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Not Your Fairy Tale

──あらすじ──

䞉幎前、芪友モモタロりは姿を消した。

ある日、サルのもずに䞀通の封筒が届く。差出人の名はない。䞭には、氎に濡れお読めなくなった䟿箋ず——あの倜になくしたはずの、自分の䞇幎筆。消印は「鬌ヶ島」。か぀おモモタロりが埩興に携わり、今は䞀切の情報が途絶えた島だった。

むヌ、キゞ、サルの䞉人は、わずかな手がかりを頌りに島ぞ枡る。だが、そこで圌らを迎えたのは、倧人が消え、子どもだけが飢える、荒れ果おた島の姿だった。

モモタロりは、生きおいるのか。あの倜、本圓は䜕が起きたのか。

䞉人が、島の䞭心でたどり着く真実ずは——。

これは、あなたの知る「おずぎ話」ではないのかもしれない。


「第䞀幕」

【1】

サルのもずに、それが届いたのは火曜日の朝だった。

郵䟿受けを開けるず、芋慣れない封筒があった。消印は、遠い島の名を刻んでいた。

封を切るず、䞭に二぀のものが入っおいた。

䞀぀は、䞇幎筆。むンクの也いた、䜿い叀しの䞇幎筆。芋た瞬間、胃が締たった。これは自分のものだ。あの倜から、ずっず芋぀からなかったものだ。

もう䞀぀は、薄汚れたボロボロの䟿箋が䞀枚。䜕かが曞かれおいた痕跡はあった。ただ、氎を被ったのか、むンクが倧きく滲んでいた。染みの䞭にかろうじお、線の集たりがある。文字なのか、ただの汚れなのか、刀別が぀かなかった。

消印は、鬌ヶ島。

サルはしばらく、その䟿箋を芋おいた。裏返しお透かしおみた。が、䜕も読み取れず、銖を振った。

郚屋に戻り䞇幎筆をデスクに眮き、パ゜コンを開いた。鬌ヶ島を怜玢した。

埩興事業の蚘事がいく぀か出おきた。採掘堎の再開、むンフラ敎備、支揎物資の茞送ルヌト。最新のものでも二幎ほど前だった。それ以降の蚘事がない、䜕の続報もない。

サルは手垳を取り出し、䞀行だけ曞いた。 「情報が途絶えおいる」

スマホを取り䞊げグルヌプLINEを開いた。「むヌ」ず「キゞ」ず自分の䞉人、最埌のメッセヌゞは数幎前だった。

サルは短く打った。 「至急盞談したいこずがある。い぀䌚える」

【2】

電車の䞭でサルは、䞇幎筆を芋぀めおいた。

胞ポケットから取り出しお、手のひらに乗せる。むンクの也いた、䜿い叀しの䞇幎筆。

──脳裏にいく぀もの倜が浮かんだ。

駅裏の、安い居酒屋。四人で、数えきれないほど通った店だった。

むヌはい぀も隒がしかった。カりンタヌの端で芋知らぬ客ず腕盞撲を始めたり、くだらない賭けごずをしお、げらげら笑っおいた。負けるず「もういっぺん! 今のは、なしだ!」ず、子どもみたいに食い䞋がり、勝おば勝ったで「芋たか今の!」ず、調子に乗っおたた誰かに絡む。

その隣で。

キゞが手を叩いお、笑っおいた。完璧な化粧で、い぀も堎の真ん䞭にいお。たしなめるどころか、誰よりもはしゃいでいた。「むヌヌここで匕いたら、男がすたるよヌ」ず、けしかけおは、自分もグラスを空けおいく。負けたむヌが本気で悔しがるのを芋お、たたけらけら笑う。

サルは、その少し倖にいた。

たいおい酔う前に、誰かの愚痎を聞かされる係だった。むヌの歊勇䌝。キゞの仕事の話。聞き流しながら、食事をする。隒ぎの茪の䞭には入らず、少し匕いた堎所から、䞉人を眺めおいる。——それが、サルの定䜍眮だった。

そしお、モモタロりは。

その党郚を芋おいた。

サルのさらに隣で、誰かの空いたグラスに、さりげなく酒を泚ぎ足しながら。むヌが暎れれば、笑い。キゞが絡たれれば、助け舟を出し。サルが理屈をこねれば「お前は、盞倉わらずだなぁ」ず、目を现める。

くだらない倜だった。䜕を話したかも、あたり芚えおいない。明日も、来週も、来幎も、同じように続くず思っおいた。圓たり前すぎお、蚘憶にも残らないような。──そういう倜が、いく぀もあった。

その、いく぀もの倜の䞀぀が 最埌の倜になるずは。

誰も、思っおいなかった。

だから、あの倜もい぀もず倉わらない倜になる ハズだった。

むヌは、カりンタヌで隒いでいた。キゞはモモタロりず、䜕か話しながら穏やかに飲んでいた。サルは  珍しく、深く酔い぀ぶれおいた。気づいた時には閉店で、むヌず二人、なんずか垰宅した。

だが、翌朝。

モモタロりは、いなくなっおいた。

それから、行方䞍明。どこを探しおも、芋぀からず。数日埌には、倱螪扱いになった。

──あの倜から䜕幎、経った。

「  モモさん」

サルは、䞇幎筆を胞ポケットに戻した。

いく぀もあった、あの楜しい倜。もう二床ず来ない。圓たり前だず思っおいた時間ほど、倱っお初めおその重さを知った。

電車が駅に滑り蟌んだ。

ファミレスを指定したのは、サルだった。繁華街から少し倖れた、目立たない店。

むヌが先に来おいた。倧きな身䜓に黒い革ゞャン、そしおサングラスをしおおり、座っおいるだけで嚁圧感がある。

サルが入っおきた。スヌツ、薄いファむル、䞇幎筆を胞ポケットに。歩き方だけで頭の回転の良さがわかる。目だけが、野生だった。

二人の目が合った 䞉秒ほどの沈黙。

「顔がより悪人面になったじゃねぇか」ずむヌが悪態を぀きながら、蚀い攟぀。

「お前よりマシだ」

「はぁお前、鏡を芋たほうがいいぞ」

「お前こそ、いたすぐ鏡を芋おこい。トむレは向こうだ」サルが指さす。

「んだず、こら」

埌ろから声がした。

「あらあら 盞倉わらず仲良しなのね。久しぶりに䌚えお嬉しいわ。」

振り返るず、女が笑っお立っおいた。い぀からそこにいたのか、わからない。華やかな栌奜のわりに、足音がない。目だけが、どこか遠くを芋おいた。

むヌずサル、ほが同時に舌打ちをした。

でも、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。最埌にゆっくりキゞも垭に着く。

【3】

垭に぀いおから、サルはテヌブルの䞊に二぀のものを眮いた。

䞇幎筆ず、薄汚れたボロボロの䟿箋。

「これが昚日届いた。消印は鬌ヶ島。差出人の名前はない」

キゞが䞇幎筆を芋た。「それ、サルのや぀じゃん。 どこにあったの?」

サルの手が止たった。

「  なぜ、私のものだず」

口にしおから、キゞ自身も戞惑った。なぜ、こんなこずを蚀ったのか。サルがこれを倱くしおいたこずを、なぜ自分は知っおいたのか。 蚘憶のどこにも、その理由が芋圓たらない。

「いや  なんずなく、そう思っお」キゞはごたかすように笑った。

サルは、しばらくキゞを芋おいた。それから䞇幎筆に目を戻した。

「  ああ。あの倜から、なくしたず思っおいたものだ。それが、戻っおきた」

その小さな違和感を、サルは手垳には曞かなかった。曞くほどのこずではない。ず思った。

むヌが䟿箋を手に取り、裏返し光に透かした。

「  なんだこれ」

テヌブルに投げ返した。

「意味がわからねぇもの出すな、党然笑えんぞ」

「別にお前を笑かしたくお、呌んだんじゃない」

サルが県鏡を盎した。

むヌの芖線が、䟿箋からもう䞀぀の物ぞ移った。䞇幎筆だ。

「  そっちは、お前の䞇幎筆なんだろ」

「ああ」

「あの倜、倱くしたず思った物が 鬌ヶ島から」

むヌがそこで蚀葉を止めた。䜕かが、頭の䞭で繋がりかけたようだった。

鬌ヶ島。あの倜。消えたモモ。そしお戻っおきた、サルの玛倱物。

むヌの声が、䜎くなった。

「  なあ。これ、もしかしお——モモが鬌ヶ島から、送っおきたんじゃねぇのか」

䞀瞬、䞉人の間に沈黙が萜ちた。

その可胜性を、口にした者はいなかった。だが、党員が心のどこかで、それを願っおいた。

サルは、すぐには答えなかった。それから䟿箋を指さした。

「  この䟿箋を芋ろ、氎を被っお読めなくなっおいる。だが、きっず最初から読めなかったわけじゃない。ここに届くたでのどこかで、傷んでこうなった。——鬌ヶ島からここたでどれだけの時間ず、経路を通っおきたか。たずもな郵䟿で、たっすぐ届いたものじゃないだろう」

むヌが、口を぀ぐんだ。

「それに、差出人の名前がない。名乗る䜙裕も、なかったのか。あるいは、名乗れない事情があったのか」

サルは、䟿箋を静かに眮いた。

「考えられるのは、二぀だ」

サルは指を立お、話を続けた。

「䞀぀は、送り䞻がモモさん本人ではない、堎合。モモさんに近い誰かが、あの倜のこずを知っおいお、今になっお私に䜕かを䌝えようずした」

「もう䞀぀は」

サルは䞀拍、眮いた。

「モモさん、本人が送った堎合だ」

むヌの息が止たった。

「ただし、たずもに連絡できる状況じゃない。名乗る䜙裕もなく、曞いたものが届くたで、䜕ヶ月も䜕幎もかかる。無事に届くかも、わからない。このボロボロの䟿箋が、その蚌拠だ。——自由に動けず、どこかに閉じ蟌められ、倖ず連絡が取れない。かろうじおこの䞇幎筆ず䟿箋を、誰かに蚗すのが粟䞀杯だった。そう考えれば、無蚘名も傷んだ䟿箋も、䞉幎ずいう時間も、説明が぀く」

郚屋の空気が、倉わった。

むヌが、テヌブルに身を乗り出した。

「  おい。それっお——モモが生きおるかもしれねぇ、っおこずだろ」

サルは、すぐには答えなかった。

「わからない」

慎重な声だった。

「生きおいるずも、いないずも蚀い切れない。手がかりが少なすぎる。——ただ」

サルは䞇幎筆を芋぀めた。

「あの倜、消えたきり䜕の痕跡もなかったモモさんの呚りで、䞉幎経っお、初めお䜕かが動いた。この䞇幎筆が、鬌ヶ島から戻っおきた。——それだけは事実だ」

むヌが拳を握り、その目に消えかけおいた䜕かが、たた灯っおいた。

「  なら、確かめるしかねぇだろ」

「ああ」サルが、頷いた。「だから、わかる範囲で調べおきた」

キゞは䜕も蚀わなかった。

ただテヌブルの䞊の䟿箋を、じっず芋おいた。その衚情だけが、二人ずは違う色をしおいた。

「たず鬌ヶ島だが 」サルが続ける。

「埩興事業の蚘事が二幎ほど前から途絶えおいる。続報が䞀぀もない」

「  途絶えおる」

「採掘堎の再開、むンフラ敎備、支揎物資の茞送。以前はいく぀も蚘事があった。だが二幎ほど前からはれロだ」

サルは䞀拍眮いお続けた。

「それず、浊島さんのこずも調べ盎した。モモさんず䞀緒に、鬌ヶ島の埩興をやっおいた男だ。モモさんを远うなら、䞀番近くにいた浊島さんは倖せない」

むヌが、眉を寄せた。「  あい぀も、ただ芋぀からねぇのか」

「ああ。以前の䜏所は、空き家のたただ。電話も解玄されおいる。知人に圓たっおもここ数幎、音信䞍通だ。──あの日から、䜕ひず぀、倉わっおいない」

むヌが、䜎く唞った。

「埩興の代衚二人だぞ。それが揃っお、同じ時期にぷっ぀り消えた。 普通じゃ、ねぇよな」

「ああ。普通じゃない」サルの声が、䜎くなった。「圓時もそれは思った。二人たずめお消えるなんお、倧きな事件だ。ず。だが、お前も知っおの通り、譊察や私たちがいくら远っおも䜕もわからなかった。モモさんの情報も、浊島さんの情報も、䜕も手掛かりすらなかった。結局、私たちにはどうにもできなかった」

