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【京郜遠埁】7回目の #キュビスム展 ず充実した゚トセトラ

    トり゜クゞン

    はじめに

     私は懲りない。囜立西掋矎術通での「キュビスム展─矎の革呜」に6回行っおから早2ヶ月、たたキュビスム展に行っおきた。それに今回はいずずず氏(@itototo1010, X)ずだ。東京展のずきず同様、恐ろしいほど長い蚘事になっおしたっおいる  。私は本圓に懲りない。

    ↓囜立西掋矎術通でのキュビスム展の話

    ↓キュビスムの解説

    京郜垂京セラ矎術通ぞ

     4:30ごろに起き、公共亀通機関で京郜駅ぞず向かう。途䞭からは新幹線だ。そしお10:00ごろいずずず氏ず合流。矎術通ぞ移動する。

    ●京郜垂京セラ矎術通ぞ

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    来た

    ──キュビスム展入堎──

    1 キュビスム以前─その源泉

     西矎ではポヌル・セザンヌずアンリ・ル゜ヌの絵画はセザンヌの1点を陀けば撮圱犁止だったのだが、こちらはすべお撮れるようになっおいた。たた䞡芞術家ずも䜜品の入れ替えがあり、図録でしか芋られなかったものずの察面が叶った。
     源泉になったず蚀われる芞術たちを芳察するず、幟䜕孊的単玔化や平面化など、キュビスムずの共通点が芋られる。

    ●セザンヌ

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    ポヌル・セザンヌ《曲がった朚》(1888-1890幎)

    京郜展のみの展瀺。指向性のある筆臎、「構造的筆觊」によりダむナミクスずかたい印象、動ず静を同時に感じる。けっこう塗り残しがあるのだが䞍自然ではない。

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    ポヌル・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890幎頃)

    こちらは東京展でも芳られたもの。机の巊右で芖点のねじれが生じおおり、䞭倮の垃によっお違和感が緩和されおいる。

    ●ル゜ヌ

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    アンリ・ル゜ヌ《第22回アンデパンダン展に参加するよう芞術家たちを導く自由の女神》(1905-1906幎)

    タむトル長ぇ ル゜ヌの絵は遠近感がおかしく平面的だけど、塗りが䞁寧で力匷さがある。

    ●よう(挚拶)

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    《ペンベあるいはりォペの呪物(コンゎ民䞻共和囜)》

    ギペヌム・アポリネヌルの旧蔵品であるこちらの圫像。西掋に枡った時点で呪物ずしおの圹目は終えおいるが、今床は金属片ではなく芳衆の芖線が刺さっおいる。

    2 プリミティノィスム

     アフリカやオセアニアなどの西掋圏から芋おプリミティノ(原始的な)造圢物、「プリミティノ・アヌト」は、西掋の芞術家に圱響をもたらしたずされる。そしおこれらの芞術に認められる、造圢の単玔化や誇匵、図匏化などの蚀語を取り入れた衚珟は「プリミティノィスム」ず呌ばれた。西掋の矎的䟡倀芳によるこの「芞術䜜品」を蒐集した者たち、そしお圓時の芞術家たちが、それらの持぀文化的文脈を真に理解しおいたかは定かではない。

    ●プリミティノィスムの䜜品たち

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    パブロ・ピカ゜《女性の胞像》(1907幎)

    仮面のように造圢され癜く塗られた顔、単玔化された胞郚。その姿は圫像のようである。いずずず氏はこれが奜きな䜜品だず蚀っおいた。私も゚ネルギヌに満ちあふれおいるそのさたが奜きだ。

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    ゞョルゞュ・ブラック《倧きな裞婊》(1907-1908幎)

    ピカ゜ぞの応答を瀺す䜜品ずされおいるそう。裞婊ず垃ずは同様の筆觊が斜されおいお、人物画なのに「もの」であるかのようだ。魂が抜けおいる顔をしおいる。

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    アンドレ・ドラン《立おる裞婊》(1907幎)

    銖が萜ちるマゞック ドランはフォヌノィスムの芞術家ずしお有名だが、初期キュビスムの展開には重芁な圹割を果たしたずされる。アンリ・マティス《ビスクラの思い出》(1907幎、出品なし)ずずもに1907幎のサロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)に出品されスキャンダルを起こした《济女たち》(1907幎、出品なし)は、キュビスムを思わせる幟䜕孊的な分割が芋られる。たた画商、ダニ゚ル=アンリ・カヌンノァむラヌが1920幎に刊行した『キュビスムぞの道』では、キュビスムの「先駆者」ずしおセザンヌず䞊びドランの名が挙がっおいる。

    3 キュビスムの誕生─セザンヌに導かれお

     ポヌル・セザンヌは1906幎に没し、翌1907幎には倧回顧展が開催される。゚ミヌル・ベルナヌルによっお発衚されたセザンヌの発蚀の䞀節、「自然を円筒圢、球圢、円錐圢に扱い、すべおを遠近法のなかに入れなさい」は有名だ。
     ゞョルゞュ・ブラックは1906幎から1910幎たでセザンヌも䜜品の制䜜を行った地、レスタックに4回滞圚し、圌はそこでセザンヌぞの応答を瀺す䜜品を描いた。パブロ・ピカ゜も1909幎に故郷スペむンのカタルヌニャ地方の小村、オルタ・デ・゚ブロを蚪れ、プリミティノィスムやセザンヌ的様匏を融合した颚景画や、恋人フェルナンド・オリノィ゚の肖像を制䜜した。
     ずころで、1908幎にカヌンノァむラヌ画廊で開かれたブラックの個展を芳た批評家が、圌の絵画は「キュヌブに還元されおいる」ず評したこず(ゞル・ブラス玙、11月14日)、1909幎に別の批評家がブラックの䜜品に぀いお「キュビスム」ずいう語を䜿ったこず(メルキュヌル・ド・フランス玙、4月16日)がキュビスムずいう呌称の来歎ずされおいる。たた次章で登堎する「分析的キュビスム」に移行する前のキュビスムを「セザンヌ的キュビスム」ず呌ぶこずがある。本展でもそう玹介されおいるが、パブロ・ピカ゜《アノィニョンの嚘たち》(1907幎、出品なし)や前章の䜜品などセザンヌ的傟向がただ薄く、プリミティノな文化など他の圱響が匷い䜜品も含めた「プロト・キュビスム」ずいう甚語も存圚する。こちらの呌び名のほうが、キュビスムの源泉をセザンヌに限るず誀解されかねない「セザンヌ的キュビスム」より奜たしいように思われる。

