
お年頃の思うこと
まず前提として本書は高校生の視点に沿って
書き上げている。
朝日が顔を照らす、起き上がるのがめんどくさい。
いやこれは常々思っていることなのだが、
あぁ、母が呼んでいる。
こうも他人に、しかも母親に言われると
気が滅入ってしまうのは何故だろう。
思春期とはそういうものだろうか。
いまいち、思春期というものが分からない。
一応大人と子供の中間と定義されているが、
大人を知らないから分かりようがない。
私達にとっては、今の自分が1番大人なのだ。
..…こういうところが、思春期なのだろう。
思春期と言えば何を思い浮かべるだろうか。
恋愛?学業?スポーツ?
どれもこれも言い得るだろう。
なぜこう気になる歳なのか。他人が気になる。
それは恋愛でも友情でも。ましてや家族。あるいは
先生。
私の場合、怒られることに敏感になる。
理由は単純。嫌だからだ。
否、怖いのだ。
怒られるということは、期待していたものが
出なかったとき。思い通りにならなかったときだ。
そう、人はそうなってしまうと、失望する。
失望とは、自分への期待を捨てられること。
私はそれが1番怖いのだ。
可笑しいだろう。怒られる行動を取ったくせに
いざとなっては怯える始末。
醜いだろうか。真面目だろうか。
それとも、優しいだろうか。
私には分からない。これも思春期だからだろうか。
ときに、恋とはなんだろう。
愛し会う関係?
だが思春期の恋はすぐに破綻する。
それは、所謂マンネリ化というやつだ。
ここから少し重たい話をしよう。
人の1番の罪はなんだろうか。
環境破壊?犯罪?
違う違う。当たり前を自覚しないことだ。
別に誰も環境破壊をしたらダメとは言われてない。
強盗をしたらダメと言われていない。
それは人間が自分たちで作り上げた、
「ルール」に過ぎない。
よって人間はそのルール。己に課した己を縛ることをするだけで十分思い込む節がある。
しかしそれは大きな間違いだ。
なぜ違うのだろうか。先ほど言ったように、
当たり前を自覚しないことの何が罪だ?
いつも通り。それが当たり前なのだから
別に良いじゃないか。
甘い。じゃあ次に、
人が1番恐れることはなんだと思う?
それは当たり前を失うことだ。
不謹慎極まりないが。誰かが亡くなるとしよう。
その人の身の回りの人はいつも通りを亡くす。
するとどうだろう。後悔をして泣き出した。
なぜ後悔するの?
ーもっと、多く話していれば.…
ーもっと思い出を作っていれば..…
もしかして、これは自業自得なのだろうか。
先程言ったように。後悔するなら、
毎日を当たり前のように受け流さなければ良かったではないか。
そうすれば、たくさんの思い出も、想いも、
伝えられた。
残酷だと思うか?しかし、事実だ。
そしてこれを偉そうに語る私も。愚かだ。
朝が鬱陶しい?母が起こすのが気に食わない?
それがいつ無くなるかは保証できない。
なのに何をほざいているのだ。私は。
怒られるのが嫌?
私を叱ってくれる人がいつ居なくなるのか
分からないのにか?
叱ってくれなきゃ、世界は広がらないのに。
すぐに別れる?マンネリ化?
ふざけるな。私達が恋愛をできることすら
尊いのだ。それを自覚せずにやれ「蛙化した」
やれ「愛を感じない」。
馬鹿馬鹿しい。
愛を感じないとか蛙化とかは、一緒にいることが
当たり前になって、その人に素面を見せることが
多くなったという紛れもない距離が縮まった証明
ではないか。
.…まあ、合わないなと思ったら別れるのは吉だが。
なぜならその人に時間を割かれるからだ。
嫌なのに時間を割かれる。
それは当たり前を奪われ続けること。
だから別れるべきだろう。
話をまとめると、
当たり前というのはいつも手が届く訳では無い。
一瞬にして奪われる。泡なのだ。
そしてその泡は消えては増え。消えては増える。
勿論、大切に手の上に乗せてもいつか消える。
それは運命でもある。
ショックが大きいだろうが、それを乗り越えるのも
また人生。
そして思春期とは、その泡が大量にあふれ出る時期
なのだろう。
管理しきれなくなったときに、いつか気づく。
自分の心が溢れ出て止まらないことに。
そしてすっからかんになって気づく。
当たり前とは、大事なのだと。
そして大人としてまた泡を吹くのだ。