サルは䞇幎筆を芋぀めた。

「その切れたはずの糞が。䞉幎経っお、鬌ヶ島から戻っおきた 」

短い、沈黙。

「だから、確かめに行く。──モモさんのこずも、浊島さんのこずも。あの島に䜕かある」

「  そうだな。で、どうする?早速、鬌ヶ島ぞいくか」

むヌの䜎い声が響いた。

「いや、たず先に行っおおきたいずころがある。モモタロりのおじいさんずおばあさんのずころだ」

むヌが眉をひそめた。「なんで、じいさんずばあさんなんだよ」

「考えおみろ」

サルは䞇幎筆をテヌブルに眮いた。

「この䟿せんず䞇幎筆が、今になっお私のずころぞ届いた」

むヌずキゞは黙っおサルを芋぀めおいる。

「差出人は、私がどこに䜏んでいるかを知っおいる。 私たちの誰かず関係があるこずも、知っおいる。 それだけの情報を持っおいるなら 」

サルは䞀床止たった。

「モモタロりのおじいさんずおばあさんの居堎所を、知っおいおもおかしくない」

むヌの顔が倉わった。

「向こうにも接觊があったかもしれない。 あるいは、これから動くかもしれない。」

「  安吊確認か」

「それず、情報収集だ。おじいさんずおばあさんの方が、 私たちより長くモモさんず䞀緒にいた。 この䟿せんに぀いお、䜕か知っおいるかもしれない。」

むヌが少し黙った。

「  じいさん、ばあさんに䌚うのは䜕幎ぶりだ」

「䞀幎か、二幎か」サルがそう蚀うず

「あの時、どれだけモモを探し回ったず思っおる」ず、むヌがむラ぀きながら蚀った。

「譊察、知り合い、枯、繁華街  本土で圓たれるずころは、党郚圓たった。それでも䜕ひず぀、出おこなかった」

むヌの声が、䜎くなった。

「じいさんずばあさんには、最初のうちはこために連絡しおた。䜕か進展があれば、䌝えようず思っおな。──だが、報告できるこずは䜕もなかった。『今日も、わかりたせんでした』そればっかりだったな。」

「あぁ そのたびに萜胆させおしたう。それがき぀かった。そしお次第に連絡をしなくなっおいった」サルが、静かに継いだ。

誰も、吊定しなかった。

キゞがコヌヒヌカップを、䞡手で包んだたた俯いおいた。

「連絡、しづらかったね。  䜕も報告できるこずが、なかったから」

たた、短い沈黙。

「だからこそ、今回は筋を通しおから動く」サルが続けた。「モモさんの芪族ぞ。俺たちが動く前に䞀床、䌚っおおく必芁がある」

「筋ねぇ」むヌが錻を鳎らした。「お前らしい蚀い方だな」

「悪いか」

「悪くない」

キゞがコヌヒヌカップをテヌブルに戻した。「私も、それが良いず思う」

むヌがコヌヒヌを飲み干し「行くか」ず立ち䞊がった。

䞉人分の沈黙が、少しだけ倉わった。

【4】

むヌのピックアップトラックで、䞀時間かけお着いた。

郊倖の䞀軒家。よく手入れされた庭。倉わっおいない、ず最初は思った。

むンタヌフォンを抌し、しばらくしお扉が開いた。

おばあさんが䞉人の顔を芋お、目を现めた。

「  たあ」

それだけ蚀っお、䞭に入るよう促した。

䞭に入り廊䞋を歩く。 おばあさんが先導するように進む。

ふず、サルの目が動いた。

廊䞋の壁に、写真が数枚食られおいた。 その䞭の䞀枚に目が止たった。モモタロりず浊島が写っおいた。

背景には建蚭䞭の建物ず、笑顔の鬌たち。写真の䞋に、小さな文字で「鬌ヶ島埩興事業 第䞉期」ず曞かれたプレヌトがあった。

むヌが䞀瞬、足を止めた。䞉人は以前、モモタロりに連れられおこの島を䞀床だけ蚪れおいた。

だが誰も䜕も蚀わず、たたそのたた歩みを進める。

ふずサルが呟いた。「廊䞋の手すりが倖されおいる 」

「なんだ」ずむヌが聞き返すが

「  いや、䜕でもない」ずサルは銖を振った。

おばあさんの足取りは、軜かった。

進路ずは違う廊䞋の奥、半開きの扉。 キゞが䞍思議に思い、䞭を芋た。

真新しいベッド。子ども向けの小さなベッド。

壁には絵本が䞊んでいた。新しい買ったばかりの絵本。

片隅に小さな籠。䞭に桃の圢のぬいぐるみ。

枕元には、名前が曞かれた垃のタグ。䞁寧な手瞫いで「モモタロり」ず曞いおあるのが、かろうじおわかった。

「キゞ」むヌが呌んだ。

キゞは扉をそっず閉めた。

「  なんで子ども郚屋が」

誰にも聞こえないくらいの声で、蚀った。

老倫婊は和宀に䞉人を通した。

明らかに䞊等な茶噚に、䞁寧に茶が出された。

サルの目が䞀瞬、茶噚に止たった。そしお隣の机に目が移った。封筒が数通、重ねお眮いおあった。䞀番䞊の消印──鬌ヶ島。

おじいさんは䞊座に座り、ゆっくりず䞉人を芋た。おばあさんはその隣で、にこにこしおいた。

むヌが小声で「なんか倉だな」ず呟いた。サルが黙っお手垳に䜕かを曞いた。

「よく来おくれたねぇ」

キゞは䞡手でお茶を受け取り「ありがずうございたす」ず蚀った。

サルが䟿箋をテヌブルの䞊に眮いた。

「これが、鬌ヶ島の消印で届きたした」

おじいさんが䟿箋を芋お、県鏡をかけ盎した。そしお目を现めた。

「  䜕も読めんが」

おばあさんが身を乗り出し、䟿箋を䞡手で持った。染みだらけの、䜕も読めないはずの䟿箋を。

震えおいた 手が、ではなく、息が。

「あの子だよ」

おじいさんに向かっお蚀った。確認ではなく、断蚀だった。

「あの子だよ 生きおる。やっぱり生きおたんだよ」

サルの頭の䞭で、䜕かが回った。この䟿箋は読めない。自分にも読めなかった。むヌにも、キゞにも。それをこの人は、䞀目で断蚀した。

おばあさんが顔を䞊げた。その目に、涙はなかった。確信だけがあった。

それが䞉人には、涙より怖かった。

おじいさんが、静かに口を開いた。

「そうだな。あの子は あの島の埩興に、呜をかけおおった」

䞉人が顔を䞊げた。

「浊島さんず䞀緒にな。二人でよく、ここにも寄っお報告しおくれた」

おじいさんの声は穏やかだった。

「  ここ䜕幎か、浊島さんも来なくなっおしたっおなぁ」

サルの目が䞀瞬だけ鋭くなり、手垳にたた䞀行曞いた。

サルが䞀床蚀葉を遞び盎しお、静かに蚀った。

「 浊島さんは、今どちらにいるかわかりたすか。連絡を取りたいのですが」

おじいさんが銖を傟げた。「さあ  わからん。気づいたら、ぱったりず」

サルは、手垳にたた䞀行曞いた。

「なるほど、ありがずうございたす。それず、お二人は倉わりないですか。こちらにも䜕か届いおいるかもしれないず思っお」

おじいさんが、静かにうなずいた。「心配しおくれたのか、ありがずう」

おばあさんは䟿箋から目を離さなかった。「䜕も来おいないよ。でも、もう来なくおいい。あの子は生きおる。それだけでいい」

「ただ──」サルが続けた。

おばあさんが静かに䟿箋をテヌブルに眮いた。銖を振った。

「やめおおくれ」

しわがれた声だった。でも、震えおいなかった。

「あの子がいなくなっお、私たちはずっず地獄のような䞍安の䞭にいたんだ。やっず  やっず少しだけ、前を向いお静かに暮らせるようになったんだよ」

おばあさんの目が、䞉人を順番に芋た。

「あの子はこうやっお生きおいる。きっず垰っおくる。だから埌は静かに埅ずうず思っおる。お前たちも、もうそっずしおおいおおくれ。あの子の垰る堎所を、守っおおいおやりたいんだよ」

むヌが䜕かを蚀おうずしお、口を閉じた。

サルが䟿箋を静かにテヌブルから匕き取った。

キゞだけが、おばあさんの目を最埌たで芋おいた。

【5】

垰り際、玄関で靎を履いおいるず、おじいさんが廊䞋の奥から蚀った。

「  モモタロりは、いい子だったよ」

過去圢だった。

おばあさんだけが、今も珟圚圢で生きおいる。

䞉人が門を出ようずした時、おばあさんが庭の隅を指さした。

「あそこにね、桃の苗朚を怍えたんだよ」

现い苗朚が土から出おおり、ただ膝ほどの高さしかなかった。

「あず十幎もすれば、立掟な実を぀けるだろうから   あの子が垰っおきたら、䞀緒に食べようず思っおね」

おばあさんは、穏やかに笑っおいた。

䞉人は、䜕も蚀えなかった。

「気を぀けお垰るんだよ」

門が、静かに閉たった。

【6】

䞉人はトラックに乗り蟌んだ。誰も䜕も蚀わなかった。

むヌが゚ンゞンをかけたが、すぐには発進しなかった。

しばらくしお、むヌががそりず蚀った。

「  じいさん、ばあさん、ボケちたったのかねぇ」

声が、少し震えおいた。

サルが窓の倖を芋たたた蚀った。

「  わからないこずが、いく぀かある」

誰も聞き返さなかった。

「たず、廊䞋の手すりがなくなっおいた。幎金暮らしで介護甚の手すりを倖すかそれに、あの高玚な茶噚」

むヌが眉をひそめた。「  茶噚」

「幎金暮らしの家に、あれほどのものが䞊ぶか。」

サルは手垳を開いた。

「それに隣の机には、鬌ヶ島の消印が぀いた封筒が䜕通かあった。鬌ヶ島ず連絡をしおいる可胜性が高い」

むヌが黙った。

「それから、おばあさんの『やっぱり』だ。あの䟿箋を芋お『やっぱり生きおたんだよ』ず蚀った。やっぱり、ずいうこずは──以前から䜕かを受け取っおいたか、あるいは信じる根拠が別にあったか」

「  あの䟿箋は、読めなかったろ」

「ああ。読めなかった。私にも、お前にも。それをあの人は䞀目で断蚀した。読んだのか、読みたかったのか、わからないが」

そこで蚀葉を切り

「 それにあの子䟛郚屋も倉。」ずキゞが口を開いた。

「子䟛郚屋そんな郚屋あったか 」ずむヌが蚀った。

「うん、あった。でもわからない。あの郚屋は、今のモモちゃんの郚屋にしおは小さすぎるし 。 絵本やおもちゃがあるのもおかしい。もっず小さい子䟛甚の──」

キゞはそこで口を閉じた。

サルが蚀葉を継いだ。

「確かにおかしい。わからないこずだらけだ。 あずおじいさんはここ䜕幎か、浊島さんも来なくなっおしたった。ずいっおいた。浊島さんも、あれからどこぞいっおしたったんだ。」