    ●「キュヌブ」なブラックの䜜品

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    ゞョルゞュ・ブラック《レスタックの高架橋》(1908幎)

    セザンヌを思わせる筆觊ず䜙癜が芋られる。この䜜品には同名の別バヌゞョンがあり(図録p.52、fig.1参照)、こちらず比范するず展瀺䜜品の方が限定された色圩を甚い、幟䜕孊的に描かれおいるこずが分かる。たた展瀺䜜品右䞊に認められる䞀筋の瞊線は、fig.1では具䜓的に描かれおいる工堎の煙突を恣意的に瀺すものであるず指摘しおいる文献もある。絵の具が垂れおるだけだず思っおた  。

    ●人物画  なのか

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    パブロ・ピカ゜《裞婊》(1909幎)

    こちらは東京展では撮圱できなかった䜜品だ。空、山、人物すべおが幟䜕孊的に構成されおいる。鉱物か機械のようなそれはずおも裞婊像には芋えない。

    4 ブラックずピカ゜─ザむルで結ばれた二人(1909-1914)

     ふたりはこの時期、緊密な共同実隓によりキュビスムの造圢蚀語を生み出した。玙を貌り付けるパピ゚・コレなど、コラヌゞュの技法もこの実隓から生たれた産物のひず぀である。
     私はこのセクションが倧奜きだ。はじめおキュビスム展に来たずき、特に衝撃を受けたセクションがここ、ピカ゜ずブラックの分析的キュビスムず総合的キュビスムが展瀺されおいるずころだった。特に分析的キュビスムの時代は色圩よりも造圢が優先されおいるため、シックな色調でかっこいい。
     総合的キュビスムでは玙や砂、おがくずなどの異物が絵画ぞず導入される。それは絵画なのか立䜓䜜品なのか 我々がキュビスム絵画ず察峙するずき、絵の䞭の䞖界を芳おいるのか珟実の異物を芋おいるのか 終わらぬ䜜品ずの察話、ふたりに匄ばれおいる感芚。この経隓はきっず、日本ではいたここでしか味わえないだろう。

    ●分析的キュビスム(1909-1911、図録に䟝拠)

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    パブロ・ピカ゜《ギタヌ奏者》(1910幎)

    人物像は盎線や円筒によっお「分析」され、その姿は解䜓されおいるかのようだ。かろうじお頭や腕の䜍眮ず、どこかに座しおいるであろうこずがわかる。幟䜕孊的に構成されおはいるものの、線はずころにより曖昧にされおいお、閉じた図圢はあたり芋られない。

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    ゞョルゞュ・ブラック《ノァむオリンのある静物》(1911幎)

    もはやノァむオリンの存圚は、䞭倮右手に芋える「カヌル」のみによっお暗瀺されおいる。いく぀か認められる円筒ず球が、それぞれ花瓶や果物などを衚しおいるのだろうか。空間はブラックがフォヌノの画家であったころの名残を思わせるように、癜い点描で匷調しお衚珟されおおり、暗い静物やテヌブルの郚分が浮き圫りのように芋える。130×89cmずけっこう倧きい䜜品であるこずから迫力満点で、さらにこのシックな色合いも合わさっおずおもかっこいい。本展で䞀番奜きな䜜品だ。

    ●総合的キュビスム

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    パブロ・ピカ゜《少女の頭郚》(1913幎)

    蚘号的な目錻、やけにリアルな頭髪。人物の頭郚なのに朚の板のようなものずその圱がある。そしおなぜか画面䞭倮䞋には鳥が描かれおいる。本圓に䞍思議な絵だ。

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    ゞョルゞュ・ブラック《果物皿ずトランプ》(1913幎)

    いろいろな曞籍に図版掲茉されおいる印象。真䞊から芋たような䞞いテヌブルに、果物やトランプ、文字が芋える。鉛筆や朚炭により描かれおいるずころが倚く党䜓的にモノクロではあるが、ヘラで描かれた朚目の隙し絵ずトランプのハヌトの色がいいアクセントになっおいる。䞋郚の朚目は匕き出しを、そのなかの円い描き蟌みは取っ手を衚しおいるらしい。

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    ゞョルゞュ・ブラック《ギタヌを持぀男性》(1914幎)

    いく぀もの面の重なりによっお画面が構成されおいるこずがわかる。男性の前にはテヌブルがあり、その䞊にグラスが眮かれおいるように芋える。なんず絵の具にはおがくずが混ぜ蟌たれおおり、絵の衚面がボコボコしおいる。

    5 フェルナン・レゞェずフアン・グリス

     キュビスムの重芁な画家ず蚀われるふたり。圌らははじめ展瀺䌚(サロン)に出品しおいたサロン・キュビストであったが、のちに画商カヌンノァむラヌず契玄し、ピカ゜やブラックず同じギャラリヌ・キュビストになったずいう特殊な経歎を持぀。

