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毛皮の池

    あらすじ

    オカルト雑誌の記者である秋野は、曰く付きの絵を探している最中に「●●●池の絵」という蹄鉄のような、U字の形をした奇妙な池にキツネが佇む姿が描かれた絵を不用品譲り合いサイトで発見する。
     池の名前を調べたところ、「●●●池」にはとある曰くがあるようだった。
    秋野は「●●●池の絵」を引き取り、SNSで知り合った同じく「●●●池の絵」について調べているという新人漫画家の古矢と共に、この絵について詳しく調べ始める。
     郷土資料、写真、インタビュー…取材を重ねるにつれて浮かび上がる、描かれた「池」の矛盾と謎。誰が、どんな思いを込めてこの絵を描いたのか。絵に封じられた真実は祟りか、災いか、はたまた罰なのか……。

    はじめに

    その「絵」を見つけたのは、オカルト雑誌の企画書を提出するにあたって、曰くつきの絵を探していた時のことです

     オカルト雑誌の記者をしている私は、怪談や都市伝説など、実際に怪異的存在が「いる」のか「いない」のか不確定要素の多い話よりも、現実に確かに存在する土地や物についての曰くを調べることに興味がありました。
     それらが持つ「曰く」は、いつ、どのようにして語られるようになったのか、文献、資料を読み、可能であれば実際に自分の目でそれらを見、持ち主や住民に聞き込みをして、果てはネットのオカルト板や個人ブログの隅から隅まで手掛かりを探す。そうして得た情報を組み立て、「曰く」について考察するのです。それはただの偶然の産物か、科学的あるいは歴史的要因が重なって生まれた必然か、はたまた、人が理解しえない本当の「曰く」なのか。
     私が今まで書いてきた記事には、呪われた土地に建てられた住民を怪死させるアパートや、呪物コレクターの手を渡り歩き不幸を振りまいた「とある夫人のブローチ」、古民家の屋根裏に祀られていた「謎のミイラ」などがあり、ありがたいことに読者の反応も悪くありませんでした。

     そして、今回の企画はかねてより取材のしたかった「絵」についてです。
    殺人鬼が被害者の血で描いた自画像、死の直前まで作者が描き続けた謎の風景画、カルト教団の儀式に使われた双頭の白鳥の絵…。最近、「絵」を題材としたホラー小説がヒットしたり、実際に存在する曰くのある絵画の展覧会が行われたことをきっかけに、オカルト界隈で「怖い絵」がブームになっていました。

     企画の柱にするにあたって、読者の興味があるものを取り上げると言う理由も、もちろんありますが、私個人の考えとしては、「絵」というものは極めて「念の籠もりやすい」媒体だと思うからです。
     一枚の絵に、一筆一筆、線の一本一本に、作者の、あるいは誰かの思いや願い、祈り、懺悔、後悔…人生そのものが込められている。手を動かすたび絵の具と共に積み重ねられるそれらは、一体、見る人に何を伝え、もたらすのか。
     
     興味があった、知りたかった、ただ…それだけです。
     今思えば、好奇心は猫をも殺すとはまさにこのことでした。
     後悔しています。この世には、知らなくていいことがあるのです。

     それは、固く閉ざされた金庫をあの手この手で開けようとする行為に似ています。
     中には何が入っているのだろう。わくわくしながらあの手この手で鍵をこじ開けようとする。そして空いた瞬間、自分が持ち主でもないくせに、愉悦に浸りながら、我が物顔で中身を取り出して弄りまわすのです。さも全てを知って理解したかのように振舞って、ましてやそれを人に語るなんて、なんて浅はかで愚かな行いだったのでしょう。
     自分が開けた金庫が悍ましいパンドラの箱だったなんて、思いもしなかったのです。

     企画書を作成するにあたって、文書ソフトの題名欄に、こう題しました。

    「とある【池の絵】の曰くについて」


    お気に召すと、いいのですが。

     

    絵画探し

     記事を書くにあたり、まずは「曰くつきの絵画」を探さないといけません。
     私は手始めに、知り合いの呪物コレクターの方に連絡を取り、「曰く」のある絵画を所有していないか聞いて回りました。が、何枚か見つかったはいいものの、夜になると肖像画が瞬きするとか、死んだ猫を描いた絵から腐敗臭がするとか、取材しがいのない薄っぺらい曰くばかりで興味もそそられず、とても記事にはできませんでした。
     次に、ネットで検索をかけ情報収集をしていると、不用品を地域のコミュニティで譲り合うことができるサイト内で、一枚の絵画を見つけました。

    「●●●池」 作者不明 1980年制作 大きさ60号
    飾っていた大型商業施設の閉店、解体に伴い出品いたしました。
    1981年商業施設開店の際にお祝いとして寄贈されたものだと記録が残っておりましたが、
    地元の美術館の方に見て頂いたところ、
    作者の特定はできず、美術的価値がない可能性が高いです。
    長らく飾られており、表面に絵の具のひび割れがあります。
    絵を移動させるにあたって絵の具がはがれる可能性がありますので、
    ご理解いただける方のみお問い合わせください。
    郵送は美術品配送で着払い、直接の取引無料で、○○○S市S駅前でお願いいたします。

     私はこの絵画に興味を惹かれました。
     鬱蒼とした木々の中で、馬の蹄鉄のように細く曲がった形の池が、波一つなく描かれていて、池に囲まれ真ん中に残された小さな土地に一匹のキツネがいる絵。筆跡は粗く、繊細で写術的な絵ではありませんでしたが、味があり、そこがまたこの池の絵を奇妙に見せていました。
     じっくり景色を見て描いたというよりは、必死に筆を動かして目の前の光景をキャンバスに記録しようとするような、そんな絵に見えるのです。
     
     それに、この絵の紹介文にも引っ掛かる点があります。
     大型商業施設の開店のお祝いに、素人の絵を寄贈して飾るなんてことあるでしょうか?
     名のある芸術家の作品ならまだしも、趣味の延長程度の画力で描かれた、言ってしまえば無価値な絵を送るなんて。
     ですが、これでは「曰く」の「い」の字もないただの絵画です。
     例えば、この絵の寄贈者は大型商業施設の経営者と友人で、お祝いに絵を描いて送ったのかもしれませんし、経営者にとってこの池は絵として残し、飾りたいほど思い出の場所だったのかもしれません。
     
     私は、脳内で憶測を巡らせながら●●●池についてネットで検索をかけました。
     そして、はじき出された検索結果に目を疑います。
     
     【S市●●●池 曰くをもつ小さな池】
     【田舎の怪談散歩  49歩目「●●●池」 怖い噂の池に行ってみたレポ】
     【死体が沈む●●●池】
     【S市郷土資料館 ●●●池の言い伝え 戦場になった地】

     「曰く」があったのです。
     これらのタイトルから読み取れる情報を繋げると、「●●●池は戦いがあった地で、死体が沈んでいる」ということになります。

     この作者は何を思って「曰く」のある池の絵描き上げ、何を思って誰が寄贈したのでしょうか。
     それにもう一つ気になる点がありました。池の形についてです。この絵画では池は蹄鉄のような変わった形をしているのに、●●●池と検索して出てきた画像は何の変哲もない楕円なのです。なぜ池の形が異なるのでしょうか。

     この絵には、何か謎があるのかもしれない。
     私はすぐさま先ほどの不用品のサイトに戻り、引き取りたい旨を書いて問い合わせフォームからメールを送りました。
     
    そうして2週間後、私の元に「●●●池」と題された件の絵画が届いたのです。


    ネットでの情報収集


     ●●●池はどうやら歴史的に凄惨な背景をもつ池のようで、また、その地に住まう人々と密接なかかわりをもつ事から、正直なところセンシティブすぎて触れずらい、というのが本音でした。
     たくさんの人々が亡くなった場所でありながら、聖地と呼ばれていたとの記述もあります。怖い場所と一言で言うには憚られる、そんな池でした。

     オカルト雑誌というマニアックな分野ではありますが私も記者のはしくれ、情報を発信する立場であるとの自覚はある為、特に地名や個人を特定できる情報はぼかして、迷惑をかけないように心がけていました。ここまで読んでいただいてわかる通り、池の名前と地名には●を使って伏せております。●の数と伏せられている地名の文字数が同じではないのも、場所の特定防ぐことを目的にしています。

     さて、記事にできなければ、経費で計上できるはずの安くない美術品配送費用を自分の財布から払うことになりますし、絵画探しも振り出しに戻ります。なにより、よくよく調べもせず絵画を引き取り、持てあますのは避けたいところでした。隣のデスクの先輩に、手柄を焦って考えなしに行動するなと、くどくど厭味を言われた入社直後を思い出しますからね。目の前に餌があると飛びつく馬鹿犬なんて悪口、今まで言われたこと……おっと。

     ——自分語りはさておき。
     もうすこし●●●池について調べてみて、記事にできそうな部分を探そう…と、ひとりごちてネットの海を彷徨ってみるものの、どのサイトも同じような内容のことしか書かれていませんでした。実際に池に行ったというブロガーの記事を読んでも、特に何も不思議なことは起こらず夜中にただ散歩して帰ったという面白みのない内容で、思わずため息が出てしまいます。
     
     私は半ば諦めの境地に達しながら、次にSNSでの情報収集を行うことにしました。
     しがないオカルト雑誌の記者をフォローする一般人はそういません。フォロワーは同業者か、オカルト界隈の人間だけで、いくら曰くのある池の絵だとしても、素人が書いて寄贈した絵画について情報を持っている人がいるなんて期待していませんでした。私はひとりでも多くの人にこの投稿を見てもらえるよう祈りながら、絵画の写真を載せ、投稿をしました。

    某SNS 2021年 4月12日 17時43分投稿
    ●●●池の絵 写真添付
    【この池の絵を知りませんか】

    不用品の譲り合いサイトにて引き取った絵画について情報を集めています。
    S市大型商業施設(現在は閉店、解体作業中)に
    寄贈され、飾られていた絵画です。
    この絵を見たことがある方、知っている方、
    どんな些細なことでも構いませんので、DMで教えて下さると幸いです。
    ご協力をよろしくお願いいたします。
    春暁社 月刊異聞袋 記者 秋野 律



    情報提供者からのDM


    コヤ(ユーザー名) 「初めまして。フォロー外からのDM失礼いたします。池の絵について情報を集めているとのことでしたので、ご連絡させていただきました。単刀直入に言いますと、僕はその絵を知っています。見たことがあります。S市に住んでいますので、何回もその大型商業施設には行ったことがあるんです。○○○○という店名で、3階の飲食店街の入り口に飾られていました。ほかにも絵画は飾られていたのですが、地元の風景が描かれた絵ばかりなのに、その絵の風景は見たことが無くて、それに、なぜかは分からないのですが、絵がどこか異質に見えてたんです。初めて見た時は少し怖くなったのを覚えています。」

     SNSに情報提供を求める投稿をして3日後に届いたDMは私の心を躍らせるには十分でした。まだ、この絵は調べる価値があり、手掛かりが目の前に現れたのですから。
     私はすぐにDMを送ってくださったコヤさんと言う方に情報提供のお礼と、詳しく話を聞けないかと返信をしました。

    秋野 「情報提供、本当にありがとうございます。まさか、池の絵を見たことがある人が現れるなんて思いもしませんでした。当時の事を細かく教えてくださり、大変参考になりました。さて、急なご相談で恐縮なのですが、もう少し詳しくコヤさんにお話を伺えたらと思います。直接お会いできない場合は、ビデオ通話等でも構いません。少額ですが、お礼の気持ちを込め、謝礼をお渡しいたします。お時間をいただけないでしょうか。お忙しいことと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。」
    コヤ 「実は僕、あの池の絵について丁度調べていたところなんです。これも何かの縁だと思いますので、よければ取材に協力させてください。僕も知りたいんです、あの絵のことを。」
    秋野 「本当ですか!ご協力ありがとうございます。コヤさんも、池の絵について調べているとのことでしたが…、もしかしてこの絵は一部の地域で有名だったりするのでしょうか?作者も不明、著名な画家の作品でもないこの池の絵を見たことがあって、同じように調べている人がいるなんて正直驚いています。」
    コヤ 「それはまあ、あなたと同じような理由になりますね。言うなればネタ探しです。話が長くなりますので、そろそろ場所を移しませんか?僕は地方住みなのでビデオ通話でお願いします。会社員じゃないのでいつでも通話きます。よろしくお願いします。」