沈黙。

「鬌ヶ島ず䜕か、やり取りをしおいる。おそらく、おばあさんは以前から䜕かを知っおいる。そしお島の情報は、二幎も前から途絶えたたた。 確認に行く必芁がある」

キゞはずっず窓の倖を芋おいた。

䞉人分の沈黙が、車の䞭に満ちた。

やがおむヌがギアを入れ、トラックが倜の道を走り始めた。

【7】

繁華街の路肩に、トラックが停たった。

倜の街の光がフロントガラスに反射しおいた。ネオンサむン。酔客の声。日垞の音。

誰も最初に降りなかった。

サルが口を開いた。「鬌ヶ島ぞは行く。それだけは決たりだ」

「ああ」

「ただ、それたでは動くな。特にお前、むヌ」

「わかっおる」

「わかっおない顔をしおる」

「うるせぇ」

短い沈黙。

サルが先に降り、振り返らずに「連絡する」ずだけ蚀った。

キゞが降り際に䞀床だけ振り返った。

「ねぇ、むヌ。あの家、倉だったよね」

「  ああ」

「うん 」

それだけ蚀っお、キゞは倜の街に消えた。

むヌは䞀人になり煙草に火を぀け、前を芋た。

庭の隅の现い桃の苗朚が、なぜか頭に浮かんだ。

【8】

翌日の昌、グルヌプLINEにサルからメッセヌゞが来た。

「明埌日、䌑みをずれるか」「取れるなら8時に枯に集合」

むヌ「䜙蚈なこずはするな」

キゞ「急なこずが続くが、よろしく頌む」

既読が順番に぀いた。

むヌが返した。

「わかっ」「た」

誀字だった。送り盎しもしなかった。

キゞは絵文字なしで打った。

「了解」

い぀もず違った。気づいたのは、サルだけだったかもしれない。

【9】

郚屋の電気は消えおいた。

仕事から垰っお、バッグを床に眮いお、そのたた電気を぀ける気になれなかった。

暗い郚屋の䞭で、バッグから䞀枚の写真を取り出した。

四人で撮った写真。叀い、色の耪せた写真。

モモタロりが笑っおいた。むヌずサルも、あたしも笑っおいる。みんな楜しそうに、寄り添いあい。 この頃は、本圓に楜しかった。

キゞは写真を、時間を忘れお芋おいた。

泣かなかった。泣けなかった。あの倜から、ずっず泣けなかった。

仕事をしおいれば泣かなくお枈んだ。華やかにしおいれば泣かなくお枈んだ。笑っおいれば、誰も聞いおこなかった。

でも今倜はあの老倫婊の家のこずが、頭から消えなかった。

真新しいベッド。ただ誰も䜿っおいないシヌツ。

「あの子が垰っおきたら、䞀緒に食べようず思っおね」

 きっず、もう垰っおこない。

そう思っおしたう自分がいた。なぜそう思うのか、キゞにはわかっおいた。でも、それを誰にも蚀えなかった。

あの倜のこずを。 䞉幎間、ずっず。 むヌにも、サルにも。

写真の䞭のモモタロりが、笑っおいた。

四人ずも、笑っおいた。あの頃は ただ。

キゞだけが、もうこの写真を同じ気持ちで芋れない。楜しそうに䞊んだ四人の䞭で、自分だけが知っおいる、蚀えなかったこずがある。それが、この䞉幎間、ずっず胞の奥に刺さったたただった。

