
音をのこす
#創作大賞2026 #エッセイ部門
昨年の年末、朝刊のお悔やみ欄を見ていたら、思わぬ名前を発見しました。
七四歳、男性で住まいは隣町、横山何某さんの通夜と告別式の案内です。もしやと思い、前年のピアノ調律をしていただいた時の領収書を確認しました。同じ住所に同じお名前。ああ、やはり調律師の横山さんだ。
七四歳と言う年齢は今ではまだまだ生きていてほしい歳です。まさか、あの横山さんが、と信じられない気持ちでした。
春になったらまた調律をお願いしよう、きっと元気に車を運転してやって来てくれるはずだと信じ切っていました。一年前のお仕事が最後になるとは思いもできないことでした。
出会い
娘と息子にピアノを弾いてもらいたくて、新築した時、一階のホールにピアノを設置しました。息子は二年間のお稽古で脱落。高校まで続けていた娘は受験を期にピアノから遠ざかり、大学院進学を契機にホールのピアノはひとりぽつねんとたたずむ存在になりました。
弾く人がいなくてもピアノは調律しなければなりません。調律しないピアノは音が狂って、いざ演奏をしたくなっても、放ておかれた時間の長さだけ調整が難しくなります。
この調律にかかる費用はバカになりません。 うちのピアノは中古で求めました。以前の持ち主が購入後、まったく弾かないまま、三十年間、部屋の片隅にひっそりと置かれていた代物です。きれいな木目調のアップライトのピアノでした。中古ピアノの販売店で娘が一目ぼれして手に入れた逸品です。販売業者のひとが二年おきにやって来て調律をしてくれましたが、調律費用が高くて、同僚のひとに、高いのよ、とこぼすと、
「あら、うちで頼んでいるところは、仕事は丁寧で料金もリーズナブルよ。紹介しましょうか?」
と言うことで頼むようになったのが、横山さんです。私たちよりも上の世代で、お孫さんがいて、礼儀正しくて、いつもきちんとしたお仕事ぶりで、いい方を紹介してもらってよかった、よかったと喜んで、十数年が経ちました。
二年おきに、調律の時期になると、お電話をいただきます。
「そろそろ調律の時期になりますが、いつ頃がよろしいですか?」
こちらの要望を伝えると、わかりました、と応えたり、あっ、その日は孫の運動会があるので別の日でもいいですか、と言ったり、優しいおじいちゃまの顔が垣間見えました。
ある夏など、ホールに通じる居間のエアコンが壊れてしまい、暑い中のお仕事で汗を流しながら頑張っていただきました。
私は退職後、誰も弾かなくなって寂しそうにたたずむピアノがかわいそうで、そして小さい頃、オルガン教室に通うクラスメイトがうらやましくてならなかった思い出が甦って、私はピアノ教室に通いだしました。毎日三十分練習をしていると話すと、
「それはいいことです。弾かないとピアノは音が悪くなってしまいますからね。ここの音が少し狂っていたので直しておきました」
と言って、鍵盤をポーンと叩いて見せます。
作業が終了すると、私の元同僚の近況を教えてくれたり、結婚相手を探しているひとの話をして何処かにいいひとはいないでしょうか、と話したり、のんびりとした横山さんのいる空間は心地よかったです。
最後のおしごと
一昨年の五月、横山さんはいつものようにやってきました。一通りお仕事を終えると、
「このピアノはとてもいいピアノですよ。こんなにいいピアノはなかなかありません。これからもいい音を出してくれますよ」
と話してくれました。
我が家の玄関の上がりかまちには、体を支えるバーが設置してあります。それまで横山さんはバーに手をかけることはありませんでした。その日、横山さんは初めてバーに手をかけて言いました。
「このバーはいいですね。この歳になると助かりますよ」
横山さん、お歳を召したのかしら、とちょっと心配になりましたが、日常の忙しさにかまけて、横山さんはまだまだ若そうだから大丈夫、大丈夫と、バーに手をかける姿を心から追い出しました。
調律をしていただいたピアノは新しいエネルギーを貯めたようにとても元気そうです。雨上がりの水滴がキラキラと輝いて、葉っぱの上を転がるような軽やかな、やさし気な、それでいて澄んだ音を朝な夕なに奏でます。横山さんの調律のおかげで私のピアノの演奏までが上手に聴こえます。
我が家の生活のなかに横山さんのおしごとはちゃんとした形でその居場所を占めていました。
この歳になると大切な方とお別れをする機会が増えてきます。あのひとと最後に会ったのはいつだったのか、最後に交わした言葉は何だったのか、私はあのひとに何を伝えることができたのか、そしてあのひとが人生をかけて取り組んできたことは何だったのか。
たくさんの疑問が心に蓄積していきます。そのひとつひとつに答えを探すことが最近の習慣になってきました。
今放映中の朝ドラの主人公は悩みます。
「何のために生まれて、何のために生きるのか?」
私たちは生まれて来た喜びと命を与えられた感謝を他者に伝えたくて、生きているのではないかと思います。だから、そのひととの出会いを感謝するのが残されたものの役割なのかなと思います。
音をのこす
初夏になったら新しい調律師のかたを迎えなければなりません。でも、横山さんがやってきたお仕事は我が家の生活の中でなくてはならないものでした。我が家の空間に、私たちの心に、今もその音は響いています。横山さんの作る音は確かに横山さんの物だったのです。
あたたかくて、律儀で、自分の仕事に誇りをもって、いつも変わらない姿勢で生きて来たに違いないひとがいたことを知ってもらいたくてペンをとりました。そして、私もこの文章を読んでいてくださる皆さまも、そんな生き方をしているのだと思います。
調律が終わった時、横山さんは誇らしげに嬉しそうに言います。
「弾いてみてくだい。
これからもこのピアノはいい音を出しますよ」