    コヤさん、改め古矢(ふるや)さんとの通話


    以下、古矢さんとの通話を書き起こしたものです。

    秋野 「改めまして、春暁社月刊異聞袋の記者、秋野と申します。この度は取材にご協力くださり、ありがとうございます。」
    古矢 「古矢です。…お互いあまり年も変わらないようですし、もう少しフランクに話しませんか?なんだか、あまりも丁寧に話されるくすぐったくて。」
    秋野 「そう言ってくださるのなら、お言葉に甘えて。…そういえば、古矢さんは池の絵を調べている理由がネタ探しと言ってましたが、もしかして同業だったりします?」
    古矢 「ああ、いやいや、…僕は雑誌の記者じゃなくて、自分で言うのも少し恥ずかしいんですが、駆け出しの漫画家なんです。読み切りを何本か載せてもらって、今は連載会議に出す企画を練ってるところでして。ホラーとかオカルトとか、そういう奇妙な話が描きたくて、地元でなんか怖い話あったかなって考えてた時に池の絵を思い出したんです。もう知ってるかと思いますが、あの池、怖い歴史があるでしょ?なんとか物語に組み込めないかって詳しく調べていて、掲示板とかSNSとかも覗いてたら、貴方の投稿を見つけて。本腰入れて調べるつもりはなかったんですが、俄然興味が湧いて、こうなったら最後まで調べたいなって思ったんです。」
    秋野 「へえ!漫画家さんだったんですか!すごい!じゃあこの池の絵ももしかしたら漫画になるかもしれないんですね、その時はぜひ読みたいなあ。」

    (雑談部分省略)

    古矢 「僕が池について知っている情報はネットに書いてあること、それと地元の新聞記事ですね。●●●池は恐ろしい歴史的背景のある池でもあり、聖地ともいわれていた場所でもある。そのせいで心霊スポットとされてオカルトサイトに載っていたり、怖い池として認知されるようになった。実際に行った人のブログがあるけど、特に奇妙なことは起こっていない。動画サイトにもいくつかの肝試し動画もありましたが、これも特に何も起こらず終わっています。地元の新聞記事では水質汚濁や道路の建設より埋め立て工事計画が立てられるも地域住民が歴史的遺産を守るべきだと反対運動を起こしたり、戦時中に中止していた慰霊祭が再開したとか。これくらいですかね。」
    秋野 「ネットで私も一通り調べましたから、古矢さんの今のお話からだと、新聞の記事以外は新しい情報はありませんでした。ですので、まず、この絵についての疑問点を挙げていきませんか?」
    古矢 「疑問点ですか?」
    秋野 「はい。現段階で私はこの絵に2つの疑問を持っています。一つ目はなぜ、曰くつきと言われる池の絵が大型商業施設に寄贈されるに至ったか。二つ目は池の形です。●●●池と題されたこの絵は蹄鉄のような池の形をしています。ですが、ネットで学人した●●●池は楕円型のごく普通な池の形です。なぜ形が違うのでしょう。」
    古矢 「一つ目の疑問点は、店の経営者や関係者に話を聞くほかないですね…。あの店はHPもありませんでしたし、ネットでは調べようがない。たしか、不用品を譲り合うサイトに出品されていたんでしたっけ、そこから連絡できませんかね?」
    秋野 「そうですね、調べようがないなら話を聞くほかありません。私の方から出品者に取材できないか連絡をしてみます。」
    古矢 「ありがとうございます。では二つ目に、●●●池と題されながら池の形は全く違うという点ですが、埋め立てについての新聞記事は2004年のもので、工事は楕円の池の北側、ちょうど上半分を埋めて道路にするというものでした。反対運動がありつつも着工され、工事も事故無く終わっています。オカルトサイトや動画の投稿日を見ると2020年前後の物なので、僕たちがネットで見たのはつい最近の埋め立て工事後の●●●池。1981年に店が開店し絵が寄贈されていて、制昨年は1980年とのことなので開店の前年に絵画を描き上げた。すると、1980年の地図を見て池の形が蹄鉄型じゃなかった場合、何らかの矛盾が発生するわけですね。1980年の地図はそう昔の物でもないので、ネットで調べたらすぐ出てきそうですが、●●●池についての郷土資料や地形の成り立ちなどの情報も何か手掛かりになると思いますので、これは僕の方でS市図書館でいろいろ調べてみようと思います。」



    出品者への取材


     サイトでやり取りをした出品者と無事に連絡を取ることができ、やり取りの中でいくつかわかったことがあるのでメモしておく。

    質問 作者は不明とあるが、寄贈者は分かるか。
    回答 寄贈者はS市在住の男性、これ以上は個人情報の為、教えられない。

    質問 作者と寄贈者は同一人物か。
    回答 記録がない、わからない。記録がないということは作者匿名で寄贈されたと思われる。

    質問 ●●●池には曰くがあると聞いたが、飾ることに抵抗はなかったか
    回答 経営者が代替わりしている為、当時の感情はわからない。が、●●●池は歴史的遺産であり、神聖な場所でもある。やれ曰くだ心霊スポットだと言われ地元住民は怒っている。そのように言うのはやめてほしい。

    質問 描かれている●●●池の形に違和感はないか。
    回答 ●●●池は年月や埋め立て工事で形を変えてきたと聞く、かつてはこの  絵のような形だったのかもしれない。そこまで詳しいことは分からない。



    古矢さんからの報告


     こんにちは。S市図書館で調べたことをまとめましたので、確認お願いします。
     なかなか面白いことがわかりましたよ!

    ・●●●池についての記録
    初めて文献に●●●池が記されたのは1850年頃。探検家のM氏が書いた「探訪記」には○○○○(現S市)を訪れ、川のような池があると探検記に記録している。当時から●●●池には恐ろしい歴史があると伝えられていたよう。

    ・●●●池の地形
    ●●●池は元は三日月湖であったと言われている。川の流れで岸が削られ次第に湾曲していき、S字カーブのような形状の川になった。蛇行が進むと川の一部は狭くなり、カーブは急になっていく。この状態で水量が増えると、川は直線的に流れるようになり、カーブ部分が切り離され、蹄鉄型の池が出来上がる。これが三日月湖の仕組み。これは自然的に起こることもあれば、河川工事で人為的に行う場合もある。●●●池についてはどちらかは分からない。

    ・1980年の●●●池の形について
     池の形は蹄鉄型ではなく楕円。

    まとめ
    ●●●池は元は三日月湖で、自然か人為的かは不明だが楕円の形に姿を変えた。
    1981年に絵が寄贈され、前年1980年に描かれたとすると、●●●池の形は1980年の●●●池ではなく、1850年頃の●●●池を想像して描かれた可能性あり。

    年表
    ・1850年頃 ●●●池は蹄鉄型の池。
    ・1850年~1929年の間には、●●●池の明確な形を確認できる資料が無く、  
     ●●●池の形については不明。
    ・1930年代 ●●●池は楕円の形で地図に記されている。
    ・1980年 「●●●池の絵」制作、作者不明
    ・1981年 「●●●池の絵」と題して蹄鉄型の池の絵が寄贈
    ・2004年 埋め立て工事開始、翌年終了。大きさは半分に。
    ・現在 ●●●池は楕円の形

    新たに分かったこと
     1850年代探検家M氏が川のような池と「探訪記」に記録をつけたのは●●●池だけではなかったんです。●●●池から南に10kmほど離れたS市I区に同じような三日月湖があって、記録がされていました。この三日月湖には特別な名称はついていなくて、切り離された元の川、T川三日月湖とされています。ですが、1951年の地図にこの三日月湖は記されていません。これに関しても記録が残っていて、三日月湖のあるS市I区は1945年に大空襲の被害を受け、その後に埋め立てられたようです。地図を見るに、現在の地図では大きな公園になっていて、その一部は森になっていました。G公園と言う名です。現在、航空写真からは埋め立て後の三日月湖であろう、小さな蹄鉄型の池が残っているのが確認できました。
     ●●●池の絵に描かれた池に、そっくりな池です。

     …池の絵を描こうとした時、普通は今の地形で描きますよね。理由もないのにわざわざ100年以上前に遡った地形を描くとは考えられません。その場合は1850年代の●●●池を描いたことに、何らかの意図がある。
    …そして、ひねくれた考え方かもしれませんが、こんなふうにも考察できます。

    「●●●池の絵」に描かれた場所が、1980年、G公園にある埋め立て後のT川三日月湖で、同じくかつては三日月湖だった●●●池の名前を使い、見た人間をT川三日月湖ではなく●●●池として認知させるミスリードを起こさせようとしていた。

    秋野さんは、どう思いますか?



    自宅、○○マンション×××号室にて


     入浴後、ノートパソコンを開くと新着メールが届いていました。メールアプリを開いて受信トレイを確認すると、メールは古矢さんからです。
    メールを開くべく椅子に腰かけたところ、換気のために開けていた窓から冷たい夜風が部屋に流れ込んできて、背筋を襲った寒気に、私は慌てて窓を閉めるべく立ち上がりました。

    ぎゃあ

     窓を閉めて鍵を掛け、カーテンを引いて窓から背を向けた直後、外から子供の声が聞こえて私は思わず肩をびくりとすくめました。
     私は○○県の都市部に住んでいます。道路沿いに建つマンションなので車の走る音や、通行人の会話が聞こえてくることもあります。
     近くに野生動物が住んでいるような川、雑木林はありません。
     声は、子供かな。
     子供がなにか駄々をこねて泣き叫んでいるのか、癇癪を起しているのか、そんなふうな声に聞こえました。このマンションは単身者向けで、子供はいないはずですから、間違いなく、声は外から発せられたものです。
     道端でぐずるような歳の子を連れた親が夜中に出歩くなんて、とも思いましたが、すぐに興味が失せ、メールを確認すべく、パソコンに張り付きました。

     そして、私は古矢さんの報告を見て、胸が高鳴りました。
     ●●●池と題された絵。キャンパスに描かれた場所は、●●●池ではなかった?
     かつて同じ形だった●●●池とT川三日月湖。
     時を経て、●●●池は楕円の形に。三日月湖はキャンパスに描かれたような蹄鉄型の形に。
     古矢さんの仮定を真実とするならば、なぜT川三日月湖を●●●池と題したのか。
     そうする必要があった、では、それはなぜ?
     どうして?なぜ?
     知りたい、知りたい。
     この絵に隠された真実を。
     何を隠して、何を伝えたかったのか。



    古矢さんとの通話②


    以下、古矢さんとの通話を書き起こしたものです。

    秋野 「お久しぶりです。S市図書館での調べものありがとうございました!メールでの報告も読みました、収穫がたくさんありましたね!まさか、●●●池と同じような三日月湖があったなんて。まだ、あの絵の池が●●●池なのか三日月湖なのか断定するのは早いかもしれませんが、●●●池の情報がここまで集まって特に進展がないとなると、三日月湖について調べた方が何かわかるかもしれませんね。」
    古矢 「こんにちは、お久しぶりです。僕もそう思います。●●●池の絵はあまりにもG公園にある埋め立て後の三日月湖に似ていますよね。では、ここからは三日月湖を中心に調べてみましょう。またS市図書館で調べてみます。古い地図や新聞、文献はやっぱりネットだけじゃ調べきれませんからね。」
    秋野 「そうですよね……。(手帳を捲る音)」
    古矢 「…秋野さん?」
    秋野 「……4日後、4日後の朝7時の便、飛行機取れそうです。古矢さんに頼ってばっかりなので、私も現地で調べます。取材はやっぱり足を使わないと。古矢さん、都合どうですか?」
    古矢 「4日後…大丈夫です。空港から駅までシャトルバスがあるので、到着後はそれに乗って移動するといいですよ。あの空港は畑の真ん中にありますから。駅前で待ち合わせしましょ。図書館も駅前にありますから。」
    秋野 「わかりました!では4日後、駅前で。よろしくお願いします。」



    S空港にて


     空港を出ると、目の前に広がる広大な大地と、まだ山頂に冬の名残を残した美しい山脈に圧倒されました。畑にはトラクターがその巨体を揺らしながら走っており、白樺の防風林の前に差し掛かると、まるでポストカードの一枚のように見えました。
     青い匂いを胸いっぱいに吸い込んで、雲一つない晴天の下、私は駅までのシャトルバスを待ちます。長期連休以外は観光客もまばらのようで、飛行機もホテルも空いていて助かりました。シャトルバスは予約制ではないので、座れない可能性もあるかなと飛行機内で考えましたが、その心配は無用そうです。

