バス停は蜃気楼
十月になってしまいました。日々が過ぎるのが早いといつもぼやいているわたしですが、最近とみにそう感じます。読書記録を再開したいけど、もうどのあたりから手をつけていいやらわかりません。ああ。久しぶりの日記三本立て、まいります。
週休二日で十分
横断歩道を渡っていたら、向こうから歩いてくる男性の黒いTシャツの胸に「週休七日制」と書いてあるのが見えた。ネタとしてどうなんだろう。狙いすぎてすべっているような、いないような。とりあえず、わたしは週五日か六日働くペースが好きなので、週休七日制になったらいろんな意味で息絶えてしまいそうでこわい。週休二日で十分です。
バス停は蜃気楼
このあいだ、バスに乗ろうとして、Googleマップが示すなかでいちばん近いバス停をめざして歩いた。けれど、気持ちが沈んでいたために俯いて歩いていたから、めざしていたバス停をいつのまにか通り過ぎてしまっていた。戻るのも癪だし、次のバス停まで歩くことにした。自分のダメさ加減にますます気持ちが沈み、やっぱりうなだれながら歩いた。すると、またもやバス停を通り過ぎてしまった。結局、当初めざしていたバス停の三つ先でようやくバスに乗れた。「バス停って蜃気楼みたい」と思ったけれど、いやいや、単に俯いて歩いていた自分のせいである。物理的にも心理的にも、やっぱり上を向いて歩いたほうがいいんだな。そんなことをあらためて学んだ日。
世界のすべてが美しく見える日まで
気に入りのカフェでコーヒーを飲み、マスターとおしゃべりしていた。近くのテーブルにいたおばあさんがお店をあとにしようとしていた。お年のころはおそらく八十代半ば。やや頼りない足どりに、思わず「お気をつけて」と声をかけてしまった。おばあさんは驚いてわたしのほうを振り向き、「ありがとうね。あらま、きれいな人ね!」と言った。褒めていただいて大変申し訳ないけれど、わたしはそれに値する容姿ではない。これまでの人生できれいと言われたことはほぼない。きっとおばあさんには世界のすべてが美しく見える魔法がかかっている。なんて素敵な生き方だろう。そう思うと、褒め言葉よりも、これから年を重ねていくことに対する希望をもらえたのが嬉しくて、スキップしながら家路についた。わたしも周りのものがみんな美しく見えるような老後を迎えるんだ、と心に決めた。
