
私が石像になるまで~3日で7万円の頭部モデルバイト~
美大生だったあの夏を忘れない。
一枚の張り紙に、
学生たちがどよめいた。
頭部モデル募集(通信課程彫刻課)
期間: 2011年7月(うち3日間)10:00〜16:00
謝礼: 7万円
3日で7万円。
高額すぎる。
頭部モデルってなんだろう。
しかし、きっと怪しくない。
だって学内バイトの案件である。
この報酬額は、日々画材で諭吉が飛んでいく民たちには魅力的すぎた。私も友人も、もちろんくいついた。人の群れの間をかいくぐり、必死に条件を読み進める。
対象者:20代女性
うんうん、私たちだね。
若干名募集:
オーディション形式で選考(日時:201×年 7月×日)
おう、なんか仰々しいね……。
条件:
真夏の暑さに耐えうる精神と体力を持つ者
真夏の暑さに耐えうる精神と体力を持つ者!
ここで、もやしっこの私は足がすくんだ。
私、真夏の暑さに耐えうる精神も体力もありません!
しかし報酬に目がくらんだ私は、応募した。隣にいた友人は辞退した。受かってから悩めばいい。こういう時の私の図太さと合理的な判断の速さの掛け合わせは強みなのだ。
いや、しかしなんだろう。
頭部モデルってなんだろう。
オーディション。
会場に到着した私は生半可な気持ちで臨んだ自分を少し後悔した。そこには、たくさんの女学生が集っていた。先着で廊下に並ばされ、1ダースごとに呼ばれて、部屋にゾロゾロと入っていく……と思った矢先に、数秒で出てくる。
オーディションは一言も発さなくていいらしい。よかった。真夏の暑さに耐えうる強靭さアピールはしなくてもいいっぽい。
そんなこんなで、自分たちのセットが呼ばれた。
部屋に一列に並ばされて、
「はい、向いてください! 正面、右、左、後ろ。ありがとうございました〜!」
オーディションは想定通り一瞬で終了した。並べられた私たちは、向こう側に座る教授陣たちの前でくるりと4回に分けて一回転しただけだった。これで何がわかったんだろう。そして、どういうわけか私は受かった。
私の見立ては甘く、倍率20倍を超えるオーディションを足蹴にする度胸は持ち合わせていなかった。
夏休みが来た。
真夏の暑さに耐えうる覚悟は、
用意できないまま私はバイト初日を迎えた。
7人の勝者が集った。みんな個性的で、作りやすそうな顔をしている気がした。私も作りやすそうな顔なのだろうと思った。
私は彫刻課の学生ではなかったので、今回の彫刻の頭部モデルの授業がどう行われるのかわからなかった。
同様のモデルも多く、はじめに詳しく解説された。ここで初めて頭部モデルのバイト内容を聞かされることになる。
高さは50cmくらいだろうか。その上に、直径2mくらいの8角形の台。そしてその台の上にパイプ椅子が置いてある。先生はそこを指さして言った。
「皆さんは、授業中ここに座っていただきます」

周りを見渡すと、同じような直径2mほどの台が7つ準備されていた。勝者だけが登ることを許される、勲章台みたいで誇らしい。
そこは屋外だった。
そうか、ここに日中座り続けないといけないから、
「真夏の暑さに耐えうる者」という条件付きだったわけである。簡易なシェードはあれど、日中は暑いだろうな。
一応……と先生は、台のたもとの扇風機を軽くアピールしてみせた。外に延長コードまでたくさん引いてくれて、ありがとうございます。
この夏期講習の内容は、スケッチの後、粘土で頭部の原型を作って、型を作り、石膏で頭部の彫刻を作るというものだった。ミケランジェロの彫刻や、美術室に並んでいる白っぽい神々の頭部像を想像してもらえればよい。私たちはそんな感じの石像になるモデルである。
モデルの私たちは、一人ずつこの台に上がって3日間の講座中、座っておく。それが高額バイト仕事の内容である。