    ●フェルナン・レゞェ

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    フェルナン・レゞェ《婚瀌》(1911-1912幎)

    新郎新婊を取り囲むように人々が、そしお街䞊みが芋えるが、遠近感が消倱しおいるためずおも䞍思議な構図ずなっおいる。円筒状に図匏化したこずから、レゞェの様匏は「チュビスム」ず呌ばれたそう。

    ●フアン・グリス

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    フアン・グリス《ギタヌ》(1913幎)

    青い色圩ず、垯状に分割された画面構成がかっこいい。巊䞊の窓にはパピ゚・コレにより人物画が貌り付けられおいる。音声案内では、この貌り付けられた䞖界が珟実なのだろうか、ずいった問いかけがされおいた。

    6 サロンにおけるキュビスム

     ピカ゜やブラック(そしおレゞェずグリスがのちに加わる)が画廊で展瀺しおいたのに察しお、サロンにお䜜品を発衚しおいた芞術家たちをサロン・キュビストず呌ぶ。圌らはサロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)やサロン・ドヌトンヌを䞻な掻動の堎ずしおいた。
     1911幎のアンデパンダン展においお、圌らは䌚堎の41号宀にキュビスム䜜品が集団展瀺されるよう画策した。サロンの画家、アルベヌル・グレヌズずゞャン・メッツァンゞェは1912幎、『「キュビスム」に぀いお』ずいう理論曞を刊行する。たた、同幎10月のサロン・ドヌトンヌの数日埌には、自分たちでサロン・ド・ラ・セクションドヌル(黄金分割展)を開催し、32人の芞術家による200点以䞊の䜜品が展瀺された。このようにキュビスムの発展や知名床の向䞊には、サロン・キュビストたちが担った圹割も倧きかった。
     䞀方キュビスムはその発展ずずもに揶揄や非難の察象ずなる。1912幎のサロン・ドヌトンヌの第11宀(キュビスム展でも玹介されおいる)にキュビスム䜜品が展瀺されたずき、それを非難するパリ垂議䌚の政治家が珟れ、この問題をめぐる政治的論争がされるこずずなった。本セクションでは各サロンのカタログや『「キュビスム」に぀いお』などのほか、キュビスムを嘲っおいるような圓時の資料も展瀺されおいる。

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    1912幎10月のサロン・ドヌトンヌ、第11宀

    ●撮圱可胜だった䜜品は1点のみ

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    ロゞェ・ド・ラ・フレネヌ《腰かける男性》(1913-1914幎)

    男性像は幟䜕孊的に構成されおいるが、珟実に即しおいるであろう陰圱が斜されおいるため人圢のようにも芋える。手前にある埋める前のマンホヌルみたいなものず、背景の色面はなんだろう  。䞉角定芏みたいなものが芋えるから画家、建築家、蚭蚈士、枬量士ずいった職業の人物なのだろうか。

    7 同矩䞻矩ずオルフィスム─ロベヌル・ドロヌネヌず゜ニア・ドロヌネヌ

     1912幎10月の第1回黄金分割展においお、詩人で矎術評論家のギペヌム・アポリネヌルは公挔を行い、キュビスムを「科孊的」「物理的」「オルフェりス的(オルフィック、詩的)」「本胜的」の4傟向に分類した。『キュビスムの画家たち 矎的省察』(1913)[邊蚳版江原順・小海氞二共蚳、昭森瀟、1957幎]によれば、オルフェりス的キュビスム(オルフィスム)にはピカ゜、ロベヌル・ドロヌネヌ、フェルナン・レゞェ、フランシス・ピカビア、マルセル・デュシャンの名が挙がっおいる。䞀方ドロヌネヌ倫劻は独自に「同時䞻矩(シュミルタネむスム)」ずいう抂念を提唱した。
     オルフィスムず同時䞻矩が指すものはよく䌌おいるように感じられる。ただし同時䞻矩はキュビスム展でも説明がなされおいるように、単なる色圩論ではなく「異質なものを同䞀画面に統合する方法」でもあった。
     初めおキュビスム展ぞ行ったずきに、4章ず同じくらい感銘を受けたのがこの7章の展瀺だ。色圩を抑え、いくら现かく分析しおも決しお捚象しなかったピカ゜ずブラックに察しお、ドロヌネヌ倫劻は色圩やかに、か぀抜象的な傟向を瀺すようになる。党く正反察の圌らだが、新しいものを䜜っおやるぞずいう信念の匷さは同じくらい感じ取れた。

    ●ロベヌル・ドロヌネヌ

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    ロベヌル・ドロヌネヌ《パリ垂》(1910-1912幎)

    圌自身の䜜品である郜垂や゚ッフェル塔の連䜜を思わせる町䞊みず塔、アンリ・ル゜ヌの自画像《颚景の䞭の自画像私自身、肖像颚景》(1890幎、出品なし)からの匕甚が明らかに認められる橋ず船、そしお叀兞的な䞻題である「䞉矎神」がキュビスムのような幟䜕孊的構成により同䞀画面に描かれおいる。゚ッフェル塔の竣工は1889幎であり、それはドロヌネヌがこの絵に取りかかる20幎ほど前のこずだ。しかしキュビスムの時代においおも、その姿は近未来的なものず映ったのではないだろうか。過去ず珟圚、そしお未来。時空間を超えたものをひずたずめにした本䜜は、267×406cmずいうその倧きさも盞たっお、文字通りの倧䜜だ。

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    ロベヌル・ドロヌネヌ《円圢、倪陜 no.2》(1912-1913幎)

    なにかしらの圢象が認めれた《パリ垂》に察しお、こちらの䜜品はほずんど抜象画だ。倪陜ずいう題が授けられおいるためこの円はその圢を衚しおいるずも捉えられるが、どちらかず蚀えば倪陜を象城する蚘号のようである。

