
「私、反応見てるから」大人はいつも見られている
フリースクールの生徒と接していると、いろいろ考えさせられる。
叱られる「空気」を察知する子どもたち
まず、注意を受けることを、子どもたちは想像以上に恐れている。
日常的な注意は、意外と受け流されることが多い。「ちょっと声が大きいから静かにしようか」くらいだと、軽く流される。
でも、少しかしこまって注意をすると、耳をふさぐ。本当にふさぐのだ。
帰り際に「ちょっと座って、話を聞いてもらえる?」と声をかけると、その空気を察して、パッと耳をふさぐ子がいる。注意の中身より先に、「叱られる空気」そのものに反応しているのだと思う。それほど、叱られる空気や雰囲気を出しているつもりはないのだが。
スタッフ(といっても私一人なのだが)には、結構厳しい。強く当たってくる子もいる。
勝負事になると、決まって私を相手に選ぶ。そして勝つと大喜びする。正直、子ども同士でやってほしいのだが、なぜか対戦相手は私に集中する。
「せんせ~」の連呼
子どもたちは私のことを「先生」と呼んでくれる。そう呼べと言ったことは一度もない。それでも「せんせ~」「せんせ~」と、あちこちから連呼される。
不思議なことに、小学校低学年の子はあまり言わない。それより上の学年の子が連呼してくる。私の耳が悪いのを知っていて、わざと呼んでいるのか? いやいや、明らかに楽しんでいる。
これが結構たいへんで、順番を整理するだけでもひと苦労。待てる子もいれば、待てない子もいる。特に時間を計っているわけではないが、感覚として、一度呼ばれて1分くらいで終わりそうにないことは「ちょっと待っていてね」と伝える。逆に、緊急性が高いと感じたことは、すぐに手を止めて向かう。
とはいえ、緊急性が高いことなど、それほどない。みんな、たいした要件ではない。それでも、私を呼んで反応を見る。
「私、反応見てるから」
反応を見ると言えば、こんなことがあった。
私に対して当たりが強い生徒がいて、いろいろ話しているうちに、「私、反応見てるから」と言われた。
なるほど、どんな人間か見定めるために、ちょっと意地悪なことや難しいことを言ったりやったりして、大人の反応をうかがっているというのだ。
私は、どうやら許容範囲らしい。「子どもはみんな、そういうところあるよね~」だそうだ。
日々、私は審査されているらしい。どういう基準で審査されているかは、また聞いてみたい。
「中間」を意識する
私はいつも、「中間」を意識している。
何でも好きなことをしていい場所と、学校の中間。自由と不自由、放任と規律の中間。
家庭と学校の中間。
家庭よりも多い人数と、圧倒的に大人数の集団との中間の人数(5人程度)。
家庭よりも広い空間と、大教室より狭い空間との中間の空間。
「中間」と言っても、ちょうど半分の真ん中という意味ではない。そこに集う人たちで作り上げる、ちょうどよい感覚のことだ。
5人程度の子どもと、1人か2人の大人。その人間関係の中で作り出す共通感覚。その育みが、ここ以外の場所でも、それほど違和感なく生活できる基礎になるのではないか。
「それって、同調圧力?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それを圧力とは感じない感覚と受け取ってほしい。
PK合戦と3Dプリンター
先日も、外で遊びたい子と、教室内で過ごしたい子に分かれた。なんとなく、話し合いに持ち込んだ。
妥協点は、教室内で過ごしたい子は梅ヶ丘図書館で、というものだった。
図書館組は3Dプリンター(無料)をやる。外で遊びたい子は、私とPK合戦(けっこう汗だくになった)。
自分の主張と、周りの主張。いろいろな制約(大人は私一人しかいなかった)があるなかで、うまく分かれることができた。
「中間」を、うまく意識できた瞬間だった。
遊具を勝ち取る「プレゼン」
「遊ぶ物がない」と言われることもある。実は開室当初から、あまり遊ぶ物を置かなかった。どんな子が来るかわからなかったので、子どもが通い始めてから、揃えようと思っていた。そして、こういう遊びをしたいから、これを買ってほしい、とプレゼンをしてもらいたかった。私はこういうプレゼンは、コミュニケーション力の一つだと思っている。私は決まって「高いからダメ~」と返すのだが、それを超えて必要性を訴えて、私の考えを変えさせるようなプレゼンを待っている。
先日も、囲碁をよく知っている小2の子がいた。囲碁をやりたいという。私は囲碁のことを全然知らない。おそらく、知らない子も多いだろう。
その子が「みんなに教えるよ」と言った一言で、買うことにした。
現に、その小2の子が中2の子二人に囲碁を教えながら、1対2で対局していた。1時間くらいやっていただろうか。
小2の子は、わかってほしいから、自分以外の人にもわかるように説明する。中2の子はわからないなりに、一生懸命説明を聞き、ちょっとずつ質問しながら学んでいく。聞き手と話し手、両方の学びがそこにある。異年齢ならではの光景だった。
Cognosco世田谷の日々の様子でした。