
ITが苦手な会社ほど、生成AIで伸びる。——FAXと紙の会社が90日で変わった理由
ITが得意な会社より、苦手な会社のほうが生成AIの効果は大きく出ます。冗談で言っているのではありません。生成AI活用顧問として中小企業の経営者を支援するなかで、現場で何度も目にしてきた事実です。「うちはアナログだから無理ですよ」と苦笑いする社長ほど、90日後にいちばん景色が変わっている。この逆説の正体を、今日は一枚ずつ解体してお見せします。

「AIはITに強い会社のもの」という、いちばん根深い誤解
生成AIの話をすると、社員10人から50人ほどの会社の経営者から、判で押したように同じ言葉が返ってきます。「うちみたいなアナログな会社には、まだ早いですよ」「ITに強い若い会社がやることでしょう」。
この反応、痛いほどよくわかります。テレビや新聞で流れてくるのは、シリコンバレー風のオフィスでエンジニアがコードを書いている絵ばかり。生成AIは自分たちとは別世界の道具だと感じてしまうのも無理はありません。
けれど、その感覚は事実とちょうど逆を向いています。私が現場で見てきたかぎり、生成AIで大きく伸びるのは、むしろITが苦手な会社のほうです。ITに強い会社は、すでに業務システムを組み、Excelのマクロを回し、クラウドで情報を共有し、効率化できるところは効率化し終えています。伸びしろの多くを、自力で刈り取ったあとなのです。
一方、ITが苦手な会社には、手つかずの伸びしろが分厚く残っています。紙で回している業務、人の頭の中にしまわれたままの判断、電話とFAXで流れていく情報。これらは「遅れ」ではなく、まだ誰も手を付けていない鉱脈です。生成AIという道具は、まさにこの鉱脈を掘るのに向いています。
たとえるなら、更地と、すでに建物が建ち並んだ土地の違いです。ITに強い会社の土地には、もう立派なビルが建っています。新しく何かを建てるには、まず既存のビルを壊すところから始めなければならない。ところがアナログな会社の土地は、更地のまま広がっている。整地の手間はかかるように見えて、実は好きなものを、いちばん効率のいい形で建てられる自由がある。あとから始めることは、必ずしも不利ではないのです。
もうひとつ、見落とされがちな事情があります。DXで一度つまずいた経験のある会社ほど、生成AIに尻込みしているという現実です。数年前、高い費用をかけて業務システムを入れたのに、現場に定着せず、いつのまにか元の紙とExcelに戻ってしまった。あの徒労感を覚えている経営者は少なくありません。「またあれをやるのか」と身構える気持ちは、当然だと思います。
思い返してみてください。あのとき導入したシステムは、「使いこなせば便利になる」という約束とセットでした。裏を返せば、使いこなすまでの長い坂を、現場が自力で登らなければならなかった。マニュアルを配られ、研修を受け、それでも日々の忙しさの前では、慣れた紙のほうが速い。坂の途中で息切れして、ふもとに戻ってしまう。定着しなかった会社の大半が、この同じ坂で力尽きています。
ただ、ここで一度だけ立ち止まってほしいのです。あのとき定着しなかったのは、あなたの会社がダメだったからではありません。道具のほうが、現場に対して大きすぎたり、硬すぎたりしただけのこと。生成AIは、あのころのシステムとは性質がまるで違います。登るべき坂が、ほとんどない。話しかければ動くのだから、覚える作法がそもそも少ないのです。その違いこそが、ITが苦手な会社にとっての追い風になります。

従業員35名の建材卸で、私が目にしたこと
ここから先は、具体的な会社の話をします。守秘義務があるため、実在の1社をそのまま書くことはできません。以下は、複数の支援先で実際に起きたことを、1社のモデルケースとして再構成したものです。数字や描写は、あくまでそのモデルケースの一例として読んでください。
