
定年を前に気づいた、私が22年間、本当に作っていたもの
定年を前に、今の会社で過ごした22年間を振り返ってみた。
すると、あることに気づいた。
私は確かに画材メーカーに勤めていた。
しかし、思い出に残っている仕事を並べてみると、「画材を売っていた記憶」があまりないのである。
もちろん絵具や筆を売っていなかったわけではない。
本業は画材メーカーの社員だ。
けれど、私が夢中になっていたのは、いつもその周りにある「何か」だった。
例えば、キャンバスを運ぶためのバッグを、普段使いできるトートバッグとして作り直した。
絵を描くための作業着を、ファッションとしても着られるようにした。
コミックイラストレーターと透明水彩絵具を組み合わせて商品化し、さらに展示会や作品販売へとつなげた。
石膏像をアイドルに見立てた企画にも関わった。
「JoJoの奇妙な冒険」や「SPY×FAMILY」といったIPとの商品企画も担当した。
こうして並べると、まるで別々の仕事のように見える。
しかし定年を迎えるにあたって、あらためて並べてみると、はっきり共通点が見えてきた。
私はずっと「新しい接点」を作っていたのだ。
画材と日常。
作家と企業。
作品とお客様。
アートと商業施設。
クリエイターとIP。
それまで出会っていなかったもの同士を、どうすれば自然につなげられるか。
そのことを、いつも考えていた気がする。
特に印象に残っているのが、若手作家の作品販売だ。
最初から会社の制度として始まったわけではない。
スカラシップの成果展で、「せっかく良い作品が並ぶのに、みせるだけで終わってしまうのはもったいない」と感じていた。
だから支援の延長という意味合いも含め、作品販売を始めたのだ。
そしてそれをコミックイラストの分野でロフトさんの店頭へと広げていった。

もちろん、ギャラリーの世界では作品販売は昔から行われている。
言うまでもないが、私が発明したわけではない。
ただ、それを「画材メーカー」と「ロフト」という文脈に移植してみたかったのだ。
すると、画材を買いに来た人が作品に出会い、作品を見に来た人が画材に興味を持つ、そんな循環が少しずつ生まれていった。
振り返ると、私は商品を作りたかったというより、「人と価値が出会う場」を作りたかったのかもしれない。
最近、ある企業の方から若手アーティスト支援について相談を受けた。
そのとき自分でも驚いたのだが、私は作品の善し悪しより先に、「その人たちがどうすれば活動を続けられるか」を考えていた。
たぶん22年間、ずっとこんなことを考えていたのだろう。
定年を前にして、ようやく気づいた。
私が作っていたのは商品ではなく、人と価値が出会う『仕組み』だったのかもしれない。
定年という節目を迎えても、人と価値をつなぐ仕組みづくりだけは、まだ終わらない気がしている。