「すごいね」と言われるために、人は働いてきた――仕事から消えた“幼稚園児みたいな喜び”


職人の誇り。

仕事へのこだわり。

プロとしての矜持。

こういう言葉を聞くと、なんだかずいぶん立派なものに感じる。

でも最近、もしかしたらその正体は、もっと単純なものだったんじゃないかと思うようになった。

幼稚園児が、少し難しいことをできるようになって、

「見て見て!」

と大人を呼ぶ。

鉄棒ができた。 絵が上手に描けた。 積み木を高く積めた。

そして、

「すごいね」

と言われる。

あの瞬間の喜びと、職人が長い修業の末に難しい仕事を完成させたときの喜びは、実はそんなに違わないのではないか。

人間は大人になると、それを「誇り」とか「仕事への情熱」とか、少し格好いい言葉で説明する。

でも根っこの部分では、

「できないと思われていたことができた」
「自分だからできた」
「それを誰かが見て驚いてくれた」

それが嬉しかっただけなのかもしれない。

たとえば、昔の職人仕事にはわかりやすい難しさがあった。

こんな細工はできない。 この形は削れない。 この映像表現は難しい。 この機械ではここまでしか精度が出ない。

そこに職人が挑む。

試して、失敗して、また試す。

そして最後に、

「こんなことできるんですか」

と言われる。

その瞬間に、仕事が完結する。

重要なのは、単に「できた」ことではない。

誰かに、その凄さが伝わることだ。

自分だけが満足していればいい、という人はもちろんいる。

でも、たぶんほとんどの人間はそうではない。

どれだけ高度な技術を身につけても、誰にも見られず、誰にも理解されず、誰にも驚かれなければ、どこか虚しい。

逆に、ものすごく難しいことをやり遂げたあとに、

「え、これどうやったんですか」

と言われるだけで、何日もの苦労が報われたりする。

職人のプライドとは、案外そんなものだったのではないか。

ところが今、この「すごい」が成立しにくくなっている。

技術が進みすぎたからだ。

昔なら何日もかかっていたものが一瞬でできる。

10年修業しなければできなかった加工が、機械なら再現できる。

何十時間もかけて描いていたものを、AIなら数秒でそれらしく出せる。

すると見る側は、

「すごいですね」

ではなく、

「それ、今ならできますよね」

と言うようになる。

これが結構大きい。

やっている本人にとっては、ものすごく難しいことかもしれない。

裏側には膨大な知識や工夫があるかもしれない。

でも、受け取る側からすれば違いが見えない。

「AIでできるんじゃないですか」 「ソフトでやってるんですよね」 「機械がやってくれるんでしょう」

そう言われた瞬間に、自分が積み上げてきた技術と、目の前の成果とのつながりが見えなくなる。

昔は、

難しいことをやる
↓
結果が出る
↓
周囲が驚く
↓
自分も満たされる

という回路があった。

今は途中に技術が入る。

難しいことをやる
↓
結果が出る
↓
「それ、今は普通にできますよね」
↓
終了

この差は大きい。

しかも企業や組織の中では、さらにその傾向が強くなる。

「属人化をなくしましょう」 「誰でも同じ品質を出せるようにしましょう」 「標準化しましょう」 「再現可能にしましょう」

経営としては、どれも正しい。

一人の職人にしかできない仕事よりも、誰でも一定品質を出せる仕組みの方が会社は安定する。

ただ、少し意地悪に言えば、

組織が目指している理想状態は、「あなたじゃなくてもできる状態」でもある。

そこに、人間のやりがいとの小さな衝突がある。

人は効率化されたい一方で、

「自分じゃなきゃできない」

とも思いたい。

楽になりたい一方で、

「こんなことまでできるようになった自分」を誇りたい。

誰でもできるようになってほしい一方で、

「あなたはすごいですね」

とも言われたい。

これは矛盾している。

でも、人間とはたぶんそういうものなのだと思う。

だから今、仕事から何か大切なものが抜け落ちている感覚があるのではないか。

給与でもない。 労働時間でもない。 福利厚生でもない。

もっと幼稚で、もっと原始的なものだ。

「見て見て」
「できたよ」
「すごいね」

というやり取りだ。

私たちは大人になると、この欲求を少し恥ずかしいものとして扱う。

「褒められたいから仕事しているわけじゃない」 「プロなら自己満足ではなく成果を出すべきだ」 「承認欲求で働くのは幼い」

そう言う。

でも、本当にそうだろうか。

むしろ、この幼稚園児のような感情が、ものすごい技術や文化を作ってきたのではないか。

「そんなの無理だよ」

と言われたから、やってみたくなる。

できたら誰かに見せたくなる。

驚いてもらえたら、もっと難しいことをやりたくなる。

その繰り返しが、職人を育て、技術を進歩させてきた。

だとすると、技術の進歩が奪いつつあるのは、単に仕事ではない。

「難しいことを自分の力でやり遂げ、それを誰かに認めてもらう」という、人間にとってかなり根源的な快感なのかもしれない。

だから最近、仕事にやりがいを感じない人が増えたとしても、単純に「仕事がつまらなくなった」だけではないのだと思う。

できないことが減った。

できても驚かれなくなった。

頑張っても、成果の裏側が見えなくなった。

その結果、

「すごいね」と言われる場所が、仕事の中から少しずつ消えている。

便利になった。 効率的になった。 誰でもできるようになった。

それはもちろん素晴らしい。

でもその一方で、人間は案外、誰でもできないことをできるようになる過程に幸せを感じていたのかもしれない。

そして最後に誰かから、

「それ、すごいですね」

と言われる。

仕事のやりがいなんて、実はそんなに高尚なものではない。

案外私たちは、幼稚園の頃からずっと同じことを求めて働いているのだと思う。

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