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眠れない夜の黒猫さん|創作大賞2026応募作

    第一話 夜がこわい人のところへ

    夜がくるのが、こわい人がいました。

    昼間は、ちゃんと笑えます。
    「大丈夫」と言えます。
    やらなければいけないことも、
    ひとつずつこなせます。

    けれど、夜になって、部屋の電気を消すと、
    昼間は小さかった心配ごとが、むくむくと起き上がってくるのです。

    明日のこと。
    今日、言えなかったこと。
    言いすぎてしまったこと。
    本当は泣きたかったのに、笑ってしまったこと。

    それらは、暗い天井にぺたりとはりついて、
    少しずつ、大きな影になっていきました。

    「眠らなきゃ」

    そう思えば思うほど、
    目はぱっちり開いてしまいます。

    布団はあたたかいのに、
    胸の奥だけが、すこし寒いままでした。

    そのときです。

    窓の外で、黒いしっぽが、ゆらりと揺れました。

    「……だれ?」

    カーテンのすき間から、そっとのぞいてみると、
    そこには、一匹の黒猫が座っていました。

    まっ黒なからだ。
    月の光をうつした、金色の目。
    夜の中にとけてしまいそうな、やわらかい毛。

    黒猫は、にゃあとも鳴きません。

    ただ、窓の外で、じっとこちらを見ていました。

    ふしぎなことに、こわくはありませんでした。

    その人は、窓を少しだけ開けました。

    すると黒猫は、音もなく部屋に入ってきました。

    とん、と床に降りたはずなのに、
    足音はしません。
    まるで、
    月明かりの上を歩いているみたいでした。

    黒猫は、布団のそばまで来ると、
    くるんと丸くなりました。

    すると、
    部屋のすみっこにたまっていた暗やみが、
    ほんの少し、やわらかくなりました。

    天井にはりついていた心配ごとの影も、
    すうっと薄くなっていきました。

    消えたわけではありません。

    でも、さっきよりも小さく見えました。

    黒猫は、長いしっぽをゆっくり振りました。

    すると、しっぽの先から、
    細い月の光が、ぽろり、ぽろりとこぼれました。

    光は、布団の上に落ちました。
    枕のそばにも落ちました。
    そして、その人の胸のあたりに、
    そっと落ちました。

    あたたかい光ではありません。
    でも、冷たい光でもありません。

    それは、しずかな光でした。

    そのとき、どこからか声がしました。

    「眠れない夜があってもいいんだよ」

    黒猫の口は、動いていませんでした。

    でも、その声は、たしかに聞こえました。

    「夜はね、こわがらせるために来るんじゃないよ」

    黒猫は、静かにしっぽを揺らしました。

    「昼間にがんばった心を、少しずつ休ませるために来るんだよ」

    その人は、何も言えませんでした。

    けれど、胸の奥にあった小さな寒さが、
    少しずつ、ほどけていくのを感じました。

    眠らなきゃ。
    ちゃんとしなきゃ。
    明日はうまくやらなきゃ。

    そんな言葉たちが、
    遠くのほうへ、ひとつずつ流れていきました。

    黒猫は、布団のそばで目を閉じました。

    それはまるで、
    「もう大丈夫。いっしょにいるよ」
    と言っているみたいでした。

    その人も、黒猫のまねをして、
    そっと目を閉じてみました。

    夜は、まだ暗いままでした。

    でも、さっきまでの夜とは、
    少し違っていました。

    何もかくしてしまう暗さではなく、
    「もう休んでいいよ」と包んでくれる暗さでした。

    眠れない夜があってもいい。

    こわいと思う夜があってもいい。

    そんな夜が、少しでも穏やかな夜になるように、
    どこかで見守ってくれる猫さんがいる。

    そう思うと、胸の奥がほんの少しだけ、
    あたたかくなりました。

    「明日のことは、明日の朝に考えよう」

    そう思ったところで、
    その人は、すうっと眠りに落ちました。

    朝になりました。

    カーテンのすき間から、
    白い光が入っていました。

    黒猫の姿は、もうありません。

    窓も、いつのまにか閉まっていました。

    夢だったのかもしれません。
    本当に来てくれたのかもしれません。

    枕元には、黒い毛が一本だけ落ちていました。

    その人は、それをそっと指でつまみました。

    そして、小さく笑いました。

    夜は、また来ます。

    こわい夜も、きっとあります。

    眠れない夜も、あるかもしれません。

    でも、次にそんな夜が来たら、
    思い出せる気がしました。

    どこかで、
    黒猫さんが月の光を運んでいることを。

    その夜が、少しでも穏やかな夜になるように、
    そっと見守ってくれていることを。

    そして、その夜。

    世界のどこかの窓辺で、
    また黒いしっぽが、ゆらりと揺れていました。

    眠れない誰かのために。
    夜をこわがる誰かのために。

    黒猫さんは、今夜もそっと、
    月の眠りを届けに行くのです。


    あとがき

    子どもにも、大人にも、眠れない夜があります。
    そんな夜があってもいい。
    その夜が少しでも穏やかな夜になるように、そっと見守ってくれる黒猫さんがいたらいいなと思って、この物語を書きました。

    この物語のイメージ動画も作りました。
    黒猫さんが、夜をそっと見守ってくれるような映像です。

     
     

    香

     
     
    看護師経験を土台に、AI・子育て・健康・防災・働き方を試しながら、自分に合う生き方を作り直しています。 黒猫作品も。 正解を探すより、試して、外れて、また考える。そんな途中を、ここに残しています。

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