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たぶん一生やる「ビアズリーと私」

    こんばんは、コマノスです。
    今日は、珍しくふざけなしでお届けしたいことがあります。

    半年ほど前から今にかけて、私の身にとても不思議なことが起こりましたのでそのことについての体験談と、
    一人の画家の魅力を通して理解した自分のことです。

    おそらく長いと思うので途中で休憩を挟みながらお読みくださいね。

    第一章◆画欲勃興

    去年の夏頃だったと思います。
    それまでの私は、いつも自分がどの道を進んでいるのかわかっておりませんでした。

    ここはどこ、私は誰人間でした。

    とはいえ、バンドでベーシストとして音楽を作っているときも
    演奏しているときも、それはそれは楽しい。
    ハンドメイドも楽しいし、ふざけたDIY番組を作るのも本当に楽しい。
    写真のレタッチ技術で、色を見栄え良くしたり人物のメイクやスタイルを整えるのも得意。
    文章を書くのも楽しい。
    服も大好きだし、読書も芸術も着物文化も建築物も好き。
    母としても自分なりに頑張れている気はする。

    最初の記事にも書いたように、色々混在している自分が楽しくもありました。
    ▼こちらの記事もぜひ。

    このように好きなこと・やりたいこと・できることは多いのに、どこかまるごと無駄にしている気がしていて
    日々、私の生涯に軸ができたらいいだろうなと思いながら過ごしていました。

    おそらく自分の場合それは表現することではあるし、絶対何かが噛み合えば面白くできるはずの力を、具体的にどう、何に注げばいいのか
    早く何か見つけて何者かにならなければと焦っていたのかもしれません。

    おそらく相当長い間そのような空転状態だったので、どこにも進んでいないのに息切れしているような感覚でした。

    ふとしたとき「でも、今の環境や近くにいる人たちは気に入ってる。焦って何かにならなくてもいいのではないか。むしろそう思いたい」と心底感じて「何かになろうとするのをもう辞めたいのだ」という自覚をしました。

    そうだったのか…

    もうやめようか?

    うん、やめよう。

    私はその時、何かになるのを放棄する決断をしました。

    様々なことを家族や他の人に支えてもらうことを良しとし、
    これ以上正解を探したり、どうあるべきかと自分に問うのをやめました。
    コマノス活動もやめようと思いました。

    苦しいけれど、本当に残念だけれど、何にもなれなくていい。
    生きていればいいや。

    家族にもそう思っていると伝えると、とても残念そうにしつつも最後には私が決めたことに納得してくれました。

    日差しがあたたかい。猫が元気だ。
    もうそんなんでいいんだー。

    荷が降りた感覚と、軽くなって海にぷかぷか浮かぶような感じがありました。

    するとね、
    そこで不思議なことが起こりました。

    体の奥からゴゴゴゴゴゴ…と音がするような感覚…

    え?

    ん??ナニコレ

    めっちゃめちゃ

    絵が描きたい!!!

    なにこれ?すごいリビドー。笑
    滅茶滅茶に絵が描きたくてしかたない。

    いきなり私の混沌の中から
    「絵ってどうやって描くのーー!」
    「教えてぇええ!描かせてぇええ」

    というような欲求が爆発的に湧き上がってきました。

    言葉ではない、突き上げるものでした。

    特に「しくみを構造的に知った上で人体を描けるようになりたい」というような

    「描くという意思!」「知るという意思!」が響きだしました。

    確かに以前から絵を描くのも観るのも好きでした。
    幼き頃に何かしらの賞をとったこともありましたし
    暇なら紙の端っこに何か描いていて
    手を動かすのや考えながら描くことは苦じゃなかったです。

    しかし、人物を描きたいように描くというのが、やりたいながらも難しく、途中で断念することがよくありました。

    ちょっと頑張って描いては「うまくいかねぇな笑」「こういうのは習わなきゃできないわ!」ぽいっ(放棄)
    っということを長年繰り返していました。

    似顔絵もわりと得意で、子供の卒園の時期にクラスメイトと先生を全員描いてとても喜んでもらえたこともありましたが、「私が愛情をもって接した人しか描けない」という感覚があって、初対面の人なんかを描けるわけじゃなかったのでそれを続けようとか生業にしようと思うことはありませんでした。

    でも勝手に自分の中では「まぁそこそこ上手いほうだ」と思っていたんです。

    とはいえ、絵を学んだり、誰かに指導を受けたり、人生を賭してまで描く気になったことはなかったです。

    他のことで精一杯だったし、
    それまでの自分には特別に絵を描く理由もなかったのです。

    理由がないというのは、例えば「美しい人」「思いついた服」「想像した風景や生き物」なんかを描いても楽しくなかったということでもあります。

    今から思えば、私にとって絵って、観るにしても描くにしても
    『絵が作者の「理想化」であったり「美化」であること』はつまらないことだったのです。

    かわいい かっこいい 理想的な美しさ だから何?
    描けるからって何?といったように
    私にとっての絵というものの価値を、自分で見つけていませんでした。
    見つける気もありませんでした。

    それなのに、ここにきて急に「人体のしくみを知って描けるようになりたい」という思いが怒涛のように押し寄せてきます。
    自分にも何が起こっているのかわかりません。