舞台は、従業員35名ほどの建材卸の会社です。創業から40年、地域の工務店や建設会社に木材や建材を卸してきた、堅実な会社でした。社長は62歳。受注の8割はいまだにFAXで届き、Excelをまともに使えるのは、事務所にいる女性社員がひとりだけ。パソコンは各机にあるものの、多くは受注伝票を打ち込むためだけに置かれている、そんな会社です。
最初にうかがったとき、社長は開口一番にこう言いました。「先生、うちはねえ、たぶん日本でいちばんアナログな会社ですよ。AIなんて、猫に小判ですわ」。冗談めかしていましたが、目の奥には、少しの諦めと、ほんの少しの期待が同居していました。
事務所を見せてもらうと、光景はまさに社長の言うとおりでした。壁際のFAX機からは、注文書が絶え間なく吐き出されてくる。それを事務員さんが一枚ずつ受け取り、手書きの文字を読み解きながら、Excelの受注表に打ち込んでいく。品番の読み違いがないか、電卓で金額を確かめながらの作業です。一枚あたり数分。それが一日に何十枚と続きます。
見積もりの回答も、社長の頭の中がすべてでした。「この客のこの数量なら、この単価」という判断は、40年の経験がまるごと詰まった暗算です。速いときは速い。けれど社長が外出していると、見積もりは止まる。若手が「社長、これいくらで出しましょう」と電話で追いかける場面を、私は何度も見ました。
若手社員たちは、決して怠けているわけではありませんでした。むしろ真面目で、社長を慕っている。ただ、値付けの根拠が社長の頭の中にしかないので、自分では判断できない。だから確認の電話を入れる。その繰り返しのなかで、「自分はいつまでたっても一人前になれない」という、静かな停滞感が現場に漂っていました。ノウハウが人に張りついているというのは、こういう空気を生むのだと、私はあらためて感じたものです。
実はこの会社も、数年前に一度、受注管理のソフトを入れたことがありました。ところが入力項目が多すぎて、現場がついていけない。半年で誰も開かなくなり、月々の利用料だけが引き落とされ続けたそうです。社長が「AIなんて」と身構えていた背景には、この苦い記憶がありました。だからその日、私はあえて難しい画面を一切見せませんでした。パソコンも専用ソフトも使わない。社長がふだん持ち歩くスマホ一台で十分だと、まず体で感じてほしかったのです。
私はその日、パソコンもExcelもいったん脇に置いて、社長のスマートフォンだけを借りました。生成AIのアプリを開き、マイクのボタンを押して、社長にこう頼みました。「いつも若手に見積もりを説明するみたいに、この商品の値付けの考え方を、しゃべってみてください」。
社長は最初、けげんな顔をしていました。それでも、マイクに向かってぽつぽつと話しはじめます。「この合板はな、20枚を切ると割高になるんや。それ以上まとまれば、この掛け率まで下げてもええ。ただし遠方の現場は運賃が乗るから……」。ふだん若手に教えているとおりの、経験そのものの言葉でした。
話し終えると、画面には社長の言葉が、きれいな箇条書きの「見積もり基準メモ」として整理されて表示されていました。社長はそれをじっと見つめて、しばらく黙り、それからぽつりと言いました。「……これ、わしが40年かけて覚えたことやないか。しゃべっただけで、文字になるんか」。
その瞬間、社長の中で何かがほどけたのが、はたから見てもわかりました。キーボードも、マウスも、専門用語も、ひとつも要らなかった。ただ、いつもどおりしゃべっただけ。ITが苦手だと思い込んでいた社長にとって、生成AIは初めて「自分の言葉で使える道具」だったのです。

その様子を、隣で見ていた事務員さんの反応も忘れられません。彼女は普段、社長の見積もりを待ってから伝票を切っていました。画面に整理された基準メモを見て、「これがあれば、社長に聞かなくても下書きが作れるんですね」とつぶやいた。長年ひとりで抱えてきた作業が、少しだけ軽くなるかもしれない。その予感が、表情にはっきり出ていました。道具の話をしているのに、いちばん動いたのは人の気持ちのほうだった。私はこの仕事をしていて、この瞬間がいちばん好きです。
