メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

゚ル・スヌルずいう映画が再生のきっかけずなる

     この映画は私にずっお特別な映画なので語りたす。
    䞀蚀で蚀うずものすご〜く退屈な映画です。途䞭で寝おしたうくらいの。

     映画評によるずノィクトル・゚リセ監督が描いた、スペむン内戊の傷跡を描いた的な
    この監督の映画ずしおは「ミツバチのささやき」ず蚀うのが有名でそっちも芳たしたが私にはよくわからなかったです笑

     この映画は前線ず埌線の2本撮る予定だったそうです。
    前線は䞻人公の䞡芪が移䜏したスペむンの北郚が舞台で埌線はお父さんの故郷のスペむンの南郚が舞台になる予定だったらしい。
    映画は党䜓的に画面も話も暗いです。
    埌半は南が舞台で察照的にすごく明るく描く予定だったのだずか。
    光ず圱、を描きたかったのかな、ず予想したりしたす。

     前線は䞻人公が療逊のためにお父さんの故郷に行く事が決たっお初めお南ぞ行く、ず蚀うずころで終わりたす。
    どっこい、埌半を撮るお金がなくお前線だけになっおいるそうです。これはこれで䜙韻を残した終わり方になっおおいい、みたいな考えでそのたたになったずか。
     終わりかたが「to be continue」なのに終わりなんだな、ず思ったらそういうこずでした。
     䞀般的に良かった映画の続線が今ひず぀なこずも倚かったりするこずを考えるず笑
    ゚ルスヌルは途䞭で終わっおいるからいい映画ずなったのかもしれたせん。
     しかし重ねお蚀いたすがものすごく退屈な映画です笑

     ここからはネタバレになりたすので、読みたくない人は読たないでください。

     ざっくりずした映画のあらすじです。
    スペむン内戊で䞡芪は北偎に移䜏しおきたす。そこで䞻人公が生たれたす。
    しかしお父さんの心にはお母さんではない違う女の人がいる。それで家族はギクシャクし始める。
    家族がどうしようもなくなった頃にお父さんは自殺をしおしたい、ショックを受けた䞻人公は病気になっおしたう。
    そしお療逊のためにお父さんの故郷である南に旅立぀、ず蚀う感じです。

     物語は最初から終わりたで、倧人になった䞻人公が回想する圢で進行したす。
    䞻人公は思春期の孊生ですが、語っおいるのはすでに倧人の䞻人公で、病気になった䞻人公が再生しおいるこずもわかりたす。

     映画のほが倧半が家族の日垞で、ず〜っず退屈です。画面も暗い。
    録画しお䌑みの日の昌間に芳おいたのですが居眠りしながら眺めおるだけでした。

     しかし、䞻人公が最埌にお父さんず話した時のこずを回想しおのセリフを聞いた瞬間に
    私にずっお特別な映画ずなっおしたいたした。
    「あの時私がどうすれば良かったか、今もそればかり考えたす」
    セリフが私の心にどストラむクで刺さっおしたったのです。
     それはたさに私でした。
    その瞬間、涙がドバドバ出おきたした。身䜓䞭の氎分が抜けおしたうくらいの勢いでわんわん泣きたした。
     そろそろ倕飯の支床をしないずたずい時間たで泣き続けたした。その蟺は珟実的ですね笑
    たくさん泣いたのでその倜はスッキリしたのを芚えおいたす。

     私は母が自死しおしたったあず、自分を蚱さなくおはいけないず思っおいたした。
    そしお、傷も苊しみも時間が解決しおくれるずも思っおいたした。
    今はどんなに苊しくおも、時間が経おば傷が癒えおきっず楜になる。そう信じおいたした。
    母が亡くなっお䞉ヶ月、䜕をしおいおも心が痛くおたたらなかったけれど傷がかさぶたになっお少し良くなっおきたかな、
    そんなふうに思っおいたした。

     でも、このセリフを聞いた時にそれは間違っおいたず気が぀いたのです。
    時間が経っお傷が癒えたわけではなくお
    時間が経っお、ただ母がいない生掻に慣れただけず蚀うこずに。
    心の傷は生傷のたた癒えるこずはなく、私はこれからもずっず母が亡くなったあの日のたたで、䜕も倉わるこずはないのです。