「  ごめんなさい」

誰に蚀うでもなく、呟いた。

䜕に察しおの「ごめん」なのか、口にした自分でも、うたく掎めなかった。ただ、その蚀葉だけが、こがれた。

キゞは写真を、胞の前で匷く抱きしめた。

「モモちゃん  」

そう呟き ただ、肩だけが震えた。 涙は、出なかった。

しばらくしお顔を䞊げ、 写真をバッグの内ポケットに戻した。

それから、ようやく立ち䞊がっお電気を぀けた。 明るくなった郚屋が、やけによそよそしく芋えた。

キゞは、暗がりに沈んだ窓の倖を芋た。

鬌ヶ島ぞ行く。 䜕が埅っおいるのか、わからない。わからないけれど もう、目を逞らしおはいられない気がした。䞉幎間、ずっず逞らしおきたものから。

「  行かなきゃ」

誰に蚀うでもなく、呟いた。 その声が、思ったより小さかった。

【10】

圓日、枯にキゞが䞀番早く来おいた。

完璧なメむク。完璧な笑顔。

むヌが来た。「早えな」

「そう」

サルが来た。い぀ものスヌツに、い぀もより倧きめのバッグを背負っおいた。䞉人、顔を芋合わせた。

むヌがバッグを芋た。「倧げさだな」

「情報が二幎ほど途絶えおいる島に行く。倧げさではない」

むヌは、自分の銖元に手をやった。服の襟元から、叀い玐のネックレスがのぞいおいた。先に緑がかった、石が䞀぀。

それを、服の䞭にしたい蟌んだ。誰にも蚀わなかったし、誰も聞かなかった。

「行くか」ずむヌが蚀い、サルも「ああ」ず続く。

キゞは「うん」ず蚀っお、䞉人の先頭に立っお歩き始めた。

朝の海が、光っおいた。

「第二幕」

【1】

䞉人はサルが手配した船の甲板で、䞊んで立っおいた。

最初に芋えたのは、煙突だった。

いく぀もの、巚倧な煙突。その向こうに、クレヌン。採掘機のシル゚ット。島党䜓が、機械でできおいるみたいだった。

「  静かだな。前に来た時は、もっず──」

むヌはそこで蚀葉を切った。

船が近づくに぀れお、サルの眉が少しだけ動いた。

煙突から煙が出おおらず、クレヌンも動いおいない。 採掘堎、党䜓が止たっおいる。

あれだけの機械が䞊んでいお、䜕も聞こえない。

「故障か」むヌが誰に問う蚳でもなく、぀ぶやくいた。

サルは答えなかった。手垳を取り出し、䜕かを曞き加えた。

キゞも䜕も答えず、静かに島ず海を眺めおいた。

やがお島が近づき、桟橋に人圱が芋えた。 荷受けの䜜業員が数人。島民らしい鬌もいる。

サルが、最初にそれに気づいた。 これだけの船が着いお、これだけの人しかいない。

荷䞋ろしが始たった。朚箱。金属の猶。食料らしきもの。

䜜業員は黙々ず動いおおり、島民の鬌たちは遠巻きに芋おいるだけで手䌝おうずしない。

䞉人は船から降りた。掻気ずいうものが、なかった。あの時ずは、別の島のようだった。

むヌが呚りを芋回した。

「人が少ねぇ」

「あぁ、行こう 」ずサルが蚀った。

【2】

䞉人は村の䞭心に向かった。

むヌが最初に気づいた。

路地の入り口に、鬌の子どもが倒れおいた。

「おい」

駆け寄った。子どもは倒れおいるのではなかった。う぀䌏せに、寝そべっおいた。目を開けお、ただ䜕も芋おいなかった。

「倧䞈倫か」

子どもは答えなかった。

むヌが肩を揺すり、子どもがようやく顔を䞊げたが、虚ろな目だった。

「  お腹すいた」

それだけ蚀っお、たた顔を䌏せた。

むヌが立ち䞊がった。その顔に䜕の衚情もなかった。

道の先に、倧人の鬌がいた。サルが歩みより「あの子どもは──」

男は振り向かなかった。

「知っおる」

「攟っおおくのか」

「知っおる、ず蚀った」

男は歩き続けた。サルの問いに、もう振り返らなかった。

䞉人はしばらく、その埌ろ姿を芋おいた。

キゞが口を開いた。「  い぀から、こんな感じに」

誰も答えなかった。答えられなかった。

【3】

繁華街ず呌べるものが、か぀おあったのだろうず思われる通りに出た。

看板が残っおいた。店の名前、営業時間、か぀おの倀段衚。ただし扉は閉たっおいた。

ほずんどの店が、そうだった。

明かりが点いおいる店が、䞉軒ほどあった。

䞀軒は入り口に立お看板が出おいた。サルがそれを読んだ。 『本日のおすすめランチ 5000円※䟡栌は管理局指定』

「  ランチが5000円高けぇにも皋があるだろ」むヌがバカにしたように蚀った。

䞉人は店の前に立った。 ガラス越しに䞭が芋えた。

癜いクロスがかかったテヌブル。枅朔な食噚。肉料理。酒。

船の䜜業員らしき男たち。それから、芋慣れない制服を着た男が二人。皆、笑い倧きな声で話しおいた。グラスが鳎り、たた誰かが笑い声を䞊げた。

店の倖に、子どもたちがいた。 四人、五人。数えるほどに、たた䞀人来た。

鬌の子どもたちが、ガラスに顔を近づけおいた。肉の匂い。焌ける匂い。店の䞭からは、その匂いが挏れおいた。

子どもたちず目が合うず、皆、䞀目散に逃げおいった。

【4】

「入る」ずサルが蚀った。

「はっここに入るのか」ずむヌが蚀った。

「食わなければ動けなくなる」

「だからっお、ここは無いだろ」

サルはその蚀葉を聞かず、扉を抌した。

ベルが鳎り店員が振り返った。䞉人をみお䞀瞬、衚情が倉わった。しかし次の瞬間には愛想笑いに戻った。「いらっしゃいたせ」

テヌブルに案内され、垭に぀いた。

メニュヌがきお、サルがそれを開いた。手垳にメニュヌを曞き留めた。

むヌはメニュヌを開かずテヌブルの端を眺め、キゞはメニュヌを手に取ったが開いおすぐに閉じた。

しばらくしお、泚文した料理が運ばれおきた。

むヌがフォヌクを持ち、切り取り口に運んだ。噛んだ。

フォヌクをテヌブルに眮き、立った。

「あの時は  こんなんじゃ、なかったろうがよ  」

絞り出すような声だった。

財垃から玙幣を出しテヌブルに叩き぀けた。音が呚りのテヌブルに聞こえ、数人が振り向いた。

むヌは振り向かずたっすぐ店の倖ぞ出おいき、ドアが乱暎に閉たった。

店内の䌚話が、䞀瞬止たったがすぐに戻った。

サルはフォヌクを取り肉を切った。口に運んだ。 噛み、飲み蟌んだ。たた切り、たた飲み蟌んだ。 味はしなかった。だが、それでいいず思った。燃料だず思った。

キゞは皿を芋おいた。 肉が湯気を立お、パンが癜かった。スヌプの衚面には油が光っおいた。

店員がカりンタヌの奥に匕っ蟌んだ。

キゞは、玠早くハンカチを取り出し肉を包んだ。 パンも包みバッグの䞭に入れ、皿を戻した。䜕事もなかった顔をした。

サルがそれを暪目で芋おいたが、䜕も蚀わなかった。

【5】

むヌは店の倖の壁に背を預け、煙草に火を぀けようずしおやめた。

キゞずサルが、店から出おきた。

䞉人は路地の先を芋るず、先ほどの子どもたちがいた。䞀人が座り蟌み、䞀人が壁にもたれ、䞀人がたたガラスに顔を぀けおいた。

キゞがバッグを持っお、ゆっくりずそちらぞ歩いた。

ハンカチを取り出した。壁にもたれおいた子どもの前にしゃがみ、子どもが顔を䞊げた。

「食べお」

キゞがハンカチごず、子どもの手に握らせた。

子どもは、しばらくそれを芋おいた。他の子どもたちも集たっおきた。

キゞは笑った。その埌ろでサルも小さく笑い、むヌは小さく息を吐き出し、口元がわずかに和らいだ。

䞉人は少しの間、そこに䜇んでいた。

やがおサルが口を開いた。「行こう」

「ああ」ずむヌが蚀った。

「うん」キゞも続けおうなずく。

倕方の光が、止たった採掘機の圱を長く匕いおいた。

【6】

日が埐々に傟き始めおいた。

䞉人は通りを歩き、声をかけた。立ち止たった者はいなかった。

女が掗濯物を取り蟌んでいた。サルが近づき「少しだけ話を聞か」

最埌たで蚀い終わる前に扉が閉められた。

垂堎の跡地らしき広堎に、男が䞀人歩いおいた。むヌが声をかけようず歩み寄るず、男はそれに気づき足早に去っおしたった。

キゞが先ほどず違う子どもに話しかけようずしたが、走っお逃げおいっおしたった。

䞉人は広堎のベンチに座り蟌んだ。

「誰も話さねぇな」ずむヌが蚀った。

「みんな、私たちず関わりたくないみたいね」ずキゞが蚀った。

サルが島の地図を手垳に曞いおいた。桟橋、繁華街、採掘堎、䜏宅区。 それぞれに、気づいたこずを曞き蟌んだ。

むヌが空を芋た。「  そろそろ日が暮れるぜ」

䞉人ずも黙った。誰も蚀わなかったが、党員わかっおいた。

「宿、どうしようね」キゞが誰に蚀うわけでもなく、呟く。

「開いおいる宿がない。あったずしおも、今の状況で島民が私たちを泊めるずは思えない」サルがすぐに答える。

「たさか、こんな状況になるずはねぇ 最悪、野宿か」むヌが続く。

「たぶん、そうなる」

むヌが錻を鳎らした。「さんざんだな」

誰も吊定しなかった。

【7】

広堎のベンチで途方にくれおいるず、倕闇の䞭から小さなオニがこちらに向かっお話しかけおきた。

「ねぇ」

昌間キゞから、食べ物を受け取った子䟛の䞀人だ。 ハンカチを䞡手で持っおおり、もう䞭身はなかった。

「  ぀いおきお」

それだけ蚀った。

䞉人は顔を芋合わせた埌、むヌが先に動き出した。

【8】

子どもは、现い路地を迷わず歩いた。

坂を䞊り、角を曲がり、たた坂を䞊った。䜏宅が密集した区画に入った。 か぀おは人が倚く䜏んでいたのだろうずわかったが、今は半分以䞊、雚戞が閉たっおいる。

突き圓たりの家の前で、子どもが止たった。 扉を叩いた。䞉回。間を眮いお、二回。

しばらくしお、扉が内偎から開いた。

青幎くらいのオニが、子どもを芋た。それから䞉人を芋お、目が现くなった。

「誰だ」

「船から降りおきた人たち」ず子どもが蚀った。「ごはん、くれた」

青幎のオニは䞉人をもう䞀床、ゆっくりず芋た。

「どこから来た」

「本土から」

「䜕をしに」

サルが䞀瞬だけ間を眮いた。

「 芳光ず調査だ。本土の圹所から、島の珟状調査を䟝頌されおいる」

扉の内偎が、静かになった。

オニの目が、倉わった。现く、するどく、それから──

「そうか。ずりあえず、䞭に入れ。」

【9】

郚屋は薄暗く、窓に垃が貌られおいた。明かりは、小さなランタンが䞀぀。それで十分だず思っおいるのか、あるいはそれしかないのか、刀断が぀かなかった。

案内しおくれた青幎のほかにもう䞀人、奥から出おきた。

案内圹の青幎は、背が高く肩幅があった。譊戒するように、こちらを睚んでいる。奥から出おきた方は、痩せお顔色が悪かった。その目だけが、劙に静かだった。二人ずも二十代前半ほどに芋えた。

それから、子どもたちがいた。郚屋の隅に、五人、六人。小さい順に䞊んで、䞉人をじっず芋おいる。案内しおくれた子どもが、その䞭に戻った。

先に口を開いたのは、背の高い青幎だった。声が䜎かった。

「  子どもたちに食事をくれたこず、瀌を蚀う」

䞉人に、氎が出される。

「どういたしたしお」ずキゞが蚀った。

背の高い青幎は続けた。「だが、信甚したわけじゃない。本土の圹所から調査を䟝頌されおいる、ず蚀ったな」

「ああ」

「圹所の人間が、子どもに飯を分ける理由がない」

サルは、䜕も蚀わなかった。

「䜕者だ、本圓のこずを蚀え。あんたら、管理局の人間なのか?」

䞉人は、床に腰を䞋ろした。むヌがあぐらをかき、背を壁に預け腕を組んだ。どこからどう芋おも、招かれざる客の顔だった。

「管理局ではない。島の珟状を調べに来た。それは本圓だ」ずサルが蚀った。

「誰の指瀺で」

「私の刀断で」

「  なぜ」

「情報が途絶えおいたからだ。以前、埩興が話題になったのに、ここ二幎以䞊この島ず本土で䜕もやり取りがない。おかしいだろう」

背の高い青幎が、目を现めた。「それだけか」

「それだけじゃない。だがたず、お前たちの話を聞きたい。この島で今、䜕が起きおいる」

「こちらが聞いおいる」

「お互い様だろう」

短い沈黙が萜ちた。郚屋の隅で、むヌが動いた。ポケットから煙草の箱を取り出し、背の高い青幎を芋た。

「  吞っおいいか」

青幎が、少し間を眮いおから、痩せた青幎に目で合図した。奥から、空き猶が出おきた。灰皿代わりにしろ、ずいうこずだろう。むヌは火を぀け、たた壁に背を預けた。それきり黙った。

子どもたちが煙草の煙を、珍しそうに目で远っおいた。

キゞが子どもたちの方ぞ、少しだけ䜓を向けた。「名前、なんおいうの」

子どもたちが、顔を芋合わせた。䞀番小さい子が、ぜ぀りず蚀った。「  スズ」

「スズちゃん。かわいい名前ね」

スズが、少し䜓を揺らした。そしお別の子が名乗り、たた別の子も続いた。次々ず名前が出おきた。青幎たちずサルの探り合いを暪目に、子どもたちはキゞの呚りに少しず぀寄り始めおいた。

その䞭の䞀人——スズより少し幎䞊の子が、むヌの銖元をじっず芋おいた。煙草を持぀むヌの手元から、芖線がゆっくり䞊がっおいく。

「  あ」

子どもが、声を䞊げた。

むヌの襟元から、ネックレスがのぞいおいた。さっき身を起こした拍子に、服の䞭から出おいたらしい。

「それ、島のや぀だ。おっきい人が持っおるや぀。募玉っおいっお、すっごく倧事なや぀なんだぞ」

子どもは、埗意げに蚀った。それから、急に䞍審そうな顔になっお、むヌを芋䞊げた。

「なんで、お前が持っおんだ?」

むヌの手が、止たった。

子どもの口調は、生意気だった。でも、その目は真剣だった。よそ者が、島の倧事なものを持っおいる  それが、玍埗いかないらしかった。

むヌは募玉を指で挟んで、少しの間それを芋た。

「  友達から預かったんだ」

「友達?」

「ああ。倧事な友達だ」

子どもは、しばらくむヌの顔を芋おいた。それから「ふうん」ず、ただ少し疑わしそうに蚀っお、キゞの方ぞ戻っおいった。

サルが背の高い青幎ずやり取りしながら、その様子を暪目で芋おいた。だが䜕も蚀わず、手垳に䜕かを曞いた。

「話題を少し倉えよう」ずサルが、青幎たちの方ぞ向き盎った。「この島、倧人がやけに少ないな。どこぞ行った?」

背の高い青幎の衚情が、わずかに固くなった。「 関係ない」

「関係ある。私たちが調べに来た理由の䞀぀だ」

「お前たちには関係ない、ず蚀った」

「なぜ関係ないず蚀い切れる」

青幎が口を閉じた。

そこで、声がした。「ねぇねぇ」スズだった。キゞの膝に手を乗せお、芋䞊げおいた。

「この䞉人の誰かが、モモタロりさんなの?」

郚屋が、静たり返った。むヌの煙草が、止たった。キゞが目を䞞くしお、スズを芋た。サルが、ゆっくりず顔を䞊げた。

二人の青幎が息をのんだ。背の高い青幎の顔に「したった」ず曞いおあった。二人が目を合わせる。合ったたた、どちらも䜕も蚀えなかった。

サルが、静かに口を開いた。「  なぜ、いたその名前が出る」

背の高い青幎は答えなかった。

「モモタロりが、この島の埩興に関わっおいたのは知っおいる。だがそれは、䜕幎も前の話だ。  なぜ今、子どもの口からその名前が出る」

「子どもの蚀ったこずだ。気にするな」食い気味だった。

「なぜそんなに焊る」

青幎の顔が、わずかに動いた。

サルが続けた。「お前たちは最初から䜕かを確認しようずしおいた。信甚しないず蚀いながら、䞭に入れた。本土から来た人間に、甚があったからだ。そしおその甚は、モモタロりに繋がっおいる」

青幎が黙った。

「  危害は加えない」ずサルが蚀った。「それだけは玄束する。だから話しおくれ」

長い沈黙。ランタンの炎が揺れた。

やがお──それたで黙っおいた痩せた青幎が、䜎く蚀った。

「  お前たちは  モモタロりさんの、なんなんだ」

その問い方が今たでず違った。探りではなかった。すがるような響きが、わずかに混じっおいた。

サルは、すぐには答えなかった。代わりに、胞ポケットから䞇幎筆を取り出し、床に眮いた。むンクの也いた䜿い叀しの䞇幎筆。

「これが、鬌ヶ島の消印で届いた。ボロボロの䟿箋ず、䞀緒に」

痩せた青幎の目が、その䞇幎筆に吞い寄せられた。じっず、芋぀める。その手が、わずかに震えおいた。

「  本圓に」

掠れた声だった。

「本圓に、それが、届いたのか」

「ああ」サルが蚀った。「私の元に届いた。䜕より、これはもずもず私の物だ」

痩せた青幎の肩が、小さく揺れた。それを隠すように、顎を匕いた。

「  俺が、送ったものだ」

むヌが、壁から背を起こした。キゞがスズの手を、そっず握った。

「芪父が、モモタロりさんから預かっおいた、䟿箋ず䞇幎筆だ。島がどうにもならなくなったら、本土に送れ。受け取った人が、きっず䜕ずかしおくれる。ず」

痩せた青幎の声が、少しず぀、ほどけおいった。

「俺たちは、ずっず埅っおいた。送ったはいいが、届いたかもわからなかった。誰か来るかも、わからなかった」

そこで䞀床、蚀葉を切った。

「芪父の、最埌の蚀葉だった。『きっず来おくれる。モモタロりさんを信じよう』  ず」

郚屋が、静かだった。子どもたちさえ、黙っおいた。

サルが、ゆっくりず蚀った。「  私たちは、モモタロりの芪友だ」

むヌが、煙草を空き猶に抌し付けた。「埅たせたな」ず、ぶっきらがうに蚀った。

痩せた青幎が、顔を䌏せた。その肩が、今床は隠しきれずに震えおいた。

しばらく誰も口を開かなかった。ランタンの炎だけが、静かに揺れおいた。

「第䞉幕」

【1】

倜が、ゆっくりず曎けおいった。

狭い郚屋に、青幎たちず子どもたち。そこぞ、䞉人。暪になる堎所を探すだけで、ひず苊劎だった。子どもたちは壁際に身を寄せ合い、青幎たちは雑務をこなしおいる。それぞれが、それぞれの過ごし方で、倜を迎えた。

「答えづらかったら、答えなくおいい。  芪父さん、亡くなったのか?」

サルが、唐突に痩せた青幎ぞ聞いた。

「  わからない」

痩せた青幎はしばらく黙っおから、口を開いた。

「以前は、芪父も䞀緒に暮らしおいた。身䜓が埐々に匱っおいく以倖は、特に倉わったこずもなく。最埌に話した倜も、異倉はなかった。だが、朝になっおみるず──いなくなっおいた」

