メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bysoeji

真実をめぐる攻防戦が教えてくれたこと

    ちなみ

    少し前に祖父の話を書いたら、ポロポロと遠い記憶がよみがえってきた。長く思い出すことのなかった母方の祖母との時間まで、あれやこれやと。

    母方の祖母が亡くなったとき、私は27歳だった。

    70代後半に差しかかった祖母は、肺炎をこじらせて以来、すっかり気弱になってしまっていた。いや、もともと気の強い女性ではなかったのだけれど、ものごとにおびえやすい気質に拍車がかかった感じで、言動のあちこちに弱々しさをにじませるようになった。

    祖母は心臓にも不調を抱えていたらしく、田舎から大阪の大学病院へと転院し、闘病していた時期があった。

    その頃の祖母が日常的に口にしていたのは「おばあちゃんは、もうあかんかなぁ。死ぬんかなぁ」という言葉だった。

    祖母の娘である母と、孫の私は「そんなわけないやん! すぐ退院できるよ!」と口を揃えるのが常だった。叔父と母のあいだで、そう答える取り決めがなされていたのだ。

    そんな励ましを祖母が鵜吞みにする様子はなかった。いつも自分の命について考えているようなそぶりで、ぼんやりすることが多くなった。

    私たちはずっと嘘を伝え続けた。

    「もうすぐ退院できるよ。おじさんの家で、のんびり暮らせるよ」

    実際、叔父の家では、祖母が生活できるよう準備を整えていたのだ。

    しかし祖母は、私たちが病室を訪れるたびに弱々しさを増していき、そのまま静かに80年近い生涯を終えた。

    祖母が亡くなった日、私と母は、帰宅する車の中で泣いた。

    「ほんまのこと言えばよかったのかな」

    私の問いかけに、母は答えなかった。

    病状を隠す私たちと、怯えながらも知りたがる祖母。真実をめぐる攻防戦のなかで、私たちが望んでいたのは、平穏な日々だった。

    祖母にただ心穏やかに過ごしてほしかった──それに尽きる。病気になる前の、なんの変哲もない一日をそっと重ねていってほしかった。

    きっと祖母は知りたかっただろう。でも、気弱な祖母に、病気の現実が受け止められるだろうかと、私たちはおそれていた。

    病をとりまく状況下で、母も叔父も私も、迷い続けていた。答えも見えなかったし、後悔も残った。私たちはもしかしたら間違っていたのかもしれない。

    あの日々が教えてくれたのは、人生は最期だって思い通りにならないという現実だ。

    私もまたこの先、真実を知らされぬまま逝くかもしれない。祖母に嘘を言った私は、それを恨んではいけない。

    初孫の私をとてもかわいがってくれた祖母。いつかあっちの世界で会えた日には「ほんとうのこと言えなくてごめんね」と謝りたい。

    謝罪に対する祖母の返事は、想像もつかない。かわりになぜか「さつまいものレモン煮、食べるか?」とたずねるあの優しい笑顔を思い出す。

     
     
     
    ライター、9歳双子の母。小さな幸せを大切にする、40代関西人。連続更新1300日超。|育児日記|思い出話|読書記録|ひとり井戸端会議|モノとわたし|自省のひと言| ご連絡は「クリエイターへのお問い合わせ」、またはDMにお願いいたします。

    あなたへのおすすめ