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エビの話をしてもいいですか

    エビの話をしてもいいですか。

    私の母は65歳のとき、グリオーマという脳の癌にかかった。にじむように広がっていく、厄介な癌だった。

    「嫌だわ、ゴルフに行けなくなっちゃう。」
    なんて言っていたのも束の間、あっという間に話せなくなった。

    入院の手続きで看護師さんに「お名前は?」と聞かれても、 母の口からはひと言も出なかった。


    あの年の夏は、やけに暑かった。

    感情を表すこともできなくなった母は、ついには私のこともわからないように見えた。
    お医者さんからは『覚悟してください』と告げられた。
    癌が発覚してからまだ1ヶ月も経っていなかった。

    進行を少しでも遅らせる手術をしてもらえることになり、もう好きなものも食べられなくなるかもしれないと思って、デパ地下でお寿司を買って病室へ向かった。

    ぼんやりした顔で淡々とお寿司を食べ続ける母。
    私も同じように、ぼんやりとその様子をただ見つめていた。

    すると突然、母がお寿司を一つ、ひょいと私に差し出してきた。

    エビだった。

    息が止まるかと思った。

    私は子どもの頃からエビが大好きで、お寿司は全部エビでもいいくらいだった。町の小さなお寿司屋さんに連れて行ってもらって、お皿の上に並ぶエビの尻尾の数を見て、母は大笑いしてたっけ。

    もう私のことは映っていないと思っていた母の目に、
    確かに私はいた。
    そのエビを食べながら、私は泣いた。


    実はあの日、白くて眩しいデパ地下をぐるぐる何周も歩いても
    母が何を好きだったのか、ちっとも思い出せなかった。
    何十年も一緒にいたのに。

    そして「とりあえずお寿司なら」と買った私。
    なのに、母は私の好きなものをちゃんと覚えてくれていた。
    あれから何十年も経っていたのに。


    母は手術のあと、抗がん剤を勧められた。
    けれど治療が始まると、母は目を開けることすらできなくなった。

    私は母を、半ば無理やり地元のホスピスへ連れて帰った。

    金木犀の香る静かな病室で、母は少しずつ起き上がれるようになっていった。髪はすっかり抜け落ちてしまっていたけれど。

    機械音のない時間が私たちを包んでいた。


    ある日、お見舞いを終えて「また来るね」と立ち上がった、その瞬間

    母が突然、顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。

    ずっと無表情だった母が。
    人生で一度も見たことのない母の泣き顔だった。

    「大丈夫だよ、泣かないで。大好き。お母さんの娘でよかったよ。」

    それが、母に伝えた最後の言葉になった。

    あの日、母が差し出してくれたエビのお寿司。
    あれが言葉を失った母の、精一杯の「大好き」だったのだと思う。
    だから私も、返したかった。

    あれから私は、お寿司のエビを食べていない。



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    家族でジョージア🇬🇪に移住し、暮らすような海外を経験。現在は、大人が「自分の足で自由に、生活に触れる旅」を楽しむための個別サポート(カスタマイズ・リサーチ、セカンドオピニオン)を行っています。あなたの「こんな旅がしたい」を一緒に形にするお手伝いをします。

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