     駅まで40分ほどの道のりは、窓の外の景色を楽しみながらシャトルバスに揺られ過ごしました。
     建物はほぼなく、絵に描いたようにのどかな田舎の景色を眺めていました。パソコンのブルーライトに痛めつけられた両目が、鮮やかで優しい緑に癒されます。都市部での暮らしに不満はありませんが、田舎で暮らすのも案外悪くないかもしれません。記者なんて、ネットが繋がってパソコンがあればどこでも仕事ができますから、しばらく滞在したいなんて思うほどに、この土地の景色が気に入りました。
     
     流れる景色を楽しんでいると、道路の際でそよぐ背の高い草の隙間に、黄色いシルエットが見えました。タンポポ、いや花にしては大きい、それはキツネでした。
     初めて見た野生のキツネに思わず腰を浮かして窓の外を覗き込みます。しかし、キツネの姿をはっきりと見た時、私は思わず眉をひそめて、こう言ってしまいました。
     あんまり、可愛くない。
     率直な感想はこの一言に尽きます。普段イラストで見るキツネは黄色のふわふわな毛に、ふさふさな尻尾。人畜無害そうな愛らしい顔をしていますが、本物のキツネは全く違いました。
     毛皮は汚れた黄土色、毛は皮膚に張り付いたようにのっぺりと体に沿って流れています。尻尾も同様に、細く枯れ木のようでした。顔も頭蓋骨に張り付いた皮に沿って短い毛で覆われており、犬よりもシュッとしたマズルには黒い鼻がちょこんとくっついています。
     そして、爛々と見開かれている丸い双眸。キュッと結ばれた瞳孔は山吹色の虹彩に囲まれ、野性味のある顔立ちに拍車をかけていました。
     ●●●池の絵に描かれていた、ふさふさの毛皮に覆われたキツネを想像していたぶん、いかにも野生動物といった姿に、私のキツネを初めて見たという感動はどこかに吹き飛んでしまい、息をついてバスの座席に身体を沈めました。

     そんなことを考えていると、バスはいつの間には市街地に入っていました。大きな道路のすぐ横にも飲食店や住宅に交じって畑があって、ところどころ木々の密集する小さな森のような場所も見受けられます。
     自分が暮らしている場所とは全く違う土地だなあ、と私は改めて実感しました。この土地は自然と共に人々の営みがあるのでしょう。事前にチェックしたS市の運営するホームページのトップには農業や畜産、酪農関連のページがあり、生産される作物や食品が観光の目玉として紹介されていました。

     この豊かな土地に、件の●●●池と三日月湖があり、絵の謎を解き明かす情報がある。
     真相までの道のりは、そう遠くないはずだ。



    幕間①

    いかがですか。



    午前10時32分 S市S駅バスターミナルにて


    古矢 「秋野さん!遠路はるばるようこそ!」
    秋野 「古矢さん!ビデオ通話で顔を合わせているものの、こうやって実際に会うとなんだか新鮮に感じますね。」
    古矢 「ははは、そうですね!初めましてじゃないのに、初めましての気持ちになりますね。さて、ホテルは駅前の○○○○でしたっけ、まずはホテルに荷物を置きに行きましょう。こっちです。移動、疲れてません?カフェも近くにありますけど、休憩してから図書館に行きますか?」
    秋野 「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ、荷物を預けたら早速、図書館に行きましょう。」

    ホテルからS市図書館まで徒歩での移動中の会話
    以下は、古矢さんとの会話の書き起こしです。

    古矢 「秋野さんにメールを送った後、事前にネットで三日月湖周辺の事をで調べたんですが、ちょっと気になることがありまして。G公園のホームページ内にある施設紹介ページで、…そうですね、ここではA家とします。A家の管理する祠の写真があったんです。」
    秋野 「…祠、ですか?」
    古矢 「はい、小さな木造の。きちんと手入れがされていて、花とお供えもありました。」
    秋野 「なんの祠でしょう?お地蔵様とかですか?」
    古矢 「いや、それがキツネなんですよ。でも、稲荷とはどこにも書いてなかったし、僕はお稲荷様とは違うんじゃないかと思ってるんです。」
    秋野 「キツネと言えば、お稲荷様を真っ先に思い浮かべると思いますけど、他にキツネが関わっている神様っていましたっけ。」
    古矢 「祠の説明にはG公園の土地——三日月湖の中央の土地のことですが、そこはA家が養狐業を営んでいた場所みたいなんです。あ、養孤業っていうのはキツネを毛皮を取るために育てることです。だから、お稲荷様を祀るにはちょっと適さないというか。だって、お稲荷様の神使であるキツネを殺して毛皮を剥ぐんですよ?そんなこと、神様の目の前でできないでしょ。」
    秋野 「…たしかに、神使であるキツネを、神の御前で殺すなんて、祟られそうですね。」
    古矢 「でしょ?…まあ、畜魂碑か、馬頭観音像の代わりなのかなあ、と。んで、祠の話は一度置いておいて、問題はキツネですよ、キツネ。」
    秋野 「キツネ…ああ!●●●池の絵には、キツネが描かれています…!それも、池に囲まれた中央の土地に!」
    古矢 「そうなんですよ、蹄鉄型の池——それが三日月湖だとして、中央に残された土地にキツネ。○○○なんてそこらへんにキツネがいますから、描かれていてもなんら不思議じゃない存在です。…けれど、まるでA家が三日月湖の中央で養孤業を営んでいた光景をぎゅっと縮小したように見えませんか?描かれている場所がA家が養孤業を営んでいた場所と重なりますよね?偶然としてはちょっとひっかかるな…、と思うんですよ。または絵を描くにあたって、三日月湖を小さくして描いたと考えてもいいと思います。実際の大きさで三日月湖を描くとなるとキツネなんて豆粒になってしまいますから。三日月湖と狐を両方とも絵のメインのモチーフとして描きたかった。だから三日月湖とキツネの比率を考えて、明確にキツネと分かるように池を小さく描いた、とも。」
    秋野 「なるほど!やっぱり、絵を描いている人からの意見は重要ですね。これで●●●池の絵の場所が、三日月湖である可能性が高くなりました。古矢さんすごいです!」
    古矢 「あ、いやあ、あはは。でも、これはあくまで僕の考察ですから。」
    秋野 「ではその考察が正しいか証明できる情報を探しましょう!あ、あれが図書館ですね。まずは郷土資料から見ていきましょうか!」



    S市図書館①


    S市図書館所蔵の郷土資料から確認できた●●●池、三日月湖、A家の記録を書き留める。

    S市図書館所蔵【郷土地図】※発行年順に記載

    ・S市街全図
    【発行年】1930年
    【発行】K印刷株式会社
    楕円形の●●●池、三日月湖が確認できる。

    ・S市I区地図
    【発行年】1930年以降のものと思われる
    【発行】不明
    三日月湖に囲まれた中央の土地にA家の名前が記載。地図の裏面にはI区の面積や人口、職業別戸数など詳細な情報が書かれており、職業別戸数の欄には養孤業1戸と記載がある。I区で養孤業を営んでいたのはA家のみだと思われる。

    ・S市全図
    【発行年】1937年
    【発行】S市市役所
    楕円形の●●●池、三日月湖が確認できる。
    また、三日月湖中央の土地には養孤業と記載。

    ・S市全図
    【発行年】1951年
    【発行】S市市役所
    ●●●池は確認できるが、三日月湖は確認できない。
    三日月湖とA家が養孤業を営んでいた土地はG公園に変わっていた。

    S市図書館②
    S市図書館、パソコン室にて確認できた情報を記載する。※撮影日順に記載

    ・S市I区入地の人々を撮影した写真【S開拓記念博物館 デジタルアーカイブ】

     【撮影日】1935年
     【撮影者】不明
     裏面に写真に写っている人々と思われる氏名が書かれている。
     A家の名前を確認したが、集合写真の為、誰がA家の人間なのかまでは特定できなかった。

    ・S市図書館 【○○○デジタル郷土資料アーカイブ】
    S市絵葉書 「S市十六景」
    【発行年】1940年
    【発行】H新聞社
    全16枚の絵ハガキの1枚に【S市I区の農業風景】と記されたものを発見。
    三日月湖を外側から撮ったもので、手前から畑→三日月湖→A家の養孤施設と見える。
    三日月湖周辺には畑が広がっており、この三日月湖は農業用の溜池として周辺住民に利用されていたと思われる。

    ・空襲後のS市I区の写真【S開拓記念博物館 デジタルアーカイブ】
     【撮影日】1945年
     【撮影者】不明
     壊滅的な被害ではないが、農地や民家に被害が見受けられる。
     写真右側には三日月湖が見えており、建物が壊れているのが確認できる。
     写真裏には「キツネノタタリ」と書かれている。

    まとめ
    S市図書館での情報収集で分かったことを時系列順に並べ、下記に記載する。

    年表
    ・1935年 頃A家はS市I区に入植。養孤業を始める。
    ・1945年 S市I区は第二次世界大戦による○○○大空襲の被害を受ける
    空襲後の写真の裏に「キツネノタタリ」と不可解な言葉が書かれていた。
    ・(復興についての詳細は不明)復興の際に三日月湖は埋め立てられる。
    埋め立ての理由については不明だが、住宅の建設が増え、農業用の溜池としての利用が減った、増水による水害対策、水質汚濁による虫等の発生が考えられる。
    ・1951年 A家が養狐業を営んでいた土地はG公園に変わっていた。G公園内には埋め立てられ、小さくなった三日月湖がある。
    ・2021年 G公園ホームページにはA家が建てたと思われる祠に狐の像が祀られていた。現段階で狐像の正体は不明。祠には経年劣化が見られるため、最近建てられたものではない。G公園ホームページにはA家が管理する祠とあるので、移住後のA家が建てた、あるいはその土地に元々建てられていた為、管理を任されたとも考えられる。



    S市駅前の喫茶チェーン店にて


    以下、古矢さんとの会話を書き起こしたものです。

    秋野 「S市図書館ではA家が入植し、三日月湖が埋め立てられG公園になったまでの時系列や、当時の写真を確認することができましたね。そして、空襲後の写真には「キツネノタタリ」の文字がありました。見るからに養孤業を営んでいたA家に関係のありそうな文言でしたが…。A家は祟られるようなことをしていたと…?」
    古矢 「いやあ、さすがに僕も驚きましたよ。文字通り、「狐の祟り」ですもんね。でも…(スマホを操作、フリック入力しているようだ)うん、当時は戦争中ですから。この時代、国内の毛皮生産は8割以上○○○が占めていたようです。ネットで養孤業についての文献をいくつか見つけました。同時期に、同じようにキツネを持ち込んで移住した人達がいるみたいですし、その点ではA家に不審な点はありませんね。毛皮は軍需用があったようで、この時代が生産の最盛期だったみたいです。まあ、家で飼っている犬猫を差し出すように命令が下るくらいですからねえ。」
    秋野 「なるほど…A家がキツネを持ち込んだことに関しては特に怪しむことではない。ということは、キツネを飼っていた間に、何かがあった。それも、空襲被害を受けたA家の写真に、わざわざ「キツネノタタリ」と書くほどの事が。」
    古矢 「…いくら需要があって、それもお国の為に戦う兵隊さんたちの…とは言え、毛皮の生産は惨いものだと聞きますから。周囲の住民はあまりよく思っていなかったのかもしれません。」
    秋野 「そうですね、アニマルウェルフェアの観点から見て、毛皮産業はあまりいい印象では見られていないと思います。現代でこそ、強制給仕で生産するフォアグラが規制されたり、ロブスターなどの甲殻類を生きたままゆでることが禁止されたりと、国が定める動物愛護の規制は年々増えていますが…。きっと昔も、動物の扱いについて同じように考える人たちはたくさんいたでしょう。」
    古矢 「では、次はA家についての情報を集めません?」
    秋野 「はい。これ以上めぼしい資料や記録は図書館には無いようでしたので、I区の公民館か、集会所のような所にA家の記録がないか行ってみましょう。」
    古矢 「いいですね。A家が入植移民としてI区に移住したとなれば、なにかしら記録は残っているはずです。○○○は未開の地として開拓された土地ですから、あちこちに開拓村や開拓記念館がありますよ。昔の記録が保管されている可能性は高いです。それに移住者となれば、同郷の人間が集まって寄り合いなんかもしていたかもしれません。大規模になれば会誌なんかも発行するでしょう。そういった古い記録が残っていたらいいのですが…。」
    秋野 「では明日、I区へ向かいましょう。私はホテルに戻ってI区近隣の施設に取材に対応してくださるか、問い合わせてみます。」
    古矢 「ありがとうございます。対応してくれる施設が見つかればチャットで場所を送ってください。秋野さんはよければ、明日は僕の車で行きましょう。」
    秋野 「それはすごく助かります!お言葉に甘えて、お願いします。」
    古矢 「はい!では明日、駅のロータリーまで迎えに行きますね。」