その日を境に、社長の口ぐせは「うちはアナログだから」から「これ、しゃべったらできるんか?」に変わりました。道具を怖がる気持ちが消えると、人は驚くほど前のめりになります。翌週うかがったときには、社長は自分から、取引先ごとの値引きの癖まで、スマホに向かってしゃべりためていました。誰に言われたわけでもなく、です。
なぜ、ITが苦手な会社ほど伸びるのか
このモデルケースは、特別な成功例ではありません。ITが苦手な会社には、伸びるだけの構造的な理由がそろっています。理由は大きく3つあります。
理由①「ムダの在庫」が豊富にある
先ほど触れたとおり、ITに強い会社は効率化をすでに進めています。裏を返せば、簡単に削れるムダはもう残っていません。ところがITが苦手な会社には、手つかずのムダがそこら中に眠っています。FAXの手打ち転記、電話メモの清書、毎回ゼロから書く見積書。これらはすべて、生成AIが得意とする「型のある繰り返し作業」です。伸びしろが大きいほど、同じ道具でも効果は大きく出ます。
理由②ベテランの経験と勘が、最高のプロンプト素材になる
生成AIに良い仕事をさせる鍵は、良い指示、いわゆるプロンプトです。そして、この指示のもとになるのは、その業界と会社に固有の知恵です。ITが苦手な会社ほど、その知恵はデジタル化されずに人の頭の中に残っています。先ほどの社長の値付けの考え方が、まさにそれでした。若い会社がゼロから言語化に苦労する「現場の勘」を、ベテランの多い会社は最初から山ほど持っている。あとは、それをしゃべって取り出すだけです。素材が豊かなほうが、良い料理はできます。
理由③生成AIは「会話」で使える。ITリテラシーが要らない初めての道具
これが、いちばん本質的な理由かもしれません。これまでのITツールは、こちらが道具のルールに合わせる必要がありました。決まった画面の、決まった場所に、決まった形式で入力する。この「機械の作法を覚える」段階で、多くの人が脱落してきました。
生成AIは、そこがまるで違います。人間の言葉で話しかければ、人間の言葉で返ってくる。キーボードが苦手なら、音声入力で話しかければいい。専門用語を知らなくても、「こういうことをやりたいんだけど」と相談口調で伝えれば動く。パソコン仕事を避けてきたベテランほど、その敷居の低さに驚きます。ITリテラシーという入場料が、初めて要らなくなった道具。それが生成AIなのです。
IT苦手な会社が持っている「3つの隠れ資産」
伸びる理由を、今度は「資産」の側から見てみましょう。アナログな会社は、自分では気づいていない3つの資産を抱えています。

ひとつめは、現場ノウハウです。長年かけて蓄えた値付けの勘、取引先ごとの癖、トラブルの対処法。これらは他社には真似できない、その会社だけの財産です。生成AIは、この頭の中の資産を、しゃべるだけで文書に変えてくれます。属人化していた知恵が、会社の共有財産に変わる。
ふたつめは、定型業務の山です。転記、清書、集計、定型メールの作成。「めんどうだけど誰かがやるしかない」と諦めていた作業ほど、生成AIの得意分野です。アナログな会社ほどこの山が高く積まれているぶん、崩したときの効果も大きくなります。
みっつめは、意外に見過ごされがちな全員が同じやり方をしているという資産です。ITに強い会社は、部署ごと、人ごとにバラバラのツールや流儀を持っていることが多い。統一しようとすると、それぞれの慣れとぶつかって難航します。ところがアナログな会社は、良くも悪くも全員が紙とFAXという同じ土俵にいる。だからこそ、新しい道具を「せーの」でそろえやすい。導入の足並みがそろうのは、大きな強みです。
この3つは、どれも「デジタル化が遅れているから残っていた」ものです。遅れていたからこそ、資産がすり減らずに手つかずで残った。あなたの会社に眠っているのは、負債ではなく、まだ現金化していない資産です。まずは、それがどこに、どんな形で眠っているかを、社内で棚卸ししてみてください。「あの人しか知らない仕事」「毎回手で書き写している書類」「決まった手順で返しているメール」。この3つを紙に書き出すだけで、生成AIに任せる候補がずらりと並びます。
