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サンタさんは呼び捨てできない

    私は、人のことを呼び捨てするのが苦手だ。

    厳密に言うと、できないわけではない。

    しかしそれをすると少しむずがゆくなる。

    だからこそ私に呼び捨てされている人は誇っていい。

    気兼ねのない間柄だということの
    これ以上ない証明なのだから。

    私は、多くの人に”さん”を付ける。

    これに含まれる意味は、敬称の意味だけじゃない。
    単なる装飾だったり、間を埋める為の物だったりの側面もある。

    そうした”さん”付けを私はしている。

    そんな中で特に”さん”を
    外すことができない人物が存在する。
    正確には存在するというか、
    存在していてほしいというか、
    そんな曖昧な境界にその人はいる。

    誰もが知るその人の名は、サンタクロースだ。

    存在を知ってからは、
    ずっとサンタさんと私は呼んでいる。

    初めて”さん”を付けた相手かもしれない。

    当時”ちゃん”や”くん”しか敬称を知らなかった
    私に新しい概念をその人はプレゼントしてくれた。

    子供心を置いてけぼりにすることは、
    寂しいに違いない。

    小学生も折り返しに差し掛かった頃から、
    そう感じている。

    二十年以上生きてなお、
    その気持ちは、中々無くならない。

    それどころか年齢を重ねれば重ねるほど、
    その想いは増していく。

    特にクリスマスの時期が近づくと、
    その想いは強まる。

    幼い頃、サンタさんはいると信じてやまなかった。

    でもいつからか薄っすらと、
    周りの夢のない冷めた子供たちが
    サンタさんの正体について
    ある一つの説を唱え始める。

    「サンタの正体は親だ」という、
    誰もが辿り着く真理。
    そうした情報源は、大体ネットか兄・姉である。

    そこから伝聞した話をませたガキどもは、
    喜々として純粋な私へと踏み込み、
    耳元へと置いていく。

    そんな言説を聞いた私は、
    否定したいが、否定しきれないままでいた。

    最初はそんなはずはない。
    サンタさんはいるのだと
    確固たる自信を持ち、信じ切っていた。

    そんなはずはないと思いながらも、
    日に日にその疑いは晴れるどころか
    暗雲として立ち込めた。

    いつしか説は、事実へと移り変わり、
    純粋だった私もまた、ませたガキどもの
    仲間入りを果たしてしまった。

    クリスマスが近づいたある日。

    私は親にこんな疑問を投げかけた。

    「友達が言ってたんだけど、
    サンタさんっていないの?」

    親がサンタさんなのかどうかまでは
    踏み込めなかった。

    これを聞いた親は、
    子の情操教育によろしくないと思ったのだろう。

    こう返答を済ませて、話を終わらせた。

    「いないと思うなら、
    そんな人にサンタさんは来ないんじゃないかな」

    この言葉がある限り私は、
    サンタさんはいると言い続けるしかなかった。

    もし親がサンタさんであろうとなかろうと、
    そんな考えを持っている時点で
    詰みだということを理解していた。

    それによって、
    口ではサンタさんがいると言いつつも
    内心は、いないと疑うチグハグなガキに
    成長していった。

    サンタさんに対しての考えは、根っこに
    この言葉がある種の呪いのようになっていた。

    疑いつつも、はっきりといないとは思ってもいない。

    心の中のどこかには、サンタさんがどこかにいる。

    そう信じている。
    これは、今もそうなのかもしれない。

    私とサンタさんの心温まる話でもしよう。

    あれは、確か小学二年か三年の頃だ。

    当時の私は、ゲーム機を一つも持っていなかった。
    そのおかげで、ゲームに対する憧れは
    人一倍抱いていた。

    二十四日を過ぎ、眠りから目を覚ます。
    私は、すぐに枕元を確認した。
    案の定というか期待通りと言うべきか。
    プレゼントの包み紙が、私を待っていた。

    眠気など一瞬で吹き飛び、胸を躍らせ開封していく。

    今の私だったら、邪な考えが邪魔をして
    慎重にそれこそカッターで丁寧に開けるはずだ。

    この頃の私は、そんな考えを持っていない。

    自ずと杜撰に開けていく。

    バリバリと紙を破り進め、
    今か今かと対面を待ち侘びた。

    ようやくそこには、
    3DS本体とDSのソフトが一つ同封されていた。

    最新の3DSと前世代のDSソフトという
    ギャップがあるものの、
    サンタさんは確実に
    私が欲しいと願った物を与えてくれた。

    その翌年には、当時のポケモンの
    最新版を2バージョン揃えて、贈ってくれた。

    今となっては、贅沢なもので
    ありきたりと感じてしまうかもしれない。

    だが当時の私からしたらこのゲーム機で遊ぶ時間こそ、
    かけがえのないものだった。

    今振り返ってみても大切な思い出の一つなのは間違いない。

    こんな思い出を与えてくれたサンタさんには、頭が上がらない。

    私は、未だに”サンタさん”と呼び続けている。

    二十歳を過ぎても変わっていない。

    それをやめてしまったら、何かが欠けてしまう。

    呼び捨ては、とてもじゃないができそうにない。

    していないのに、少しだけむずがゆい。

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