さて、授業の時間が迫ってきて、向こうのほうで徐々に生徒たちが集合してきた。生徒たちは通信教育課程の受講者ということらしく、年上の大人たちが多かった。ざっくり女性比率が高めで、平均は50代、60代といったところだろうか。
そのうちオリエンテーションが始まり、私たちは所定の回転台に待機することになった。
モデルのみんなは、それぞれの持ち場へ移動する。勝手を知っているのだろうか、颯爽と持ち場へ移動する学生もいれば、私のように、現実が受け入れられずに不安な表情で目配せしてきたモデルの表情が目に焼きついた。お金のために頑張ろうね、私たち。私は心で自分たちに言い聞かせた。
自分の担当するエリアに座る。座っているとはいえ、50cmほどの高さの台の上なので、目線は結構高い。回転台の周りにはぐるりとイーゼルが並んでいて、受講者たちが止まり木をめがけた鳥のように寄ってくる。
「モデルさんはこちらです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
先生が紹介をしてくれて、私も受講者の皆さんと一緒に挨拶をした。
にこやかなムードで始まり、安心したのも束の間。
そこで私は、初めてこのバイトが高額である所以を悟る。
「それではモデルさん、無表情でお願いします」
「はい」
私は否定できなかった。だってそれがお役目だから。
まるでその運命がわかっていたかのように私は振る舞い、当然のように回転台の椅子に座り、真正面を見つめた。
「うん、それくらいの角度をキープでお願いしますね。」
先生はそれだけ私に告げて、まずは鉛筆で形どりの練習をしましょうと、受講者たちにエスキースを促し、背を向けて別のグループの方へ行ってしまった。
平然は装ったがもちろん、私は、ひどく動揺した。
今日私、
このまま真顔で観察され続けるのーーーーー。
ちょっとタンマ! みたいな、小学生の小休止のような茶番とか、ちょっと待ってくださいよ〜とひな壇の芸人のように立ち上がることは許されない。
ここに集まった大人の皆さんは、受講料を支払い、真剣に彫刻の授業を受けにきている。この3日間通うのだ。この大学に。そう、私の頭部を彫刻するために……!
私は、このシュールすぎる現場を誰にも共有できない苦しみや、20人近い方から頭部を360°監視されているという事実を受け入れきれない気持ち、そしてこれがたった今始まったばかりで、あとほぼ3日間耐え抜かなければならない絶望を、真顔のまま抱えることになる。
……みんな、生きてますか?
私は他の台座に鎮座する、他の勝者(モデル)を探した。首を動かしてはいけないから、目だけ泳がせて。
すると向こうのほうに、私と同じ高さの人物を見かけた。残念。向こう側を見ていて表情が読めない。彼女も同じ孤独と困惑に苛まれているのかもしれない。
私たち、もう友達だよね。
私は同じ状況下の頭部モデルたちと、このバイトの過酷さを語り合うエンディングを想像したり、帰省したら地元の祭りに友達でも誘おうかななど、なるべく頭を忙しくすることで、時間をやり過ごした。
目の前の状況は、どこか遠くのことだと捉えて。
現実といえばみんなが、大きなスケッチブックを広げ、こちらをじっくり見て、エスキースを始めている。粘土をこねる前に、モチーフをよく観察して、完成イメージを膨らませようという段階だ。
うんうん、これが石膏像を作る基本的な制作フローなのですね。それがちょっと至近距離で行われている、それだけのこと。私はなるべく、この現状を自分ごとにしないように努め、客観的に眺めることで真顔を保っていた。
みんな、真剣に私の顔の縦と横の比率を測っている。先生のアドバイスの通り、手を伸ばして片目を閉じて、親指で比率をとっているフェーズに突入した。
みんなは私の頭部をじっくり観察するが、私は目の前の人たちの動向を観察してはいけない。彼らを見ると、目が合うからだ。