    ●゜ニア・ドロヌネヌ

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    ゜ニア・ドロヌネヌ《バル・ピュリ゚》(1913幎)

    ずおも抜象的だが、よく芳察するず手を取り合っお躍る男女の姿が認められる。色圩がダンスホヌルの掻気を䌝えおくれおいるようで、なんだかずおも楜しげだ。

    8 ピュトヌ・グルヌプ

     ピュトヌ・グルヌプず呌ばれる面々には、モンパルナスのグルヌプやデュシャン兄匟など倚くの人物が含たれる。圌らはゞャック・ノィペンずレむモン・デュシャン=ノィペンが䜏んでいたピュトヌのアトリ゚に、毎週日曜日に集たっおいたそうだ。

    ●目が合う

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    レむモン・デュシャン=ノィペン《マギヌ》(1912幎、1948幎鋳造)

    幟䜕孊的なデフォルメ、単玔化された茪郭はキュビスム的だ。私はこのなんずも蚀えない造圢が奜きである。

    ●かっこいい

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    ゞャック・ノィペン《行進する兵士たち》(1913幎)

    連続写真からの圱響が指摘されおいるが、この絵のなかにはいったい䜕人の兵士が描かれおいるのだろうか 幟䜕孊的な図匏によっお構成された画面は、鉱物の断面かのようでずおも矎しい。線による分析は人ず背景ずを分け隔おなく幟䜕孊に還元しおおり、人物像の党䜓をうたく芋出すこずができない。銬のような圢象がある気がするんだけど気のせいかな。

    ●ちょっずおもしろい絵

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    フランティシェク・クプカ《挚拶》(1912幎)

    この䜜品に察しお、いずずず氏がパプリカずズッキヌニみたいだず蚀ったためそう芋えおしたうようになった。

    9 メゟン・キュビスト

     第11宀の問題が起きた1912幎のサロン・ドヌトンヌでは、「メゟン・キュビスト(キュビスムの家)」も出品された。レむモン・デュシャン=ノィペンによる2階建おの建築暡型が展瀺され、その1階郚分のむンスタレヌションも制䜜された。アンドレ・マヌル、そしおピュトヌ・グルヌプやマリヌ・ロヌランサンらが展瀺に加わった。「メゟン・キュビスト」は新しい時代のため、前衛を装食芞術ぞず取り蟌む詊みであった。

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    レむモン・デュシャン=ノィペン
    「メゟン・キュビスト」建築正面(暡型)
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    「メゟン・キュビスト」1階

    正盎内装はあたりキュビスムっぜくない。

     建築や装食芞術ずしおのキュビスムはチェコで成果を残すこずずなる。「チェコ キュビスム」ず調べるず、カクカクした建築や家具などがたくさん出おくるので詊しおみおほしい。キュビスム建築、い぀か芋おみたいなぁ。

    10 芞術家アトリ゚「ラ・リュッシュ」

     ピカ゜が䞀時期䜏んでいた、モンマルトルの「掗濯船(バトヌ・ラノォワヌル)」ず同じく重芁なキュビスムの拠点。それぱコヌル・ド・パリず称される芞術家が集った堎所ずしおも有名な、モンパルナスのアトリ゚兌䜏居「ラ・リュッシュ」。本展に䜜品が展瀺されおいる芞術家のなかで、ここに入居しおいたこずがある者にはマルク・シャガヌル、アレクサンダヌ・アヌキペンコ、アメデオ・モディリアヌニなどの名が挙がる。第䞀次倧戊前のこの堎所は、倖囜人芞術家たちにずっおキュビスムの発芋ず成熟の堎ずなった。

    ●ちょっず怖い

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    マルク・シャガヌル《ロシアずロバずその他のものに》(1911幎)

    この䜜品は図録においお、「量感の断片化はただ郚分的であるずしおも、䌝統的な遠近法に捉われない[原文ママ]空間の解攟は、䌝統的なナダダやロシア的なものを参照したこの䜜品に、倢のような詩的ノィゞョンを䞎えおいる。(匕甚)」ず解説されおいる。぀たりキュビスムの様匏によっお遠近法から解攟され、「倢のような詩的」である芖芚効果を埗おいるずいうこずだ。しかし、シャガヌルが「参照した」モチヌフたちの背景をよく知らない私には、ここに描かれおいる情景が悪倢にしか芋えない  。鮮やかな色圩ず共鳎しおいる幟䜕孊には確かに詩情を感じるため、なんだかんだ奜きな䜜品だ。

    ●深緑からこんにちは

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    アメデオ・モディリアヌニ《赀い頭郚》(1915幎)

    倚芖点的に構築された錻梁ずその呚蟺の造圢はキュビスムの様匏を想起させるが、モディリアヌニらしいアヌモンド型の目の特城がすでに認められる。

    ●䞍思議な造圢  

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    アレクサンダヌ・アヌキペンコ《女性の頭郚ずテヌブル》(1916幎)

    正盎なにがどうしおこの造圢になったのかよく分からないため、図録をそのたた参照しよう  。「テヌブルの片隅に静物ずマンティヌリャを被り扇子をあしらった頭郚が寄せ集められた、いかにもキュビスム的な䜜品である。(匕甚)」
     難しい、よく読み取れたな  。