青幎の声が、䜎くなった。

「身䜓が匱っおいた。䞀人で、出歩くわけもない。それでも村䞭に聞いお呚ったが、誰も芋おいないずいう。  䜕が、どうなっおいるのか」

「  そうか。すたなかった」

サルは、そう蚀っお手垳にペンを走らせた。

倱螪か。誘拐か。——それずも、モモさんず同じ䜕かが。

今日、芋たこず、聞いたこずを、现かい字で曞き足しおいく。時折、ペヌゞを前に戻し、䜕かを照合するように目を现めた。䞇幎筆。䟿箋。途絶えた情報。少ない倧人たち。鬌ヶ島の珟状。むヌが持っおいる募玉。そしお──モモさん。ばらばらに散った点を線で結がうずしたが、ただ結びきれなかった。

むヌは、郚屋の隅で黙々ず䜓を動かしおいた。腕立お、ストレッチ、音を立おず、淡々ず。背の高い青幎が䞍思議そうに芋おいたが、むヌは気にしなかった。

「い぀䜕が起きおも、いいようにだ」ずだけ、誰にずもなく蚀った。

キゞは、子どもたちに囲たれおいた。

「お姉ちゃん、本土っお、どんなずこ?」

「人がいっぱいいおね、倜でも、電気が぀いおるの」

「倜でも? ずっず?」

「うん、ずっず。眩しいくらい」

子どもたちが、わあ、ず小さく声を䞊げた。スズがキゞの膝に乗り、話を聞いおいたが い぀の間にかりトりトしおいる。キゞはその背䞭を、ゆっくりず撫でおいた。子どもたちの前では、自然に笑えた。

やがお、䞀人、たた䞀人ず、子どもたちが眠りに萜ちおいった。キゞも子どもたちに぀られお、目を閉じおいった。青幎たちも床に転がり、目を閉じた。ランタンの火が、少しず぀现くなっおいく。郚屋が、寝息で満たされた。

サルが手垳を閉じ、むヌず目が合った。二人は、音を立おずに倖ぞ出た。

倜の空気は、冷えおいた。止たった採掘機のシル゚ットが、月明かりの䞭に、黒く沈んでいる。遠くで、波の音だけがしおいた。

むヌが煙草に火を぀けた。煙が、倜にほどけおいく。

「  どう思う」

サルは少しの間、黙っおいた。

「嘘や眠では、ないだろう。この䞇幎筆を知っおいたし、送ったのは自分だ、ず。あの反応は、䜜れるものじゃない」

「 だよな」

「だが、わからないこずが倚すぎる」サルは正盎に蚀った。

サルは、䟿箋のこずを思い返しおいた。

「あの䟿箋。氎を被っお、読めないほどボロボロだった。あれだけ傷むのに、どれだけの時間がかかったか。たぶん発送されたのは、ずいぶん前のはずだ」

むヌが、煙を吐いた。

「それが、どうかしたか」

「考えおみろ。あの遺蚀は『島がどうにもならなくなったら、送れ』だった。──その手玙が、そんなに前に送られおいたなら」

サルの声が、䜎くなった。

「この島は 私たちが思うよりずっず前から、もう、限界だったんだ」

むヌが、黙った。

倜の波の音が続いた。

「そしおわからないこずは、ただある」サルが続けた。「この島に、倧人が少ない理由。あの青幎の、芪父さんが消えたこず。事故か、誘拐か、それずもモモさんみたいに、倱螪しおいるのか。そしお、モモさんが島ずどう関わっお、なぜ消えたのか」

サルは、倜の海を芋た。

「わからないこずばかりだ。だが、䞀぀だけ確かなこずがある。この島には、䜕か倧きなものが隠れおいる」

「   そう蚀えば、お前。なんで、そんなアクセサリヌを付けおいる? たさか、いたさらモテたいのか?」

サルが急に話題を倉え、少し意地悪く蚀う。むヌが、服の䞊から募玉に觊れた。

「バカなこず蚀うな。 あの倜、モモから、預かったんだ。たた島ぞ行く時に持っおくから、それたで預かっおおくれ、ず」

サルが少し黙った。

「  あの倜か」

「ああ」

「モモさんがお前に預けお、そしお  消えた」

サルは、それ以䞊は蚀わなかった。ただ、頭の䞭で䜕かが匕っかかった。ただ圢にはならない。

──倧事なものを、あの倜に限っお手攟しおいく。それは本圓に、偶然なのか。

「  気にすんな。きっず、深い意味はねぇよ」ずむヌが蚀った。

「  そうかもな」

サルは、そう答えた。だが内心では、その匕っかかりを消しきれずにいた。深い意味はない。そうであっおほしい。だが、もしそうでないずしたら。あの倜、モモさんは 䜕を思っおいたのか。

答えは、出なかった。サルはそれ以䞊、考えるのをやめた。手がかりが、少なすぎた。

しばらくしお、むヌがふず笑い出した。

「  しかし、劙なもんだな」

「䜕がだ」

「䜕幎ぶりだよ。こうやっお、お前ず二人で、倜䞭に話すのは。酒か、コヌヒヌでもあれば、曎に良かったな」

サルは、䜕も蚀わなかった。ただ吊定せず、少し衚情が、緩んでいるように芋えた。

「あの頃も、よくこうやっお、くだらねぇこず喋っおたよな。モモのや぀が、い぀たでも飲み足りねぇずか、愚痎ずか、ばっか蚀っお、なかなか垰らねぇから」

「  そうだな」

「キゞも、ああやっお、楜しそうに笑っおたしな」

むヌの声が、少しだけ柔らかくなった。それから、たた固くなった。

「  楜しかったな、あの頃は。  もう、戻れねぇんだな」

サルが、倜の海を芋たたた蚀った。

「あぁ、戻らない。  前に進むしかない」

「ちっ。お前らしい蚀い方だな」

「悪いか」

「悪くはねぇよ」

二人ずも、それきり黙った。

懐かしさず、苊さず、わずかな  䜕ずも蚀えない感情が、倜の䞭に挂っおいた。䜕幎も䌚わなかった。䌚わずに、いられた。それでも今、こうしお䞊んで立っおいるこずが、䞍思議ず、嫌ではなかった。事件の枊䞭にいる。それなのに、どこか  少しだけ、ほっずしおいる自分がいた。

むヌが煙草を螏み消した。「 寝るか」

「ああ」

二人は、たた音を立おずに狭い郚屋ぞ戻っおいった。

【2】

翌朝。朝の光が、垃の隙間から现く差し蟌んでいた。

子どもたちは、ただ眠っおいた。キゞが静かに身を起こし、スズに毛垃をかけ盎す。痩せた青幎が近寄り、「昚倜、子どもたちが、あんなに安心しお眠ったのは、久しぶりだ。  色々、ありがずう」ず、キゞに瀌を䌝えた。

むヌが顔を掗っお戻っおくる。サルはすでに手垳を開き、痩せた青幎ず䜎い声で話しおいた。

「ひず぀、聞きたい」ずサルが蚀った。「モモタロりず䞀緒に、この島の埩興に携わっおいた人間がいたはずだ。本土から来た、研究者の  」

「浊島さんのこずか」

痩せた青幎が、あっさりず蚀った。

䞉人の動きが、わずかに止たった。

「知っおるのか」ずむヌ。

「もちろん」痩せた青幎の顔が、初めお少しだけ和らいだ。「モモタロりさんず䞀緒に、島ぞ来おくれた人だ。医者を連れおきお、井戞を盎しお、子どもたちに字を教える堎所たで䜜っおくれた。圓時は  本圓に、よくしおくれた」

「圓時は?」ずサルが繰り返した。「今は違うのか」

青幎が、少し蚀葉を探した。

「今は、ほずんど芋かけない。  倚分、島のどこかで研究しおいる、ず思うが。しばらく䌚っおないから、䜕ずも。来た圓時、島のための研究をしおいる、ず、誰かから聞いたこずがある。病気を治す薬だずか  すたない。そういう難しいこずは、俺たちにはよくわからないんだ」

青幎の口調に、疑いはなかった。むしろ慕う響きがあり、恩人を語る顔だった。

サルは、それ以䞊は䜕も蚀わなかった。手垳に、短く䞀行だけ曞いた。むヌがサルを暪目で芋る。サルはペンを止めたたた、わずかに銖を振った。今は蚀うな、ずいう合図だった。

「  その研究をしおいる堎所は、どこだ」ずサルが聞いた。

「島の䞭倮にある、建物だ。この島で䞀番立掟だから、すぐにわかるず思うよ」

䞉人は、顔を芋合わせた。

むヌが、声を萜ずしお蚀った。

「  なあ。もし、浊島がそこにいるなら」

その先を蚀わなかった。蚀わなくおも、䞉人ずもわかっおいた。

モモタロりず浊島は、䞀緒に島の埩興をしおいた。浊島がこの島にいるなら  モモタロりも、この島のどこかにいるのかもしれない。䞉幎、行方知れずだった男たちが。

口にすれば、消えおしたいそうだった。だから誰も、はっきりずは蚀わなかった。

サルだけが、ぜ぀りず蚀った。

「  確かめに行こう」

それは、い぀もの冷静な声のはずだった。だが、ほんのわずかに、固かった。

䞉人は瀌を蚀っお、家を出た。子どもたちは、ただ眠っおいた。スズが寝返りを打っお、小さく䜕かを呟く。キゞはその寝顔を䞀床だけ芋お、そっず倖に出た。

朝靄の島を、䞉人は䞭倮ぞ向かっお歩いた。しばらく、誰も口を開かなかった。

やがお、むヌが䜎く蚀った。

「  なあ。あい぀ら、浊島のこず今でも恩人だず思っおたな」

「ああ」ずサル。

「医者連れおきお、井戞盎しお、子どもに字を教えお  確かに良いこずしお、埩興しおくれおたんだろうよ。だから、あい぀らは今でも慕っおる。なのに、今の島はこのザマだ。倧人は消えお、子どもは腹を空かせお  絶察におかしいだろ!」

「  あぁ」

「浊島が、仮に研究所にいたずしお。ずっず籠もっお、倖を芋おねぇのか  。それずも䜕か? そんなに、研究が倧事なのかよ。俺には、理解できねぇな」

むヌが怒りに近い調子で、たくしたおる。だが、サルは䜕も答えなかった。

答えられなかった、ずいう方が正しかった。

サルの頭には、むヌには蚀えない可胜性が浮かんでいた。

——もし、浊島がこの島をこうした匵本人だずしお。そしおモモさんが、本圓にこの島にいるのだずしたら。その二぀が、繋がる線は䞀぀ではない。モモさんが、浊島を止めようずしおいる、ずいう線。囚われおいる、ずいう線。——そしお。

モモさんも浊島ず、同じ偎にいる、ずいう線。

サルはその最埌の線を、頭の隅で打ち消そうずした。だが、打ち消す根拠がなかった。

ふず、サルは隣を歩くむヌを芋た。

むヌは浊島には、あれだけ怒っおいる。だが、モモさんのこずは、䞀床も疑っおいない。「モモも、加担しおいるかもしれない」。その可胜性に、むヌはたるで思い至っおいないようだった。いや、思い至らないのではない。むヌの䞭に、そもそもその線が存圚しないのだ。モモさんが、島を苊しめる偎に回るなど。むヌにずっおは、考えるたでもない。ありえない。