    その日のうちに抑えられない衝動のまま、専門書がありそうな書店に行き、すぐに「人体の描き方」なる本を見つけ入手しました。
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    すぐに骨や筋肉の位置に基づいた人体の描き方を真似してみました。
    知っているつもりでいましたがイメージで描いている部分も多かったです。
    あと、体を描くのにも遠近法を知る必要があると分かり、それを踏まえた絵を何パターンも写して描いてみました。
    ↓
    なるほど。では今までの私の絵はこういう定義を無視していたのか?と思い、今までに描いて断念した人物の絵が転がっていたので5枚ほど描き直してみました。
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    できたものを見てみると、骨格や筋肉を理解していなかったことも、今までの絵が上手くなんかなかったことにも気づいてしまい笑いました。
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    家族が直した方の絵を見て「なんか・・骨格を感じる」と言ってくれて喜びました。ちょっと跳びました。
    ↓  
    手はこう描くのか。骨はこの比率でついてるのか。
    分かっても、やっぱり描くのは難しいな・・・

    頭の中が「体を描くこと」でいっぱいになり、そして次に
    「私が今まで目にしてきた漫画や絵画は、上手で当たり前だったけれど、自分で描こうとしたらやっぱり大変なことだった、すごいことだったんだ」

    「やっぱりビアズリーは・・・ビアズリーは本当に絵が上手いなあ・・・」
    (ビアズリーは私がこの世で出会った中で一番に愛好する画家です)
    「シンプルな線なのに肉感や奥行きがあるんだよなあ・・・」

    うまく言葉にはなりませんが、この感覚が頭の中をぐるぐるこだまして、
    ここまでの一気に来た流れに興奮冷めやらぬ感覚でした。

    自分の中の「何かにならなきゃ」という焦りを放棄したら、「絵を知りたい」と「オーブリービアズリーの存在」が地鳴りとともに明確に現れました。

    まるでずっと地下で眠っていた巨大帝国が、アスファルトの地面を引き裂いてドゴォオオ!!と地上に出現したような驚きです。

    へぇええ
    何にも制限がなかったなら
    私は絵が描きたかったのか・・・

    本当に知らなかった。
    絵はずっと描いていたはずなのに、気づいていなかった。

    自分の中に潜んでいた不思議な力を感じた出来事でした。

    このことを「画欲勃興デー」(がよくぼっこう・でー)とでも名付けましょう。

    8月の終わりの1日でした。

    ※今後の展開に2000回ぐらい「ビアズリー」という人物が登場します。
    ご興味のある方はぜひ、先におウィキペディりください。

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    オーブリー・ビアズリー
    19世紀イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在。悪魔的な鋭さを持つ白黒(モノトーン)のペン画で、耽美主義の鬼才とうたわれたが、病弱ゆえに25歳で死去した。

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    休憩

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    第二章◆ビアズリーについて感じること

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    ビアズリー作・黄と白
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    ビアズリー代表作・お前に口づけしたよ、ヨカナーン
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    ビアズリー作・黒いケープ

    画欲勃興デー以来、私が以前から惹かれ続けていたビアズリーという画家が頭から離れることはありませんでした。

    はじめに、私が感じるビアズリーの絵の魅力を申し上げます。
    「線が美しい」「余白の取り方が大胆」
    「白と黒の配分・選択が完璧」
    「手を抜かずに描いていることがわかる」
    「圧倒的にうまい・うますぎる」「ニセモノじゃない」

    ざっとこのように感じているのですが

    次に、ほかの画家にはない、ビアズリーだけに感じる魅力を申し上げます。
    大きく分けて3つです。

    1. 【美化・理想化はしていない なのに圧倒的に美しい】
      絵って例えば女性の理想化だったり、世界の理想化が多いと思うんです。

      「魅力的な女性」が題材の絵は世界にはあふれかえっています。
      でも、個人的にはビアズリーの絵に作為的なものを感じないんです。
      「あこがれてほしい」とか「こんな世界あったらいいなと思わせたい」という類のファンタジー絵じゃない。
      なのに美しいのです。

    2. 【「醜化」もしていない。】
      (醜化という言葉があるかはわかりませんが、美化の反対という意味です)

      ビアズリーの絵は世間から「悪魔的」とか「グロテスク」とか「蠱惑的」と言われています。

      ビアズリー自身も「グロテスクでなければ意味がない」と言っていたようですが、私はありえないようなグロ化もしていないと思っているんです。

      「グロテスク」ってやろうと思えばいくらでもできるじゃないですか。
      キモく描くとか、ひどく描くとか、大袈裟に妖怪化させるとか

      挿絵じゃないオリジナル絵には妖怪みたいなのもあるんですけど
      でも見てる人をショックで怖がらせる!とか、見たら病む!みたいなことはしていないと思うんですよ。
      破壊的な部分に共感するホラー絵じゃないのです。

      時代的には十分ショッキングだったと理解していますが、なんというか「事実描写」または「いたずら」っていう感じに見えます。私にはね。

      あとグロテスクにしては線が美しすぎます。
      グロならなぜ偏執的に美しくする必要があったのかという疑問が浮かび上がります。

    3. 【未来に対する希望や向上心の描写がない】
      これはビアズリーに向上心がないとかやる気がない絵だという意味ではありません。
      人物の絵には「未来」や「決意」や「希望」を想像させる絵が多いんですけど、ビアズリーの絵にそんなものは描いてありません。
      今、その場面を描いてるんだと感じられます。

    まとめるなら「作為的ではない」という点が特別だと思うのです。
    素敵な絵だと思ってほしい などの「ねらい」が無い。

    にもかかわらず、俺の絵を見ろ!っていう暴力的なまでの心意気と意地を多分に感じます。

    「ほかの画家とは違う」ことに命懸けなのだと伝わってくるような、誰も見たことのない「個性の強い絵」です。

    そこに引き付ける力が宿っています。

    個性的というのは、少なからず「誰かに承認されたい欲求」が含まれているはずなんですが、果たしてビアズリーのそれは承認欲求のなした技なのでしょうか?
    だとしたら摩訶不思議なことが起こっています。

    つまり「無作為である」と「個性的である」っていうのは本来同居できないはずじゃないか?ということ。

    見たまま(真実)を描きながら、誰も見たことがない絵になるって…
    つまり??どういうことですか???

