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意味の無い行為、何も生まないこと

    コンテンツを消費するスピードが加速度的に早くなりつつある世界を生きる中で、何かにつけて意義を見い出すことに囚われつつある自分を感じる。
    その一方で、張り詰めた糸がぷつりと切れ、全てに失望し気力を失う時間も長く、そして深くなっていく。
    人間はそもそもきつく縛り上げた環境の中で生きていくことはできないのか、それとも単に自分の根本が怠惰でどうしようもないのか、
    世界には私よりも遥かに苛烈な環境で、ビジネスの文脈でも自然の文脈でも、研鑽を止めない人間が無数にいる以上、残念ながら相対的に見たら自分は怠惰な人間の部類に入るんだろう。
    それでも私は頑張っている。
    そう思える呑気な心が欲しい。

    上限と下限が広がりその落差に疲弊するのだとしたら、中層を作ってやればいいと最近気付く。
    階段の段差が2倍になったのならその間に段ボールかなんかで休憩地点を作ればいい。当然のことに思えるが、情報の海に溺れていて案外こういった事を忘れていた。
    その休憩地点とは何かということだが、上層を自らを高めること、下層を成り下がらせることとすると、「何も生まないこと」か。
    とは言ってみたものの明確な定義みたいなのがある訳では無い。
    本を読んだり映画を見てその世界に浸かってもいいし、自分の感情を整理して書き出してみるだけもいい、自然の中でノーパンで一日中寝転び、古代ローマ時代の阿部寛に空想を巡らせたっていい。
    傍から見たらそんなのは何も生まない、時間の浪費だろう。
    確かにこの自らの内面に向き合い整理する過程には世俗的な成果は存在しないが、今の自分には必要な過程であり、ひいてはそれこそが人生の休憩地点なのかもしれない。

    ところで最近流行りのMBTI(もう過ぎ去っている気もするが)、私は人のMBTIをすぐ聞いてくる人が嫌いだ。無数の異なる人間の、無数に捉えられる感情を、それをたった16種類の枠組みに当てはめるなんて以ての外だ。ヒトという種の進化に対する冒涜ですらある。
    ちなみに私のMBTIはINTP(論理学者)だった。なんだ結構良いネーミングじゃん。と思い自己紹介の時には自ら喜んでMBTIに触れ、さらにはアルファベットではなく「論理学者」と答えている。実は私もあっち側の人間だったらしい。
    このMBTIを導出する過程は、それこそ「自らの内面に向き合い整理する過程」だろう。
    外部からの情報のインプットが過剰な現代において、内省という行為を無意識下に皆欲しているのではないか。それが近年の診断流行の一因なのかもしれない。と考えてみたりする。

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