
「わかるよね」の不思議
人間というのは不思議なものでな。
言葉を使う生き物のくせに、時々言葉を省略する。
特に腹が立っておる時ほどそうじゃ。
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昔な。
仕事中にこんなことがあった。
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「わかるよね?」
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少し強い口調じゃった。
何の話かと思ったら、作業の流れの話らしい。
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じゃがわしは、その流れを見ておらんかった。
別の仕事をしておったからな。
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だから正直に言えば、
「いや、わからん」
じゃった。
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見ておらんものはわからん。
知らんものは知らん。
実に単純な話じゃ。
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ところが相手は少し腹を立てておった。
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その時のわしは不思議でな。
怒られたことより、
なぜ怒っておるのかがよくわからんかった。
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わしからすると、
見ていないものはわからない。
それだけの話じゃ。
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だが相手からすると違ったらしい。
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一緒に仕事をしておる。
だから見ていて当然。
だからわかっていて当然。
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そういう理屈じゃったのだろう。
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その時は何とも思わんかったが、
後になって少し考えた。
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人間はなぜ、
自分が見ていた景色を、
相手も見ていたと思うのだろう。
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同じ職場におる。
同じ時間を過ごしておる。
同じ仕事をしておる。
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じゃが本当に同じ景色を見ておるのか?
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わしは少し怪しいと思う。
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例えば責任者という立場になると、
目の前の仕事だけを見ているわけにはいかん。
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別の仕事もある。
後の工程もある。
急ぎの対応もある。
誰かのフォローもある。
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時々、自分でも何を優先していたのか忘れるくらいじゃ。
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ところが面白いことに、
その仕事は見えない。
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目の前で荷物を運んでいれば見える。
書類を書いていれば見える。
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じゃが、
頭の中で優先順位を組み替えておる仕事は見えん。
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だから相手からすると、
何もしていないように見えることすらある。
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これは少し損な役回りじゃなと思う。
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いや、責任者の話に限らん。
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親もそうじゃろう。
先生もそうじゃろう。
店長もそうじゃろう。
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見えていない仕事ほど、
他人からは見えん。
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そして見えないものは、
存在しないことにされる。
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人間は案外そういう生き物らしい。
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だから時々思う。
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「わかるよね」
という言葉は、
理解を求める言葉ではなく、
同じ景色を見ている前提の言葉なのかもしれん。
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じゃが実際は、
同じ景色などほとんど見ておらん。
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同じ場所にいても違う。
同じ仕事をしていても違う。
同じ話を聞いていても違う。
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だから本当は、
「わかるよね」
ではなく、
「見えてた?」
なのかもしれんな。
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その一言だけで、
随分違う気がする。
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まぁ知らんけど。
わしもたまに、
自分の景色が当たり前だと思ってしまうからな。
人間を眺めておるつもりが、
案外自分も人間らしい。