
祭に参加する
せっかく締め切り前にnoteにいるわけだし、日記とか自分語りみたいなものに
#創作大賞2026
#エッセイ部門
のタグをつけて『お祭』に参加しようと思う!
先月、同居の母が自分の故郷の親戚を訪ねて行こうと思うんだけど。と、言い出した。
81歳になり、自分1人で出かけることは体力的にも今後難しくなるだろう。
7月のお盆と、最後になるかもしれないし、8月のお祭も見たい。
と、母が言うのを聞いて私は「へぇ、お祭、見たいんだ。」と思ってしまった。
私は故郷のお祭にも、今住んでいる札幌のお祭にもなんの思い入れもない気がする。
土地の神社のお祭にワクワクしない、思い入れがないのって、その土地のコじゃないってことかな?
私ってどこの神様のコなんだろう?
たぶんほんとに小さい子どもだった頃はお祭が好きだったと思う。
お神輿を見るのも、獅子舞を見るのも、露店の賑わいも。
お祭りが近づくと心が躍った記憶がある。
年齢が上がるにつれて、夜に友人らと出かけることをいい顔しない親の顔色をうかがう面倒臭さや、お祭りに参加するコネがある層ではなかったのもあって足が遠のいた。
大人になってもお祭が好きな人って、きっとお祭りにいい思い出があるんだろうな。
お神輿の担ぎ手の熱気やお囃子に飲み込まれて高揚していく体験とか。
普段と違う雰囲気の中で友達と遊んだとか。
今もお祭に合わせて地元に戻る同級生って階層が上、神様に近いコって気がする。
うーん
なんかこじれた感がある、私。
ただ、私はそういうのないだけで、行事への思い入れがないだけで。
それこそ八百万の神の国にいて、それらを嫌ったりしているわけではないとはいっておきたい。
だけど、気後れしてしまう。
露店の食べ物は不衛生だという母の言葉も素直に楽しめない一因でもあったような気がする。
いい年して親のせいにするのはどうかと思うが、私がお祭りを楽しめない原因かもしれない母はお祭見たい人だったんだなというのが驚きだった。
そんな、どこのお祭にも心躍らず、どこの神様のコでもないかもしれない私だけど、創作大賞という「祭」に参加しようと思った。
創作大賞に参加するにはそれなりの実績とかクオリティが必要って思っていたけど、誰に手を引かれなくても、誰かに誘われなくても、そこに参加していいのかなという気持ち。
コンテストを「お祭」扱いするとは、真剣に参加している人に失礼かと思うけれど。
どんなお祭だって、どんな形であってもそこに行って楽しむことを、誰もとがめたり阻んだりはしない。
勝手に気後れして参加資格を勝手に設定していたのは自分だったなと思った。
お供えはこの拙い記事だけ。
だけど、noteの神様に捧げます。