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アヤー、と呼ぶ声

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    母になった祖母



    毎年のように見る
    母方の祖母と弟や妹たちの写真や
    祖母の若いころのはつらつとした写真
    そして母になった祖母の写真

    滋賀県へ飛行機を造るため
    志願していた祖母は戦争を生き延びた

    沖縄へ戻ると
    両親も祖父母も姉や弟、
    幼い妹も亡くなっていて
    残っていたのは4人のきょうだいだけだった

    17歳で親代わりとなり
    弟や妹を育てた祖母

    晩年、認知症を患い入院していた祖母は
    夜中になると「アヤー(お母さん)、アヤー(お母さん)」と
    お母さんを探し求めるように呼んでいたと
    うちの母が看護師さんから聞いたことがあるという

    17歳の祖母もまた
    本当はまだ子どもだった

    寂しいとか悲しいとか
    そんな気持ちを感じる余裕もないまま
    生き残ったきょうだいを守ることが役目になり、
    生きていくのに、生かすことに必死だったのだと思う

    友達と遊んだり、誰かに甘えたり
    将来のことを考えたりする時間も
    あまりなかったのではないだろうか

    それでもそのうち結婚して
    自分の家庭を築き、子どもも産まれた

    母の話では祖母は時々わたしたち孫を見て
    「あんたたちはいいね、お母さんがいて」
    と話すことがあったという

    そんな祖母の娘である母もまた
    祖母とうまく気持ちを交わせなかった

    母も自分の気持ちを伝えたり
    誰かの気持ちを受け取ったりすることが
    あまり得意ではなかったように思う

    私たち子どもにも気持ちを伝えたり
    受け取ったりすることが難しいまま
    年を重ねてきたように感じられる

    そして私もまた幼いころから
    家族との気持ちのやり取りに戸惑うことがあり
    人は何を思っているのだろうと
    誰かの気持ちを想像することが多かったから
    それはなぜなのだろうと考えるようになった

    本当のことはわからない
    祖母はどんな気持ちで生きていたのだろうか

    認知症になった祖母が
    夜中に呼んだ「アヤー」という声は
    17歳で家族を失った少女の声だったのだろうか

    慰霊の日が近づくと
    ここ数年はそんなことを考えている

    #沖縄の町の断章

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    若かりし日のはつらつとした祖母
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    きょうだいの親代わりになった祖母

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