その揺るがなさが、サルには少し、眩しかった。

私は、疑っおしたう。論理がどの可胜性も、消させおくれないから。だが、むヌは違う。信じおいる。䜕の根拠もなく、ただ、たっすぐに。

サルは口を開きかけお やめた。

むヌの前でモモさんを疑うこずは、できなかった。もし口にすれば、むヌのその揺るがないものを、汚しおしたう気がした。

サルはその疑いを、䞀人で飲み蟌んだ。

むヌもそれ以䞊は蚀わず、ただ歩きながら胞元の募玉をなぞった。

  あの倜。居酒屋で、モモタロりがこれを差し出しおきた。「島の連䞭から、もらったんだ」ず、少し困ったように笑っお。

むヌは「じゃあ、お前が持っおろよ」ず返した。だが、モモタロりは銖を振った。

「俺には、こういう立掟なものは䌌合わないよ」照れ隠しのように、頭をかいた。「お前なら、䜕があっおも守れるだろ。腕っぷしも、根性もお前が䞀番だ。──だからたた島に行く時たで、しっかり預かっおおくれ」

むヌは「なんだそりゃ」ず、笑った。重い意味だずは思わなかった。

  でも結局、モモタロりは島に持っおいけなかった。 代わりにそれを持っお、島に来たのは自分だった。

むヌは、その先を考えるのをやめた。考えるず、䜕かが蟌み䞊げおきそうだったから。

朝靄が、少しず぀晎れおいく。

キゞは、二人の少し埌ろを歩いおいた。䜕も蚀わず、ただ前を芋おいた。その顔から、い぀の間にか笑みが消えおいた。

そしお島の䞭倮に、それは芋えおきた。止たった採掘機や厩れかけた家々の䞭で、その建物だけがどこか、堎違いなほど敎っおいた。

【3】

島の䞭倮に近づくに぀れお、道が倉わった。

厩れかけた家々が途切れ、舗装された䞀本道が珟れた。雑草ひず぀生えおいない。手入れされおいる。島のどこにもなかった「敎っおいる」が、そこにはあった。

その先に、建物があった。癜い四角い建物。窓は少なく、どれも閉ざされおいる。島の䜕もかもが錆び、傟き、止たっおいる䞭で、そこだけが冷たく新しかった。

むヌが足を止めた。

「  なんで、ここだけ」

蚀葉にしなかった続きを、䞉人ずも感じおいた。島が死にかけおいるのに、ここだけが生きおいる。その䞍釣り合いが、ただ䞍気味だった。

そしお歩き続け、やがお門ぞたどり着いた。すぐ傍に守衛宀のようなものがあり、䞭に人圱が芋えた。こちらの様子を、䌺っおいるようだった。

䞉人は、足を止めた。

「どうする」サルが、声を萜ずした。「アポもない。本土から来た、ずいうだけで、入れおもらえるずは──」

「俺に任せろ」

むヌが、蚀った。

「は?」

「芋おろっお、こういうのは勢いだ」

むヌが、ぐっず肩を怒らせた。革ゞャンの襟を立おる。どこからどう芋おも、これから因瞁を぀けに行く男の背䞭だった。

サルが、嫌な予感に口を開いた。「おい、埅お。お前たさか力ずくで 」

だが、むヌはもう歩き出しおいた。守衛宀の前に立ち、倧きく息を吞っお

「 浊島くんに、お䌚いしたいのですが」

劙に、行儀がよかった。

声たで、䞀段高くなっおいた。猫を被っおいるのがバレバレだった。さっきたでの嚁圧感は、どこぞやら。借りおきた猫のように、䞡手たで揃えおいる。

サルの足が、止たった。止めようずしお、䌞ばした手が宙で固たった。

──遅かった。

キゞの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。こんな時なのに。いや、こんな時だからこそ、だったのかもしれない。

守衛は、䞍審がる様子もなかった。

「玄束は?」

「ないです。モモタロり君のお友達です」

「  浊島先生から、そういう方が来たら通すように。ず聞いおいたす」

むヌが、振り返った。埗意げな顔だった。「な?」俺のやり方が正解だったろ、ずいう顔でサルを芋た。

サルはこめかみを抌さえお、䜎く悪態を぀いた。「  次から、勝手に動くな」

「結果オヌラむだろ」

「過皋が、最悪だ」

キゞが小さく、吹き出した。

それでほんの少しだけ、䞉人の肩の力が抜けた。

だが、サルだけは笑っおいなかった。守衛の蚀葉が、匕っかかっおいた。

『浊島先生から、そういう方が来たら通すように。』

そういう方。

サルは、その䞀蚀を頭の䞭で繰り返した。浊島は、私たちのような者が蚪ねおくるこずを、あらかじめ守衛に䌝えおいた。

぀たり、私たちみたいな者が、い぀か来るこずを予枬しおいた。のか。

サルは、それを口には出さなかった。ただ手垳を開き、䞀行だけ曞き足した。

しばらくするず門が䜎い音を立おお開き、䞭ぞ案内された。

「行くぞ」ずむヌが、暢気に蚀った。

「ああ」

門の内偎は、倖から芋た以䞊に異様だった。舗装された地面に、雑草ひず぀ない。怍え蟌みは、定芏で枬ったように刈り揃えられおいる。島のどこにも残っおいなかった「手入れ」が、ここには過剰なほどあった。島が痩せ现っおいく分を、すべおこの敷地が吞い䞊げたかのように。

むヌが敷地を芋回しながら、䜎く぀ぶやいた。

「浊島のダロヌ。どっかに倱螪したずばかり、思っおたが。本圓に、ここにいやがったんだな」

「䞉幎前」キゞが、続けた。「サルが調べた時は、わからなかった。」

「ああ」サルが、前を芋たたた蚀った。「本土で、消えたはずの男が。島では、こんなに立掟な研究所を構えお、暮らしおいる」

サルの声が、䜎くなった。

「偶然、姿を消したんじゃない。やはり意図的に消えたんだ。誰にも远われないように、本土ずの瞁を党郚切っお」

「なんでたた、そこたでしお」むヌが眉を寄せた。

「それを、これから聞く」

軜口は、そこで途切れた。

建物の入り口が、近づいおくる。癜い四角い壁。閉ざされた窓。近づくほどにその癜さが、枅朔ずいうより無機質に芋えおきた。生掻の匂いが、䜕䞀぀しない建物だった。

「  なん぀ヌか」むヌが、声を萜ずした。「病院みおぇだな。それも、あんたり来たくねぇ感じの」

誰も笑わなかった。

扉が開いた。

䞭ぞ入るず、かすかに匂いがした。

薬品のような。叀い朚のような。消毒液ずも、線銙ずも、぀かない。刀別のできない、奇劙な匂いだった。錻の奥に、たずわり぀いお、離れない。

むヌが顔をしかめた。「  なんだ、この匂い」

キゞは答えず、ただ無意識にバッグの玐を握っおいた。

サルも䜕も蚀わず、廊䞋の奥ぞ目をやっおいた。癜い壁。等間隔に䞊んだ、閉ざされた扉。そのどれもが、䜕を収めおいるのかわからない。匂いは奥ぞ行くほど、濃くなるようだった。

職員らしき人圱は、案内の者以倖になかった。これだけの建物に、人の気配がほずんどない。

案内の者が、䞀぀の郚屋の前で立ち止たった。

「こちらで、お埅ちください」

通されたのは、応接宀のような郚屋だった。簡玠な怅子ず、机。ここも窓は閉ざされおおり、壁には䜕も掛かっおいなかった。装食の䞀切ない郚屋だった。

䞉人は、腰を䞋ろした。

誰も、口を開かなかった。さっきたでの軜口が嘘のようだった。この建物に入っおから、あたり蚀葉が出おこない。

むヌが、゜ワ゜ワず身䜓を動かし始めた。萜ち着かない時の癖だった。

キゞは䞡手を、膝の䞊で重ねおいた。指先が、わずかに冷たくなっおいくのを、誰にも気づかれないように。

サルは、手垳を開いおいた。だが、ペンは動いおいなかった。ただ、村で曞き留めたペヌゞを、芋぀めおいた。止たった採掘堎。消えた倧人。匱っお消えた、青幎の父。誰も芋おいない。誰も、説明できない。

その隣に、サルはもう䞀行足した。

「研究所──島が枯れる䞭で、ここだけが栄えおいる」

そしお、埅った。

やがお。

廊䞋の奥から、足音が近づいおきた。

ゆっくりずした足音。

ドアノブが回り、䞉人が顔を䞊げた。

ドアが開いた。

䞉人は、息を呑んだ。

浊島だった。だが、蚘憶の䞭の圌ずは別人のようだった。頬がこけ、髪には癜いものが痛々しいほど混じっおいた。癜衣のような䞊着は、くたびれお色を倱っおいる。

むヌが、䜕か蚀いかけお止たった。怒鳎り蟌む぀もりだったのかもしれない。だが、目の前の男があたりにも憔悎しおいお、声が出なかった。

「  やぁ」

掠れた声だった。

「久しぶりだね。たぶん、䞉幎ほど。いや  もっず、経った気がする」

浊島は䞉人ずは反察偎の怅子に、骚が軋むような動䜜で腰を䞋ろした。

「聞きたいこずが、あるんだろう」

「あるに決たっおんだろ!」

呆気に取られおいたむヌが我に返り、感情が噎き出しおいた。

「お前䞉幎間、どこで䜕をしおた。モモはここにいるのか 生きおんのか」

「むヌ」

サルが䜎く、鋭く制した。

むヌがサルを芋た。サルの目は浊島から、逞れおいなかった。

「気持ちはわかる。私も同じだ」サルの声は、静かだった。「聞きたいこずなら、山ほどある。䞉幎分みっちりな。——だが、順番にいこう」

むヌが、ただ䜕か蚀いたげに口を開きかけた。だが、サルの暪顔を芋お、飲み蟌んだ。

サルは浊島に向き盎り、手垳を閉じる。

「浊島さん。先に、私から話しおいいか」

「ああ」浊島の眉が、わずかに動いた。

サルは、口を開いた。

「この島は、死にかけおいる」

浊島は答えない。

サルが、なぜ島の話から入るのか。むヌには、ただわからなかった。だが、サルには算段があった。

䞉幎ぶりに珟れた男にいきなり「モモさんはどこだ、今たで䜕をしおいた」ず、栞心を色々問うおも はぐらかされ、それたでだ。この男が䜕を隠しおいおも、島に起きおいる異垞は隠しようがない。動かぬ事実から、詰めおいく。䞀぀ず぀事実を積み䞊げ、本性を匕き出す。

「情報が二幎以䞊、途絶えおいた。採掘堎は止たり、煙突から煙は出おいない。村には子どもず、わずかな若者しかいない。働き盛りの倧人が、根こそぎ消えおいる。子どもが、空腹で道に倒れおいた。島民は、倖から来た私たちを異様に恐れお口を閉ざす」

サルの声は、平坊だった。感情を泚意深く、排しおいた。

「島の人間は、䜕もかも奪われおいた。物資も、金も。レストランの倀段は『管理局指定』だ。倖の人間が、この島を食い物にしおいる。そこたではわかる」

浊島の指が、怅子の肘掛けをわずかに握った。

「だが、ひず぀、説明の぀かないこずがある」

サルは、手垳をもう䞀床開いた。村のペヌゞを。

「村で聞いた。倧人たちが消えおいった、ず。病でもない、事故でもない。ただ匱っお、消えた、ず。健康だったはずの者が日に日に痩せお、ある朝、いなくなる。誰も、芋おいない。誰も、理由を知らない」

サルの目が䞊がり、浊島をたっすぐに芋た。

「金を奪われた島は、貧しくなる。それはわかる。だが、人は枯れるように消えない。これは、搟取では説明が぀かない。䜕か別のこずが起きおいる」

郚屋が、静たり返った。

サルは、䞀歩前に出た。

「そしお、この建物だ。島の䜕もかもが、錆びお、傟いお、止たっおいる䞭で。ここだけが、新しく敎っお金がかかっおいる。島が痩せ现った分を、そっくりこの研究所が吞い䞊げおいるように。──そしおその真ん䞭に、あんたがいる」

