なにものでもない
只今、求職中。
人は日常生活の「義務」から一歩離れると、驚くほど簡単に堕落する。
ずっと布団から出ず、寝てばかり。お風呂に入るのさえ億劫だ。外に出ようと思えるのは、財布に余裕があって食べたいものを買いに行けるときか、あるいはハローワークの認定日だけ。行かなければ手当がもらえないという、最低限の強制力だけが私を社会と繋ぎ止めている。
そんな、時間だけが残酷なほど有り余っているとき、自分自身と向き合う瞬間が否が応にも迫ってくる。 自分には何があるのか。これからどこへ向かいたいのか。 履歴書の空白を埋めるための「御社で貢献したいこと」という借り物の言葉ではなく、心の底から「本当にやりたいこと」は何なのか。
その答えの断片は、意外なほど近くに落ちていた。 埃を被った古いノート。学生時代、私は詩を書いていた。誰に見せるでもなく、ただ自分の内側から溢れる言葉を、形にせずにはいられなかったあの頃。言葉は私の呼吸であり、自分を肯定するための唯一の方法だった。
20代の時に、機会が訪れ書き溜めた詩を自費出版することができた。が、
燃え尽き症候群。本という形にできたことに満足だった。
社会に出て、いつのまにか武器を置いた。好きだった読書からも離れていった。活字から距離を置いたのだ。
けれど今、何者でもなくなった空白の時間の中、あの頃の熱が微かに蘇るのを感じる。 私は、また書きたい。自分の言葉で、誰のためでもない、けれど誰かに届くかもしれない何かを。それが小説なのか、再びの詩なのか、あるいは全く別の形なのかは、まだ見つかっていない。答えの出ない問いを抱えながら、私は今日も、重い布団の中で自分を模索し続けている。手元には、新しく買った一冊のノート。 まだ一行目も書けていないけれど、この空白は、履歴書の空白よりもずっと、希望に近い気がしている。