
耳を澄ませばきこえる心の声…
耳を澄ませばきこえる…
本当に助けてほしい人の声は、
案外、小さい。
「私、こんなに大変なの」
「こんなに傷ついたの」
「誰もわかってくれない」
常に大きく訴え続けている人ほど、
実は「助けて」ではなく、
「私を見て」と叫んでいる…
声を上げることは悪くないし、
苦しいときに、助けを求めることも大切。
しかし、
本当に気づいてあげたほうがいいのは
声を上げることすら出来ない人。
笑っているけれど、何かいつもと違ったり
「大丈夫」と言うけれど、
本当は全然大丈夫じゃなかったり。
いつも明るいのに、
ふっと口数が減っていたり…
しかし、
「話をきいて」「助けて」とは言わないが、
その小さな変化の中に、SOSが隠れている。
耳を澄ませば、
よくみれば、
言葉にならなかった表現、
声にならなかったため息、
笑顔の奥にある沈黙に気付く。
人は苦しさが大きいからといって、
声も大きくなるとは限らない。
むしろ本当に苦しいとき、
人は「静」になることがある。
人間関係もそう、
意見をぶつかり合える間はまだいい
しかし、
向き合う気力さえも失くしたとき、
人は静かに離れる。
また、
周りのノイズを消さないと、
実にその「静」に気付きにくい。
騒がしい環境は、
目の前の人の小さな変化さえ、
聞き逃してしまう。
「察する」「言わなくてもわかる」
ということでもなく、
ただ、言葉だけを信じるのではなく、
「何か、いつもと違うのかな?』に
気付ける人でありたい。
何もきこえていないような、
「静」の中にも、
耳を澄ませば、ちゃんときこえる。