    承認欲求のあるコピー機なんてないですよね?

    ゴッホ氏も『そう見えるからそう描いた。』
    『それが個性的な色遣いになった。』
    そういう画家だったと思います。
    だけど彼の場合は心の病がそうさせたということですよね。

    じゃあビアズリーを通した絵はどんな影響を受けたのでしょうか。
    ビアズリーの絵を描くモチベーション、動機は何だったのでしょう。

    そもそも普通、絵を描いている時点で作為的じゃないなんてありえないと思うのです。なのに私にはそう見えている。

    もちろんこれは依頼を受けて書いた、物語の挿絵が多いからでもあります。
    特にダークなお話の「その場面」を切り取って描いていることが多いから。

    でも挿絵というものも世の中にはたくさんあるわけで。
    どうしてビアズリーだけにそう感じるのか?

    さらに言えば、黒いインクだけを使って描かれたペン画なんて昔も今もたくさんあるわけで(漫画とか全部そう)

    更に後世、ビアズリーの魅力に感染してビアズリー風の絵を描いた絵はたくさんあるというのに

    道具なんてペンと紙しか使っていないはずなのに…
    まだ20代だってのに…

    やっぱり私はビアズリーの絵だけ何かが違うと思うのです。

    どうしてビアズリーだけが違うのか
    どうして私がそれに惹かれるのか

    それが知りたくて、それまでもずっと考えながら生きていました。

    私がした推理としては例えば
    「イギリス人だから表現がクールで、それが個性になっているのか?」とか
    「ビアズリーは結核のせいで死がすぐそこにある人生だったから、やはり人生のモチベーションや「死生観」が他の作家とまるで違うのではないか?」とかですが、

    でも私が読む限りの彼のことを解説した本のどこにもその答えは書いてありません。
    他のものにはあるのかもしれませんが…(文献など知っている人がいたら教えてほしいです)

    原田マハさんの小説「サロメ」の解釈も、一つの物語から得た創作だとは理解した上で、
    私の考えとは少し違うと感じてしまいました。
    少なくとも彼の人生のモチベーションに「愛憎」は無かったんじゃないかな。と思っています。
    (但し、私は原田マハさんの作品のファンです。)

    私は「画欲勃興デー」のずっと前から、こんな風に
    1世紀も前に姿を消した人物に対して、毎日画集を眺め、思いを馳せて過ごしていましたが、「画欲勃興デー」以降はもう自分の中に「これをやるべき」がなくなり、その代わりに湧いてきた「絵と、ビアズリーと、自分を理解したい」という衝動に何倍も忠実に動くようになりました。

    偶然にも隣の県で開催されていたビアズリー展の最終日でした。
    (そんな偶然あるんですね。笑)

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    これに行きました

    その2か月ほど前にも1度行っていましたが、
    「画欲勃興デー」の衝撃のままに片道2時間かけて隣の県の美術館に行きました。

    そのビアズリー展では数多くの作品を観て、
    本人の使っていたデスクなども間近で観ました。

    けれど、やはりビアズリーの内面に迫るような、はっきりしたことはわからないまま帰ることになってしまうのでした。

    少しがっかりして、それはしこりとして残りました。

    (でも、しっかりグッズは入手しました。ミュージアムショップ大好き。)

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    休憩

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    第三章◆模写ラーニング&プロファイリング

    ふと「更に彼を深く知るには、私はもはやビアズリーの仕事を・所業を、真似てみるしかないのではないか」と思い立ち、さっそく画集に載っていた一つの作品の模写をすることにしました。

    もうその方法しか、しこりをとる方法がない気がしていました。

    私が模写に選んだのは「媚薬を飲むトリストラム卿」という
    黒い額のような囲みがある絵でした。

    黒い囲みにも植物や曲線が絶妙なバランスで配置されて描かれており
    囲まれた中には二人の人物が向かい合って立っている構成でした。

    絵全体の模写というのはこれが初めてで、2日くらいかかって描き上げましたがとても新鮮な体験でした。

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    下絵
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    完成した模写

    この「模写ラーニング」はなんというか、とても重労働でした。

    まずビアズリーは1890年代ごろ活動した人物のため
    なるべく当時無かったであろう技術は使いませんでした。

    ペン画なので基本的には白い紙に黒インクを使ってペンで
    「線を引く」そして「塗る」ことで絵は完成します。

    ビアズリー展でも、画材の欄には「インク 紙」としか書かれていないので基本的に道具はそれだけだったと思います。

    修正インク的なものもあったかわからなかったので使いませんでした。
    なので白いところは「白で塗る」のではなく、黒くしないように「紙の白を残す」しかありません。

    (これが凄く細密で大変だった…)

    私としてはさすがにいきなり漫画家さんの使うようなつけペン?万年筆みたいなのは使いこなせないので、ミリペンと言われる細いペンを使い、広範囲を塗るときは筆ペンを使いました。

    (さすがに鉛筆で下書きはしたよね…⁉)