    11 東欧からきたパリの芞術家たち

     レオポルド・シュルノァヌゞュず1910幎代の圌のパヌトナヌ、フラン゜ワ・アンゞブヌ(゚レヌヌ・゚ッティンゲン)、そしお゚ッティンゲンのいずこであるセルゞュ・フェラは、いずれも旧ロシア垝囜領に生たれた画家である。(゚ッティンゲンの出生に関しおはむタリアなど諞説あるらしい) ゚ッティンゲンずフェラはアポリネヌルず芪亀があり、圌が18号から線集長になった文芞誌『レ・゜ワレ・ド・パリ』に出資、線集者を務めるなどしおその運営を助けた。1919幎に「黄金分割」は協䌚ずしお刷新されたが、その立圹者はグレヌズ、アヌキペンコ、そしおシュルノァヌゞュの3人であった。1920幎の第2回黄金分割展にはロシア人芞術家も含たれおいた。

    ●腞かな

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    ゚レヌヌ・゚ッティンゲン《無題》(1920幎頃)

    7人の顔が瞊長の䞉角圢の構図で組み合わされおいるさたは、たるで消化噚官のようだ。図録によれば、この絵はシュルノァヌゞュ、アポリネヌル、フェラ、ロヌランサン、゚ッティンゲンなどを含む集団肖像画である可胜性が指摘されおいるらしい。おもしろい絵だず思う。

    ●粟緻で構成的な絵

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    レオポルド・シュルノァヌゞュ《゚ッティンゲン男爵倫人》(1917幎)

    圌のパヌトナヌであった゚ッティンゲンが䞭倮にいるが、怅子の座面ではないずころに腰をかけおいるかのように芋える。敷き詰められた建造物は、ロベヌル・ドロヌネヌの郜垂の連䜜─圌らに芪亀があったのかはわからないが─を想起させる。しかしシュルノァヌゞュが描く郜垂はより構築的で、それでいお装食的だ。パタヌン、人のシル゚ット、静物が颚景のなかぞず慎重に配眮されたそのさたは、圌の卓越した統合力を雄匁に物語っおいる。

    ●ボコボコしおる

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    セルゞュ・フェラ《静物グラス、パむプ、ボトル》(1914-1915幎)

    総合的キュビスムの圱響を思わせる砂ずいう異物や文字の導入、そしお色圩を蚘号化した点描。圌はその様匏をもっお、非暡倣的ながらも日垞を切り取っお描き出すこずに成功しおいる。

    12 立䜓未来䞻矩

     このセクションではロシアの前衛運動、「ロシア・アノァンギャルド」の画家の䜜品が展瀺されおいる。キュビスムが知られる以前から、ロシアには民衆芞術から着想を埗た「ネオ・プリミティノィスム」が存圚した。ミハむル・ラリオヌノフずナタヌリダ・ゎンチャロヌワはその代衚的な芞術家ずされる。
     「立䜓未来䞻矩」はキュビスムずむタリア未来掟を受容し生たれた傟向である。たた1913幎には、ラリオヌノフによっお「光線䞻矩(レむペニスム、ルチズム)」が創始された。本展においお出品はないが、ネオ・プリミティノィスムず立䜓未来䞻矩を経由しお「絶察䞻矩」を確立した、カゞミヌル・マレヌノィチもたた有名なロシア・アノァンギャルドの芞術家であろう。
     ロシア以倖においおも、キュビスムの矎孊は1910幎代初頭から半ばたでには囜際的な広がりを芋せおいる。9章で述べたようにチェコでは建築や装食に圱響を䞎えた。1913幎にはアメリカで「アヌモリヌ・ショヌ」が開かれピカ゜やブラック、レゞェ、グレヌズ、ロベヌル・ドロヌネヌ、デュシャン兄匟がキュビスム䜜品を展瀺したほか、同幎モヌガン・ラッセルずスタントン・マクドナルド=ラむトはドロヌネヌ倫劻の「同時䞻矩」に圱響を受けた抜象絵画運動、「シンクロミズム」を提唱した。1914幎のむギリスでは、パヌシヌ・りィンダム・ルむスが『ブラスト』玙においお「ノォヌティシズム」を宣蚀、この運動にはキュビスムやむタリア未来掟の圱響を受けた芞術家も参加しおいた。このようにキュビスムは䞖界的に参照され、それを乗り越えようずした倚様な詊みを生むこずになる。 

    ●躍動感がすごい

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    ミハむル・ラリオヌノフ《散歩倧通りのノィヌナス》(1912-1913幎)

    キュビスム的な顔の造圢、未来掟を思わせるダむナミズムの衚珟はたさに立䜓未来䞻矩の名にふさわしい。光線䞻矩的な針状の幟䜕孊も、その動感の匷調に寄䞎しおいるように思われる。女性はご機嫌に(あるいは怒りに身を任せ)、傘を振り回しながら倧股で歩いおいる。

    ●トゲトゲしおる

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    ナタヌリダ・ゎンチャロヌワ《電気ランプ》(1912幎)

    近代の機械をキュビスム的に描くこずは立䜓未来䞻矩の、そしお攟射状に拡がる光は光線䞻矩の矎孊をそれぞれ提瀺するものである。玫ず黄色の察比が印象的な詩情を生んでいる䜜品。

    13 キュビスムず第䞀次䞖界倧戊

     1914幎に勃発した第䞀次䞖界倧戊は、キュビスムにも倚倧な圱響を及がした。ブラックの埓軍によっおピカ゜ずの共同実隓は終焉を迎え、ドむツ人の画商カヌンノァむラヌは亡呜を䜙儀なくされる。レむモン・デュシャン=ノィペンは戊地で患った病により1918幎に死去する。
     たたキュビスムの造圢蚀語は戊争にも利甚される。ゞャック・ノィペンやアンドレ・マヌル、ロゞェ・ド・ラ・フレネヌ、アンドレ・ロヌトらはカモフラヌゞュ郚隊に配属された。茪郭を解䜓し背景ぞず溶け蟌たせる迷圩は、察象を解䜓するキュビスムず構造䞊で類䌌しおいたのだ。
     しかし戊争によっお、フランスにおけるキュビスム芞術の朮流が途絶えたわけではない。非亀戊囜出身のピカ゜やグリス、女性画家など、囜内に留たっお制䜜を続けたものもいた。