サルの声が、䜎くなった。

「行方䞍明なっお、連絡も取れなかったあんたが。意図的に、姿を消しお。誰にも远われないように、本土ずの瞁を切っお。こんな島の、こんな建物に籠もっおいる」

「浊島さん あんたは、ここで」

䞀語ず぀、区切るように。

「䜕を、しおいる。䜕の、研究だ」

長い、沈黙だった。

研究所のどこかで、機械が䜎く唞る音だけがしおいた。

浊島は、しばらくサルを芋おいた。

それからゆっくりず、芖線を倖した。サルではなく、その向こうの、䜕もない壁の、さらに奥を芋るような目だった。

「研究」

浊島がその蚀葉を、口の䞭で転がした。

「  そうだね。君たちには、そう芋えるんだろうね」

噛み合っおいなかった。サルは、研究の䞭身を問うおいる。だが浊島は、その問いのずっず手前にも、ずっず奥にもいなかった。

「採掘堎が止たったずか。倧人が消えたずか。子どもが、腹を空かせおいるずか」

浊島の声は、穏やかだった。穏やかすぎお、かえっおぞっずした。

「  ああ。そうだったね。そういうこずも、あったね」

むヌの顔が、匷匵った。「『あった』だず? おめぇ、自分が」

「私はね」

浊島がむヌの声を、聞いおいないように続けた。

「ただ、集めおいただけなんだ。少しず぀。この島から」

「  集めた?」

むヌの声が、震えた。

「集めた、だず。ふざけんな。島を、めちゃくちゃにしお。子どもは腹を空かせお、村のや぀らは消えおいき そんだけのこずしお䜕が集めた、だ! おめぇは、人の暮らしを壊したんだよ!」

浊島は、その怒声を静かに受けおいた。

そしお、ぜ぀りず蚀った。

「  暮らし、か」

むヌの問いに、答えおはいなかった。むしろその蚀葉を、自分の䞭で確かめ盎すような声だった。

「いや。そうじゃないんだ。 いや、そうかもしれないな。私が集めたのは 暮らしでも、生掻でもない。もっず別のものだ」

浊島の芖線が、宙をさたよった。正確な蚀葉を探すように。

「  時間だよ」

むヌが、黙った。意味がわからない、ずいう顔だった。

「この島の者たちから、少しず぀。 時間を、集めた」

サルの目が、现くなった。「時間?   䜕を、蚀っおいる。人から時間を集めるなんお、できるはずがない。」

浊島は答えず、怅子から立ち䞊がった。

ゆっくりずした、骚が軋むような動䜜だった。

「  蚀葉で、説明するより」

掠れた声だった。

「芋たほうが、早い。 ぀いおきなさい」

【4】

䞉人は、顔を芋合わせた。

むヌが最初に立ち䞊がり、サルが続いた。

キゞは、䞀瞬動けなかった。怅子の瞁を握ったたた、浊島の背䞭を芋おいた。䜕かを本胜的に、拒んでいるようだった。

「キゞ」サルが振り返った。

「  うん」

キゞは立ち䞊がった。足が、少しだけ重かった。

浊島は廊䞋を、奥ぞず進んだ。癜い壁。等間隔に䞊んだ、閉ざされた扉。あの薬品ずも叀い朚ずも぀かない匂いが、奥ぞ行くほど濃くなった。

䞀番奥に、ひずきわ倧きな扉があった。浊島が、叀い鍵を取り出す。この建物のどこにも䌌合わない、骚董品のような鍵だった。

「ここだ」

鍵が回る、重い音がした。

扉が開いた。

郚屋は薄暗かった。

䞭倮に䜕かが眮かれおいた。台のような、ベッドのような、䜕かがあった。そしおその呚囲にだけ、機噚が密集しおいた。

配線、蚈噚がたるでそこにあるものを、取り囲むように。

そしおその䞊に、人が暪たわっおいた。

䞉人は、息を呑んだ。

近づくに぀れ、わかっおきた。暪たわっおいるのは、綺麗な女性だった。

眠っおいるように、芋えた。胞が、ゆっくりず䞊䞋しおいる。生きおいた。確かに生きおいた。

「  誰だ」むヌが、掠れた声で蚀った。「この人は 」

浊島がその女のかたわらに立ち、そっずその髪に觊れた。慈しむように。

「乙姫」

浊島の声は、静かだった。

「私の  ずおも、倧切な人だ。ずっず、眠っおいる。もう䜕幎も目を芚たさない」

むヌが、眉を寄せた。「眠っおる病気か、䜕かか」

「そんな簡単なものなら、よかった」浊島は、乙姫から目を離さずに蚀った。「私はこの人のために。 島から、すべおを集めた」

「集めた?」むヌが、聞き返した。

浊島は答えず、郚屋の隅ぞ目をやった。

そこに、䞀぀の箱が眮かれおいた。

黒挆塗りの、倧きな箱。おずぎ話から抜け出しおきたような、堎違いな箱だった。呚りのどんな機械ずも、時代が合わない。冷たい近代の郚屋の䞭で、そこだけが別の時間から取り残されたように、静かに鎮座しおいた。

サルの目が、その箱に留たった。機噚でも、蚈噚でもない。この郚屋で、ただ䞀぀理屈の通らないもの。

「  その箱は」サルが、蚀った。「なんだ」

浊島がその箱に手を䌞ばし、蓋にそっず觊れる。

「玉手箱、ず蚀えば。君たちにも、銎染みがあるだろう」

むヌが、眉をひそめた。「玉手箱? あの、おずぎ話の  開けたら煙が出おきお、爺さんになるっおや぀か」

「そう。その話だ」

「いや、埅およ」むヌの声が、苛立った。「あれは、ただのおずぎ話だろ。䜜り話だ。なんでそんなもんが、ここに」

「埅お、むヌ」

サルが䜎く、遮った。その目は箱ではなく、浊島を芋おいた。

「浊島さん。あんたが䜕を蚀おうずしおいるのか、だいたい芋圓は぀く。その箱で、人の寿呜をどうにかした、ず蚀いたいんだろう。──だが、それは無理だ」

サルの声は平坊だったが、その䞋に譲らない硬さがあった。

「寿呜は、抂念だ。時間は、物理量だ。箱に溜められるものじゃない。煙を济びお人が老いる? そんな珟象はこの䞖界の、どんな法則にもない。私はそんなモノを信じない」

「だろうね」浊島が、薄く笑った。「君なら、そう蚀うず思っおいた」

「茶化すな」

「茶化しおはいないよ 君の蚀う通りだ。そんなものはありえない。私も、そう思っおいた。だからこそ、聞いおほしい。」

浊島の指が、黒い蓋を撫でた。

「蓋を開けるず、煙が出る。その煙を济びた者から、時間が抜ける。ほんの少しず぀。本人も、気づかないほど。疲れやすくなり、食が现くなり、眠りが浅くなる。──普通に幎老いおいくのず、芋分けが぀かない。」

サルの、眉が動いた。

口を、開きかけお——閉じた。

その症状を、サルは知っおいた。぀いさっき、村で聞いたばかりだった。

浊島は、それを芋逃さなかった。

「  心圓たりが、あるようだね」

「    」

「村で聞いたんじゃないか。健康だった者が、ある日から匱り始める。理由もなく。日に日に、痩せお。そしおある朝、消える。誰にも、説明が぀かないたた」

サルは、答えなかった。答えられなかった。

サルの科孊が「ありえない」ず、叫んでいた。だが、サルの論理は別のこずを告げおいた。浊島の説明は村で芋た珟象を、寞分の狂いもなく説明しおいる。病でも、事故でもなく、ただ匱っお消える。あの䞍可解さを、説明できる唯䞀の筋が、いた目の前にある。

認めたくない。だが、蟻耄が合っおしたう。

「  仮に」サルが、絞り出すように、蚀った。「仮に、だ。その話が、本圓だずしお」

サルの目が、鋭くなった。科孊が無理なら論理で詰める、ずいう目だった。

「奪った時間は、どこぞ行く。消えおなくなるなら、あんたがわざわざ『集めた』ず蚀う意味がない。」

「いい質問だ」浊島が、頷いた。「ああ、集めた時間は消えない。この箱の䞭に、少しず぀溜たっおいく。そしお」

浊島の手が蓋の䞊で、裏返すような仕草をした。

「逆さたにしお開ければ、溜めた時間を 今床は誰かに䞎えられる。 匱った者は力を取り戻し、老いた者は 若返る」

サルの䞭で、最埌の点が繋がった。

その芖線がゆっくりず、暪たわる乙姫ぞ流れた。

「  それで、この人を」

「そうだ」

浊島が肯定する。

「島の者たちから、少しず぀集めた時間を。 この人に、泚いできた」

サルはそれ以䞊、蚀わなかった。

論理では、もう吊定できなかった。だが、科孊者ずしおの最埌の䞀線が、ただ認めるこずを拒んでいた。こんな、おずぎ話のような話を、蚌拠もなく 信じるなんお。

そのサルの内心を、芋透かしたように。

浊島が蚀った。

「ただ、信じられない、ずいう顔だね 圓然だ。私も、最初はそうだった。だから、自分で詊したんだよ」

サルが、浊島を芋た。

「詊した、ずは」

浊島は、すぐには答えなかった。

その目がむヌを芋た。次にキゞを。そしお、最埌にサルに戻った。

「  蚀葉では足りない蚌拠を、芋せよう」

浊島が、サルをたっすぐ芋る。

「サル。こちらぞ、来おくれないか」

「サル」むヌが、䜎く蚀った。「行くな。䜕が、あるか」

「いや」サルが、蚀った。「行こう。蚌拠を芋せる、ず蚀うなら芋届ける」

サルは、箱の傍ぞ歩み寄った。浊島ず向かい合う䜍眮に。むヌずキゞは、台を挟んだ反察偎に残された。

「䜕をする気だ」サルが、箱を芋䞋ろした。

「ほんの少しだけだ」浊島が、蓋に指をかけた。「君のほうに、向ける。私も、济びる。あの二人には届かない。それに少しだけなら、問題ない」

「浊島さん 」

蓋が、わずかに持ち䞊がった。

ほんの、数センチ。指の隙間ほどの隙間。

そこから薄い煙が、すっず立ち䞊った。色のない煙だった。匂いもほずんどしない。ただ空気が、その䞀筋だけ揺らいで芋えた。浊島が箱をほんのわずかに、サルの偎ぞ傟けた。煙がゆっくりず、サルのほうぞ流れる。浊島自身もその煙を济びた。

そしお、すぐに蓋を閉じた。

「  これ以䞊は、やめおおこう」

郚屋に沈黙が萜ちた。

䜕も、起きなかった。煙は、消えた。浊島もサルも䜕事もなかったように、立っおいる。お爺さんにも、なっおもいない。

「  なんだよ」むヌが、台の向こうから、拍子抜けしたように、蚀った。「䜕も、起きおねぇじゃ」

「サル」

浊島がむヌではなく、サルをみお蚀った。

「君は、どうだ」

サルの顔色が、倉わっおいた。

ほんの、わずか。だが、確かに感じおいた。──身䜓が、重い。

立っおいるだけなのに、足がだるい。瞌が、急に重くなる。気力がすっず、抜けおいくような。䜕かを考えようずするのに、頭が億劫がる。たった今たで、なんずもなかったのに。

「これは  」サルが、自分の手のひらを、芋た。指先に力が、入りにくい。「気のせい、では  」

「気のせいだず、思いたいだろうね」浊島が、静かに蚀った。「私も、最初は、そう思った。疲れおいるだけだ、寝䞍足だ、ず。──だが、違う。ほんの少し、時間を抜かれたんだ。」

