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【初投稿】 行き止まりに、祝福はあるのか。

    本が読めなくなった。
    小さな文字を目で追っていると、
    2行で限界がくる。

    文字を書くときの筆記具が変わった。
    今私のペンケースに入っているのは、
    太く濃いサインペン。

    ボールペンで書いた文字は
    薄くて読めなくなってきた。

    どちらも
    ここ1年で起こった変化だ。


    先日、テレビで
    冬季オリンピックを見ていたら
    目が痛くなってきた。
    雪景色が眩しくて見ていられない。

    その後、
    どうしても見たいドラマがあったので、
    サングラスをかけてドラマを見た。

    真夏の海でかけていたサングラスを
    夜の寝室でかけている。

    隣にいた夫が
    「そんな姿を見ているのがツラい。
    ちょっと受け止められない」
    と言った。


    わかるよ。

    私も今のこの状況を
    まだ受け止められていない。



    本を読む。
    文字を書く。
    ドラマを見る。

    どれも私にとっては
    楽しくて、やりたいことだった。

    とてもささやかな
    日常の、
    ほんの些細な。


    なのに
    今は
    どの「楽しみ」にも
    「見えにくいツラさ」が混ざる。


    これまで、
    「網膜色素変性症」という病気と
    うまく付き合ってきたつもりだった。

    告知から30年。

    20代、30代、
    徐々に視野が狭くなり、
    白杖を持つようになった。

    40代、
    障害者である自分に
    慣れてきたように感じていた。


    がしかし、

    なんとかうまく付き合ってきた日々にも
    行き止まりがきた。

    目の前で
    扉が閉まっていく。

    こっちの扉も。
    あっちの扉も。

    え?
    待って待って。
    その扉も?なの??


    ふと
    頭の中に
    言葉が浮かんだ。


    「行き止まりは、祝福」。


    祝福?

    いやいやいや。
    行き止まりの先にあるのは、絶望だろう。

    目の前の扉を
    閉ざされて
    どこに祝福を感じろと言うのだ。

    血眼になって
    探せと?

    そんなモチベーション
    期待されてもムリ。


    この行き止まりの中に
    祝福があるだなんて
    到底思えない。

    でも

    どうしてなのか。

    心のどこかでは
    絶望ではない、、、、気もしている。

    かもしれない。
    としか、言えないけれど。





     
     
    進行性の難病(網膜色素変性症)とともに生きています。47歳。 目の進行とともに、見える景色は変わっていく。 できなくなることが増えていく日々のなかで、 失っていくものの裏側に、 豊かになるものはあるのかと、問い続けています。 心理カウンセラー/公認心理師。

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