
6月6日
今日は6月6日。こういうふうに数字が並ぶ日は、何かの日であってほしい。記念日でも、昔からの言い伝えでも、ただの語呂合わせでもいい。なんでもない日付なのに、少しだけ意味ありげに見える。カレンダーで見ても、スマホの画面で見ても、なぜか目に止まる。ただの数字の並びにすぎないのに、こちらが勝手に意味を探したくなる。
それで、6月6日と聞いてぼくが最初に思い浮かべたのは、オーメンだった。昔のホラー映画の、あの『オーメン』である。6月6日はオーメンの日だったような気がした。だけど、そう思った理由がうまく思い出せない。本当にそういう日だったのかどうかも、じつはよくわからない。ただ、ぼくの頭の中では長いこと、6月6日とオーメンが妙に強く結びついていた。
こういう残り方は少し不思議だ。ぼくは『オーメン』をちゃんと見ていない。怖いものがあまり得意ではないせいか、たしか途中でやめてしまった。どこまで見たのかも覚えていないし、何がそんなに怖かったのかも曖昧である。にもかかわらず、6月6日という数字だけは残っている。映画の内容はほとんど思い出せないのに、日付だけが沈まずに残っている。
たぶん、6という数字の並び方がよかったのだろう。よかったというのも変な言い方だが、記憶に引っかかる形をしている。6月6日。6時。666。そういうものがどこかで混ざったのかもしれない。映画そのものを理解したわけではなくても、不吉そうな数字の並びだけは残った。でも、なんで不吉なのか。666。そうか、宗教がらみだ。たぶん。でも無宗教だから、ぼくにはいまひとつぴんとこなかっただけかもしれない。意味はよくわからなくても、形だけは残る。人は案外そういうふうに覚えるのかもしれない。話の筋より、名前の響きや数字の並びのほうが長持ちすることがある。
最近になって、そのことをまた思い出したのは、たぶん動画配信サービスの画面のせいだ。『グッド・オーメンズ』というタイトルを見かけた。もちろん『オーメン』そのものではない。グッドがついているのだから、少なくとも少しは様子が違うはずだ。けれど、ぼくの頭の中では、その二つはずいぶん近い場所に置かれている。『オーメン』と『グッド・オーメンズ』。言葉の響きが似ているせいもあるし、どちらもどこか終末めいた空気をまとっている気がする。そのへんが、ぼくの中では雑にひとまとめになっているのだと思う。
それで少し気になって、ほんのさわりだけ見てみた。すると、エデンの園が出てきて、リンゴを食べる話になった。ああ、そういうところから始まるのか、と思った。たしかに天使と悪魔の話なのだから、まっとうと言えばまっとうである。けれど、ぼくはその時点で少し食傷気味になってしまった。作品が悪いというより、エデンの園とかリンゴとか、そういう「いかにも最初に置かれそうなもの」に、すでに少し疲れていたのだと思う。入口としての神話的な小道具には、思ったほど乗れなかった。
だから見続けるかといえば、今のところは微妙である。ものすごく嫌だったわけではない。むしろ、天使と悪魔が地球に愛着を持っていて、世界の終わりを止めようとする、という筋だけ聞けば、少しおもしろそうでもある。けれど、今すぐ続きを見たいというほどでもなかった。暇だったら見るかもしれない。そのくらいである。少なくとも、今日のぼくはそこまで引っぱられなかった。
こういうところにも、自分の興味の向き方が出ている気がする。6月6日と聞いてオーメンを思い出す。けれど『オーメン』はちゃんと見ていない。『グッド・オーメンズ』が気になって少しだけ見てみる。けれど、冒頭のエデンの園で少し満腹になる。見たいのか見たくないのか、自分でもよくわからない。気になるのは作品そのものというより、そこにくっついている言葉や数字や、昔の記憶のほうなのかもしれない。
6月6日が本当に何の日なのか、正確なことはもう調べた。でも、ぼくの記憶には残らなかった。そういう事実よりも、ぼくの中ではまだオーメンのほうが強いらしい。たぶん次にこの日付を見たときも、また同じことを思い出すのだろう。映画の内容は忘れても、6月6日。6時。666。そういう並びだけはまた先に浮かぶ気がする。このままいけば、ぼくにとっての6月6日は、オーメンの日で終わりそうだ。