    最低限の道具を揃えてから模写をしてみると色々なことがわかってきます。

    • 下書きした後、白で残すのかそれとも黒で塗るのか、出来上がりをイメージして決めなければいけない。

    • 黒いものの中に何かを描くときは先に決めておかないといけない。白かったところを黒にしてしまったらもう戻れない。

    • 「そこ」ではなく「ここ」と選ぶ覚悟をして、何もないところを黒く引き裂いて勇猛果敢にペンを突撃させなくてはいけない。

    • こうと決めた線に忠実に引けたかどうかは引いた後にしかわからない。

    • 疑いや迷いのないいい線が引ければ重い達成感に包まれる。

    • 引けなければ1からやり直し。はみ出しや大きなミスは許されない。

    • 細かなミスはリカバリーしなきゃいけないけれど、リカバリーでさらにミスを重ねる可能性もある

    • たぶんビアズリーもちょっとはミスしてるけどリカバリーしてる。

    • 道具と友達になっていなければ描きつづけられない。

    • ビアズリーの線の緻密さは狂気 柄よりもとにかく線がヤバい 自分の腕や手を思ったように動かす技術が必須

    • 連続する装飾のパターンでも、規則的だけど機械的ではないように練られている。これをやれる人は死ぬほど莫大な創造力の塊。

    • 動植物の無作為な美しさを、描き手が邪魔してはいけない。

    • 誰も見たことのない絵にしなくてはいけない。

    • 私がまず私を納得させたい。そのあとにお前ら。

    • その末に絵が生まれる大いなる達成感。 
      などなど…

    もちろんビアズリーにとっては重労働なんかではなかった可能性もありますが、ビアズリーが描きながら考えていただろうことが少しずつ私にも伝わってくるような気がしました。

    贋作画家が一番作者を理解すると聞きますが、本当にそうかもしれないと思っちゃいます。

    白い紙に1本の黒い線を引くことは
    私にとっては勇気とか決死の覚悟とか忍耐や根気のいるもので
    やり直しがきかない、後戻りのできない実に勇気のいる行為でした。

    それに、この絵を描くのに「膨大な集中力」や「多くの絵を描いた経験」や「身体技術の鍛錬」「ないものを生み出す創造性と狂気」が必要なことがよく伝わってきます。

    それを考えると、彼の中の絵を描く原動力も少し見えてきます。
    彼の中にはもちろん死期を悟っていた焦りのようなものがあったかもしれないけれど、
    それ以上に「絵を描いているときや完成時の満足」があったんだと気づくのです。

    じゃないとやってられないというか。
    エピソードにはないけれど、何のためにやっていたのかというとやはり彼にとっての喜びがあったんじゃないかなと思うのです。

    これはビアズリー人生を美談にしたいわけでも、無理やり幸せだったことにしようとしているわけでもなくて

    むしろビアズリーは「他の人間にはのうのうと生きて色恋や金や欲望にまみれる余裕があるけれど、俺はだらだらしてる暇なんか無い。もうすぐ死にそう。」と思っていた可能性はあると思っていて、

    生命の終わりがすぐそこにあったから、生命エネルギーを注ぐ先を絵にしぼるしかなかったかもしれない。

    そこがやはりほかの画家とは絵だけじゃなく人生のモチベーションの大きな違いになったのじゃないかなと思うし

    死期が近いとわかっている人が、少しも喜びのないことに時間を使わないのではないかしらという推測です。

    しかしやっぱりビアズリーの絵にも、残された本人の人物像にも、解説書には「異端」とか「グロテスク」とか「卑猥」「悪趣味」「シニカル(皮肉的)」「不満げ」という冷たい系の言葉が多く(賞賛を込めつつも)使われていて、
    逆に彼の中にあった喜びにフォーカスするようなワードはあまりにも少ないので、ただ絵を見ているだけでは絶対にわからなかったけど

    描けば少しわかると思います。
    絵の中の飛んでいく鳥や、開いた花びらや、伸びる茎を描いているときに
    「ただそれがそうであるように」描きたいと願っていたはずなんですよ。
    これが一番、模写中に強く感じたところでした。

    格好よく描こうとしていたのではない。
    手癖にも頼らず、蔦がああ伸びるように、そうであるように描きたかったんだと。

    間違いなく「装飾」ではあるけれど、ステキっぽいファンタジーじゃない。
    鳥や草木そのものを見てきて、「ああ、草ってなんでこんなに放っておいても規則的で、なのに無作為で、完璧だ」って思ったことのある人の線であり、絵です。

    もうこれは妄想と言われても絶対にそう。
    私も野山を飽きるほど見て、触れて、摂取してきた人間です。

    道端の雑に生えた草木でも、そのまま描けたら一番美しいのにとよく考えます。

    そして偽物のナチュラルではなく、植物や自然のことを「それがそうあるように」描けたと、納得がいく絵が描けたとしたらどうでしょうね。

    確信をもって言えます。
    絵を描くという行為の中に彼にとっての自己実現があったと。

    言葉はチープですし憶測でしかないですけれど、彼にとっての喜びが絵の中にあったことは、たぶん実際に時間と労力を注いで描いたら分かることではないかしら。

    それに「なるべくこの世に痕跡を残してやる」という動機もあったかもしれません。
    これが、ビアズリーの承認欲求の正体だとしたら、
    「今後絵描きとして売れたいな」みたいな「未来がある前提」の動機で絵を描いている画家とはやっぱり絵に載る覇気のようなものは違ってくるはずだと思います。

