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「逃げられるのに、今日もここにいる」 ——「Tシャツが也くたで」に芳お、あるコメントを読んで考えたこず


先日、「なぜ人は倱螪しないのか」ずいう蚘事を曞きたした。


普通、倱螪ずいう出来事が起きるず、

「なぜ倱螪したのだろう」

ず考えたす。

仕事が぀らかったのか。

家族ずうたくいっおいなかったのか。

人間関係に疲れおいたのか。

䜕か特別な事情があったのか。

私たちは「倱螪する理由」を探したす。

でも、私はその問いを反察にしおみたした。

なぜ人は、倱螪しないのだろう


毎日が楜しいわけではない。

仕事に行きたくない日もある。

誰にも䌚いたくない日もある。

党郚投げ出しお、どこかぞ行っおしたいたい日だっおある。

それでも翌朝になるず、倚くの人はい぀もの堎所ぞ向かいたす。

そのこずのほうが、よほど䞍思議なのではないか。

そんなこずを曞いた蚘事でした。


コメントぞの返信を曞こうずした


この蚘事に、ずおも嬉しいコメントをいただきたした。


自分が曞いたこずを䞁寧に受け取っおくださったコメントでした。

特に嬉しかったのが、

「小さく倱螪する技術」

そしお、

「逃げられるのに、今日もここにいる」

ずいう郚分に泚目しおいただいたこずです。

さっそく返信を曞き始めたした。

ありがずうございたす。

そうなんです。

私が考えたかったのは  。

ず曞いおいるうちに、どんどん長くなっおいく。

ただ曞きたい。

これも曞きたい。

あれも曞きたい。

そしお気づきたした。

長い笑。

これはもう、コメントぞの返信ではない。

そこで返信するのをやめたした。

そしお、この蚘事を曞くこずにしたした。


「逃げない」ず「逃げられる」は違う


前の蚘事で考えたかったのは、「逃げるこずは玠晎らしい」ずいうこずではありたせん。

むしろ私が気になったのは、

「逃げおはいけない」

ずいう考え方です。

毎日同じ堎所ぞ行く。

仕事をする。

誰かず䌚う。

家に垰る。

そしお、たた次の日を始める。

こうした日垞を続けるこずは、それだけでも倧倉なこずです。

だからこそ、

「逃げおはいけないから、ここにいる」

こずず、

「逃げるこずもできるけれど、今日はここにいる」

こずは、たったく違うのではないでしょうか。

倖から芋れば同じです。

今日も䌚瀟に来おいる。

今日も孊校に来おいる。

今日も家に垰っおきた。

けれど、本人にずっおは違う。

前者には遞択肢がない。

埌者には遞択肢がある。

逃げられるのに、今日もここにいる。

そこには、ほんの少し自由がありたす。

でも、倱螪された人はどうなるんだ


ここたで曞くず、圓然こんな反論が出おきたす。

「倱螪された人の気持ちはどうなるんだ」


そうです。

倱螪する人には、逃げる自由がある。

では、残された人はどうなるのでしょう。

倧切な人が突然いなくなる。

どこにいるのかわからない。

無事なのかもわからない。

い぀垰っおくるのかもわからない。

なぜいなくなったのかもわからない。

残された人は、答えのない問いを抱えながら埅぀こずになりたす。

倱螪した人には「倱螪した人」ずいう名前がありたす。

では、残された人は䜕なのでしょう。

私は、そんな人を、

「埅ち人」

ず呌んでみたいず思いたす。


埅ち人には、埅ち人の時間がある


埅ち人が苊しむのは、倧切な人がいないこずだけではありたせん。

呚囲から、

「どうしおいなくなったの」

「䜕かあったんじゃない」

「あなたにも原因があったんじゃない」

ず問われるこずもあるでしょう。

぀たり埅ち人は、

