
「すべては、望む自分への過程だった」
人は誰でも、「こうなりたい」という理想を持って生きている。
優しい人になりたい。
誰かの役に立てる人になりたい。
自分らしく、後悔のない人生を歩みたい。
私にも、そんな理想があった。
その理想に近づくために、仕事に向き合い、人と向き合い、毎日を積み重ねてきた。
しかし、人生はいつも思いどおりには進まない。
努力しても結果が出ないことがある。
人間関係で悩むこともある。
自分の未熟さに気づかされる出来事もある。
以前の私は、そんな出来事が起きるたびに、「なぜこんなことが起きるのだろう」と考えていた。
まるで、理想の人生から外れてしまったように感じていた。
そんな私の考え方を変えてくれたのは、学生たちだった。
私は教育の現場で、多くの学生と向き合ってきた。
進路への不安。
家族との悩み。
人間関係の苦しさ。
将来への迷い。
学生たちは、それぞれ違う人生を歩み、それぞれ違う悩みを抱えている。
相談を受けるたび、私は「教師なのだから、何とかしてあげなければ」と思っていた。
悩みを解決すること。
前を向ける言葉を伝えること。
それが自分の役割だと思っていたからだ。
だから、学生の話を聞きながら、頭の中ではいつも答えを探していた。
何と言えば救えるのか。
どんな言葉なら力になれるのか。
しかし、人生には簡単に答えが出ない悩みがある。
どれだけ考えても、言葉が見つからない日があった。
私はただ、学生の話を聞くことしかできなかった。
学生が帰ったあと、一人になった教室で、自分の力不足を感じたこともある。
「私は何もできなかったのではないか。」
そんな思いが残った。
ところが、その学生は帰り際にこう言った。
「先生、話を聞いてもらえてよかったです。」
その言葉を聞いた瞬間、私は考え方が変わった。
私は何も解決していない。
答えを出したわけでもない。
それでも、その学生は少し安心した表情で帰っていった。
その時、気づいた。
人は、必ずしも答えだけを求めているわけではない。
自分の気持ちを理解してくれる人がいること。
一緒に考えてくれる人がいること。
それだけで、人は前を向けることがあるのだ。
それから私は、学生との向き合い方を変えた。
解決することよりも、まず理解すること。
正しい答えを探す前に、相手の気持ちを受け止めること。
すると、不思議なことに、その考え方は自分自身にも向けられるようになった。
私はこれまで、人生で起きる出来事を、すぐに「良い」「悪い」と判断していた。
うまくいけば喜ぶ。
失敗すれば落ち込む。
思いどおりにならないことがあると、自分を責めていた。
しかし、本当に大切なのは、その出来事をどう受け止めるかだった。
失敗には、失敗したという事実だけがある。
そこにどんな意味を与えるかは、自分で決めることができる。
そのことに気づいてから、少しずつ人生の見方が変わった。
過去には、自分の未熟さを痛感する出来事もあった。
人との信頼関係について深く考えさせられる経験もあった。
その時は苦しかった。
できれば避けたかった出来事だった。
しかし、その経験があったからこそ、信用の大切さを知った。
人との関係は、当たり前に続くものではない。
日々の言葉や行動の積み重ねによって築かれるものだと学んだ。
人生で起きる出来事は、すべて自分を成長させるための材料になる。
そう思えるようになった。
もちろん、今でも悩むことはある。
落ち込むこともある。
完璧な人間ではない。
それでも、以前のように「失敗したから終わり」とは思わなくなった。
なぜなら、その出来事も、望む自分へ向かう途中にある一つの経験だと考えられるようになったからだ。
山を登る人は、坂道をムダとは思わない。
苦しい道のりも、頂上へ向かうために必要な過程だからだ。
人生も同じなのだと思う。
私たちは、成功した瞬間だけを人生だと思ってしまう。
しかし、本当は違う。
迷った時間も。
悩んだ時間も。
失敗した経験も。
すべてが、自分という人間をつくっている。
私は今でも、理想の自分には届いていない。
これからも失敗することがあるだろう。
迷うこともあるだろう。
それでも、焦らず歩いていきたい。
今日という一日も、望む自分へ近づくための大切な一歩だから。
人生とは、完成された答えを探すものではない。
一つひとつの出来事を受け止め、自分自身を磨いていく過程なのだ。
もし未来の自分が、今の自分に言葉をかけるなら、きっとこう言うだろう。
「そういうことも、あったね。」
「諦めず、よく頑張ったよ。」
その言葉を未来の自分からもらえるように、私はこれからも歩き続けたい。
すべては、望む自分への過程なのだから。