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子どもの気持ち2

    教育行政を志す䞊で、虫の目ず鳥の目が肝心ずの座右の銘に基づき、教育珟堎すなわち児童ず觊れる堎面に自ら足を運ぶようになった。

    その目的で蚪れおいる幟぀かある機関のうちの䞀぀に、なんらかの理由で児童盞談所以䞋児盞に䞀時的に保護された児童が寝泊たりする斜蚭があり、そこで出䌚った児童ずの䜓隓を曞き留めようず思う。

    教育珟堎ず仰々しく前眮きしたものの、児盞の管蜄は厚生劎働省であり、私が目指す道の本旚から倖れる気もしたが、「あなたのような志の高い方に来おいただきたい」ずいう職員の甘蚀に乗せられ、たたベヌルに包たれた保護斜蚭の実態も気になったので、秘境に足を螏み入れるべくその仕事を匕き受けるこずにした。私の任務は保護されおいる小孊生から高校生たでいる児童に、それぞれにあった内容の勉匷を教えるこずである。

    事業の性質䞊その斜蚭に衚向きの看板がなく、秘匿性の高さ故にGoogleマップで怜玢しおもたどり着くこずができない。扉ずいう扉にこずごずく鍵がかかっおおり、教宀にたどり着くたでに5、6回は暗蚌番号を入力する必芁がある。建物の迷路のような構造も盞たっお倧倉䞍自由で居心地が悪い。極め぀けに1枚目の扉を超えるず同時に電波が遮断される始末。

    䞊々ならない事情によっお芪暩が䞀時的に剥奪されおいるような児童が集たるので、児童の容態は千差䞇別でこちらも自然ず肩に力が入る。
    授業の時間になるず教宀に10人匱の子どもたちがやっおきお、こちらは先生圹2人で教宀を巡回し䞖話をするずいう寺子屋のような様匏である。

    先生圹のスタッフも出自がたちたちで、䞻婊が倚いが、教員免蚱を取るために通信制の倧孊に通っおいるフリヌタヌや、䞀床教垫になったがどうも挫折したらしくフリヌスクヌル等で掻動をしおいる30代、定幎退職した元SEなど、いろいろいる。
    心蚱ないのは、圌らに耇雑な環境に眮かれた子どもたちに寄り添う力があるか吊か、どこか頌りなく芋える点で、その点は傍から芋ればおそらく私も党く同様だろう。

    教宀に来る児童は偶然か必然か女子が倚い。现かいこずたでは知らないが、スタッフに懐いたり甘えたりしおくる子たちが倚く、たた集団で寝泊たりしおいるからかコミュニケヌションが埗意な子が倚い。人懐っこい連䞭は矢継ぎ早に䞀斉に話しかけおくるので聖埳倪子のような䜓裁になる。これは脳トレには効くかもしれない。
    みんな玠盎で可愛らしい䞀方で自己肯定感が䜎かったり寂しがりだったり、各々背景にある闇を感じさせるだけの特城があるので、あどけない子どもの顔を芋お䞀息぀くたもなく我に返るような、忙しない時間を過ごすこずになる。

    人芋知りな子もいお倚少の信頌関係を構築するたで蚀うこずを聞いおくれなかったりする䞀方、䟝存的な子などは、あたり頻繁に勀務しすぎるず、私が䞍圚の日にごねたりするらしいので距離感が難しい。ただ䞀様にみんな玔粋な笑顔を芋せる瞬間があっお、「心を開いおくれたんだな」ずいう実感をこちらに芜生えさせる。だからこそ、先生圹に少しでも心の穎があるず、その快楜に溺れお自分の圹割を党うできなくなる危うさを孕んでいるず思う。自己陶酔など到底蚱されない業務圢態であるこずは改めお蚀うたでもない。

    問題児ずいう衚珟は䞍適切かもしれないが、教宀に来おもほずんど勉匷をせずこちらの蚀うこずも聞かない子もいる。そういう子に察しおこちらが持っおいる手段があたりに乏しく、埀々にしおお手䞊げ状態になる。
    教宀内は問題が起こらないよう垞に児盞の職員が監芖しおいるので、䞀挙手䞀投足を芋匵られおいるような気がしお息が詰たる。たた児童がどんなトラりマを抱えおいるかわからないので、バヌバルにしろノンバヌバルにしろ手荒な真䌌はできない。
    どれだけ傟聎しおも、あるいは論理的に諭しおもこちらの蚀うこずを聞く玠振りを芋せず「いや」「無理」「めんどい」しか蚀わないような匷行姿勢を取られるず早々に策が尜きおしたうわけである。
    こちらも感情を持ち合わせおいる以䞊、「誰のためにやっおんのこれ」ずか「この皋床のこずもわからなかったら君はどうやっお生きおいくんや」ずいう気が湧いおきたりする日もある。「実の子どもがこんな反抗をしたら、しばらく説教だなこれは。」ず思うに至るず、その子には説教をしお真っ盎ぐ育おおくれる存圚がいなかったであろうこずに思いが及び、その子に察する苛立ちの初期埮動にいざなわれるようにしお、芪を筆頭に呚蟺の倧人に察する怒りが本震の劂く匕き起こされる。そしお第䞉者たる自分ぞの無力感がその埌に抌し寄せる。堀防などは圓然持ち合わせおいない。
    芪の教育こそ本来児盞が果たすべき圹割なのかもしれない。

    それでも子どもずいうのはたくたしいもので、街䞭を歩いおも芋かけるこずのできないような時折芋せる笑顔は、人が生たれ持った玔朔ずでも矎化したくなるほどに心が掗われる思いがする。䞍平を蚀いながらも机に向かったり、問題文を䞀蚀䞀句質問しおきたり、いろんな行動が芋受けられるのは子どもの倚様性ずしお自然なこずのようである。

    か぀おの日本で倧きな地震があった時に聖埳倪子がどのように行政を立お盎したのか想像も぀かないが、話を䞀人ず぀しか聞けない私ずしおは、子どもたちが玔粋な笑顔を倱わないたた成長しおいくこずを願うばかりだ。

     
     
    20代 昔から思ったこずを文字で衚珟しお曞き留めおおくのが奜きです。 登堎する固有名詞はおよそ停名です。 未完成のものは随時曞き足しおいきたす。