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Photo byhananosu

鬱とOCDと障害者雇用で、私がとてもしんどかった、昼間、夜

    去年から、仕事終わりの一杯を楽しみにしていた私
    でもだんだんお酒の量が増えていることに気づいて
    それでなにか起こるわけではないけど
    ずっとしているダイエットも痩せないし
    職場の健康診断も近いし
    休肝してみることにした

    それで、でも、それで、
    仕事終わりの楽しみと気分転換がなくなったら
    私には何もないことに気がついた
    本当に何もない
    趣味もないし、みたいものもない
    本は好きだったけど、鬱になって読めなくなった
    YouTubeはたまに見るけど
    ほぼ2倍速でみるくらい

    スマホを開けど、私の心は埋まることがなくて
    それですごく、どんどん、心のペースは落ちていった

    でもきっかけは休肝じゃない
    ほそぼそと貯めていた何かあったとき
    必要なものやなにかちょっとどうしてもほしいものが
    できたときに使う簡単な貯金がそこを尽きてしまったのだ
    だから、私は毎週末の楽しみのランチに行くことが出来なくなった

    そのランチは私に特別で約束をしていなくても
    そこにいてくれる人がいて
    カウンターに座り、そこでなにか軽く食べながら
    その店独自のお酒を炭酸で割って軽めのアルコールにして飲む

    ランチが終わり、そのお店の閉店の時間になると店員さんと厨房の方、女性3人で地元の日本酒で乾杯するのだ

    その、人と繋がっている、人と話す、それがいかに自分にとって大事になって、生きる糧になっていたのかと思うと、なんだか哀しくて、文字を打っている今も
    考えがまとまらなくて哀しくてたまらなくなる

    じゃあ、そのお店がなくなったら?
    約束なくて私に負担なくて、でもお話できて、少しお酒も飲むからなんとなう打ち解けた気持ちになれて

    それがなくなった自分、そしていま、お店は地域のイベントに出店するから休みで、GWも休みで

    依存したいり、そこに救いを求めるきもちはない
    ないんだけど、でも(勝手に)心のなかでそれを思っていることは悪いことなのかな

    わからないけど、そうなってしまっていて、そこにいかなかった、けなかったのは、私のお給料が少なくて、通えなかったからで、無理してでも行ってたらこんなことにならなかったのかな、そんなことない、イベントはこの雪国では雪がなくなって、春になれば行われてしまうのだから

    お客さんのただ1人の自分が通っても止められるはずがないのだ

    でも哀しい
    なんていうか自分の、その孤独?それが恥ずかしくも哀しい

    だったら、ずっと金欠で行けなかった、シーシャに行こうと思ったら、なんとかお金を工面いして(この表現も恥ずかしいけど)行こうと思ったら、やっぱりイベントで休みなんだそうだ

    哀しい

    私、どうしたらいいだろう

    どうしたら満たされるの?

    孤独と、将来なんて考えられないお給料と
    (これでも上に訴えたり、手続きしたりがんばってるけどなかなか実らない)

    そのなかで、どう息をして生きたらいい??




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