    私が知る限りの解説ではビアズリーの人物像についてあまり温厚なイメージで書かれておらず、
    これまでは「能力の高い青年」ならではの 性格の悪い感じ?他人を舐めた感じ?の冷たくて不満げな印象でビアズリー青年を見ていて、そのイメージも天才肌というか、クールで好きでしたが、

    模写をしてみたら、もしかしたらビアズリーはただ無作為でおのれに素直だっただけかもしれないぞと思えてきました。

    例えていうならスラムダンクの流川君的な。

    流川君に高い能力があることは確かで、人によっては嫌味な奴だと感じるし特に桜木君に勝手に嫉妬されたりするけど、
    本人には相手をおとしめようなどという思惑などなく、どストレートなだけ。忖度がないというか。それが余計に周囲は疎ましかったり。

    感情は他人に見えづらくて、ほとんどの他人に、満足そうに見えないけど、
    本人の中には楽しいも満足もちゃんとあって、ちゃんと求めていて、
    むしろそのためにバスケしてるじゃん。みたいな人物像。

    「流川でいうバスケ」
    「ビアズリーでいう絵」
    そういう生き物っていう感じだったのかもしれないなと思いました。

    そんな風に考えたら私の中のビアズリーが解像度を増したような気がしましたし、若者としての青さ?未熟さがあって、だけどその時期は貴重な時期でもあるような、そんなみずみずしさまで感じてます。

    そして今回、私が自分の手を動かして描いてみたからこそ、
    ビアズリーはなんという若さで、なんちゅう集中力でこれだけのことをやったのか…!!

    この作業で、デビュー前の2年でで500カット?(らしいです)・・・こわ!
    も、もちろん小さいのも入れてだけど!!

    尊敬や畏怖の念が湧いて止まりません。
    恐ろしく、眩しいです。

    私が描いたものは失敗だらけでボロボロで、
    今からこの手法で絵を描き続けたとしても
    あとどれくらいであんな美しい線が引けるようになるのか。
    途方もなく感じました。

    でも私これ1回目だから!笑

    もっとやったらよくなるはずだ!

    と思い、学びの多すぎた模写ラーニングは終了しました。

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    あとね、ビアズリーとは関係ないけど世の手描きの漫画家さんもすごいなって心から思いました。笑

    今の自分から見たら、同じくずっーと決死の覚悟でペンを走らせ、白い紙の上を突撃しまくってる状態で何百カット・何千カット描き続けてるなんて…

    コピペも「control+Z」(やり直し)も使わないなんて…

    それもこの時の模写で気づいたことでした。

    売れてる漫画家や伝説の漫画家だけじゃない、
    どんな同人漫画家でも、
    簡単には到達できない、鍛え上げられた力を育てていたんですね。

    ありがとう。狂気です。眩しい。

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    休憩

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    第四章◆模写ラーニングを終えて

    更に私自身のことで感じたこととしては、
    初めて、絵を描くときに「制約(ルール)」を持って描けた気がしました。

    自分が描く絵って極端に言えば、どうにでもなるじゃないですか。

    かわいい子が描きたければ可愛く描けばいいし
    グロい絵を描きたければそう描けばいい。
    どう描こうが自由というか、勝手にすればいい。

    冒頭にも言ったように、だから何?という部分で私は自分が絵を描くことにつまらなさを感じていたんです。

    写真修正だったら、モデルを魅力的にするとか喜ばせる対象がありますよね。漫画だったら、キャラによって「そう描く理由」がありますよね。
    そこが達成すれば完成する。

    でも、オリジナルの美しい絵、かわいい絵、本物みたいな絵、にあふれている世界で、
    私がどの部分に目的をもって描くのか?何が描けたら完成なのか?
    しっくりくるものに出会えていませんでした。

    描く理由がないと言えば他にも、油絵に惚れた!とか、日本画を守りたい!とか、色鉛筆の色合いがツボ!とか、そういう道具や技法への理解や情愛もまだなかった。

    これやります!と言い張れるほど自分が何に惚れているか理解できていなかったんです。

    でも「ビアズリーの模写」というルールを設定した時に
    この手法の「誤魔化しがない」ところがとても勇敢でかっこよくて、興奮しました。

    ビアズリーやっぱ伊達じゃねぇな!っていう感じです。

    例えば、長い線を描いたら普通どこかで途切れるはずなのに線の継ぎ目がない。
    これは身体技術です。私じゃうまくいきません!
    あと、ペン画って「サササッ」と描いた「払い」の形跡が出るはずなのにそれもない。
    ペンを走らせて、止まったところにインクだまりがない。
    美しい線は手癖を感じない。
    腕が極まっています。

    ほんとにどういうことでしょう? 
    (こういうことは美術の学校で習うんですか?)

    そして、道具も極まっています。
    「紙」「インク」「ペン」
    以上。

    誤魔化しがきかない最小限の装備…ぐうぅぅ

    修正用のインクとかはあったんですかね?
    絵の具でしょうか? 削る系?
    調べても分からなかったけど、あったとしても使うのはほんの少しですよ。たぶん。
    基本は間違えたらやり直しだったと思われます。

    この『単純こそ強い。』に共感するところが自分にもあるし、やっぱり自分の腕だけで真っ向勝負しているビアズリーは勇敢でかっこいいです。

    あと、気づいたんですが、模写した絵には、陰影すらない。

    ここにも驚きました。

    できるのに。
    陰影表現をしている絵は初期のものにありますし、
    ペン画のハッチングという陰影をつける技術も持ってる。

    でもしてない。

    線と線の間隔や形だけで立体感、奥行き感を出したりしてる。

    陰影をつける意味って何でしょうね。

    リアリティ?
    それはなぜ必要?