私は、今までたくさんデッサン練習をして、あらゆる頭部(石膏像)を描いてきた。散々観察し、描いてきたヨーロピアンの英雄や神たちを思い出す。ブルータスだとかマルス、美形で大好きだったメディチ様やモリエール様……。彼らもこんな視線を浴び続けてきたのか。
ピピピピピピピピピピ。タイマーが鳴った。
「はい、休憩です〜」
私はこの時を生き甲斐にしていた。
このバイト期間、私は15分に一回、5分だけ人権を取り戻せる。それ以外はデッサン練習してきた石膏像と同じ扱いだ。
休憩時間に表情筋をほぐしたり、伸びをしたり、自由に動くことができる。座ってるだけでも頭部固定って結構しんどいということを知った。あとこれを今日は8セット。それで7万円の1/3ゲット。
座っているだけで7万円。
始まって早々に気づいたが、これは楽勝なバイトではなかった。
そしてこのバイトは、暑さよりも体力よりも、真顔耐性が大事である。体力っていうよりだいぶ精神力が試されている現場だ。そうだよね?自問自答を繰り返し、現実を受け入れているうちに、あっという間に私の人権ターンは終了した。
15分に一回の休憩。そのタイミングで、モデルには仕事があった。それは、回転台を「ちょっと回転させる」ことだった。8角形の角を、所定の位置にずらしていく。そう、ぐるりと取り囲む皆さんに、頭部をくまなく観察してもらうための移動だ。1日に8回かけて自転する星。それが私たち勝者。辱めを受けている敗者では、もちろんない。
慣れというものは怖いものだ。数セット繰り返すうちに、私はこの真顔固定業を受け入れつつあった。
15分真顔を貫き、休憩時間には受講者の皆さんと和気藹々とおしゃべりするようになった。もちろん5分後には、魔法がかかったように真顔に戻した。間違いなく私は、頭部のプロモデルに急成長していた。
「うーん」
目の前の受講生をチェックしていた先生が声を上げた。
「ちょっとこのまま進めると、よくないかもねえ」
もっとよく見てとかいうんだろうな、と予想したのも束の間、先生はその受講生を連れて、私のすぐそばまでやってきた。
私は石膏。何が起きても前を見るのみ。
「ほら、ここ! この人、頬骨出てるのが特徴なのよ」
もっと高く印象を持っておいた方がいい、と私の顔の前で講評が繰り広げられている。もっと美しく見えるように、とかではない。ありのままの私を作ることが、この場での正解だ。この空間では私が基準。
「もうちょっと頭も大きいよ。顎の骨ももう少し出した方がいい。この辺の肉も、足そうか」
正解とはいえ、自分の骨格や容姿をこんなに客観的に指摘される機会なんて、二度とないんじゃないだろうか。先生は、生徒の制作過程にどんどん粘土を盛っていく。先生私、そんな頬骨出てますかね。と思ったりした。永遠に邪念は消えない。あと先生、募集要項に「容姿についてあれこれ言われてもへこたれない心」を追加した方がいいと思います。
私はこの数時間で、立派なプロ頭部モデルに成長し、顔色ひとつ変えずその場を切り抜けることができた。
指導を受けていた受講生は、先生の指摘にイマイチぴんときていないようだった。先生はもっとわかりやすいようにと、その人を連れて私の目の前にやってきた。
「ここら辺のことを言ってるんだけど、わかりますか?」
先生は私の頬骨に触れそうな距離まで手を伸ばして指した。
「席から見えなかったら、見えるところまで移動していいんですよ」
先生が生徒の背中を押す。
「はあ〜」
受講生と先生の顔が、ぐっと近寄ってきた。
顔を近づけてきた受講生は、ぽかんと口を開けて、わかっているんだか、どうなんだかわからない絶妙な表情だ。そして、ひどく真剣な面持ちの先生が急接近し、あろうことか二人の対極的な表情が私の視界のピントに入った。
その瞬間、私の集中力は切れた。
「ごめんなさい」
私は顔を手で覆った。