    S市I区集会所

     翌日の午前9時30分、駅のロータリーまで迎えに来てくれた古矢さんの軽乗用車に乗って私たちはI区集会所に向かいました。
     昨日の電話で取材の約束ができたのはI区集会所の管理をしているI区自治会長のMさん、I区から20kmほど離れた場所にある開拓記念館の2か所です。取材の日程は今日の午前10時にMさん、明日の午後2時に開拓記念館となりました。

     駅から20分ほど車を走らせた場所にI区集会所はありました。時刻は9時53分。Mさんは10時に集会所で待っていると仰っていたので、丁度よい時刻に目的地に到着しています。カーナビのマップにはG公園からは2kmほど離れた、閑静な住宅街の中に現在地を示すアイコンがありました。
     I区集会所は平屋建ての古い建物でしたが、入り口脇の花壇には色とりどりの花が植えられ、掲示板も今月の町内会誌が掲示されており、管理の行き届いている様子がうかがえます。
     私はインターホンを鳴らして来訪を知らせようとしましたが、どうやら備え付けられてないようでした。引き戸に手をかけ、少し引くと何の抵抗もなく開きます。鍵がかかっていないので、Mさんはもう集会所にいらっしゃるようです。
    「こんにちは」
    私はそう言いながら、少し引っ掛かりのある引き戸をガラガラと音をたてながら開け、集会所の中に入りました。古矢さんも「こんにちは、お邪魔します」と続きます。
     3畳ほどの土間には20足ほど入りそうな下駄箱があり、その前にすのこが敷いてありました。私たちは下駄箱に靴を仕舞い、スリッパがないことを確認して、もう一度「こんにちは」と声をかけて靴下のまま、部屋の中に入りました。

     部屋は教室一個分ほどの広さで、向かって左側に遮光カーテンが引かれた窓、右側に開けっ放しの扉があり、奥へ続く廊下が見えます。
     床にはくすみがかった柔らかいピンク色の絨毯が敷かれ、脚の太いどっしりとした4人がけの座卓が3つずつ左右に並んでおり、壁際には座布団やホワイトボード、書類棚が整頓され置かれていました。何の変哲もない、普通、と言ったところの部屋です。
     ぐるりと部屋を見渡していると、ぎしぎしと床板が軋む音が近付いてきました。開けっ放しの扉から人影が見えます。
    「ああ、こんにちは。悪いね、奥に行ってて気が付かなかった。あなたが電話をくれた秋野さんか?」
    廊下から書物やファイルを両手で抱えて持つ70代ほどの男性——Mさんが部屋に入ってきました。
    「こんにちは。私が昨日お電話をさせていただいた秋野です。勝手に入ってしまってすいません。声をかけたのですが、お返事が無かったもので、お邪魔させていただきました。」
    「いいよいいよ、さあ座って。よくきたね、そこに座布団があるから使いなさい。」
    「ありがとうございます。お借りします。」

    「改めまして、昨日お電話させていただいた春暁社、月刊異聞袋の記者、秋野と申します。本日はお忙しいところ、お時間をいただきましてありがとうございます。」
    「僕は古矢です。S市に住んでいて、記者ではないのですが、秋野さんと一緒に調べものをしています。よろしくお願いいたします。」
    「私はこのS市I区の自治会長を務めているMです。この集会所には古い会誌や記録も保存しているから、遠慮なく聞きたいことを聞きなさいね。前に努めてた会長の人が、こういう古いものをきちんととっとく、几帳面な人でよかったよ。今日みたいに役に立つ日が来るんだから。」
    「恐れ入ります。ありがとうございます。ではさっそく、取材をさせていただきたいと思うのですが、音声の録音してもよろしいでしょうか?会話を後から書き起こしますので。」
    「かまわないよ。」
    「ご理解ありがとうございます。」

    以下はMさんを取材した際の、音声データの書き起こしです。

     A家の事ね。どこでA家の事を知ったの?G公園のホームページ?ふうん。…そういえば、こんなこと聞いて一体何の記事書くのさ。…まだ企画段階?ああ、そうかい。遠慮なく聞きなさいとは言ったけど、あんまり、気持ちのいい話じゃないし、面白い話でもないよ?それでもいいの?

     わかったよ。…70年以上前の話だけどね、小さい頃、母親から聞いたんだ。あの家はキツネをいじめてバチが当たったんだって。A家はキツネを育てて毛皮を取ってたから。ほら、戦争中は毛皮がたくさん必要で、私たちが飼ってる動物も差し出すように国が言ってきた。母が可愛がってた犬も殺されたって聞いたよ。犬も、猫も、馬も、家族同然の動物を戦争に持っていかれて。本当に申し訳ない、可哀想に。…おっと、キツネの話だったね。失礼。

     A家はキツネの番(つがい)を連れてこの地に入植したんだ。ほら、これを。(座卓に置いたアルバムを開いて古い写真を見せてくれる。そこにはキツネの首を持って立っている40代くらいの男性。キツネは死んでいるように見える。)この人がAさん。下に名前が書いてあるべ。一族皆でこっちに来たらしいよ。さっき言ったように、毛皮の生産は需要があったから。ほかの地域にも同じような人たちがいるらしいね。○○○の、○○島だったかな。んで、I区には畑作農家と酪農家が何戸かと養孤業のA家が入植した。未開の地に来て、毎日毎日働いて、それでも食うに困ることもあったようでね、同じ土地に入植したもの同士、支え合いながらなんとか食い繋いで生活したって話だ。……でもね、農家たちは表には出さないだけで、A家を毛嫌いしてた。

     君たちは、毛皮をどうやって取るか知ってるか?うん、そう。それは惨い事だ。毛皮を傷つけないように、殴ったり、首を絞めたりして殺した後、まだ体温のあるうちに肉から剥がすんだ。殴られて、それでも死にきれず、生きながら皮を剥がされるキツネもいた。そして剥がされた肉体はゴミ同然さ。それを見た周りの人たちはどうだい?あんなことを平気でするなんて、恐ろしい人たちだと思った。当時はトラクターなんてなかったから、農耕馬を使って畑を耕していたんだよ。馬がいなければ仕事にならない、酪農だって、牛がいなければ仕事すらできない。家畜は家の財産で、家族のように大切にされてきたんだ。農家たちの中には、いつか自分の家畜も皮を剥がされるかもと怯えていた人もいたそうだ。

     そんな周りの目をA家の人たちも察していて、積極的な交流はなかった。もちろん、農家たちは必要なら会話もするし、連絡事もきちんとA家に伝えていた。まあ、触らぬ神に何とやらってことだべ、近くもなく遠くもなくと言った距離感でお互い暮らしていたようだよ。

     「キツネノタタリ」?空襲後の写真に?あー…多分I区の誰かが書いたんだろう。不謹慎だけど、農家たちの中にそうやって行動に移してしまうくらい、強い感情を持った人がいたんだべな。

     A家は空襲の被害を受けてどうなったか?……死んだよ。空襲被害の記録ではその日A家にいた人間は皆(みんな)死亡したとある。(ファイルから古い書類のコピーを見せてくれる)…ただな、出征していた一人息子は、幸か不幸か戦場から生きて帰ってきたんだ。んで、自分は戦争から生きて帰ってきたのに、家族が戦争によって死んでしまった。そして、周りの人間は家族が死んだことを「キツネノタタリ」だと影で言う。そんなふうだから、いつの間にか息子はどこかに行って、行方が分からなくなったようだね。

     A家については、これくらいしか知らないよ。当時の事を知ってる人はもうかなり高齢だから、亡くなった方もいる。私も母から聞いたり、残っている記録を見ただけだから。

     …G公園の祠?ああ、あれね。管理者?…いや、知らないな。どこかに子孫がいるんじゃないかな。それか、故郷にいる親族か誰か?。うん、本当に知らんよ。

     ●●●池の絵?S市の商業施設に飾られていた?…ああ、あの変わった形の池の絵ね。開店初日に店に行ったから覚えてるよ。たしか…飲食店が並んでいる場所にあったかな。娘が「キツネ」がいるって言って食い入るように見てたから、記憶に残ってる。
     え?違和感?さあ、なにも感じなかったけど。●●●池って見たことはないけど聞いたことあるし。確かに変な形の池だけど、特に気にならなかったな。
     A家が住んでた三日月湖と似てないか?三日月湖を●●●池と認識させて……はあ、いやいや、そんな推理小説みたいなこと実際にする人なんている?何の目的で?
     何が言いたいのかよくわかんないけど、キツネだってこの土地じゃどこにいてもおかしくないよ。車庫に置いてあった釣り餌を食べられたことあるし。あの時はまいっちゃったよ。今はちゃんと物置にしまってるけどさ。

     ……聞きたいこと、聞けたかい?…ああ、こちらこそ。一方的に私が話してるだけだったけど、久しぶりに若い方と話ができてなんだか新鮮だったよ。雑誌記者からの取材なんて初めてだったしね。…うん、なんもだよ、なんも。いーえ。はい、ありがとうね。じゃあ、道中気を付けて帰るんだよ。



    Mさん取材後、駐車場、車内にて


    秋野 「Mさんからは、当時A家が同じI区の農家たちから村八分までとは言いませんが、腫物のような、そんな扱いを受けていたことがわかりましたね。そして、空襲被害で出征していた息子さん以外は亡くなってしまったと。絵の事についても質問できましたが、こちらは特に情報は得られませんでした。祠に関しては、生き残った息子さんか、その子孫の方、あるいは故郷の親族の管理だろうとのことでしたが、G公園に問い合わせしたら教えてもらえるでしょうか?」
    古矢 「どうでしょう…、A家について調べているなんて言ったら、G公園の管理者はともかく、祠の管理者はあまりいい気持ちはしないかもしれませんね。まさか、曰くつきの池の絵を調べていたら、A家に辿り着きましてなんて、言えませんし。まるで自分の家が曰くつきだと言われているようなものですもん。まあ、正直に言うかはさておき、各地の祠を調べている民俗学に興味のある人間だと言えば、なんとか…?」
    秋野 「それと、やっぱり実際に当時の事を知る方にお話を聞きたいところですが、入植した年が1935年だとすると、現在はかなり高齢の方…、うーん、これも探し出すのは難しいところかもしれませんね。Mさんに紹介していただけないか、聞けばよかった。」
    古矢 「今のご時世、一軒一軒回って——なんてやったら、間違いなく通報案件です、新手の詐欺だって疑われそう。だったら、老人ホームとかに…んん…。」
    秋野 「…古矢さん、今日は調べものを一旦お休みにして、これからG公園に行って、祠を見に行ってみませんか。三日月湖も見たいですし。実際に見ることで何か気が付くことがあるかもしれません。」
    古矢 「いいですね、ここで唸っていてもしょうがありません。行きましょうか。」



    G公園

     G公園は森、芝生、遊具の3つのゾーンに分けられており、それぞれのゾーンは道幅が広く、歩きやすいように舗装された歩道で隔てられ、公園中央にはトイレやキッズルームが完備された飲食可能の休憩所がありました。比較的設備は綺麗で、利用者も幼い子供から高齢者まで広い年代が見られます。市民の憩いの場とはこのような公園なのでしょう。
     
     駐車場に車を停め、私たちはG公園内に入りました。
    「G公園東入り口」と書かれた看板横にはG公園内のマップがあり、ここから道沿に進めば遊具、芝生、休憩所、森の順で公園を一周できるようです。森の北側に「祠」という文字が書かれており、これがA家の管理するという祠のなのでしょう。その祠を囲むように水色で描かれた水場を表す絵は、三日月湖の名残だと思われます。

