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ep.11コレを書こうと思ったきっかけ

    毎週土曜日
    カフェの台所から
    60代のふりかえり料理帖を
    書いていこうと思います


    私の人生の料理帖
    ep.11これを書こうと思ったきっかけ



    2年前、母が亡くなった。
    要介護ではあったが、突然のことだった。
    最近はぼちぼち実家で遺品整理をしている。とにかくモノが多くて時間がかかる上、私の知らなかった母の内面みたいなモノが出てくると手が止まる。


    先日、ずいぶん前の手帳が出てきた。
    何を書いているのか……。
    毎日の献立や、何かで見たレシピなど、日々の食事に関することがたくさん書いてあった。
    魚を煮た。
シチューを作った。
アロエの効能。
    母の几帳面な性格を垣間見た。
    戸棚の薬草の本にも、びっしりインデックスが貼られている。

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    中でもアロエは長い間愛用していた。
    「あんた、また外からアロエば取ってきとって。
お母さん、便秘になったらアロエが一発で効くけん」
    車椅子生活になってから、何度も言われたセリフだ。



    10数年前、母は脳梗塞の麻痺により料理はできなくなった。
    もちろん父は何もできない。
    そこからずっと宅配弁当のお世話になることになる。
    二人とも無言で食べていたが、徐々に「美味しくない」と言うようになった。
    中でも母は魚が嫌いで、
    「臭い!」
    と言って、お酢をかけたりして食べていた。
    父は魚が大好きだ。
    昔から父は、いつも標本のようにきれいに骨だけを残す。
    母は、
    「こげんきれいに食べんしゃーとよ」
    と私に見せ、このくらいきれいに食べなさいというお手本にしていた。
    母も魚を残したりしていなかったし、父に合わせて魚を仕方なく料理していたのか。
歳をとって嫌いになったのか。
    聞いてみると、
    「弁当の魚が好かん」
    だそうだ。



    私は毎日、人様のご飯を作る仕事をしているのに、両親の食事までは作れない。
    今でもそのジレンマは、思い出すと胃のあたりがキューっとなる。
    毎週実家に帰る時は、宅配弁当を休みにして、あれこれ作ったものを持って帰ることが精一杯だった。

    父は最後、自宅で看取り介護となり、訪問看護のお世話になった。
    寝たきりで、全て人の手を借りる。
    食事もお粥食になり、トロトロのものしか食べられない。
    それでも介護用のレトルトのお粥やレトルトのおかず、栄養価の高いプリン状のデザートなど、今は市販の介護食がいろいろある。
    お茶にもコーヒーにもとろみをつける。
    美味しいものではない。
    誤嚥を防ぐため、仕方ない。
    とろみが不自然でないのは、
    おかゆ。
コーンポタージュ。
桃味のネクター。
甘酒。
    スムージーもバナナ多めでトロトロにして、毎朝飲んでいた。
というか、食べていた。


    日々、食べたり食べなかったりだが、食事の量や排泄、些細なことまでノートに記録し、ヘルパーさん、看護師さん、私や兄の間で共有していた。
    ノートに「完食」の文字を見ると嬉しかったし、書いた人の安堵の様子まで目に浮かぶ。
    実はこのノートを処分する事ができないでいるのだ。
    そろそろ捨てようとパラパラめくると目頭が熱くなりまた棚に戻してしまう。



    父の最後の日の前の晩。
    遅い時間にカスタードクリームを作って帰った。
    「食べる?」
    と聞くと、うんとうなずき、ペロリと食べた。
    次の日の朝食も完食。
    ノートに「完食」と記入。
    ところが昼から食べなくなった。
    亡くなったのはその夜。
    最後の最後まで食べたのだ。


    毎日毎日、食べた、食べなかったと気を揉んでいた日々が終わった。


    食べることは生きること。


    介護から、しみじみ考えさせられた。

    食事。
    生きていくための食。
    いろんな好みやこだわりがある中、元気なら何を選び、何を食べるのかは自由だ。


    私はどうだろう。

     
     

    あぴ

     
     
    脱サラして20年 現在小さなごはんカフェを営んでいます いま還暦を迎えていろいろ振り返りたくなりました 毎日作る料理のルーツは?食事とは?食べるとは?人生の食を掘り返しながらの料理帖エッセイを書いてみようと思います

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