真顔のまま口元が緩んでにやけることを避けた最善策がこれだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私は謝りながら笑った。そして泣いた。ああ、ここまで築き上げてきたプロとしての実績がみるみる崩れていくような。そしてここから立ち直れるのかどうか。感情のカテゴライズできない涙が出てきて、声を出して笑った。もうぐしゃぐしゃ。
みんなも笑った。ああ、助かった。
しかし、絶望的なSEが流れ、ケツバットをされて終わる場ではない。授業は続く。みんなが笑い終わり、私が真顔を戻しそれをニュートラルな状態に戻す……。その瞬間まで、みんなの制作は確実にストップだ。
苦しい。
苦しい。
今まで描いてきた石膏像の神さまたち、マルス様、ヘルメス様、どうか私を助けてください。私を真顔に戻してください。
私は腹筋を抑え込み、口内で舌を噛み、精一杯皮膚をつねって笑いを堪え、遠くの一点を見つめる存在として自らを封印した。
この一件が初日にあって以来、私はミスをせず、3日を完走しようとしていた。
2日目、ぐるりと私を囲っていたイーゼルは、粘土の土台に変わり、私の頭部を作っている感が一層増した。一回、8回転のうち1回だけ向こうのほうのモデルと目が合ってしまった時には、今度こそ死んでしまうと思ったが、なんとか目を見開き、筋力で耐え抜いた。
3日目。みんながいよいよ石膏の鋳造方法を学ぶ座学を受けるために室内に入っているタイミングで、私は受講生の作品をぐるりと周り鑑賞した。
みんな似てないな、と思った。
自分を作っているはずなのに、まるで自分には見えてこない。それが逆にありがたかった。もう完成だなんて、いいのかな。あと、やっぱり私そこまで頬骨高くないよ?鍛え抜いた真顔スキルで、私はひとり、制作途中の自分の頭部だという創作途中の作品たちの観察を楽しんだ。
最終日の昼には、私は完全な人権を取り戻すことができていた。受講生たちの粘土作品は全て石膏の型取りに入り、私の頭部作品たちは必要とあらば量産が可能な状態となった。
創作物たちは粘土から作られた型から、石膏像となり、再度姿を表した。ねずみ色の塊から、輝く白い像に変わっただけで、神々しさが増している。私の頭部だけど。
回転台を囲んでいた受講者の人数分20人・20首はもれなく石膏像の形に生まれ変わり、集結した。7人のモデルは合計で7人いたから、合計100人くらいの大所帯の授業だった。
作品が完成すると、受講者と教師が集まり、最終講評が始まる。教師から、生徒へのフィードバックの時間だ。
講評は、教師たちが、生徒の作品をいくつかピックアップして、コツを解説したり、よくできている点や及第点を大まかに説明したりするものだった。
この講評という場は、私も美大生として、散々打ちのめされたり、有頂天になったり、講評会に気持ちを左右されてきた。優秀な作品があると、それを参考作品として選ばれて、次年度のお手本にされることもある。学生の立場としては誉れである。光があれば、闇もあり、酷評すなわち「残念な作品を作った人」というレッテルを貼られる公開処刑の場でもある。どちらにせよ、一表現者として、自分の作品を他者のそれと並べて客観視することは「見る目」を養うために大切な、貴重な機会だ。
モデルたちは、最終講評を別室で待った。この間に私たちは、共に孤独と闘っていたことを分かち合い、生涯の友人になりそうな雰囲気を纏っていた。
講評会への参加を許された2人のモデルが戻ってきた。
「参考作品に、キーマちゃん選ばれてたよ」
3つが優秀作品として選ばれたらしいのだが、そのうちの2つが、私をモデルにした作品らしかった。
参考作品の2/3が、私の頭部らしい。
似ていないじゃないかと自分のサークルの作品群を一蹴した自分の審美眼のなさに悔やまれた。
次の夏、石像の私はお手本としてそこにいたんだろうか。