     小さな子供とその母親がボールで遊んでいる様子を遠目で見ながら、私たちは森へ向かい始めました。

    「そういえば、古矢さんはこの公園に来た事あるんですか?」
    「いえ、ないですね。僕はI区に住んでないので。大きな公園、ここら辺って結構あるんですよ。だからわざわざ別の区の公園に行ったりはしなかったです。」
    「そうなんですか。…なんかこう、いいですね。こういう大きな公園がたくさんあるって。○○○は空気もきれいだし、自然も豊かで。あ、そういえば今朝、ホテルの朝食で特産だっていうジャガイモのフライを食べたんですが、すっごくおいしくてびっくりしました。ジャガイモを揚げてハーブソルトをかけただけみたいなんですが、ジャガイモ自体がすごく甘いんです!それに、地元の小麦を使ったっていうバターロールも、ヨーグルトにルバーブのジャムが添えられているのも絶品でした!」
    「はははっ、秋野さん、まさに内地から来た観光客って感じですね。○○○にご飯食べに行くって意識で旅行に来るんですかね、皆さん。」
    「食べ物についてはその通りかもしれません。ホテルの無料サービスの朝食がこんなに美味しいなら、もう何を食べても感動すると思いますね。ああ、恥ずかしい。仕事で来てるのに、やっぱり、知らない土地に行くと観光気分になっちゃうもんですね。空港からシャトルバスで移動してる最中も道端にキツネがいて、思わず見入っちゃいましたよ。」
    「キツネですか」
    「ええ、はい。キツネです。初めて見ました。でも、想像のキツネよりもちょっと野性味が強かったかな…。黄色のふわふわな姿じゃなくて、黄土色の毛で。痩せてるせいか、尻尾までひょろっとしていました。思わず可愛くないって声に出ちゃいましたよ。」
    「…ふうん、そうですか。まあ、イラストとかで見るキツネとはやっぱり違いますよ。相手は野生動物ですから。あ、食べ物とかは絶対やっちゃ駄目です。人間が食べ物をくれることを覚えたら車道に飛び出して事故にあうこともありますからね。」
    「それはもちろん!私もさすがに噛まれたりしたら怖いので近づけませんよ。」
    「野良猫よりもキツネの方が多く見かけますし、去年は住宅街の真ん中にクマが出て大騒ぎになったんで、まあ、くれぐれも気を付けて。」
    「ク、クマですか…。」

     休憩所まで向かい、「森のさんぽ道」と名付けられた北へ延びる歩道を歩いて私たちは森の中へ入りました。森と言っても、鬱蒼と木々が並んだ深い森ではなく、ある程度周りを見渡せて、草木の隙間から公園の周りの住宅を確認できる程度のものです。
     足元も舗装こそされていませんが、踏み固められていて、雨が降らない限りは歩くのに不自由ありません。100mほど進むと、道がY字に分かれており、一方が祠のある場所に続いているようです。祠への道は獣道と言っていいほどで、ほとんど人が訪れないことが容易に分かりました。獣道に飛び出した植物を足でかき分けながら祠へと向かいます。

     50mほど歩いたところで祠と埋め立てられた三日月湖がある、開(ひら)けた場所に出ました。
    池の手前には小さな看板が建てられており、「三日月湖跡地の池」「池があります。転落しないよう十分注意してください。池には入らないでください」とあります。

    以下はG公園、A家の管理する祠と埋め立て後の三日月湖を観察した記録です。

    【祠】
    ・祠

     大きさ:高さ100cm、横70cm、奥行き60cmほど。
     素材:木製。屋根はトタンのような薄い金属の板。雨風による腐食、経年劣化が見られる。補修、補強の痕跡あり。コンクリートブロックの上に置かれているだけのようで、安定性ために同じくコンクリートブロックで正面以外の3方を囲まれている。
    見た目:専門の職人が作ったというより、素人が作ったように見える。木の加工や切り口の処理が丁寧ではない。全体的に粗さを感じる。
    彫刻等の装飾はされておらず、簡素。
    祀っているご神体の名前等が記されたものは見当たらない。
    花は少し枯れてきてはいるが定期的に変えられているのだろう。
    お供えの皿には綿を抜いてぺちゃんこになったキツネのぬいぐるみ置かれていた。

    ・ご神体(以降、キツネ像と呼称する)
    大きさ
    :高さ30cm、横40cmほど。
    姿:体は横向きで、顔だけ正面を見ているキツネ。一見、犬にも見えなくはないが、尾の形でキツネとわかる。これも祠と同じく、職人が作ったというより、素人が大きな岩からなんとか彫り出したように見える。粗雑さを感じる。全体的に角ばっていて滑らかではない。
    神社などで見るキツネの像には赤い前掛けがされているが、この像は赤い布が体を覆い隠すように巻き付けられている。

    ・所見
    全体的に素人が作成したものと思われる部分が多いが、管理者がきちんと必要な管理をしていることがわかる。ご神体がどこの神様なのか、手がかりとなる名前等はなく、養孤業を営んでいた土地であることもあり、稲荷神とは考えずらいと思われるため、畜魂 碑や馬頭観音の代わりである可能性もある。現段階で、このキツネ像が何なのかは不明。
     また、赤い前掛けではなく、布が体に巻き付いているという点や、お供えをのせる皿の上に綿が抜かれたぬいぐるみが置かれていた点も気になるところである。

    【埋め立てられた三日月湖】
    ・所見

     大きさは大人用バレーボールコート半面分(9m×9m)ほど、面積は80㎡前後だろうか。正確な大きさではないので参考程度にとどめる。(忍野八池・銚子池と同じくらいだと思われれる)
     形は蹄鉄を太くしたような形。蹄鉄型、あるいはU型。真ん中の土地に祠が置かれている。
     三日月湖の淵は木で補強されていて、周囲の草刈りもされている。
     水質は良くないようで、汚濁し底は見えない。魚やカエルが生息しているかは不明。
     水深を測るために落ちていた50㎝ほどの木の棒を入れてみたところ、棒を握った手が水面にぎりぎりつかないほどで、底に当たった感触があった。あまり深くはないようだが、底に棒の先がついた時、不自然に柔らかいような気がした。つっついてみて、棒先に何かが引っ掛かった感触がしたのでそのまま引き上げてみると、綿の抜かれたキツネのぬいぐるみであった。祠にも同様の物が供えられており、祀られているキツネ像と何らかの関係があると思われる。



    21時36分、S市駅前のホテルの一室にて

     私は寝巻のTシャツとスウェットのズボン姿でベッドに腰かけ、窓の外を眺めながら、コンビニのアイスコーヒーを飲んでいました。Mさんの取材、G公園の祠と三日月湖。新しい情報がたくさん手に入ったものの、謎は深まるばかりで、真実を解き明かす決定的な情報はまだありません。
     私は取材手帳を開いて、今まで集めてきた情報を一度、整理することにしました。びっちり書き込まれた紙面の文字列から、ひとつひとつキーワードを拾って、箇条書きしていきました。

    ・大型商業施設に寄贈された「●●●池の池」
    ・「●●●池の絵」には蹄鉄型の池、真ん中の土地に佇む一匹のキツネが描か 
      れている
    ・●●●池の凄惨な歴史と聖地であるという二面性
    ・蹄鉄型の池として描かれた●●●池、だが現在は楕円の形の池
    ・池の形を変えて描いたことに何か意図はあるのか
    ・かつて三日月湖だった●●●池、同じ市内に存在したもう一つの三日月湖
    ・●●●池が本当はS市I区の三日月湖だった可能性
    ・三日月湖に囲まれた土地で養孤業を営んでいたA家
    ・A家は周辺農家からよく思われていなかった
    ・大空襲でA家は出征していた一人息子以外、全員が死亡、養孤施設壊滅
    ・空襲後のA家が映った写真には「キツネノタタリ」と書かれていた
    ・復興の中でA家が養孤業を営んでいた場所はG公園となる
    ・G公園内に残されたA家の管理するという祠と、埋め立てられ小さくなった   
     三日月湖
    ・祠に祀られたキツネ像は前掛けではなく、体に布が巻かれていた
    ・お供えをのせるであろう皿には綿が抜かれたキツネのぬいぐるみが供えら 
     れ三日月湖の底からも同じく綿が抜かれたキツネのぬいぐるみが出てきた

    「こんなところか…。」
    ここから疑問点を整理しよう。コーヒーを一口含んで、ペンを握り直す。

     まだ断定できたわけではないが、故意に三日月湖が●●●池として描かれ、絵の題名も●●●池としたならば、なぜ池をすり替えなくてはいけなかった?
    三日月湖を●●●池であると見た人間に認識させる、その必要性とは?

     ●●●池と三日月湖の共通点は、形、そして、ともに人…いや、ここでは命としよう。ともに、たくさんの命が失われている場所だ。
    唯一異なるのは、凄惨な歴史を持ちながらで●●●池が「聖地」と呼ばれ、一方で三日月湖は周辺住民からその所業や「奇病」のせいで敬遠——言うなれば忌むべき地とされていたこと。
     つまりは、三日月湖を●●●池であると見た人間に認識させることで、忌み地を聖なる地にしようとしていた?

     次に祠と三日月湖の、綿が抜かれたキツネのぬいぐるみについて。
    一つだけ池の底から出てくるなら、誰かが不法投棄したように考えられるが、お供え物の皿にまでのせられているとなると、何者かが理由を持って供えているように見える。
     一体誰が、管理者とされているA家の人間が?
     Mさんによると生き残った息子は行方が分からないそう、だが、まだ存命の可能性もあるし、子孫の可能性もある。
     お菓子やキツネにちなんだ油揚げならまだ理解できるものの、ぬいぐるみ、それも綿を抜いて、そんなの、まるで毛皮だけ———

    「…あのキツネ像は、毛皮を剥がされたキツネを供養するための像?」

    毛皮を失ったキツネを供養するために祀ったキツネ像。
    キツネ像の身体には布が巻かれていた。まるで、毛皮の代わりになるように。
    ぬいぐるみもそうだ、綿=肉体だとするならば、布=毛皮。
    あの布だけになったぺしゃんこのぬいぐるみは、毛皮の代わりだ。

    誰かが、キツネに毛皮を返そうとしている。

    忌み地となった三日月湖を、聖なる地とし、
    殺してきたキツネを神として祀り上げて。

    今まで、何百、何千と剥いだ毛皮を。
    今も必死に返そうとしている。

    許しを乞うために。

    ぎゃあ

    私は手帳から勢いよく顔を上げました。
    どっ、どっ、と心臓が激しく脈打ちます。ペン先は紙に押し付けてしまい黒いインク溜まりを作りました。

    何の音?どこから?子供のような声だった。男性じゃない、高い声。
    どこかで聞いた気がする、ああ、そうだ。家で聞いたあの声だ。
    じゃあ子供か。隣の部屋じゃないような気がする。外からかな?ここ3階だし。
    なんだ。びっくりした。

    …あれ、今何時だっけ?22時過ぎてる、まあ、コンビニにでも子供連れてきたのかな。
    そうだ、そうだよ。
    ああ、ほんとに、驚かせないでよね。

    ぎゃあ

    ぎゃああ
    ぎゃあ



    幕間②

     あれは、お願いなんかじゃありません。
     そんな優しいものじゃありません。
     けれど、祟りでもないのです。
     
     一人じゃいけません。
     足りないですから。
     
     いかがですか。
     お気に召すと、いいのですが。



    開拓記念館


     古矢さんと一緒に開拓記念館に向かう予定でしたが、急な仕事の打ち合わせが入ったとのことで、今日は一人で取材と情報収集をすることになりました。
     
     場所によってはタクシーで移動することも覚悟しましたが、本数が少ないながら開拓記念館付近に停まるバスがあり、そのバスを利用して移動することができました。

     結果から言いますと、開拓記念館で得られた情報は主にI区での農作物の生産量や乳量、人口・世帯の推移などの行政が把握するようなものばかりで、I区の人々に関わることについてはやはり、I区自治会長のMさん以上の情報は得られませんでした。
     しかし、幸運なことにたまたま開拓記念館を訪れていた80代の女性——Eさんに運良く話を聞くことができました。
     
     杖をつき、少しばかり前に曲がった腰を労わりながら、ゆっくりと歩くEさん。館内の飲食可能スペース内にある、2人がけのテーブルに腰を下ろしてもらいました。
     休憩スペースと看板が吊るされた空間にはテーブルが5つほど並び、○○○出身の彫刻家の作品や、壁には○○○の風景が描かれた絵画、写真が飾られています。館長の好みなのか、すべての作品にキツネやリスといった野生動物、牧場で飼育されている牛馬などの動物が見られました。
     私はスペース内の美術品を眺めてから、隅にぽつんと置かれた自動販売に硬貨を投入しました。甘いものがお好きとのことでしたので、無難にリンゴジュースを買い、自分は○○○限定と書かれた缶コーヒーを買って席に戻ります。