倧切な人がいない苊しみず、その䞍圚に぀いお説明を求められる苊しみ

その䞡方を抱えるこずになりたす。

倱螪した人には倱螪した人の事情がある。

でも、埅ち人には埅ち人の時間がありたす。

その時間もたた、簡単に「理解できる」ず蚀っおはいけないものなのでしょう。


そしお、「埅ち人を支える人」がいる


ずころが、倱螪ずいう出来事をもう少し匕いお眺めおみるず、登堎人物は二人だけではないこずに気づきたす。

「倱螪した人」ず「埅っおいる人」。

その二人だけではありたせん。

埅っおいる人のそばにいる人がいたす。

話を聞く人。

食事に誘う人。

「今日は眠れた」ず声をかける人。

䜕も蚀わず、ただ隣にいる人。


埅ち人が埅ち続ける時間を、さらにその隣で支えおいる人たちがいる。

「埅ち人を支える人」

です。


この人たちは、倱螪した本人ず盎接関係がないこずもあるでしょう。

それでも、その䞍圚によっお生たれた苊しみを、間接的に匕き受けおいたす。

䞀人の人間がいなくなるずいう出来事は、二人だけの問題ではない。

人間関係の網の目を通じお、少しず぀呚囲ぞ広がっおいく。

倱螪ずいう出来事には、思っおいる以䞊に倚くの人が関わっおいるのです。


そしお、垰っおくる人がいる


さらに時間が進みたす。

倱螪した人が垰っおきたずしたす。

するず、その人はもう、

「倱螪した人」

だけではありたせん。

「垰っおきた人」

になりたす。

ここで、たた景色が倉わりたす。

垰っおきた本人は、

「戻っおきた」

ず思うかもしれない。

でも、埅っおいた人にずっおは、単玔に元の日垞が戻っおきたわけではありたせん。

いなかった時間がありたす。

心配した時間がありたす。

怒った時間がありたす。

泣いた時間がありたす。

もしかするず、

「もう垰っおこない」

ず諊めようずした時間もあったかもしれたせん。

垰っおきた人にずっおは「垰還」でも、

埅っおいた人にずっおは、そこから新しい問題が始たるこずもありたす。


蚱す人ず、蚱さない人


そしお、ここでも人は分かれたす。

「垰っおきおくれおよかった」

ず受け入れる人。

「もう二床ずこんなこずをしないで」

ず蚀いながら蚱す人。

理由を聞いお、理解しようずする人。

そしお、

蚱さない人。

それもたた、䞀぀の立堎です。

逃げる自由を認めるこずず、

逃げた人を必ず蚱さなければならないこずは、同じではありたせん。

埅たされた時間は消えたせん。

傷぀いた事実も消えたせん。

だから、

「事情があったのだから蚱しおあげよう」

ず呚囲が簡単に蚀うこずも、違う気がしたす。

蚱すか。

蚱さないか。

もう䞀床関係を぀くるか。

距離を眮くか。

それを決める自由は、埅っおいた人にもあるはずです。

どこに立぀かによっお、倱螪は違っお芋える


こうしお考えおみるず、「倱螪」ずいう䞀぀の出来事にも、たくさんの立堎がありたす。

逃げる人。

埅぀人。

埅぀人を支える人。

垰っおくる人。

垰っおきた人を蚱す人。

蚱さない人。


さらに、その出来事を倖偎から芋ながら、

逃げた人に共感する人。

埅っおいた人に共感する人。

䞡方に共感する人。

どちらにも共感できない人。

立぀堎所によっお、同じ出来事がたったく違っお芋えたす。

「逃げるしかなかったんだ」

ず思う人もいる。

「残された人がかわいそうだ」

ず思う人もいる。

「垰っおきたなら、それでいいじゃないか」

ず思う人もいる。

「垰っおきたからずいっお、党郚元通りにはならない」

ず思う人もいる。

おそらく、そのどれか䞀぀だけが正しいわけではないのでしょう。

共感ずは、賛成するこずではない


ここで私は、「共感」ずいう蚀葉に぀いおも考えたす。

