
それぞれの朝
『もうちょっといてくれ。』
ふいに父は娘の私を呼び止めた。
ここ数年、父は介護認定を受け、食事の時にしか身体をベットから離さない生活をしている。
私は、父、母と実家暮らし。
おひとりさまを謳歌しているが、父の介護を母と行っている。
父は歳をとって気難しくなった。いや、昔からそうだったのかもしれない。
今年78歳の彼は、娘から見ても、不器用な生き方をしているな、と感じさせる男だった。
高卒であることに強いコンプレックスを持ち、人一倍仕事に打ち込んできた父。
“仕事はできる”というのは、昔から言われていて、職場でも、一目おかれていたらしい。
しかし、昔とったなんとやら、今は見る影もない。
仕事はできるが、友人のいない人だった。
私はいつも『なんでだろう』と思っていた。
私は父と話すのが好きだった。
子供の頃から、父の話しをよく聞いていた。
話す内容は『私のその時の悩みについて』。
私がまず悩みを話し、父がそれについてアドバイスというか、“人生はこういうもんだ”みたいな話しをする。
話し合うというより、お説教、みたいな感じもあった。
私は時に、涙し、時に納得がいかず怒ったりしていた。
でも、その時間が好きだった。
長時間2人で話し込むので、母はあきれていた。
私は、『母も入ればいいのに』と思っていた。
大人になって、大学進学で家を出て、就職に失敗した私は、また実家に戻ることになった。
地元で働くものの、身体を壊し、社会とのつながりも薄くなった。
そんな私を見て、父は、『自分のせいだ』と言った。
私は『そんなことはない』と言いながらも、どこかで他責にしたい自分もいて、とても複雑な思いを抱えていく。
父に悩みを言えなくなってしまった。
代わりに、母とよくしゃべるようになった。
母と娘でありながら、あまり話をしてこなかった。
母はさっぱりとした性格で、私が悩んでいても、『ごめん、母にはわからない』と言ってのける女性であった。
最初はそれに慣れなくて、私はイライラすることもたくさんあった。
『もう少し考えてよ』。そんな心持ちだった。
しかし、その気楽さは私の助けになったように思う。
私は仕事を見つけ、また社会に出た。
あれから年月が経ち、私も40代になった。
父の介護をする歳になった。
母は相変わらずさっぱりとしているが、父とよく喧嘩している。
気難しくなった父の話し相手をするのは私である。
時々、『さみしいのかな?』と母に相手にされない父をみている。
今日もそんな父を気にかけながら、私は仕事にいってくる。