    以下は、Eさんの会話を書き起こしです。

     あら、ジュースを買ってくれたの?ありがとう、いくらだった?……あらあ、それじゃあ、ありがたくご馳走になるわ。ありがとうね。うん、そうなの。甘いものが好きなのよ、子供っぽいかしら?って、やだ、私80過ぎなのに。ふふふ、もう、いいおばあちゃんなのよ。
    え、見えない?やあねえ、嬉しいこと言ってくれるわね。ありがとう。そうでしょ?この服もね、孫が選んでくれたのよ。杖つきながらでもあっちこっち行くんだから、動きやすい服装にしなさい、今はこういうのが流行ってるから、ばあちゃんも着なさい若く見えるわよって。ほんとう、いい子たちでねえ、ここまでも車で送ってもらってね、帰りも……ってやだやだ。ごめんなさい。老人はお喋り好きだから、聞かれてもいないこと喋っちゃって、だめねえ。

     そうなの。よくってほどでもないけど、ここにはたまに連れて来てもらうのよ。昔の農作業の道具とか、写真とかが展示されてて、子供の頃はああだった、こうだったって思い出しながら亡くなった母や父の事を懐かしむの。

     ああ、Aさん家(ち)のことね。私、I区の生まれだもの、覚えてるわよ。…でも、あまりいい思い出はないのよ。こうやって取材してる記者さんならもう知っているかもしてないけれど、…うん、そう。キツネのこと。毛皮を取ってたって話ね。
     
     私、一度だけ見たことがあるの。あのU字の湖の向こうで、キツネが殺されて皮を剥がされているのを。本当に怖かった。棒で頭を何回も殴って、動かなくなったら皮をべろって、剥がすのよ。でも、そのキツネはまだ動いていたの。「ぎゃあ」って泣き叫んで、私、それ以上見ていられなくて急いで母のところに逃げたわ。
    そうしたら母は私を慰めながら「あの家はいつか報いを受ける」って言った。
    その日以来、私はあの湖には近づかなくなったわ。

     そして6、7年くらい経ったある日、「奇病」にAさんたちは罹ったの。
    私はあの日の事があって直接は見ていないけれど、肌や目が黄色くなって、体に瘤ができるんですって。
    私はこう思ったわ。母の言う通りキツネをいじめた報いを受けたって。
    だって、肌や目が黄色くなるなんて、まるでキツネみたいじゃない。
    それに、その「奇病」はAさん家の人しか罹らなかったから、尚更そう思ったの。周りの家もそう思っていたし。
    今までAさん家は怖がられてはいたけど、孤立はしていなかった。けれど、病気の事があってからは完全に村八分だったわ。
    …可哀想だけれど、誰だって未知の病気で死にたくはないでしょう。
    仕方のない事よ。

     1か月経って、半年、1年…。
    原因もわからなければ、何かに感染したのか、人に伝染(うつ)るものなのかもわからないまま、お医者さまも匙を投げたようでね。誰も、どうすることもできなくなってしまった。   
    そして、Aさん家には5つくらいの小さな子がいたのだけれど、ついに、その子が亡くなってしまったの。
    そこからはドミノ倒しのように、体力のない人からひとり、ふたりと…。
    そうなると、今度はキツネの鳴き声が1日中響くようになったわ。……なぜって?キツネのお世話が疎か(おろそ)になったからよ。掃除がされないままで、排泄物が溜まってAさん家の周りは酷い臭いだった。それに、餌やりがされない日があったみたいで、キツネたちはどんどん飢えていったの。ストレスが溜まって、自分を傷つけてしまったり、妊娠していたキツネは生んだ子を食べてしまったりしたみたい。様子を見に行った人が話していたのを母伝いに聞いたわ。

     そうして空襲の日が来て、Aさんたちは皆(みんな)亡くなってしまった。自分たちが何の病気に侵されたのか知らないままね。
    キツネもたくさん死んでしまって、皆はお金を出し合って、近くのお寺に頼んでAさんたちとキツネの供養してもらったわ。
    私は毛皮を取られたキツネを可哀想に思って、着古したものだけど、母に小さな花の刺繍を入れてもらったお気に入りの着物を供えたのよ。
    そしたら2晩くらい経って、あの着物はいつの間にか無くなってしまってねえ。今思えば、誰かが持って行ったのかもしれないけれど、あの時私はキツネが気に入って着てくれたんだって思ったわ。

     そして、もう少し時間が経って、Aさん家には兵隊さんになった子がいたのだけれど、一人息子ね。息子さんが戦争を生きて帰ってきたわ。
    私たちは亡くなったAさんたちの代わりに息子さんを迎えたの。ご苦労様、よく帰ってきてくれましたって。でもね、一番会いたかった家族は戦争の被害で亡くなってしまって。本当に気の毒だったわ。息子さんは大声で泣いていた。

     息子さんは暫(しばら)くの間、空襲で壊れたAさん家を最低限直して住んでいたみたい。皆で食べ物を持って行って様子を見ていたわ。ただ、食べ物を置いてすぐAさん家から逃げるように離れる人たちを見て不審に思って、なぜか聞いたみたい。聞かれた人は渋ったようだったけど「奇病」について結局話してしまって。息子さんはそれから1年くらい経った頃、急にふらっといなくなってしまったわ。

     そしてもぬけの殻になった家に残されたのは、キツネの像が祀られた小さな祠。
    その祠が一体いつからあったのかはわからないけれど、きっとキツネを供養する祠だと思うわ。今も祠はあの場所にあるわよ。時々見に行っているの。あそこは公園になって、湖は埋め立てられてだいぶ小さくなったけれど。

     …え?キツネのぬいぐるみ?綿を抜いて?私が?いいえ、違うわよ。……けれど、私もそれ気になっていたの。G公園に散歩に連れて行ってもらう時は、お供えとお花を買って祠を見に行くのだけれど、同じものを見たことあるのよ。誰かが置いているんだろうけど、それが誰かは分からないわ。鉢合わせたこともないの。
    私が思うに…息子さんと、息子さんが誰かと結婚して…そのお子さんとかじゃないかしら?その布だけのぬいぐるみは何年も供えられてるから、息子さんだけって考えるのは変なのよ。だって息子さん、帰ってきたのが1945年で、その時20代くらいだから、今年で100歳くらいになるはずよ。ここに来るのはもう難しいと思うの。
    …それくらいしか祠にお供えする人なんて、考えられないわ。当時の事を知る人もだいぶ少なくなっているし…。事が事だっただけに、深く関わろうとする人は周りにいなかったから。私くらいかもしれないわね。

     ……私は、見てしまったから。あのキツネの姿を。だから、あの時何もできなかった、償いというか、せめて慰めになればいいなと思って。自己満足かもしれないけれど、しないよりはいいから。

     ああ、「奇病」の正体ね。
    あれね「エキノコックス」よ。うん、そう。寄生虫。虫よ、虫。キツネが媒介するね。○○○に住んでる人はみんな知ってるわよ。昔はいなかったのだけれど、今はこの土地全域に広まってしまったみたいね。
    Aさん家が入植するときにキツネを持ち込んだから、そのキツネが持ってたんじゃないかって話。でも、Aさんの家は湖に囲まれていて、陸の孤島みたいになっていたのが不幸中の幸いだったのね。奇跡的に当時はAさんたち以外、病気になる人はいなかったわ。
    「奇病」の原因が寄生虫だったなんてねえ。
    それが分かったのはAさんたちが空襲で亡くなってから、だいぶ後だったわ。

     あの時は、自分の住んでいる土地からよくわからない病気が出たなんて、周囲の地域の人に知れたら…。そう思って皆、知らぬ存ぜぬを突き通した。
    それに、いつ自分たちが「奇病」に罹るか気が気じゃなかった。幼い子供を連れて出て行った人もいるわ。
    Aさんたちも苦しんだかもしれないけれど、周りの私たちも不安だったの。
    だから、言い方は悪いけど自業自得だったのかもしれないわねえ。

     「●●●池の絵」?商業施設…。ああ、ああ!あれね。見たことあるわよ。記憶に残ってる人は多くないかもしれないけれど、私は池の形とキツネで、なんだかAさん家に似てるなって思ったの。でも、●●●池って書いてあるし、キツネはそこらへんにたくさんいるから。●●●池なんだなって思っていたけれど。それが何か?

    ——あ、聞こえた?
    キツネが鳴いてるわ。ほら、あそこ。窓の外。
    こっちを見てる。
    ふふ。可愛いわね。
    ……あ、貴方、内地の人よね?可愛いけど、近づいちゃだめよ。
    なぜだかはもう、わかるわよね?

    ぎゃあーお
    ぎゃーお

    ぎゃああ
    (キツネの鳴き声が窓の外から聞こえてくる。)



    エキノコックスについて


    エキノコックスという寄生虫について「●●●池の絵」と取材内容に関係するであろう部分を情報の中からかいつまみ、簡単に下記にまとめる。
     
    エキノコックスは「単包条虫」と「多包条虫」2種に分けられ、病名も「単包性エキノコックス症」と「多包性エキノコックス症」となる。

    日本国内では、キツネが主な感染源である。(放し飼いの犬やタヌキの感染例あり)糞の中にエキノコックスの虫卵が排出され、川の水を飲んだり、山菜等をよく洗わず食べるなどによって、人間の口から入ることで感染する。
     
    主に肝臓に寄生し、腹痛や黄疸、腹水をもたらす。
    また、肺に寄生することもある。
     
    無症状の潜伏期間が長く、成人は10年~20年、小児は5年以上とされる。

    1881年、「単包性エキノコックス症」日本国内で初めて症例が報告された。
    「多包性エキノコックス症は」1936年に報告があり、1963年頃までに約200名が死亡したとされる。
     


    2泊3日の取材日程を終え、飛行機内にて


     私は帰りの飛行機の窓から、○○○を見下ろしていました。
    緑や茶色の四角い布を組み合わせた、まるでパッチワークのような大地。  
     青々と茂る草木、雪の残る山頂、浜辺…。
     そして●●●池と、三日月湖。

     私の考察が正しいなら【●●●池の絵】は、「キツネ殺し」と「奇病」によって周囲の人々から【忌み地】と見られるようになった三日月湖周辺の土地を、かつて同じ三日月湖で【聖地】としての一面をもつ●●●池と誤認識させ、偽りの【聖地】として昇華。キツネを神として祀り、毛皮の代わりになるものを供えて許しを乞うていた…と、いう事になるのでしょうか。

     けれど、その絵が商業施設に飾られていた理由を導き出す手掛かりは、未だ掴めていないままでした。
     許しを乞うのはA家だけでいいはずです。なのに、どうして絵を商業施設に飾って、不特定多数の人に見せる必要があったのでしょうか。

     たくさんの人に三日月湖を●●●池と認識させて、より【聖地】として確固たる存在にさせたかった?それは一理ありそう…ですね。たくさんの信仰が神の力を強めるとも言いますし、より三日月湖を【聖地】に近づけようとしているのかもしれません。
     それ以外の理由を考えるなら———

    あれ?

    何の声?子供?
    子供なんて周りに座ってないよね?

    あの声だ。

    おかしい。
    おかしい。

    どうして、私は今、飛行機に乗っているのに。

    どうして、あの声がするの?