    ●緑が印象的な䜜品

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    パブロ・ピカ゜《若い女性の肖像》(1914幎)

    よく芋るず点描を斜した䞊から緑を塗り重ねおいる箇所があり(いずずず氏が芋぀けた)、構図に察する画家の苊心を思わせる。この絵の各郚分を衚したいく぀もの切り絵によるノァヌゞョンが残されおいるらしく、構成ぞの努力が垣間芋える実に粟緻な䜜品である。点描はきめ现かく、壁玙であろうコラヌゞュ颚のパタヌンもたた矎しい。ここでは総合的キュビスム初期には抑えられた、色圩や装食的芁玠が存分に解き攟たれおおり、鑑賞者はその抒情的な旋埋に包み蟌たれる。

    ●矎しい  

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    フアン・グリス《朝の食卓》(1915幎)

    テヌブルの䞊には新聞のほかグラスなどの食噚、コヌヒヌミルが認められる。テヌブルず壁を衚す朚目のトロンプ・ルむナ(隙し絵)は床か暖炉を思わせる癜い面の䞋で繋がっおいるようにも芋える。開かれた窓すらも、グリスのタブロヌのなかではひず぀の面に過ぎない。青い空には圱が萜ち、光源の所圚も曖昧だ。

    14 キュビスム以埌

     1918幎、アメデ・オザンファンずシャルル=゚ドゥアヌル・ゞャンヌレ=グリ(ル・コルビュゞ゚)により「ピュリスム」が宣蚀される。これはキュビスムの歎史的正統性を認めたうえで、その理論を螏み台にし、より合理性を远求するものであった。䞀方このころのキュビスム芞術は、画家ごずの個性はあれど実隓的な難解さを避けた、平明な構成ぞず向かっおいた。
     䞡倧戊間に芋られた叀兞䞻矩ずレアリスムの傟向は「秩序ぞの回垰」ず呌ばれる。しかしこれは、単に叀兞を参照したり再珟的な衚珟に垰するこずを蚀うのではない。叀兞䞻矩ず䞀口に蚀っおも、叀兞の暡倣や再解釈、あるいは新しい芏範を生み出すなどその朮流はさたざたあり、それはレアリスムも同様であった。
     パブロ・ピカ゜は叀兞䞻矩的な傟向を瀺したずされる時代に、《3人の音楜垫》(1921幎、出品なし)のような総合的キュビスムず蚀えるであろう䜜品を描いおいる。ピュリスムも䞀次倧戊埌のキュビスムも、叀兞やレアリスムを再解釈し、あるいは新たなるそれらを打ち立お、キュビスム的な蚀語ず調和させおいったのだろう。

    ●ボコボコしおいるが  

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    パブロ・ピカ゜《茪を持぀少女》(1919幎)

    䞎えられた題に則した、「茪を持぀少女」の姿を䞀目で認めるこずができる。キュビスム的に構成された身䜓衚象ずは察照的に、少女の埌ろにある鏡はかなり写実的である。油圩に混ぜられた砂は、画家の手によっお再珟的な様匏ずの芋事な調和を芋せおいる。キュビスムの手法は、こうやっお䌝統になっおいったのかもしれない。

    ●䞁寧だ  

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    ル・コルビュゞ゚《静物》(1922幎)

    閉じた線による茪郭、陰圱によっおモチヌフそれぞれのノォリュヌムが保たれおいる。描かれおいるのは開かれた本、2本のワむンボトル、パむプ、ギタヌ、グラス  埌ろの半開きになっおいるものはなんだろう 幟䜕孊的な図匏は察象の分析や再構築のため(あるいはその結果)ずいうよりは、「型」のような圹割を果たしおいるように感じる。ずおも几垳面に蚘された「jeanneret」の眲名は、キュビスムで恣意的に導入されおいた文字蚘号のようだ。ただしそれは意味性の戯れずしお動䜜するものではなく、この時代に生きた画家の名そのもの─キュビスムずピュリスムずを繋ぎずめる鋲である。

    ●解説䞍可胜

    フェルナン・レゞェ、ダドリヌ・マヌフィヌ《バレ゚・メカニック》(1923-1924幎)
    再線りィリアム・モヌリッツ
    映像13分48秒

    たったく同じ映像はないがYouTubeで類䌌のものは転がっおいるため芳おみおほしい。16分ほどの尺の動画を1.25倍速するず、キュビスム展で䞊映されおいたものに近くなる気がする。よくわからないがなぜかクセになる。

    ──キュビスム展芳芧おわり──

    村䞊隆展ぞ

     京セラ矎術通でキュビスム展ず同時に開催されおいる、「村䞊隆 もののけ京郜」展ぞも立ち寄った。正盎に申し䞊げるず、いたの私には早かった。珟代アヌト難しいなぁ  。
     以䞋の䜜品はなんだか印象的で、気になった展瀺のひず぀だったため掲茉する。 たったくもっお琎線に觊れなかったわけではないので、気が向いたら村䞊氏に぀いおも調べおみたい。

    画像
    䜜品名が分からなくなっおしたった  

    昌ご飯タむム

     京セラ矎術通を出お昌食を摂るこずになったのだが、近くには安䟡に枈たせられそうな堎所がない。そのため電車に乗り、近くに某むタリアンのファミレスがある駅たで行くこずに。
     ふたりずもペペロンチヌノセットドリンクバヌの500円コヌスを泚文し、食埌には図録をめくりながら足早に感想戊をした。なぜ足早か それは京郜囜立近代矎術通ず叀曞店にも行くこずになったからだ ひずりだったら疲れで挫折しおいたず思うので、昌食埌も行動するこずを提案しおくれたいずずず氏には感謝したい。

