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Photo byhiyorimibiyori

「迷ったら…」

    #創作大賞2026 #エッセイ部門
     
     私はうつ病である。これだけ聞くと、「今まで大変だったんでしょう」と読者の皆さんは思うかもしれない。たしかに大変だった。うつ病は大学4年時に発症。大学院に進んだところで半年の休学。しんどかった~。それでも「しんどかった」の後に、軽く「~」を付けるのが私。今となってはよき(悪き?)思い出と思っている。

     私の場合は「罪業妄想」という症状がひどく、身の回りに起こる全ての悪いことを自分のせいだと思い込み、見えない何かに土下座して泣きながら謝り続けていた。バカでしょう?いいんです、私もバカだったなと思いますから。それが発作的に起こる。だから、毎日、寝ている間以外は自分にびくびく。いつ発作が起きるかわからない。発作が起きて、全てに謝り倒す時間がいつ訪れるか。そんな嫌な待機時間あります?できることなら、私は、母が作る特製カレーができるのを待つような、父が仕事帰りに気まぐれに「アイス買ってく」と連絡をくれて、帰宅を待つような、おばあちゃんがストーブで焼いてくれる干し芋の焼き上がりまでの時間のような、そんな素敵なものを待つためのワクワクした時間を過ごしたかった。うつ病患者が陥る、「死にたい」という思いにも何度も直面した。どんなに穏やかな時間を過ごしていても、心の奥底のベースには「死にたい」がある。私の場合は少し変わっていて「殺されたい」という気持ちが常にあった。死ぬ勇気はなかった。だけど、死にたい。だからいっそ殺してくれ。そんなことを何度も思った。実際に自分でも死んでみようとした。お風呂の湯船に頭まで浸かった、充電器のコードで首を絞めた、手首を切った。死ねなかった。みなさん、人間意外と丈夫です。

     そんなうっすら死にたいベースの私が、楽しさを見出したのはヘアカラーチェンジ。当時、大流行していたカラーバターという商品を使ってせっせと髪色を変えていた、紫、緑、青、ピンクなどなど…ひとりエレクトリカルパレードかい!と思わんばかりの色。ディズニーランドばりに家族には髪色で夢を見せていた。今、思えば、変わりたかったのかもしれない。自分を抜け出したい、そんな思いがあったのかもしれない。今後、自分はどこへ行くのか、どうなっていくのか、この苦しさから抜け出せるのか。今苦しいのは病気のせいだと言い聞かせても、頭では分かっていても、心は分かってくれない。そんなもどかしさ。心よ、早く分かってよ。自分は大丈夫だって言いたいよ。言えない。ごめんね、お母さん、お父さん。そんな気持ち。口には出せない、まぜこぜの思いを瞬間瞬間に変えていく自分の髪色で表現していたのかもしれない。

     ヘアカラーチェンジ以外は、うつ病患者らしく(?)家でもそもそとイモムシのように過ごしていた。朝はゆっくりと起き、母の作ってくれた朝食をのそのそと食べる。その後は母の買いものに付き添ったり、だらだらとスマホを見たり…完全くそニート。病院には行っていたし、あとカウンセリングも受けていた。病院の先生は「精神科の先生って外活動あるんですか?」と聞きたくなるような、よく灼けた肌に白い歯の優しいおじさん先生。あまりその先生との思い出はないけれど(おい)、いい先生だったな~という思い出だけはある。
    そんなこんなで暮らしている私が心理師になることを決めたのは高校生のとき。忘れもしない、高校1年生、もう少しで2年生になろうかという冬。友達が自殺した。保育園から一緒だったもはや幼なじみだった子。高校が離ればなれになって、あまり連絡をとらなくなったね。久しぶりに聞いた君の情報が
     
    「死んだ」
     
    という情報。全身から血の気が引いた。血の気が引くって言葉はよく聞いたことがあったけれど、本当に血の気が引く時って、血管の中の血が「ザッ」て音を立てるんですよ。私は血が奏でる音をあの時初めて聞いた。高校生の自殺なんて格好のニュース。当時はけっこう話題になった。高校のクラスメイトから「一緒の学校だったんでしょ?どんな子やったん?」と興味半分で聞かれる疎ましさ、担任から掃除の時間中に「大丈夫か?」と一言だけ聞かれて、「大丈夫じゃねーよ」と思っても、「大丈夫です」としか言えない自分の弱さ、外の世界の何もかもが辛かった。色がなかった。自分だけ現実から切り離されたようだった。何もしなくても勝手に涙が出てきた。何度も何度も泣いた。立ち上がれないと思った。それでも襲い来る日常生活。耐えた。友達の思い出を優しい羽毛にくるんで、その上から固い殻で覆って、出てこないように、自分だけが割れるようにして、心の隅っこには置いておくけど、見ないようにして、耐えた。そうすると、人間、時間もあったのだと思うが、日常生活を送れるようになるもので、3年生になった。進路を決めなければならない。その時に、なんで友達が死ななければならなかったのか、なんで死んでしまったのか、知りたい、分かりたい、と思った。そうして、心の専門家である、心理師を目指した。心理師を目指した本当の理由は周りには言えなくて、濁しながら今までやってきた。しかし、人を助けたいとかそういうことでなくて、私の場合はただのエゴ。友達の影を追いかけているのだ。

     こうして振り返ってみると、私の人生は「死」と近くにあった。「死」が近くにある人生なんて、一般的に見れば嫌なものなのかもしれない。私だって、こんなに「死」が近くにある人生なんて辛い、と何度思ったかしれない。しかし、ある時、「10年前の自分に声をかけられるならなんて声をかけたい?」という質問を見たときに私は「これから辛いこともあるかもしれないけど、迷ったら生きるほうを選びなさい」とスラスラと書くことができた。この時、「私って、ここまで生きてきてよかったって思ってるんだ…」と自分で自分に驚いた。人生って本当に辛い。何度生きるのやめようと思ったか分からない。けど、そんな私でも、まだ生きたいって思ってる。人間、案外しぶといし、目の前に楽しみがあったら「やった、生きよう」と思うものなのかもしれない。実際、私は今日、夜、彼氏と居酒屋に行くのが楽しみで今、生きようと思えてる。そんなもんでいい。目の前のうっすらとしたちょっとしたわくわくで生きていこう。もう一度言う。人間、意外と丈夫です。しぶといです。迷ったら、生きるほうを選んでみてください。私の経験が皆様の生きるほうを選ぶ一因となることを願って、私は今日、焼き鳥を食べに行く。

     
     
    こんにちは。日常に目を向けたエッセイを書きます。よろしくお願いします。

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