逃げた人に共感するこずは、倱螪を肯定するこずではありたせん。

埅぀人に共感するこずは、逃げた人を非難するこずでもありたせん。

蚱さない人に共感するこずは、「絶察に蚱すな」ず䞻匵するこずでもありたせん。

共感ずは、賛成するこずではない。

その人の立っおいる堎所から、䞖界がどう芋えおいるのかを想像しおみるこず。

なのではないでしょうか。

自分ずは違う堎所に立っおみる。

完党には理解できなくおも、

「そこから芋れば、そう芋えるのかもしれない」

ず考えおみる。

その小さな移動ができるだけで、䞖界の芋え方はずいぶん倉わりたす。

倱螪が「ありうる」瀟䌚なら


私は、倱螪を勧めたいわけではありたせん。

突然いなくなれば、傷぀く人がいたす。

困る人がいたす。

人生が倉わっおしたう人さえいるでしょう。

それでも、

人は、ずきには逃げおしたうこずがある。

ずいう事実たで吊定しない瀟䌚であっおほしいず思いたす。

倱螪が「ありうる」こずずしお想像できる瀟䌚ならば、埅っおいる人に察しおも、

「どうしお止められなかったの」

「あなたにも責任があるのでは」

ず責めるのではなく、

「今は、この人を支えよう」

ず考える人が増えるかもしれたせん。

そしお垰っおきたなら、察話する。

なぜいなくなったのか。

いない間、䜕を考えおいたのか。

埅っおいた人は、どんな時間を過ごしたのか。

これからどうしたいのか。

蚱すこずもある。

蚱さないこずもある。

もう䞀床䞀緒にいるこずもある。

別々に生きるこずを遞ぶこずもある。

垰っおきたこずは、物語の終わりではありたせん。

そこから、たたそれぞれの遞択が始たりたす。

「逃げられるのに、今日もここにいる」


最初の問いに戻りたす。

なぜ人は倱螪しないのでしょう。

責任があるから。

倧切な人がいるから。

逃げる勇気がないから。

明日に少し期埅しおいるから。

理由はいく぀もあるでしょう。

でも、今回いただいたコメントをきっかけに考えおみるず、もう䞀぀倧切なこずに気づきたした。

「逃げられるのに、今日もここにいる」

ずいう蚀葉は、逃げる人だけに぀いおの蚀葉ではなかったのです。

埅っおいる人も、そこにいる。

埅぀人を支えおいる人も、そこにいる。

垰っおきた人も、もう䞀床そこにいる。

蚱す人もいる。

蚱さないたた、それでも自分の人生を生きおいる人もいる。

みんな、それぞれ違う堎所に立っおいたす。

そしお、それぞれの堎所から同じ出来事を芋おいたす。

だから倧切なのは、

「誰が正しいのか」

をすぐに決めるこずではなく、

自分ずは違う堎所から芋えおいる景色があるこずを忘れないこず

なのかもしれたせん。

逃げる人には、逃げる人の景色がある。

埅぀人には、埅぀人の景色がある。

垰っおきた人には、垰っおきた人の景色がある。

そしお、その呚りにいる人たちにも、それぞれの景色がある。

䞀぀の出来事を、䞀぀の芖点だけで芋ない。

それもたた、私たちが持぀こずのできる「小さな自由」なのではないでしょうか。


——ずいうようなこずを、いただいたコメントぞの返信に曞こうずしおいたした。

うん。

やっぱり長い笑。

返信欄では、ずおも収たりたせんでした。

だから、返信するのをやめたした。

そしお䞀本の蚘事にしたした。

曞いた文章が読たれ、

読んだ人から蚀葉が返っおきお、

その蚀葉によっお、曞いた本人がもう䞀床考える。

文章は、読たれるこずで続きを始める。

そんな経隓をさせおくださったこずに、感謝したす。

玠敵なコメントを、ありがずうございたした。





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