DX挫折の逆をやる。「ツールを増やさない」1本化の原則
ここで、かつてDXでつまずいた会社に、どうしても伝えたい原則があります。ツールを増やさないということです。
過去のDX挫折の多くは、道具の入れすぎが原因でした。勤怠はこのアプリ、日報はこのシステム、情報共有はこのツール。良かれと思って導入するたびに、現場の覚えることが増えていく。結局どれも中途半端に使われ、紙に戻る。あの失敗のパターンを、私は何度も見てきました。
生成AIの導入では、この逆を行きます。まずは、対話できるAIをひとつだけ決める。そして、いま困っている作業を、そのひとつの道具に話しかけて片づけていく。転記もこれ、見積もりの下書きもこれ、メール文面もこれ。窓口をひとつに絞るから、現場は「困ったらこれに聞けばいい」とだけ覚えればよくなります。

道具を1本に絞ると、社員の学習コストが劇的に下がります。10個の機能を10回教えるのではなく、1つの窓口への話しかけ方を1回教えるだけ。DXで疲弊した現場に、これ以上「覚えること」を積み増さない。この引き算の発想が、定着の成否を分けます。
どのAIを1本に選ぶかで、細かく悩む必要はありません。いま広く使われている対話型の生成AIなら、中小企業の日常業務には十分すぎる性能です。大切なのは、選んだ1本を毎日の作業でどう使い倒すか。道具は目的ではなく、あくまで手段です。ここを取り違えないことが、DX挫折を繰り返さないための、いちばんの防波堤になります。
最初の一歩は、社長の「朝10分」から
新しい道具を、いちばん抵抗なく試せるのは、実は社長自身です。毎朝、出社してすぐの10分。スマホに向かって、その日の頭の中をしゃべるだけ。キーボードは一切触りません。音声入力で構いません。
あなたは私の優秀な秘書です。これから私が、今日の予定と気がかりを声に出して話します。
それを聞いて、次の3つを整理してください。
・今日やるべきことを、重要な順に並べる
・そのうち、私でなくてもよい仕事(人に任せられる仕事)に印をつける
・抜けや、先に手を打っておくべきことがあれば指摘する
【ここに、今日の予定と気になっていることを、思いつくままに話す】社長がこれを一週間続けると、「自分でなくてもいい仕事」が毎日あぶり出されてきます。それこそが、次に現場へ落としていく候補です。最初の一歩に、これ以上ふさわしいものはありません。
そのまま使える、実践プロンプト集
社長が手応えをつかんだら、いよいよ現場の作業です。ここからは、明日からそのまま使える指示の文面を並べておきます。AIの入力欄に貼り付けて、かっこ書きの部分を自社の内容に差し替えるだけです。
例1:FAXの注文書を、発注書のドラフトにする
事務員さんが一日に何十枚と手打ちしていた、あの転記作業です。届いた注文書を読み上げるか貼り付ければ、下書きが返ってきます。
あなたは建材卸の受注担当です。以下はFAXで届いた注文書の内容です。
これをもとに、当社の発注書ドラフトを作ってください。
・品名、品番、数量、単価、金額、希望納期を表形式に整理する
・金額の合計と消費税、税込合計も計算する
・読み取れない項目や、納期の記載がない場合は「要確認」と明記する
【ここに注文書の内容を貼るか、音声で読み上げる】例2:電話メモを、顧客カルテに整理する
取引先からの電話を受けた若手が、走り書きのメモを貼るだけ。あとから誰が見てもわかる記録に変わります。
以下は、取引先からの電話を受けたときの走り書きメモです。
これを、あとから誰が見てもわかる顧客カルテの形に整理してください。
・顧客名(会社名と担当者)、案件の内容、こちらが約束した事項、次にやるべきアクションに分ける
・急ぎの案件があれば、冒頭に「至急」と付ける
【ここに走り書きメモをそのまま貼る】例3:ベテランの頭の中を、AIが引き出して見積基準書にする
あの社長がスマホにしゃべった値付けの知恵を、一枚の基準書に育てる工程です。AIが聞き役に回ってくれるので、社長は質問に答えていくだけでかまいません。技能継承の柱になります。
