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『温故「楽」新』〜古きを訪ね、新しきを遊ぶ #06 - 神社③ 異文化交流?リスペクト?

    ◼︎ はじめに

    先日訪れた、熊本県高森町にある上色見熊野座神社。

    参拝させていただいたのが随分前だったので久々に行ってみると、以前は無かった駐車場なんかも整備されていて、少し驚きましたね。

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    ライブ、そろそろ良い?登れないからさ。。

    いつもの様に長い階段を登っていると、なるほど、外国人観光客が多いこと、多いこと。
    以前の様な静謐さはどこかに行ってて、まぁ、賑やかです。
    特に広東語やハングル、スペイン語系が多かったですね。

    共産主義って宗教NGじゃ無かったけ?とか、クリスチャンって唯一神信仰じゃ無かったっけ?は置いときました。

    しかし、賑やかです。彼らにとっては観光名所でしかなく、宗教の施設ではないので。
    何だかライブしてるハングルのカップルもいましたしね。


    ■ でもね、文化はリスペクトしましょうね?と思うのです。

    小さなお社ですので、手水桶が参道にありますが、本当に小さい。
    ここで手酌から清めた手の水を桶に戻されているアジア系の方がいらっしゃったので、少しだけ英語でお教えして実践して見せて差し上げたのです。
    理解いただけたのか、その後の海外の方々も見よう見真似で分かっていただけたのはよかったです。

    少し分かってもらえたかなぁ。

    ただねぇ、その後の団体様(広東語)は、ね…。
    仕方がないです、そもそも八百万の神を信仰する民族って少ないでしょうし。
    でもインストラクションくらいは必要かもですね。

    これって、私が若かりし頃に訪れたクライストチャーチの大聖堂内で、大声で話しながら写真バチバチやってるKYな行為と大差ない気がするんです。
    (そういえば、また行けると思ってたんですけどね。。)

    やっぱり歴史的なもの、宗教施設などはリスペクトしてほしいなぁ、と。
    まぁ宗教によっては偶像破壊とかありますし、宗教観の違いなんですけど。

    SNSの負の面も影響するんでしょうね。

    Xで流れてきた映像で、多分京都の伏見稲荷だと思うんですけど、鳥居をジャングルジムか鉄棒かの様に遊び倒している映像が流れてきたことがあります。
    結構、多いですよ、最近。

    罵倒するコメントの方もいらっしゃいますけど、
    そもそも彼らには悪意がない。
    ただ、リスペクトもない。
    バックグラウンドを知らない。

    なので、コメントで一言。

    That’s like treating the Christian cross as a plaything. Take trampling on the Bible, for example. If you’re a Christian, you’ll understand, won’t you?

    訳すると以下
    ’その行為は、キリスト教の十字架を遊び道具にするのと同じだよ。例えば聖書を踏む行為。あなたがクリスチャンなら、わかってくれるよね?’

    Xのコメント

    とだけ、入れておきました。
    滅多にコメントなんてしないんですけどね。
    その後、投稿、消してくれていた様ですけどね。

    今だとXは翻訳機能が実装されているので、日本語でも気軽にできるかもですね。


    ■ なぜでしょうね?

    現代のDX化された社会や、効率を重視する観光パッケージは、「動機」を極限までショートカットさせてしまいます。

    ここでいう「動機」が、例えばですけど「映える写真を撮る(=自分を飾る素材を集める)」という消費にあるとき、その場所はただの背景、つまり「モノ」に格下げされます。

    そこには神も歴史も祈りも存在せず、ただの「いい感じのテクスチャ」しか見えていません。

    • 本来: 苦労して辿り着き、その場の空気に圧倒される(能動的な体験)

    • 現代: SNSで見つけ、座標を頼りに効率よく「回収」しに行く(受動的な消費)

    「郷に入っては〜」という言葉を人に使うのは、私は大嫌いです。
    自制としては使いますけど。
    この「郷に入っては〜」という言葉を人に使うとき、
    それは「外部からのプログラム(命令)」だから嫌いなのだと思っています。

    本来のリスペクト『敬意』とは、その場所に身を置いた時に、自分の中から「あ、ここは静かにしなきゃいけない場所だ」
    と湧き上がってくる
    「エラーのような違和感や緊張感」
    に従うことのはずです。


    ■ 承認欲求という「ノイズ」

    承認欲求は、この「現場で感じるノイズ」を消し去ってしまいます。
    スマホの画面越しに世界を見ている間、
    人はその場所に「いない」のも同然です。
    意識はすでに、
    投稿した後の「いいね」の数に飛んでしまっているからです。

    上色見熊野座神社のように、
    あそこまで圧倒的な「異界感」を持つ場所でさえ、
    承認欲求というフィルターを通すと、
    単なる「アニメの聖地」や「ファンタジー風の背景」に
    変換されてしまう。

    これは文化の翻訳以前に、
    「今、ここにいる」という身体性の喪失
    かもしれないな、と感じる時があります。

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    本殿裏から登っていきます。
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    本殿裏の風穴

    ■ で、何が言いたいか?

    また苦しい感じですね、説教じみた話をするつもりはなくって、それが国内外問わず、訪れた先や触れた文化に対しての
    「リスペクト(敬意)」
    大切にしたいな、という雑感です。

    失礼しました。

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