
そうめんが嫌いな母
私はそうめんが好きだ。
きゅうりやら薄焼き卵やらハムやら、
冷やし中華の具のようなものはいらない。
ただただ、麺があればいい。
夏に限らず、冬でもたまに食べたくなるくらいにはそうめんを愛しているのだが、
母はそうめんを好まない。
自分が好きではないものも、子どものためなら作らなければいけないのが母親である。
私の母も、『こんなものの何処が美味しいの……これだけじゃ栄養が……』とぶつぶつ言いながらも、大きな鍋でそうめんを茹でてくれていた。
大人になった今ならわかるが、
あの熱気は半端ではない。
そうめんなんて茹でるだけ、そう思っていた過去の自分を往復ビンタしてやりたい。
暑い夏の午後、クーラーも扇風機の風もそこまで届かない台所という魔界で、母は好きでもないそうめんを茹でてくれていた。
母は料理が得意な方で、そうめんは『手抜き』だという思いも無意識に抱いていたのだと思う。
だから、冒頭で述べたような具材を用意してみたり、干し椎茸や干しエビで出汁をとり、一手間かけたつゆを作ったりした。
ところがどうして、それらは子どもの私には全て気に食わなかった。
具はいらない、めんつゆも市販のものでいい、
余計なことはしてくれるな。
そんな気持ちではあったが、母にそれを伝える勇気も根性もなく、心の中で大きなため息をついていた。
『これだけじゃお腹空くでしょ。
他になんか食べる?』
『いらない』
『そんなこと言って、夕ご飯までにお腹空いてお菓子食べちゃうんだから。
昨日の残りの肉じゃが温めようか?』
『お腹すかない、大丈夫』
『ほんっとうに言うこと聞かないんだから……。』
こんな会話をそうめんを食すたびにしていたが、
これは私が悪いのか。
そうめんと共に肉じゃがなんか、絶対に欲しくない。母の作る肉じゃがが嫌いとか、昨日の残りものだからとか、そんなことはどうでもいい。
私は『そうめん』を『そうめん』のまま終わらせたいのである。
月日は流れ、私も大人になった。
実家に帰ると母が大きな鍋の前で、そうめんを茹でてくれている。
私が大好きだったそうめん。
お母さん、私もそうめん茹でられるようになったよ。もう、お湯を捨てるのも怖くないよ。
そうめんは大好きだ。
それは今も変わらない。
母との思い出の詰まったそうめん。
でも、お盆に帰った時くらいは、
出前のお寿司でもいいんだよ、
大人になった私はそう心の中で呟く。
高いお寿司が食べたい。
自分のお金ではないお金で。
母がまだまだ元気だからこそ言える、娘の戯言。