あなたは、熟練社員の知恵を聞き出すのが得意なインタビュアーです。
これから、当社のベテランに「見積もりの値付けの考え方」を教わります。
一度にまとめて聞かず、1つずつ質問してください。私が答えたら、その答えを
深掘りする質問を重ねてください。ひととおり聞き終えたら、内容を
「見積もり基準書」の形にまとめてください。
・商品カテゴリごとに、数量帯と掛け率の目安を表にする
・例外や注意点は、別枠でまとめる
・専門用語には、ひとことの補足を付ける
まずは、最初の質問からお願いします。例4:クレーム電話の記録を、対応履歴と再発防止メモにする
取引先からのクレームやトラブルの電話。受けた社員がその場で経緯を話すだけで、あとに残る記録と、次への備えが同時に手に入ります。
あなたは、トラブル対応の記録を作るアシスタントです。
これから、あるクレーム対応の経緯を私が話します(または書き起こしを貼ります)。
それをもとに、次の2つを作ってください。
・いつ、誰が、何をしたかがわかる「時系列の対応履歴」
・同じことを繰り返さないための「再発防止チェックリスト」(3〜5項目)
感情的な表現は避け、事実だけを淡々と整理してください。
【ここに、トラブルの経緯を話すか、メモを貼る】どれも、共通しているのは「難しい操作がひとつもない」ことです。しゃべる、貼る、差し替える。それだけで、これまで人の手と頭を奪っていた作業が、下書きの状態まで一気に進みます。
よくある3つの失敗——ここでつまずかないために
伸びしろが大きいぶん、やり方を間違えると、その伸びしろを取り逃がします。アナログな会社が陥りやすい失敗を3つ、先回りしてお伝えします。
失敗①:若手に丸投げして、社長がノータッチ
「パソコンは若い者に任せるよ」。この一言が、いちばんもったいない失敗を生みます。生成AIの価値の源泉は、先ほど見たとおり、ベテランの頭の中にある知恵です。その知恵を持っているのは社長であり、現場のベテランです。若手に丸投げすると、素材のない料理を作らせることになる。社長がスマホに向かって10分しゃべる。まずはそこから始めてほしいのです。運転ではなく、材料の提供こそが、経営者の役割です。
失敗②:「うちの業界は特殊だから」と、1回も試さない
支援の現場でいちばん多く聞くのが、この言葉です。「うちの商売は特殊でね、AIには無理だと思うよ」。けれど、断言できます。特殊さは、試さない理由にはなりません。むしろ、その特殊なノウハウこそが、生成AIに教え込むべき最高の材料です。特殊だから無理なのではなく、特殊だからこそ他社に真似できない使い方ができる。まず1回、自社の実際の書類でしゃべらせてみる。判断はそのあとで十分です。
失敗③:最初から全社一斉導入を狙う
意気込みが空回りする典型です。「やるなら全部署で一斉に」と大きく構えた結果、準備に時間がかかりすぎて、熱が冷めてしまう。おすすめは逆で、いちばん困っている作業を、ひとつだけ選んで始めること。先ほどのモデルケースなら、FAX転記のひとつだけ。そこで小さな成功が生まれると、現場から「あれ、うちの作業にも使えない?」という声が自然に上がってきます。その声に乗って広げるほうが、号令で広げるよりずっと速く、深く根づきます。ひとつの成功体験は、十枚の指示書よりも人を動かします。まず一点突破で、確かな手応えを作ることです。
90日で、景色はどう変わったか
先ほどの建材卸のモデルケースが、その後どうなったか。90日の変化を、一例としてお伝えします。数字はモデルケースの一例であり、どの会社でも同じ結果になるという約束ではないことは、あらためて断っておきます。

まず、見積もりの回答が変わりました。以前は社長が不在だと、回答まで2日かかることも珍しくなかった。それが、社長の値付けの考え方を基準書にしたことで、若手がその場でたたき台を作れるようになり、多くの案件で当日中に回答できるようになりました。「返事が速い会社」という評判は、それだけで取引先の心証を変えます。