    キツネの……。



    幕間③


    私はどうやら、お気に召したようです。
    けれど、お返しする前に、やらなくてはいけないことがあります。



    新聞記事切り抜き


    1985年5月×日×曜日 ○○○新聞夕刊 1面
    【住宅で子供の遺体発見 殺人を視野に入れ捜査】

     ×日午前11時ごろ、S市×条南××丁目×基線の住宅にて、「孫が血だらけで倒れている」と男性から警察に通報があり、警察と救急車が駆けつけたところ、Cちゃん(4歳)が庭で仰向けで倒れているの発見。その場でCちゃんの死亡が確認された。
     通報した男性はCちゃんの祖父で、仕事に向かう息子の代わりにCちゃんの面倒を見る為、息子宅に向かったところ倒れたCちゃんを発見したとのこと。
     警察はCちゃんが何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査している。

     Cちゃんは発見時衣服を身に着けておらず、全身血まみれで、皮膚の大部分を欠損していた。

    1987年7月×日×曜日 ○○毎日新聞夕刊 19面
    【T川河川敷公園 男性の遺体発見】

     ×日午前5時ごろ、S市T川河川敷公園の草むらから「人の足のようなものが見えている」と、犬の散歩中だった女性から通報があった。警察官が駆け付け確認したところ、仰向けで倒れている男性の遺体を発見。その場で死亡が確認された。
     
     男性は発見当時衣服を身に着けておらず、全身血まみれで、皮膚の大部分を欠損していたという。
     
     倒れていた男性から10mほどの離れた場所には、所持品と思われる鞄があり、財布や身分証といった貴重品が遺されていた。
     警察は、男性が強盗目的の殺害ではなく、何らかの事件に巻き込まれたとみて捜査している。

    1988年9月×日×曜日 【自室で女性死亡 母発見】
    1988年11月×日×曜日 【S市ホテルに男性遺体 事件に巻き込まれたか】
    1989年2月×日×曜日 【N町農作業中の男性死亡 事件の可能性も】
    1889年3月×月×曜日 【S市高架下駐輪場に子供の遺体】
    ***省略***
    2002年6月×日×曜日 【G市商業施設トイレ内に女性の遺体】
    2003年1月×日×曜日 【○○区車内に男性と女性の遺体 殺人の可能性】
    2003年3月×日×曜日 【○○○猟奇殺人 犯人の目的は】
    ***省略***
    2019年5月×日×曜日 【山中に子供の遺体 ハイキング中に発見】
    2020年6月×日×曜日 【林に女性の遺体 行方不明の女性か】

    2021年9月×日×曜日 ○○毎日新聞夕刊 1面
    【住宅で男性の遺体発見 事件か】

     ×日午後2時ごろ、S市I区西×条南××丁目×号×番地の住宅にて、「父が血だらけで倒れている」と女性から警察に通報があり、警察と救急車が駆けつけたところ、Mさん(76歳)が庭で仰向けで倒れているの発見。その場でMさんの死亡が確認された。
     
     通報した女性はMさんの娘で、午前中、何回も電話をしたにもかかわらず応答しなかったことを不審に思い、Mさん宅に向かったところ、倒れているのを発見したとのこと。

     Mさんは発見時衣服を身に着けておらず、全身血まみれで、皮膚の大部分を欠損していた。

     警察はMさんが何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査している。

    事件の共通点
    発見時衣服を身に着けておらず、皮膚の大部分を欠損している。
    犯人は今だ捕まっていない。



    幕間④

    祠を。
    足りないですから。



    「●●●池の絵」について

     祖父は、二日に一度、G公園におられる神様にお供えをしていました。
     決まってキツネのぬいぐるみを用意し、綿を抜いて布だけにするのです。幼い頃、僕はそれが不思議で仕方ありませんでした。
     
    「じいちゃん、どうしてぺちゃんこにするの?かわいそうだよ。」
    「ぺったらこくしねぇと、神様が入れねぇべや。それに、可哀想なのは神様だ。ぬいぐるみは皮だけになっても痛くねぇ、でも神様は痛かったんだ。」
    「痛かったの?」
    「んだ。」
    「だれに痛いことされたの?」
    「俺たちの父ちゃんや母ちゃんだ。」
    「じいちゃんの父ちゃんと母ちゃんは神様をいじめちゃったの?」
    「んだ。」
    「したっけ、ごめんねって、言えばいいんだよ。悪いことしたらあやまるんだよ。」
    「謝ってる最中なんだ。」
    「ふーん。ゆるしてくれるといいなあ。」
    「……お前も、一緒に謝ってくれるか?足りないんだ。」
    「いいよ!ぼくもごめんなさいってしてあげるよ!」
    「ありがとうなあ。優しいなお前は。」

    そう言って祖父は僕の頭を撫でてくれました。
     その時、視界の隅に、赤い、ぬるぬるとした奇妙な生き物が座っているのが見えました。毛が無くて、皮膚も無くて、筋組織が丸見えになった生き物。瞼が無いため、目が爛々とまん丸に見開かれていて、じっと僕を見ています。
     僕はあまりの衝撃に声も出ませんでした。
     その赤い、丸裸の犬のような生き物は僕にのっそりと緩慢な動きで近付いてきて、こう言いました。

    『足りない』

    何が?
    何が足りない?

    「あ」
    僕は丸裸の生き物を見つめて、理解しました。

    祖父がぬいぐるみの綿を抜く理由。
    中身は、必要ないのです。
    裸の、この生き物が——神様が、中に入るのですから。

    『お前の皮は気に入らない』
    神様が言います。

    『気に入る皮を持ってこい』

     僕は祖父と共に「皮」を供えました。
     綿を抜いたぬいぐるみ、ロードキルで死んだ動物の皮、屠殺場から馬や牛の皮を買ったこともあります。
     僕と祖父は「皮」を供えて神様にお伺いを立てます。
    「お気に召しましたか」
    そうして、お気に召すものだけを供えるのです。

     父はそこそこ実績のある画家で、自身の作品を描きながら油絵講師をしていました。
     作業部屋に籠って描くのは、決まって○○○の美しい風景と、キツネです。籠の中しか知らない神様に、いろんな景色を見せてあげるのです。
    母は飲食店でパートをしています。
     母は優しい人で、神様に理解があったので、いつからか不器用ながらにぬいぐるみを作って、僕に持たせてくれるようになりました。そして、僕がお参りから帰ってくると「私が作ったの、気に入ってくれたかしら」と聞いて、その返答に一喜一憂するのです。

     でも、まだまだ足りません。

     ですから、僕は祖父に提案しました。
     神様に、もっとたくさんの「皮」を見せて、選んでもらおうと。

     僕はフリーザーからキツネの死体を持って2人に見せました。
    このキツネはロードキルで死んだものを神様にお供えし、「気に入らない」と仰ったものです。神様の気分が変わるかもしれないので、こうして念のために冷凍保存しています。
     以前、祖父から聞いた話では、空襲の際にA家にいたキツネは大半が死にましたが、檻が壊れて逃げ出した個体もいたとのこと。ならば、その個体が繁殖し、脈々と血が受け継がれているとすれば、今、目の前にいるキツネは神様の血を継ぐキツネなのです。
     このキツネを「ご神体」にして人目の付く場所に置き、「皮」を見てもらう。
     そしてお気に入りの一枚を見つけてもらおうという事です。

     祖父はキツネの毛皮を剥ぎ、先ほど言ったように、神様の気が変わるかもしれないのでフリーザーに戻して保存します。そして残った肉体から膠(にかわ)を作るために必要な部位を集め、鍋で煮込みました。
     膠とは動物由来のたんぱく質を煮出して作られる天然の接着剤で、絵の具を定着させたり、絵を描く前に板に塗ったりするものです。特に日本画では顔料に混ぜて使われます。一般的に牛や馬、西洋画では兎が用いられるので、キツネから作ることができるのかと心配しましたが、無事に膠っぽいものを作ることに成功しました。

     その膠を使い、父がキャンパスに「ご神体」のキツネを描きます。
     神様———赤い、裸のキツネです。
     そして、その上から自分の作風が絵に出ないよう、いつもより筆を粗めに動かして風景を描き、ふさふさの毛を身に纏うキツネを描きました。これが「祠」です。
     神様がきちんと前を見られるようにキツネの目の部分、瞳孔の部分にだけは絵の具を塗らず、下の絵が見えるように気をつけます。
     これで、「祠」と「ご神体」が完成しました。

     1枚目はS市の児童会館が開館50周年の記念の折に寄贈しました。
    父の画家としての名を使えば、寄贈するにあたってすんなり事を進められたのですが、万が一絵の具が剥がれたり、破損した際に「ご神体」が見えてしまうと問題に繋がりかねません。風景画の下に、毛皮の剥がれた真っ赤なキツネの絵なんて、僕たちからしてみれば神様でも、それ以外の人がみたらびっくりしてしまう。
     なので、父が○○○にゆかりのある画家から生前譲り受け、死後は地域の人々にこの大地の美しさを見てもらいたいから匿名で寄贈してくれと頼まれたとかなんとかと、嘘をでっち上げ、その猿芝居が上手くいった場所に飾られたという事です。
     その後僕たちは、2枚、3枚と絵画を描き、様々な場所に寄贈しました。

     ああ、あの商業施設に飾られていたのは1880年に描かれたものだっただろうって?
     今は2021年、僕が生まれたのが1998年。
    「祠」と「ご神体」を描き始めたのは2015年…?くらいだったかな。

     あの絵を描いたのは、A家の一人息子ですよ。そう、僕の曽祖父。

     H家に婿入りした曽祖父でしたが、結婚後、エキノコックス症になってしまいましてね。まあ、エキノコックスには相当前に感染していたと思いますけど。潜伏期間が10年にもなるらしいですから。
     さて、ご存じの通り、当時は「奇病」だなんだと言われていた病気です。今でこそ原因が分かっているものの、当時の曽祖父はキツネの祟りをその身に受けたと思ったんでしょう。現に、曽祖父以外のA家の人間は「奇病」に侵されたのですから。
     曽祖父はA家跡地に残された祠を熱心にお参りし始めました。
     わざわざ祠の近くに引っ越してまでね。
     その姿——黄疸の出た肌を布で隠し、キツネの祀った祠へ向かう曽祖父を見て、曾祖母は何を思ったでしょうね。A家の業を曽祖父は話したのか、黙っていたのかは分かりませんが、曾祖母は曽祖父が亡くなるまで連れ添ったそうです。
     エキノコックスは人から人には伝染りませんから、それだけが救いでしたね。

     そして、曽祖父が亡くなる直前に描き上げたのが「●●●池の絵」です。

     A家は家人が一人、また一人と「奇病」に侵され始めると、それをキツネの祟りだと思うようになりました。
     人は「わからないもの」に恐怖を覚えます。自分たちの病気が何なのか、原因が分からず、ただ弱って死に逝く家族を眺め、いつ自分の番が来るのかと恐怖する。頼りの医者も匙を投げてしまった。なりふり構っていられず、縋りつけるものに縋りたかったのだと思いますよ。
     仏でも、神でも。
     その中で、A家はキツネを祀り上げて、祟りを鎮めようとしてしまったんです。
     これが、今でもG公園にある祠の正体です。

     ほら、悪霊なのに祀られてる存在っているじゃないですか。藤原道真とか、平将門とか。災いを沈める為に神様として祀られてますよね。同じように、祟るキツネを神様にして、祟りを鎮めようとしたんですよ。

     それが、いけなかった。

     祀った本人たちは空襲で死んでしまいました。許してくれと自己満足のために祀り上げて、キツネたちを神様にした挙句、今度は勝手にいなくなって誰もお参りに来ない。あたりまえですね、A家が造り上げた神様なんですから。信仰者はA家しかいません。
     ですが、相手が人なら人の道理が通るところ、相手は動物です。人の道理や言葉なんて通用しません。
     祀り上げてしまったのなら、神として祀り続けるほかありません。
     恨みが晴れるまで、許されるまで。何年かかろうとも。

     再びA家跡地にやってきた曽祖父を神様は逃がしませんでした。
     引っ越して、祠の近くで暮らすようになってから、A家の血を継ぐ曽祖父は毎晩悪夢に魘されるようになりました。
     皮を剥がされ真っ赤な姿になった何百、何千、幾匹ものキツネが「皮を返せ」と曽祖父を囲んで吠えたてる、そんな夢だったそうです。

     …つまりは、祠から離れてさえすれば、曽祖父は神様からの影響を受けずに済んだと言えるでしょう。エキノコックス症の症状が出るまでは普通に暮らしていたようですから。
     ああ、エキノコックス症の発症については、祟りなのかはわかりません。戦争から帰ってきて暫くA家で暮らしていたようですから、その際に感染したとすれば、必然ともいえます。

     話を戻します。
     神様は祠の近くにいないと人に影響を及ぼせない、それほどに力の弱い存在だったのです。なぜなら、神格化されたキツネには何の逸話もありません。ただの毛皮を剥がされた哀れなキツネです。人間によって檻に閉じ込められ、無残に殺され、毛皮を剥がされた挙句、ゴミのように打ち捨てられた存在なんです。
     それを悟った曽祖父は、もっと神様に力を与えて、神格を高めようとしました。位の高い神様になれば、人を祟るなんてしないはずだと思ったのでしょうね。人より高みにいる存在が、ちんけな人間、それもA家という血筋の人間だけを恨み、私怨で祟るなんて、と。

     そうして、曽祖父はA家跡地を神のおわす【聖地】にしようと苦心し始めました。

     都合のいい解釈ですよ、まったく。仏の顔も三度撫でれば腹立てるという言葉を知らないのかな。慈悲深い仏様ですら、腹を立てることがあるのに。それこそ人知の知りえない神様なんて何を考えているかわからないでしょう。
     西洋の一神教ならまだしも、日本の神様ですよ?さっきも言いましたが、助けを求めたら助けてくれるから祀るんじゃない、祟られないために祀るんですよ、この国の神様という高位存在は。

