井伊が椅子にもたれながら言った。

    「でさ、次の事業会社側の説明、誰が行く? ……紗月、行ける?」

    あまりにも自然に、あまりにも当たり前のように、呼び捨てされた。

    「え、あ、はい。行けます」

    返事をしながら、紗月は内心で苦笑した。だが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、心地よかった。同じ側に立っているという感覚が、名前の響きに乗って伝わってくる。


    その日の夜。自席で一日のメールを整理しながら、紗月はふと手を止めた。頭の中で、ここ最近の呼び方をなぞる。

    ──紗月君、紗月さん、紗月ちゃん、紗月。

    最初は戸惑いだった。次第に、それが構造の変化だと分かってきた。

    私は今、外部の若手じゃなくて、蒼策会の一員として見られているんだ。そう思った瞬間、 胸の奥に、じんわりとした温かさが広がった。

    翌日。

    19階の会議室。蒼井との打ち合わせ。構造改革プロジェクトの次フェーズについての確認だ。資料を一通り確認し終えると、蒼井が静かに言った。

    「霧島」

    蒼井の呼び方は、以前とまったく同じだった。だが、紗月には分かる。そこに、微かな変化があることを。

    声のトーン。間合い。視線の柔らかさ。

    「はい、蒼井さん」

    「構造改革は、ここからが本番だ。霧島──お前が結節点だ」

    「……はい」

    霧島という呼び方は、距離を保つためのものではなくなっていた。それはむしろ、「構造を見る者」としての名前として、そこに置かれているように感じられた。

    蒼嶺ホールディングスは、まだ完全には変わっていない。

    だが、確かに動き始めていた。責任の線が引かれ、権限が整い、情報が流れ、恐れが薄れ、人が動き始める。そして、その中心には、蒼策会の結節点──霧島紗月がいた。

    構造を見る者。構造を言語化する者。構造で人を救う者。

    かつて「霧島さん」と呼ばれていた彼女は、今では「紗月」と呼ばれることが増えた。それは、彼女が構造の外側から、構造の内側へと移った証でもあった。

    ただひとり、蒼井だけは、変わらず「霧島」と呼ぶ。だが、その呼び方の中に紗月は確かに感じていた──認められている。

    だから彼女は、 少しだけ嬉しそうに、こう返事をするのだった。

    「はい、蒼井さん」


    春の終わりの風が、19階の窓を揺らしていた。蒼嶺ホールディングスの本社ビルは、いつもと同じように白く光っている。だが、その内部は、確かに変わっていた。

    構造が動いたあとの世界は、派手な音を立てるわけではない。

    むしろ、静かに、淡々と、日常の形が変わっていく。物語はここで一度幕を閉じる。だが、構造改革は続いていく。

    霧島紗月の物語は、ここからが本当の始まりだった。

    Fin



     
     
    何気ない日常から疑問を拾って、考えています。 答えが出ないことも、そのまま書いています。 実務 × 構造 × 再現性型のハイブリッド思考 ------------------------ 連載中『micro-town ― 明日の自分が暮らす場所』

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