    京郜囜立近代矎術通ぞ

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    鉄斎展は郜合により芳ず

     か぀おの「キュヌビズム展」の巡回先であった京郜囜立近代矎術通。京郜垂京セラ矎術通ず道を挟んで向かいにある。
     目的は䌁画展ではなく、同通のコレクション展だ。キュビスム関係の䜜品や資料が芋られるずの前情報を埗おいた。結論から蚀うずキュビスム展䞊みに興奮した。

    ─コレクション展入堎─

    ●新収蔵䜜品

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    アルベヌル・グレヌズ《キュビスム的颚景、朚ず川》(1914幎)

    2023幎床の新収蔵䜜品らしい。矎術通のパネルでは「分析的キュビスムから抜象的衚珟ぞ移行する過枡期に描かれた。むタリア未来掟ずオルフィスムを摂取したグレヌズの新たな段階を瀺す絵」ずいった解説がなされおいた。確かにドロヌネヌに通じる色圩があっお矎しい

    ●なあにこれ

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    パブロ・ピカ゜《静物─パレット、燭台、ミノタりロスの頭郚》(1936幎)

    よく分かんないけどめちゃくちゃいいなこれ  。ずお぀もなく゚ネルギッシュだ。この絵のポストカヌドが欲しかったけどなかった。明らかにキュビスムの時代より埌の䜜品だが、ミノタりロスの頭郚には倚芖点的芁玠の平面的再構築が認められる。たた光の衚珟は光線䞻矩ずの察話が行われた可胜性を芋出せる。キュビスムの蚀語は圌のなかで生き続けおいたのだ。

    ●図版ずしお䜕床も芋たこずがあるぞ

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    パブロ・ピカ゜《レオニヌ嬢》(1910幎)
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    パブロ・ピカ゜《テヌブル》(1910幎)
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    パブロ・ピカ゜《レオニヌ嬢》(1910幎)
    (長怅子に座ったレオニヌ嬢)
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    パブロ・ピカ゜《修道院》(1910幎)

    いずれもマックス・ゞャコブ『聖マトレル』(1911)の挿絵のための版画だ。曞籍の図版においお、特に《レオニヌ嬢》は䜕床も目にしおいた。実際に芋られるずは

    ●すげええええ

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    アルベヌル・グレヌズ、ゞャン・メッツァンゞェ『キュビスムに぀いお』(1947幎、版画ノァヌゞョン)

    『キュビスムに぀いお』は1912幎の刊行埌に、版画を収録したノァヌゞョンが出おいる。アヌティゟン矎術通の「マリヌ・ロヌランサン」展でその倖芳だけ芋るこずができたのだが、こちらでは䞭身の䞀郚が展瀺されおいた。嬉しい

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    ブラックいいね

    ●etc.
     キュビスムが䞻の蚘事なのでここでは取り䞊げないが、西掋近代矎術䜜品遞(キュビスムの䌁画展瀺)以倖もひずずおり芳おきた。充実しおたな。

    ─コレクション展芳芧おわり─

    叀曞店に立ち寄る

     囜立近代矎術通の芳芧埌、ずある叀曞店ぞず向かった。所狭しず曞籍が䞊んだ本棚の矀れを眺めおいたら、探求曞のうちの1冊をみ぀けお賌入しおしたった。その読曞感想文は埌述する。

    晩ご飯タむム

     昌ご飯を食べたファミレスに戻り、ミラノ颚ドリアセットドリンクバヌの500円コヌスをふたりで泚文する。結局、いずずず氏はこのあずも2時間以䞊行動を共にしおくれた。

    お別れの時間

     京郜駅に戻り、いずずず氏は鉄道で、私は倜行バスで家に戻る。お疲れさた&ありがずうございたした

    埅ち時間、そしお倜行バスに乗る

     京郜駅前発東京方面行のバスを埅぀間、セブンむレブンでお土産ノルマを達成。埌は1時間近く乗り堎の呚蟺をうろうろしおいた。乗車しおからはトむレ䌑憩のたびに目が芚め、満足に睡眠をずれないたた朝5時半前に池袋に着く。そしお朝マックを食べ、楜しい京郜遠埁が終わった。

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    䞀番安いセット

    『立䜓掟の画家たち 矎孊的省察』を読んで

     総括ぞず入る前に、叀曞店で賌入した本の玹介をしおおこう。

    京郜の叀曞店で買った本
    『立䜓掟の画家たち 矎孊的省察』、ギペヌム・アポリネヌル著、江原順・小海氞二共蚳、昭森瀟、1957幎

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    倖凜にピカ゜画のアポリネヌル像の数々が
    本䜓にはボロいけどパラフィン玙が残っおる

     この曞籍は『Les Peintres Cubistes、Méditations Esthétiques』(1913)の蚳文、そしお蚳者のひずりである江原順氏の「アポリネヌル芚え曞」から成り立っおいる。

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    この曞籍の邊蚳版だ

     ひずずおり読んで、やはりギペヌム・アポリネヌルは詩人であったのだず匷く感じた。キュビスムの画家たちを称揚するための象城的、幻想的、宇宙的、あるいは四次元的なメタファヌを孕んだその散文は、矎術曞ずいうよりは抒情詩のようであった。実際考察や理論より詩的な文章の割合が高く、logicずlyricのあいだに次元的な内容の乖離があり、䞀読ではなにを蚀っおいるのかよく分からない箇所も倚々ある。
     それでも圌の興奮はひしひしず䌝わっおくるし、この詩情に心動かされた人々がいたであろうこずは想像に難くない。おもしろいし謎の説埗力があるんだよなぁ。もちろん私も感化された。本曞のなかでもずくに奜きな䞀節はこれだ。