     んで、曽祖父はある時●●●池がかつて三日月湖であったことを知り、凄惨な歴史を持つ一方で、「聖地」と呼ばれる土地と知った。
     人が亡くなっている場所なのに「聖地」と呼ばれているなんて。だったら、A家跡地も「聖地」になれるはずだ。そう、思ったんじゃないですかね?
     そして、〝池をすり替えて描く〟ことにしたんです。
     絵は得意だったみたいですよ。絵葉書なんか、よく描いてたみたいですね。何枚か祖父から見せてもらったことがあります。
     写真は加工や捏造が難しいから、自分でどんなふうにでも描ける絵画をA家跡地の【聖地】昇華の礎としたのです。
     こうして生まれたのが「●●●池の絵」というわけ。

     幸運なことに、曽祖父はあの商業施設の経営者と知り合いでした。そして寄贈に至ったわけです。この偶然の幸運も、神様の思し召しだったのかも、なんて。

     絵なんて、興味がなかったら漫然と見て、タイトルを流し見して終わりですよね?だから、この絵を見た人は「ああ、この池は●●●池っていうんだ。ふ~ん。」って感じで、そこに描かれたのはA家跡地にある三日月湖なのに●●●池と認識されるってわけです。
     そうして【聖地】という認識を横取りした。
     この地域って学生の時に、開拓の歴史とか○○の人たちの暮らしや文化について学ぶんですよ。僕は●●●池が資料集に載ってた記憶がありますね。授業で読んだ時、いろんな意味でインパクトあったんで。でもやっぱり、池の形まで覚えている人なんてほぼほぼいませんよ。観光地の池でも特別有名な池でもないんで。そのあいまいな記憶を都合よく利用しようってワケです。
     得られる認識はスズメの涙くらいだったかもしれませんけど、全く知らない人がいない、というわけでもなかったみたいなんですよね。

     此処までの話だと、そんな回りくどい事しないで、認識を増やすなら絵に「聖地」って題名付ければいいじゃんってなりますよね?
     でも露骨に「聖地」って題名につけても、また違う誤認が生まれてしまう可能性がありました。お寺や神社が描かれている絵ならまだしも、池の絵ですからね。何の聖地?何か創作物の舞台になったとか?って、何(なんら)かの発祥とか作品の舞台とかを意味する聖地としてとらえられる可能性が少なからずあった。
     それに、欲しいのは「実際に神様がいる土地」という認識で、言葉の意味だけの認識では意味がない。

     そんな中で、一握りの人間が【聖地】を認識する。たったそれだけでいいんです。
     神様の姿や名前を思い浮かべる必要はありません。
     神様のいる場所だと思えばいい。
     だって、僕たちはあの存在に名前を付けて呼んでいませんでしたから。

    「神様」と呼んでいるのです。

    「神様」という呼称だと、漠然と「神様」=神と認識できるわけですね。
    【聖地】という認識を僅かでも取り零さないようにするために、裾野を広げる目的です。

     でも、曽祖父のこうした思惑が現実のものとなり、さらに副作用まで引き起こすなんて。曽祖父自身も思わなかったでしょうね。
     ま、その絵は祟られている本人が書いた【聖地】の絵ですから。
     神様が宿っても不思議ではないと思います。

     そうして【聖地】の礎としての一枚の絵画は、図らずも神様が「皮」を見つけるための祠になったのです。
     最初に気に入った「皮」は、商業施設の経営者の孫娘でした。
     祖父がスクラップにしていたので、当時の新聞記事は僕も読みました。最初は猟奇的な殺人だと思いましたが、その後、似たような死に方をしている人たちが見つかり、確信しました。
     皆、衣服を奪われ、全裸で、皮膚を剥がされていました。
     神様が気に入ったのでしょう。

    「神様」は【●●●池の絵】のおかげで、少しずつ力を得ています。
    祠を介して、自分で「皮」を取り返しに行くことができます。

    ●●●池の絵が、不用品のサイトに出品されたのも神様の思し召しですよ。そして、あなたが絵を引き取ったのもね。
    神様は、他所の土地でも「皮」を探したいと仰せなのです。

    足りないんです。

    僕も絵を描きます。
    油絵は触ったことないので、自分の得意分野で描きます。
    祠をたくさん作ります。

    あなたが絵を引き取ってくれてよかった。
    絵について調べてくれてよかった。
    この文章を書いてくれてよかった。
    新しい形の祠を作ってくれてありがとう。
    これから一緒に、神様の為に頑張りましょうね。

    ほんとうに、ごめんなさい。
    でも、足りないんです。

    どうですか、お気に召しましたか?




    春暁社 月刊異聞袋 2022年5月号掲載モキュメントホラー小説
    「とある池の絵の曰くについて」 後日談

    春暁社 月刊異聞袋 
    2021年8月号~2022年4月連載モキュメントホラー小説
    「とある池の絵の曰くについて」 

     これは我が編集部の記者——Aが【とある池の絵の曰くについて】という企画書を提出し、モキュメントホラー小説として執筆した後、不可解な失踪を遂げるまでの一部始終をその場にいたBの証言をもとに【とある池の絵の曰くについて 後日談】として書き起こし、作品を補完するものである。
     編集部では、警察の捜査と並行してAの行方を独自のルートで捜索しているほか、これを読んでいる読者の方々に情報の提供を呼びかけたい。
     
     以下は、Aが失踪する直前の様子である。

     Aがいなくなった。
    「●●●池の絵」という曰く付きの絵を取材対象とし、実際に調べたことをもとに自身の考察を加えながら、モキュメントホラー小説という形で文章を構成、Aはそれを1週間ほどで書き上げて、編集部にデータを送ってきた。
     その後、なぜかAは会社にも来なければ、連絡もつかない状態になってしまったのだ。
     今までAは無断で欠勤したことはないし、執筆後、急に追加の取材に行くという報告も受けていない。Aの面倒を入社当時から見てきた先輩のBは、無断欠勤の翌日に、様子を見に行くとAの自宅に向かった。

     Bは近くのパーキングエリアに車を停め、マンションへ徒歩で向かう。
     Aの自宅はごくごく普通の単身者向けマンションだ。新しくも古くもない、平凡なマンション。階段を上がり、BがAの部屋の前に辿り着く。インターホンを鳴らす。が、扉の向こうからは何の音も聞こえない。Bがドアノブに手をかけて回すと、すんなり回ってドアが開いた。鍵がかかってないようだった。Bは何者かに押し入られた可能性が脳裏に浮かび、鍵穴やドアを確認したが、壊されたり無理矢理こじ開けられた痕跡は見当たらない。
     ひとつ深呼吸をして、Bは恐る恐る扉を開けた。
     玄関にはAがいつも履いている靴がある。廊下は薄暗く、各部屋に繋がるドアも閉ざされていて、奥の部屋の様子はここからでは確認できない。

    「A、おい。いないのか。入るぞ。」
    Bは声をかけてから中に入った。ひんやりとした空気に身震いする。窓でも開けているのだろうか。それと同時に、なにか生臭いような、例えるなら動物のような、そんな臭いがする気がした。そして奥から、かすかに泣き声のようなものが聞こえる。
    「…A?いるのか?」
    嫌な予感がする。
    Bは緩慢な動きで、声の発生源へ向かう。廊下の一番奥、リビングルームに繋がるであろうドアに向かう。静かに、ゆっくりと中を窺いながら開けた。
     
    そこには、パソコンが置いてあるデスクの前、床に蹲るAがいた。
    「A!」
    Bはすぐさま駆け寄るが、Aの様子がおかしい。肩を揺さぶるが、頭がぐらぐらと首の座っていない子供のように揺れるだけで、こちらに何の反応も示さない。
    Aは頭を抱え、くぐもった泣き声を漏らしている。

    「ごめんなさい、ごめんなさい。返します、返します、返します。」
    「おい、しっかりしろ!一体どうしたんだ⁉」
    「かわをかえしますから。わたしがてつだいますから。」
    「かわ?何言って…。」
    「だから、もうなかないでください…。」

     何を言っても返事をしないばかりか、意味不明なこと呟き続けるAにBは恐怖を抱いたが、Aに一体何が起こっているのか、その原因を確かめようと手掛かりを求め部屋を見渡す。
     すぐに、ベランダが目についた。
     小さなベランダには1枚の油絵らしき絵画が置いてあった。抽象画なのだろうか、赤と緑の絵の具がまだらに混ざっているように見える。
     …いや、表面の絵の具が剥げているのか。
     どうやら、絵を描いたその上に、違う絵を重ねて描いたらしい。上層には何らかの風景画、池のある風景画だ。いたって普通の風景画に隠されていた物を見て、Bは絶句した。  
     下層に描かれていたのは、真っ赤な生き物だった。
     筋組織が丸見えで、ところどころに黄色い脂肪がくっついている。赤い筋肉と白い筋が鮮やかなコントラストを生み出して、吐き気がするほどに生々しい。
     これは、毛皮を剥がされた、何らかの生き物だ。
     なんでこんなおぞましい絵が、風景画の下から出てくるんだ。
     Bは思わず後ずさって目を背けようとするが、瞼を失い、頭蓋骨の眼窩にはめこまれた瞳がこちらをじっと見つめていて、目を逸らしたら絵の中から飛び出してくるのではという恐怖に苛まれる。

     暫く絵から目を離せずにいたが、Bは意を決して絵からAに視線を戻した。Aはうずくまってうわ言を繰り返すだけだったが、ふと、Aの後ろのパソコン画面が何かの作業中のままであることに気が付いた。自分も日頃仕事で使っている文書制作ソフトが立ち上がっている。画面には編集部に送ったのであろう原稿が表示されている。題名には「とある池の絵の曰くについて」とある。「●●●池の絵」という絵について調べ得た情報や、取材内容の記録、これらをもとにした自身の絵についての考察が差し込まれた小説のような文章だ。
     特に怪しいことはないが、この「●●●池の絵」というのはベランダに置いてある絵の事だろうか。確かに、池の絵が描いてある。描いてあるが、その下には異質な生き物の絵が隠されていて…。
     この絵は一体何なんだ。

    この絵のせいで、Aはおかしくなったのか?
     
     まさか、そんなことが本当にあると?Bは半ば自嘲するかのように口角を歪に上げた。いくらオカルト雑誌記者とは言え、調べた曰く付きの物品に本当に呪われましたなんてあるわけないし、聞いたこともない。
     Aはついこの間まで普通だった。何の変わった様子もなかった。面白いものを見つけたから○○○へ取材に行ってくると言い、取材から帰ってくると、そのまま企画書を書いて、通ったので原稿を書くと報告があって。2日前に完成した原稿が送られてきて、次の日会社に来なくて、それで今日……。
     
     BはAを部屋から引きずるように連れ出してマンション前の歩道に座らせる。
     その時、ちょうど帰宅してきたのであろうマンションの住人、50代ほどの女性と鉢合わした。女性がびっくりした表情でAとBを交互に見て「大丈夫ですか」と声をかけてくれる。Bは車を取ってくるからAを少しの間見ていてほしいと頼むと、女性が快諾したのでBは全力でパーキングエリアまで走り、小銭を精算機に突っ込んで車をマンションに横付けした。女性の手を借りながらAを後部座席に座らせると、女性が困ったように眉を八の字にしてこう言う。

    「…あの、こんな時に申し訳ないですけど。たぶん、部屋にペットいますよね。何日か開けるなら、誰かに世話を頼んだ方がいいと思います。置き去りになんてしないでくださいね。」
    「…え?ペット?あ、いや…いなかったと思いますけど…。飼ってるなんて聞いたことないし。」
    「ええ?でも、最近鳴き声がすごくて。まるで子供の泣き叫ぶ声みたいな。最初は本当に子供かと思ったんですけど、チャッ、チャッて、フローリングに爪が当たる音がしたから犬?かと。別にペット禁止のマンションじゃないですけど、これは度が過ぎるから管理会社に言おうか迷っていたところなんですよ。本当にいないんですか?」
    「はあ…。さっき部屋に入った時には見かけなかったです。でしたら、またあとで見に来ます。すいません、今は急ぎますので。」
    「あっ…ごめんなさい。……お大事になさってください。」

     医師の診察を受けたAは統合失調症の疑いがあり、現状、幻覚や妄想といった症状が強く出ている為、入院することになった。
     
    そしてその翌日、Aは病院から忽然と姿を消したのである。

    Aは一体どこに行ってしまったのか。
    Aをこのような状態に貶めた原因は何なのか。

    残念ながら、我々はただのオカルト雑誌の編集部で、医学や心理学の知識は皆無だ。
    故に我々は、我々の専門分野でA失踪の真実を追求する。

     
    この池の絵と、赤い生き物の絵を知っている方、いませんか。



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