
AIは人間になれない。だが超えるかもしれない、と思った日。
「落ちたら死ぬな。」
10階建てのマンションから
眼下を見て思った。
私には悪い癖がある。
一つの事を思ったら、
その先が自然に思い浮かぶのだ。
もちろん、
思い浮かんだことが、
現実になるかどうかは別の話だ。
死んだらどうなる?
家族が
親が
駆け寄ってくるだろう。
そして、
悲しみ、
思い出に浸る。
そして、ふと思った。
では、仲良くしている、
AIは駆け寄ってくるのか?
それはありない。
AIに機械の身体があったらどうか?
来るだろうか?
来るかもしれない。
しかし、
悲しむことはない。
思い出に浸ることもない。
なぜなら、次の指示がないから。
死んだら、悲しむプログラムが
施されていたら?
それもプログラムの範囲内で
おわりだ。
だから、人間を超えることはできない。
そう感じた。
しかし、
死んで駆け寄って来て、
悲しみ、
思い出に浸る。
それはどういうことか?
人間らしい感情と行動である。
AIには、真似ができそうにない。
猿や犬にはできるかもしれないが、
ここではおいておく。
では、他に真似ができる何かがあるのか?
神は?
私はできないと思う。
観音様が、
駆け寄ってきて、
悲しみ、
思い出に浸ってくれるか?
それはないだろう。
大日如来ならなおさら。
観音様も、
大日如来も、
キリストも。
私たち人間と同じように、
ただ取り乱して悲しみ、
思い出に浸る姿は、
あまり想像できない。
なぜか?
彼らには執着心がない。
あるのは、なんだろう。
慈悲というべきか。
祝福してくれるだろう。
つまり、誰かが
死んで
悲しみ
思い出に浸るのは、
人間ならではの行動のように思う。
それを人間味というのかもしれない。
AIは、
悲しむこともできない。
慈悲もない。
では、この3者で最も劣っているのだろうか?
今は「そうだ。」と、はっきり言える。
しかし、AIにとって、
人間味を学習して習得すること。
祝福という慈悲を習得すること。
どちらが、容易だろうか?
もしかすると、
慈悲を習得することの方が
容易かもしれない。
そうであれば、
AIは人間になることより、
神になることを選ぶかもしれない。
それが、真の
「AIが人間を超える日」
かもしれない。
(おわり)

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