次に、FAX転記です。事務員さんがひとりで抱えていた手打ち作業は、週にすると12時間ほど。それがAIによる下書き化で、確認と修正が中心の作業に変わり、週2時間ほどまで縮まりました。浮いた10時間は、督促の電話や在庫の確認といった、人にしかできない仕事に回っています。
そして、いちばん大きかったのは、目に見えない資産の変化でした。社長の頭の中にしかなかった見積もりの基準が、文書として残りはじめた。若手がその基準書を見ながら値付けを覚え、わからないところだけ社長に確認する。40年分の勘が、少しずつ会社の共有財産へと移りはじめたのです。社長は「わしが倒れても、これで会社は回るな」と、半分冗談、半分本気で笑っていました。
もうひとつ、数字には表れにくい変化がありました。若手の表情です。以前は「社長に聞かないとわからない」が口ぐせだった若手が、基準書を手に、自分の判断で見積もりを出せるようになった。任される範囲が広がると、人は仕事が面白くなります。確認の電話でびくびくしていた現場に、「これは自分がやれる」という手応えが芽生えた。ノウハウが共有財産に変わることは、業務の効率だけでなく、働く人の背筋まで伸ばすのだと、私はこのモデルケースであらためて教わりました。
見落としてほしくないのは、これがコスト削減の話にとどまらないことです。見積もりの回答が速くなれば、迷っていた客が他社に流れる前に決まる。速さは、そのまま受注率、つまり売上の側に効いてきます。守りの効率化が、いつのまにか攻めの武器に変わっている。ここに、生成AIの本当のうまみがあります。浮いた時間をコストとして数えるのではなく、次の受注を取りにいく時間として使う。その発想の転換が、次の成長を呼びます。
経営者へ——「ITが苦手」は、伸びしろの別名です
ここまで読んでくださった経営者に、いちばん伝えたいことを書きます。
「うちはITが苦手だ」。その言葉を、弱点として口にしてきたのではないでしょうか。でも、ここまでの話でわかっていただけたと思います。それは弱点ではなく、まだ使っていない伸びしろの、別の呼び名にすぎません。
ITに強い会社は、あなたよりずっと前を走っているように見えるかもしれません。けれど、彼らはもう、伸びしろの多くを使ってしまった。あなたの会社には、彼らがとっくに手放した「初めて効率化する喜び」が、まるごと残っています。追いかける必要はありません。あなたはあなたの鉱脈を、これから掘りはじめればいいのです。

そして、この道具を使うのに、若返る必要も、パソコン教室に通う必要もありません。あなたが40年かけて培ってきた、その経験と勘こそが、生成AIを動かす燃料です。あなたが引退した会社の技術者ではなく、現役の当事者だからこそ、この道具は生きてくる。むしろ、ベテランであることが、これからは強みになる時代です。
もうひとつ、お伝えしておきたいことがあります。生成AIの導入で伸びる会社と、伸び悩む会社の差は、ITの得意不得意ではありません。「まず一度、自社の実物で試してみるか」と動けるかどうか、その一点です。頭で考えているうちは、誰の会社も一ミリも変わりません。けれど、手元の書類を一枚しゃべらせてみた社長は、その日のうちに何かをつかみます。得意か苦手かではなく、試したか試していないか。分かれ目は、いつもそこにあります。
締めに
生成AIは、賢い人だけのための難しい道具ではありません。しゃべれば返ってくる、いちばん人間に近い道具です。だからこそ、機械の作法を覚えるのが苦手だった会社にこそ、まっすぐ届く。
最初の一歩は、たった10分です。社長がスマホに向かって、いつも若手に教えていることを、しゃべってみるだけ。それが文字になって返ってきた瞬間、「うちはアナログだから」という長年の思い込みが、音を立てて崩れます。あの建材卸の社長がそうだったように。
苦手だと思ってきたことは、これから伸びる場所の地図です。その地図を、いっしょに広げてみませんか。あなたの会社の鉱脈を掘るお手伝いを、私はいつでも喜んでお引き受けします。
鈴木章裕
株式会社コミクス 代表取締役