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わたしの対人関係アレルギー


    わたしは花粉症だ。

    花粉シーズンにはくしゃみや鼻水が止まらず、目のかゆみがひどかった。
    しかし今年。花粉シーズンがおわったかと思っていた時期。
    ひたすらに痒い。
    特に顔や頭、耳、喉。
    複数のアレルギー持ちであるため、ダニか?ほこりか?と疑った。
    しかしAIに聞くとイネ科植物の花粉ではないか、と。
    友人にも話してみると、病院でイネ科のアレルギーだと診断され、私と同じような症状があるらしい。
    わたしはイネ科のアレルギーも取得してしまったらしい。(病院で調べたわけではないが)

    さてここでやっと本題。

    アレルギーとは、本来なら体に害のないものに対して、免疫が過剰に反応してしまう現象のこと。
    反応が起こる流れは下記の通り。

    ①体への侵入
     
    花粉や食べ物などの原因物質が体に入る。
    ②勘違い
     
    免疫がそれを「敵(アレルゲン)」とみなす。
    ③武器の準備
    敵を攻撃するための武器(IgE抗体)を作る。
    ④過剰反応
    再び同じ物質が体に入ったとき、武器が激しく反応し、ヒスタミンなどの化学物質を放出する。これが神経や血管を刺激して、かゆみや鼻水などの症状を引き起こす。

    なにを勘違いしているんだわたしの免疫系。
    いらない気遣いだ。

    そんな時にふと思った。
    わたしの対人関係における反応もまさしくアレルギーのようだと。

    わたしは対人関係において、嫌われたくない・わたしのことを理解してほしい・大事にされたい、という欲求が根底にあるように感じている。

    これを今回のアレルギーが起こる「過剰に自分を守ろうとする仕組み」に当てはめて考えると、免疫反応であるような行動はいくつか心当たりがある。

    ・連絡がこないと不安になる
    ・自分の気持ちより、相手がどう思っているかに意識がいく
    ・相手から自分はどうみられているのか気になる
    ・褒められても嘘なのではないかと疑ってしまう
    ・揉め事があると、関係は破綻したのだと感じる
    ・自分の言動について一人反省会をする
    ・相手の言動の裏を考え、最悪なシナリオを想定する

    起こることには意味や目的がある。
    つまり、何らかの方法でそれらが達成(解消)できればいいのだ。

    花粉症に薬や対処法があるように、わたしのアレルギーにだってなにかしら策があるはずだ。
    整理してみよう。

    ① 回避(原因物質を遠ざける)

    【身体アレルギー】
    ・
    花粉の多い日は外出を控える
    ・マスクをする
    【対人関係アレルギー】
    ・ 
    不安を感じさせるような対象物からは距離を置く
    ・SNSを無理に見ない

    ② 舌下免疫療法(アレルゲンを少しずつ体に入れて慣らす)

    【身体アレルギー】
    ・
    原因物質を少量ずつ体内に取り入れ、免疫を暴走させないように体を慣らしていく。
    【対人関係アレルギー】
    ・連絡が遅れて不安になっても、「ただ忙しいだけかも」という無害な可能性を少しだけ信じてみる
    ・「最悪なシナリオ」はそうそう起きないと、少しずつ脳に覚え込ませていく
    ・安全そうな人にだけ、少しずつ素直な自分を出してみる


    アレルギーの理由は、まずは根本的な原因を解明することから始まる。
    と、言いながらもアレルギー検査は10年前に一度やったきりで結果はよく覚えていない。
    対人関係アレルギーの指標はないので、まずは自分なりにどういったときにアレルギー症状が出るのかを客観的に観察していきたい。

    現代では、清潔すぎる環境によって免疫システムが本来の戦い方を学べず、無害なものに反応しやすくなっているという説(衛生仮説)があるそうだ。

    これも自分の人生にあてはめてみる。
    幼少期に健全な親子関係に触れられなかったことで、本来の人間関係や愛着について学べず、傷つかないよう過敏になっているのではないだろうか。

    傷つかないための生存戦略。
    なにもおかしいことはない、自然の摂理。
    ただそれにより、逆に苦しくなっている。
    傷つかないための反応で余分に傷ついている。

    わたしの生存戦略は、完璧であり他人の望むわたしでいること。
    愛されたい、必要とされたいが故。

    今も無意識にそれに沿った言動をとることがある。
    でも昔と違うのは自覚していること。
    そして、完璧でなくても他人が望むままに生きなくてもいいこと、それが少しずつ分かってきたこと。

    あのころよりちゃんと成長できている。
    今のわたしのほうが好きだ。

    なんとなくまとまりのない文章だけどここで締めようと思う。
    完璧じゃなくてもいいと自分に知らしめていこう。

    今日はここまで。


     
     
    起こらないことを心配してしまう。 慎重に足元を確かめながら、地面を一歩ずつ踏み締めて生きている。 そんなわたしは杞憂(きうい)です。

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