    絵とは、「絵」なんだと。

    ぐうううぅ…

    伊達じゃねぇ…痺れる…

    (良き陰影も技術が必要なのもわかります)

    この「黒だけ」「線だけ」「ペンだけ」「腕だけ」で表現するという極限の制約、

    これを私のルールとした瞬間に
    本当に難しいけれど、絵の面白さがとても濃くなりました。

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    それから私は、もっとこの能力を高度な状態で携えるべく
    3つほどオリジナル作品を試作として作ってみました。

    題・ドレスの女

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    コマノス作・ドレスの女

    手や服のシワの線を白で細く残すのが地獄のように難しい
    黒でうっかり塗りつぶしてしまったらだめになる
    髪を白で残すか黒にするか、とても迷ったけれど黒に塗った瞬間「完成した」と感じられました。

    題・ドレスに杖の女

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    コマノス作・ドレスに杖の女

    はがきサイズの紙で試してみる。小さい描きづらい。

    題・遠山さん

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    コマノス作・遠山さん

    B4くらいの紙にしてみる
    描きやすい大きさだなと思う
    構図やシンボリックなモチーフが気に入る

    これを描いている間に、

    • なんとなく紙がざらざらで引っかかるのが嫌で、つるつる系の紙を入手する

    • ペンの種類(太さ)を増やす

    • 人体や手の描き方を研究する

    みたいなことをやりました。

    描き心地の良いつるつるの紙を手に入れたこと、
    ペン使いにも少し慣れてきたこと、
    そして描きたいことの輪郭が強くなっていることが合わさったことで

    ここから先は試作品という意識がなくなりました。
    自分の作品として誰かに見てもらうつもりで描き、絵に短い物語も付けました。

    4作品目
    題・私は生まれた

    画像
    コマノス作・私は生まれた
    ———*———*———*———*

    人生の半分以上を、自分以外の人の言葉や態度に従って生きてしまった。

    暖かかったかもしれない。
    正しかったかもしれない。
    もしくは幸せと言えたかもしれない。

    でも、どうしても許せない。
    花を握りつぶして言った。

    例え今は丸裸でも、ここにいるよりいいはずだ。

    女は今、生まれた。

    頬骨は張り、乳も垂れ、腹も膨れてしまったのに
    今生まれたのだ。

    森羅万象に幸あれ

    ————*————*————*

    5作目
    題・誰恥寒道中(だれはじかんどうちゅう)

    画像
    コマノス作・誰恥寒道中

    旅は始まっているようだった。
    そして今声が聞こえる。
    「お前さえ馬鹿でなかったら、世界は完璧だったのだ 」と。

    憐れみと反逆心に幸あれ

    —— ————*————*————*

    6作目
    題・ホップと墜落する燕

    画像
    コマノス作・ホップと墜落する燕

    女は割れないように卵を守り続け、ついに手放すことができなかった。

    ——森羅万象に幸あれ——

    ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*

    春ですね、燕が巣立つところを見たことある方、いらっしゃいます?
    親が少し離れたところから、子に向かって口うるさく激励するんです。
    「飛んでみなさい!私が育てたんだから絶対大丈夫!
    飛べなきゃ生きていけないよ!がんばれ!」と言っているようで、
    真っ当な「巣立ち」のシーンを見た気がしました。

    子は守るだけでは飛べない。

    巣立つタイミングを間違うな。

    ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*ďźżďźżďźż*

    という感じで
    まだ文章の形式が定まっていませんが
    絵は、いつか誰かに見てもらえるように描きました。

    これらは模写じゃなく自分が描いたものなので、以前より深い気づきがありました。次章でお話しします。

    ďźżďźżďźż*

    休憩

    ďźżďźżďźż*

    第五章◆この絵は自分

    今まで散々「ビアズリー」を20000回くらい連呼しているような私ですが
    実は、ビアズリーを崇拝しながらも、実は彼の作品に「これが最高の作品だ」と思えるものがあったわけではありません。

    え?って思いますよね。

    全ての絵を見ることができたわけではありませんのでこれから見つかるかもしれませんが、今のところは不思議なことに「ビアズリーの絵でどれが一番好きか」と問われたとしたら、どれも選べないんです。

    全てが完璧だけれど、どれも満足ではない。
    不思議な感覚です。

    (最高におこがましいですが安心してください。自分を殴りながら書いています。)

    これは上下の話ではなく「ビアズリー=私ではない」絶望感のお話しをしているのです。

    理解していただけるかはわかりませんが、
    好きだからこそ思い通りでないことを悲しく思うっていうことあるじゃないですか。

    焦がれるほど愛好しているものや人間がいても、どんなに似ていても、すべてがしっくりくるわけではない。

    理解できるわけではない。
    相手に理解してもらえるわけではない。
    好きな人が好きな世界を作ってくれるわけじゃない。
    ってことあると思うんです。

    なんで!私はもっとこうだったらいいと思うのに!
    前はもっとこうだったじゃん!
    とかね。

    そんな不満をたらたらとのたまっていると

    「じゃあお前がその立場になってやってみろよ」
    って声が聞こえてくる。

    しくしく(:_;)
    なんで私のために頑張ってくれないのや…寂しいわ…的な。

    (脳内会話です。)