      兞型ずいうこの幻圱を぀くるのが、芞術の本性であり、瀟䌚的な圹割である。
    [äž­ç•¥]
     この幻圱〔兞型〕は、わたしにはた぀たく自然なものにみえる。芞術䜜品は、造型ずいう芳点からみお、ある時代が぀くる、も぀ずも有力なものだからである。人間はこの〔幻圱の〕゚ネルギヌからのがれられない。そしお、この゚ネルギヌが、人間にずっお、時代の造型の基準になるのである。だから、新しい絵画を嘲笑する人びずは、自分自身の姿を嘲笑しおいるのである。なぜなら、未来の人間は、最も生呜力のある芞術、぀たり新しい芞術を぀くる芞術家たちがのこすであろうさたざたな衚珟にしたが぀お、今日の人間を思いえがくだろうからである。

    『立䜓掟の画家たち 矎孊的省察』、p.22より匕甚
    倪字は匕甚者による

    アポリネヌルやキュビストたちが生きた時代より「未来の人間」である私は、キュビスムずいう過去の芞術のなかに゚ネルギヌを感じ、圌らの生きざたを思い描いおいる。アポリネヌルは人々が芞術に向けるたなざしの同時性ず時間の超越性を、そしお「新しい絵画を嘲笑する」行為の愚かさを説いおいるのだ。
     (䞀応)詩を線む者の端くれずしお、この熱にほだされたたた筆を執ったような力匷い文はずおも刺激になった。この蚳曞はキュビスムの資料ずしおも、詩人の倧先茩の蚀葉遞びを知る詩䜜ずしおも玠晎らしいものだった。

    さいごに

     囜立西掋矎術通のキュビスム展に通っおいたずきより倚くの本を読み、図版ではあるが䜜品ずの察話を重ねおきた。たたこの展芧䌚をきっかけずしお矎術通に行くようになり、キュビスム以倖の芞術もこの目で芳察しおきた。环蚈7回目の蚪問ずなったこのたびのキュビスム展では、はじめおこの芞術に觊れたずきの感動を思い出したほか、自身の知識量の増加ず考察力の向䞊を感じ取れおずおもよかった。キュビスム展は䜕回行っおも楜しい あず京セラ矎術通はずおも趣がある建物だった。その呚囲には颚情のある街䞊み、そしお川沿いの桜䞊朚があった。キュビスムづくしの1日だったが、私なりに京郜旅行を満喫しおきたこずは蚀うたでもない。

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    京セラ矎術通1階 北回廊ず南回廊の間
    かっこいい
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    平安神宮の鳥居

     そしお10時間以䞊にわたり、この小旅行に付き合っおくれたいずずず氏には心より感謝申し䞊げる。圌は開催間もなくの西矎のキュビスム展に行き、私にその魅力を教えおくれた人物のひずりだ。この出来事がなければ私はキュビスム展に行かなかったし、矎術史ぞの興味すら持たなかっただろう。ここ半幎くらいでアヌトに関する䟡倀芳が倧きく倉わったのだが、それはいずずず氏ずキュビスムによるずころが倧きい。そんな圌ずずもに改めおキュビスムず察話し、感想を蚀いあうこずができたのは至犏の時間だった。
       文字数が「キュビスム展に6回行った話」より倚くなっおしたった。語ろうず思えばただただいけそうだが、このあたりで筆を眮くずしよう。ここたでお぀き合いいただき、誠にありがずうございたした。

    参考文献(刊行幎順)

    ●『立䜓掟の画家たち 矎孊的省察』、ギペヌム・アポリネヌル著、江原順・小海氞二共蚳、昭森瀟、1957幎
    ●『SD遞曞46 キュビスムぞの道』、ダニ゚ル=アンリ・カヌンノァむラヌ著、千足䌞行蚳、鹿島研究所出版䌚、1970幎
    ● 『キュヌビズム展』、東京囜立近代矎術通線集・発行、1976幎
    ●『近代の矎術 56号 キュビスム』、八重暫春暹線、至文堂、1980幎
    ●『キュビスム』、フィリップ・クヌパヌ著、䞭村隆倫蚳、西村曞店、1999幎
    ●『岩波 䞖界の矎術 キュビスム』、ニヌル・コックス著、田䞭正之蚳、岩波曞店、2003幎
    ●『キュビスム芞術史』、束井裕矎著、名叀屋倧孊出版䌚、2019幎
    ●『キュビスム展─矎の革呜』、日本経枈新聞瀟線集・発行、2023幎
    ●『アヌト・ビギナヌズ・コレクション もっず知りたい キュビスム』束井裕矎著、東京矎術、2023幎

    おすすめの動画

    note「キュビスムに぀いお─キュビスム展を芳に行こう─」より、䞀郚線集ののち再掲茉

    ●山田五郎 オトナの教逊講座
    動画2本 ※期間限定公開
    前線(リンク)

    埌線(リンク)

     山田五郎氏による解説動画であり、前埌線に分かれおいる。前線ではパブロ・ピカ゜ずゞョルゞュ・ブラックのキュビスムが扱われる。埌線ではフェルナン・レゞェずフアン・グリス、そしおサロンのキュビストたちの動向から、モダニスムの話題たで広範な歎史をたどる。

    ●「アヌトず出䌚う」珟代アヌト専門番組【MEET YOUR ART】
    動画1本(リンク)

     囜立西掋矎術通通長の田䞭正之氏みずから、キュビスムに぀いお解説しおくださる。

    関連リンク

    いずずず氏による西矎のキュビスム蚘↓

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