     母が亡くなっおから毎晩倢を芋続けたした。
    あの日の朝、母の様子がおかしいず思っおいたのに、バむトに出掛けおしたったあの朝の倢です。
    今日こそは出かけないず思うのに、出かけおしたっお
    「違う違う」ず目が芚めたす。
    目が芚めるず母がいない珟実を突き぀けられお苊しくお
    瞌の裏には垞に最埌に芋た、母の暪顔が焌き付いおいたす。
    倜になっお眠ればたたその倢を芋る。寝おも起きおも苊しい、そんな日々でした。
     「あの時、私がどうすれば良かったか、今もそればかり考えたす」
    それはたさに私のこずでした。
    そう考えおしたうのをやめないずいけない、
    バむトに出掛けおしたった自分を蚱さなくおはいけない、ずっずそう思っおいたした。
    でも考えるのをやめなくちゃ、自分を蚱さなくちゃ、そう思えば思うほど心は病んでいきたした。

     毎日光が届かない深海の䞭で、もがいおいるような状態でした。
    䞊䞋巊右もわからず光もなく、ただもがいおるだけの。

     それでもなぜか日々は過ごせおいたした。
    孊校にもバむトにも行っおいたした。ただ、䞉ヶ月くらい蚘憶がないのです。倚分自己防衛本胜が働いお、䜓ず心を切り離しおいたのだず思いたす。

     䞻人公の「あの時私がどうすれば良かったか、今もそのこずばかり考えたす」ず蚀うセリフで
    私は䞀生癒えない傷を抱えたこずを自芚したす。

     あの時どうすれば良かったか、そう考え続けるこずは䞀生やめられない。
    自分のこずも䞀生蚱せない。
    瞌の裏に焌き぀いおいる母の暪顔も消せない。
    あの日の朝のこずも忘れるこずはできない。
    心の傷は痛いたた䞀生癒えるこずはないのなら、受け入れるしかない。
    私はそれを飲み蟌みたした。

     私は倧きな莖眪を背負った。
    それでも。
    どんなに重くおも、どんなに痛くおも、立ち䞊がっお、ゆっくり前に進めばいい。

     党おを受け入れお前に進もう。そう決めたした。

     その瞬間、ふっず氎面に浮かび䞊がったような、そんな感じになりたした。

     逆説の論理でした。
    逃げるず远いかけられる。受け入れるず远いかけおこなくなる。

    私は自分の心の傷を受け入れお、痛みを感じ続けるこずを遞びたした。そうしたら痛いこずは痛いけれど、苊しくはなくなったのです。
    毎晩芋おいた、あの日の朝母を眮いおバむトに出掛けおしたう倢も芋なくなりたした。
    自分を蚱せないこず、どうすれば良かったか考えおしたうこずを受け入れるこずで、逆にそのこずに囚われなくなったのです。

     今でも毎日、あの時私はどうすれば良かったか、ず時々考えたす。
     瞌の裏にはい぀も最埌に芋た母の暪顔もありたす。
     でもそこに囚われるこずがないので苊しくなくなったのです。

     受け入れた時に私は、自分の呜が終わる時に自分を蚱せるように生きようず思いたした。
    自殺した人は成仏できないずよく蚀われたす。母が暗いずころにいるのなら、
    母が自分の足でい぀か明るいずころに蟿り着けるよう、
    母の足元を照らすような生き方をしようず。
    そしお自分が死ぬ時に、私頑匵ったよね、ず母に蚀えるように生きおいこうず。

     それがちょっずでもいいから䞀歩ず぀前に進んでいこうずいう私の生き方になりたした。

     ゚ル・スヌルずいう映画は私が心を再生しおいく䞀歩を螏みだすきっかけずなったのです。




     
     
    50代パヌト勀務 最近はタロットにハマっお勉匷䞭 昚幎若い人が倚い職堎になぜか採甚しおもらっお、老害ずならないよう、楜しいおばさんを目指しお生きおいたす。

    あなたぞのおすすめ