    だってその人は私じゃないからね。

    私はビアズリーに今言ったほどの強烈な不満があるわけではないですし、
    挿絵元の物語を正確に知らないというのも一因ですが

    完成品としてみたときに何故か好みじゃないという気持ちがあります。

    でもほかのペン画家作品と絶対に見間違えない自信があるくらいには崇拝しています。

    心から理解したい人であり、どこまでも理解しがたい人でした。

    しかしその寂しさと孤独に近い感覚は、おそらく同時に
    自分自身で創造することの原動力であると思うのです。

    「さぁ、お前ならどう描く?」

    私は長らくその問いとも 共にあった気がしますが
    しかし「画欲勃興デー」以前の自分には応えられるはずもなかったです。

    心のどこかが骨折しているのかと思うくらい、私が私の作品などというものを生み出すことに異常なまでの恐怖心もありました。

    しかし、この時の私は恐怖心のことを考える間もなくこの6枚を描く方向に進んで「私はこう描く」という答えを自分の中からいつのまにか外側に出すことができた。

    動植物のゆらめき
    生々しい感情

    これが私の満足する絵なんだと、描き終わった後に気づきました。
    納得している自分に驚きます。

    精度の低さなどはもちろんわかっていますが、描いているとき、私という描き手はいろいろな選択肢の中から1つだけを選んで線を引きます。
    私が捨てた選択肢が本当はいくつもあるのです。

    それは美のため、自分のため、いつか見る者のために選んだということでもあるし、同時にそのほかを捨てたということでもある。
    その選択を、一つとして誰かに任せずやり遂げたから感じることのできるこの感覚

    「この絵は自分だ」

    これが衝撃でした。

    きっと何かを作る人ならもはや当然の感覚なのでしょうか。
    絵描きでも、パン屋でも。
    経験していますか?パン屋さんどうですか?

    私は初めての感覚に驚いています。

    でも私が選んだのだから、私が気に入るのは至極当然と言えば当然。

    私から出てくるものが、まさしく私なのだと
    ようやくわかりました。

    ゲスの極み乙女の曲が流れてきちゃいそうですね。

    ďźżďźżďźż*

    何よ今更!
    コマノスって動画で前から「自分でお気に入りを作れ」「お気に入りを作れば世界は自分のためにあったように感じる!」って言ってたじゃない!
    おんなじことじゃない!

    ちゃんとやんなさいよって!!(自分に𠮟咤しています。)

    ďźżďźżďźż*

    休憩

    ďźżďźżďźż*

    第六章◆解を得る

    ここで、改めて問いに戻ります。

    ビアズリーの絵は、美化していないのに、
    理想を描いていないのに、
    未来への希望や向上心みたいな描写がないのに、

    どうしてこんなに美しいのだろう。
    どうしてこんなに偏執的で魅力的なんだろう。

    そして、私はどうしてこれにこんなに惹かれるのだろう。

    そうか、、それはもしかしたら、彼が類まれなる技術と感性をもって
    世界をそれこそ「どストレートに」「誤魔化さず」「あるがままに」「受け取るがままに」描くことができたからではないか。と思いました。

    それをすることに忠誠を誓った絵だったから「偏執的」と言われるまでになったのではではないかしら。

    つまり

    動植物はそこにあるだけで完全体だし、
    人間は生きているだけで滑稽で醜悪だ。


    それがこの世界じゃないですか。
    ビアズリーは操作せず
    両方を描いただけのような気がしませんか。
    それは最高のコントラストとして!

    ああ!だからか!
    美化じゃなく・まして醜化でもなく・理想化でもない。
    今、現実が最もグロテスクだと!!!
    そのストレートな表現に私たちが「まさにそうだなあ!」「現実を見せられるとグロいなあ」と感じているということです!!
    禁欲的な世の中で正しく育ってきた人からは「目を覆いたくなるような絵だ」と言われるのも、これが清濁併せ持つ現実だから。

    例えば性欲旺盛な人に対して「まるで歩く性器のようだ!」と思うことありますよね。だからそう描いただけ。みたいな。

    「植物の蔓がこんなに美しく巻いている時に、人は相変わらず欲深く愚かですね。そうでしょ?don’t U θ ink?」

    そんな風に、お互いを強調する役割があったんじゃないかな!

    あ!
    ああああん!そういうことか!
    私がどこに魅力を感じたのか、やっとわかりました。

    本当のことだからです!嘘じゃない!偽物ではない!
    見たこと、感じたことが、実体験として私の中にもあるんですすべて!

    私が完全だと思ったあの動植物の無作為なゆらめきも、醜く愚かで生々しい人間の恣意的な表情も、ビアズリーの絵には同時に存在していたから… 

    くっ… 泣ける。

    それで言うと、彼がやっていたのはまさにこの世を描くということ。
    享楽的で欲に踊らされた、憂き世の絵…

    つまり「浮世絵」

    西洋版、浮世絵…

    ぎああ!面白いね!泣きそうよ!!

    彼は日本の浮世絵や春画を集めていたジャポニズム探求家という点で、
    大いにインスピレーションがあったはずなんだよね!

    いや、もはや「インスピレーション」という言葉の範疇を越えて、きっと正確にジャポニズム絵の芯を食ったんだ。
    トッピングじゃなくて、出汁の取り方を体得したんですよ。

    余白の取り方
    衣服のデフォルメ表現
    ショッキングな性的表現
    植物のシンボリック表現

    これは見事な和と洋の出会いだったんだ…!

    そうだこれは絶対そうだ。

    和洋折衷なんだ!

    だからこんなに個性的なんだ…

    ああ!そして!この私自身が和洋折衷を愛していることも
    自然や動植物のうつろいのような森羅万象を愛していることも
    更には両極端なものを共存させるという
    一見無理があるバランスの融合、両立っていう表現が好きなことも
    白であることも黒であることも!

    (私が作った動画をご覧になった方らわかるかしら。)

    証明された!
    ビアズリーを通して。
    私が愛するものとビアズリーは少しもズレていなかったんだ!!

    だからこんなに惹かれていたんだ!!

    答えをやっと見つけました…!
    本当に嬉しい。

    ビアズリー!!
    おまえの人生は短かったかもしれないけど、
    1世紀もあとに生きているジャパニーズ女に今衝撃を与えているよ!!

    (年下だからおまえ呼ばわり)

    乾杯!!

    ďźżďźżďźż*

    ここまで、私の勝手な大妄想が大半なのですけれど
    何よりも私の中で整合性が取れて納得いくことが大事だったので、
    そのまま書きました。

    ビアズリーの心情やモチベーションの部分について
    そうかもね…と思った方は新説として受け取ってください。

    ďźżďźżďźż*

    そうか、ビアズリーはそれらを私に知らせるためにずっと私に謎を仕掛けていたんだ。

    Q1、なぜビアズリーに惹かれるのか

    A1、私が良いと思うものの集合体だから。

    そして自分が見てきたものに対しての嘘のない表現・
    絵を描くことに対しての勇敢な姿勢を素晴らしいと思うし
    同じことを自分が自分に望んでいるから。

    Q2、なぜビアズリーの絵に一番好きなものがないのか

    A2、「最高の作品は自分で描け」と教えるため。

    逃げるなってことを教えていた。
    もう完全に理解しました。

    でもさ、私がある日何かになることを辞めて、生きてるだけでいいわって決断しなかったら、おそらく「画欲勃興デー」は来なかったわけで
    それがなかったらビアズリーと自分を理解することもなかったかと思うと、
    ちょっと人生難しくないですか??笑

    そんな簡単に辞められないでしょうよ!!

    でも、しがみついてたら変わらなかったんですよ。

    人生はコントロール不能。It's so おもろ。

    といったところで終盤に向かいます。

    ďźżďźżďźż*

    休憩

    ďźżďźżďźż*

    第七章◆おわりに

    実はこの記事は私の6作目「ホップと墜落する燕」を描き終わった後に言語化しているもので、

    この文章を書いているときに初めて
    『自分が感じてきたものに対しての嘘のない事実表現』だからビアズリーに惹かれるのだ!と理解できたのです。

    つまり、描いているときはまだその重要な答えには気づいていなかったのにもかかわらず、
    描いた絵を見返すと、私が「自分が感じてきたものに対しての嘘のない事実表現」で描いているではないか。と先ほど気づきまして、なんだかとても嬉しく思っているところです。

    もちろん同じようにできるとは思っていませんし「作為的じゃない絵」なんて描ける気がしません。

    でも、もう観念しました。
    「これなんだな」という感覚がある。

    たぶん、一生やる。

    これをやるんだずっと。

    何者かになることはないかもしれない。
    本当にこれが何になるのかわからない。
    絵じゃなくなる日が来るかもしれない。
    どうなれば正解なのかもわからない。

    じゃあ私は絵描きなのか?画家なのか?イラストレーターなのか?
    それは今もわからないけどたぶん「これから」なのでしょう。

    もちろん、望みはキリがないほどあるし可能性がある方向へ進むけれど、無理に探したところで見つからないってことだけは散々体験しました。

    ただただ、自分から出てくる説明のつかないゴゴゴゴ…に従うべきだとわかってしまった。

    だからこの文も書いていて、おかげでその事実が理解できた。

    おめでとうかな。

    私、おめでとう。ありがとう。

    これがここ半年間のお話でした。

    ďźżďźżďźż*

    これまで直接お会いしてきた皆さまに置かれましてはコマノスのバンド活動や人間活動の面で大変お世話になっておりましたが、絵を描くことによってその活動が終わるとか止まるといったことは一切ございません。
    それはそれで貴重で、楽しいから。

    いずれもやることで「嘘のない表現」と触れる機会が増えて
    感覚が鈍らずに済むような気がしています。

    「わたくしにとって人としての軸が定まったような出来事が起こったよ」といった内容の記事となっており
    今思えばぐるっと回って元の位置に戻ってきたような感覚もありますが

    「よかったね」と思っていただければ幸いです。

    読了お疲れさま。

    ďźżďźżďźż*

    最初のほうに書いたことですが
    「やめること」の中に「コマノス」というのも入っていました。

    しかし「絵を描きたい」を見つけた後、
    紙やペンなど自分に合う道具を集めていく段階がありました。

    その際、「コマノス」という名前と場所をあまりにも必要としているという自覚が湧いたのでもう一度携えることにしました。

    これ以上の名前はないし、自分が自分にした贈り物の中で一番美しいし、
    本当に自分だなあと思うから。

    独りで楽しい私の場所
    独楽の巣
    コマノス

    完

    #ビアズリー
    #ペン画
    #創作大賞2026
    #オールカテゴリ部門


     
     

    comanos

     
     
    森羅万象を軽はずみに表現する女🔮   🖋ペン画 💿加茂博之&バウムクーヘンズのベース 🪐宇宙的DIY番組 🪽羽根ペン作家 ⚠無断転載禁止 ⚠問い合わせ→c0man0stradamus@gmail.com ⚠いろんなリンク→https://lit.link/comanos

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