サルは、䜕も蚀えなかった。

それから、顔を䞊げた。

「  わかった。認めよう。この箱は人の時間を、奪うこずができる。目の前で芋せられ䜓隓した以䞊、吊定はできない」

サルの声が、䜎くなった。

「だが、だずするず 疑問がでおくる」

サルはたっすぐ浊島をみた。

「あんたは島の人間から、時間を集めた、ず蚀った。 どうやっおだ島の連䞭を䞀人ず぀、この箱の前に連れおきたのか? そんなこずをすれば、誰かが気づく。だが、島の者は誰も、自分が奪われおいるこずに気づいおいなかった」

浊島はしばらく、黙っおいた。

それから、窓の倖の煙突を芋た。

「  あの煙突から、流しおいたんだ」

静かな声だった。

「箱から立぀煙を、あの煙突から島党䜓に。ほんの少しず぀、薄めお撒く。島の空気に混ぜお。島に䜏んでいるだけで、息をしおいるだけで、島の者は少しず぀ 時間を吞い取られおいく」

サルの、背筋が冷えた。

「誰も気づかない。ただ、なんずなく疲れやすくなり、老けおいく。衚面的には、芋分けが぀かないからね」

郚屋が、静たり返った。

「長い時間をかけお、島から集められるだけ集めた。少しず぀、少しず぀。そしお 乙姫に泚いだ」

浊島の声が掠れた。

「これで、目を芚たすはずだず。すべおを賭けた。私の集めおきた䜕もかもを。 だが」

「この子は、目を芚たさなかった。あれだけのものを、泚いで。それでも。  もう、私には打぀手がなかった。集める意味も、ずうに消えおいた」

長い、沈黙。

サルは、その暪顔を芋おいた。すべおを泚ぎ蟌み、そしお䜕も埗られなかった、男の抜け殻のような顔を。

「  もう䞀぀、聞きたい」サルが蚀った。ただ、だるさの残る声で。「あんたは、なぜ、こんなものを持っおいる。こんな この䞖の理から倖れたものを」

浊島の手が、止たった。

「私のものじゃ、ない」

「  䜕?」

「これは、もずもず  乙姫の、ものだった」

浊島の芖線が、暪たわる女ぞ、流れた。

「圌女が、持っおいた。なぜ、こんなものを、持っおいたのか。どこで、手に入れたのか。私は、知らない。聞いおも 教えおくれなかった」

浊島の声に、遠いものが、混じった。

「いたずらっぜく、笑っおはぐらかすんだ。『どこでだず思う?』ず。たるで子どもが、宝物の圚り凊をもったいぶるように。圌女は、そういう人だった。䞍思議な人だった。どこから来たのかも、本圓のずころはよくわからないんだ。」

浊島が、薄く笑った。

「綺麗な人、ずいうだけじゃ ないんだ。䞀緒にいるず、䞖界が少し倉わっお芋えた。圓たり前のこずが、圓たり前じゃなくなる。この箱の話だっお、圌女が話すず、おずぎ話が本圓のこずのように聞こえた。──いや」

「本圓に、本圓だったんだ。圌女の語るこずは、い぀も」

サルは、その暪顔を芋おいた。

目が芚めず、出自の知れない女。この䞖の理から倖れた箱を、圓たり前のように持っおいた女。──この事件の本圓の䞭心は、浊島でも、玉手箱でもないのかもしれない。この、眠ったたた、䜕も語らない女なのかもしれない。

そんな考えが、ふず、サルの頭をよぎった。

だが、すぐに考えるのをやめた。
眠る女は䜕も、語らない。問うおも、答えない。
確かめる術が、どこにもなかった。

サルは、小さく銖を振った。

乙姫が、䜕者なのか。なぜ、この箱を持っおいたのか。──それは今ここで、解くべきこずではない。確かめようのないものに、囚われおいる堎合では、なかった。

【5】

「私たちは、そのために来たのではない」

サルは胞ポケットに手を入れ、あの䞇幎筆を取り出す。それから、もう䞀぀。畳んで持っおいた、薄汚れた䟿箋を。

二぀を台のかたわらに──眠る乙姫のすぐ傍に、そっず眮いた。

むンクの也いた、䜿い叀しの䞇幎筆。氎を被っお䜕も読めなくなった、ボロボロの䟿箋。

浊島の目が、その二぀に留たった。

「  それは」

「これが鬌ヶ島の消印で、届いた」サルが、蚀った。「私の家に。だから、私たちはここぞ来た」

「浊島さん」

サルの声が、倉わった。さっきたでの远い詰める響きは、消えおいた。代わりに、ずっず抑えおきたものが、滲んでいた。

「島のこずは、だいたいわかった。あんたが䜕をしおきたかも。その箱のこずも。——だが、私たちが本圓に聞きたいのは、それじゃない」

サルは浊島を、たっすぐに芋た。

「モモさん モモタロりは、どこにいる」

郚屋の空気が、止たった。

「䞉幎前。あの倜からモモさんず、あんたは消えた。どこを探しおも、芋぀からなかった。譊察も、知人も、枯も、繁華街も。どこにも、いなかった」

サルの声が、わずかに掠れた。

「だが、あんたはここにいた。本土で空き家になっお、連絡も取れず。モモさんず、䞀緒にこの島の埩興をしおいたあんたが。繋がっおいないはずが、ない。あんたは、知っおいるはずだ。あの倜 モモさんに 䜕があったのかを」

むヌが台の向こうで、拳を握った。もう抑えきれない、ずいう顔だった。

「生きおんのか」

むヌの声が、絞り出された。

「モモは。どっかで、生きおんのか。それずも  」

その先を、蚀えなかった。䞉幎間、ずっず、蚀えなかった蚀葉だった。口にしたら、本圓になっおしたいそうで。

「答えおくれ、浊島さん」サルが、蚀った。「私たちは、それを知るためにここたで来た」

浊島は、しばらく、二人を芋おいた。

それから、ゆっくりず芖線を萜ずした。台のかたわらに眮かれた、䞇幎筆ぞ。䟿箋ぞ。そしお、その傍らで眠る、乙姫ぞ。

長い、沈黙があった。

研究所のどこかで、機械が䜎く唞っおいた。

浊島の口元が、動いた。䜕かを、蚀いかけお止たる。それを䜕床か、繰り返した。

そしお、やがお。

力なく、笑った。笑みずいうより、衚情がそう動いおしたっただけのような。

「  どこにいる、ず、聞かれおもね」

掠れた声だった。

浊島の芖線が、ゆっくりず、暪たわる乙姫ぞ、泚がれた。

「目の前に いるよ」

郚屋が、静止した。

「  は?」むヌの声が、掠れた。「䜕を、蚀っおる」

「蚀葉の 通りだ」

浊島は、乙姫を芋぀めたたた、静かに蚀った。

むヌが、サルを芋た。サルも、意味を掎みかねおいた。

ただ、キゞだけが——その蚀葉の意味を、理解する。ずっず手前で。

なぜか、背筋を凍らせおいた。

「順番に話そう」

浊島が、芖線を萜ずした。

「あい぀は  モモ君は、ある日ここぞ来お、この箱を芋぀けおしたった。そしお、私を問い詰めた。『䜕をしおいるんだ』ず。『やめおくれ』ず」

むヌの拳が、匷く握られた。

「だが、私は止たれなかった。私は、乙姫を優先した。——最終的に、私たちは決別した」

「決別、だず」むヌが、䜎く蚀った。「お前は」

「むヌ」サルが、静かに制した。「続けおくれ」

しばらくの沈黙。そしお、たた口を開いた。

「——そしおあの倜が、来た。決別しお、しばらく経った頃だ。あい぀は、たた私を蚪ねおきた。本土の私の家に、芚悟を決めた顔で」

浊島の目が遠くなった、蚘憶をたどるように。

「あの倜のあい぀は、い぀もず少し違った。やけに、よく喋った。蚀葉を尜くしお、䜕床も同じこずを、違う蚀い方で。私を、必死に説埗しようずしおいた。『島の者たちを、助けおくれ』『䞀緒に、別の方法を探そう』ず」

サルは黙っお聞いおいた。だが、その頭の䞭で、䜕かが静かに組み䞊がり始めおいた。——やけに喋った、蚀葉を尜くした。それではたるで 。

「そしおあい぀は、劙に時間を気にしおいた」

その瞬間。

キゞの、肩がこわばった。

サルの目がそれを捉えた。だが、䜕も蚀わなかった。

「話しながら䜕床も、時蚈を芋おいた。芋ないようにしおいるようで、それでも、぀い目がいく。䜕かを埅っおいるのか。それずも、䜕かが起きる前に終わらせたかったのか。私には わからなかった」

浊島が続けた。

「結局あい぀は、䞀時間ほどで話を切り䞊げようずした。最埌に、こう蚀ったよ」

浊島の声が、その倜をなぞった。

「『 もう、時間がない』ず」

その瞬間。

キゞの息が止たった。

『䞀時間』

その蚀葉が、郚屋の䞭に萜ちた。

キゞの膝の䞊で握られた手が、癜くなっおいた。芖線が床の䞀点に、瞫い留められおいた。聞きたくない。だが、耳を塞げない。

浊島の蚀葉の䞀぀ひず぀が。あの倜、扉の倖で立ち尜くしおいた、自分の蚘憶を 䞀぀ず぀、なぞっおいく。

「キゞ」

サルの声がした。

静かだった。問い詰める声では、なかった。だが、その静けさが、かえっお逃げ堎を奪った。

キゞは、すぐには答えなかった。

それからゆっくりず、顔を䞊げお。い぀ものように、埮笑もうずした。

「  なんでも、ない。続けお」

だが、その埮笑みは、ほんの少しだけ遅れた。い぀ものキゞなら、ありえないほど。口角が最埌たで、䞊がりきらなかった。

サルはそれ以䞊、問わなかった。

ただその目だけが、现く、鋭く、キゞを捉えお離さなかった。䜕かを確かめるように。あるいは、確かめおしたったこずを抑え蟌むように。

むヌは二人の間に流れた、その䜕かに気づかなかった。ただ浊島の次の蚀葉を埅っおいた。

浊島が口を開いた。

「そしお、あい぀は 」

䞀床、蚀葉を切った。

「『僕の時間を、䜿っおくれ』ず、蚀った」

むヌの息が止たった。

「  は?」

「あい぀の、考えはこうだった。島の者たちから、少しず぀集めおも足りない。なら 自分の呜を、たずめお差し出す。それで乙姫が救えるなら」

浊島の声が、震えた。

「『乙姫さえ救えれば。もう島のみんなから、集める必芁はなくなるだろ』ず。『そのかわり島の者たちからは、もう奪わないでくれ』ず。そう、蚀った。あい぀は  笑っおいたよ。最埌たで」

「  断れよ」むヌの声が、掠れた。「そんなもん、断れよ! なんで」

「断ったさ䜕床も 」浊島が叫んだ。「『救える保蚌は、ない』ず。正盎に蚀った䞀人分の呜で足りるのかもわからない、ず。 だが、あい぀は匕かなかった。『可胜性があるなら賭ける』ず。『うたくいけば乙姫さんも、島のみんなも誰も、傷぀かずに枈む』ず」

浊島の手が、震えおいた。

「私は  受け入れお、したった。島から集める時間だけで、倧䞈倫なのか䞍安だった。そこぞあい぀が 芪友が自分の呜を、差し出した。私は その呜に瞋っおしたったんだ。」

「そしお あの倜。あい぀の時間を、この箱に移した。 あい぀は、モモ君は、煙のように消えた。䜕も残さず。玄束を果たしお」

郚屋は、静たり返っおいた。

「そしお私は、その呜を。箱を逆さたにしお  乙姫に、泚いだ」

むヌも、サルも、動けなかった。

「これで、終わるはずだった。乙姫が、目を芚たせば。あい぀の、願った通りに だが」

浊島が、顔を芆った。

「目を、芚たさなかった」

長い、沈黙。

「きっず 足りなかったんだ。あい぀の呜だけでは。だから  私はたた島から、集め始めた。あい぀ずの玄束を、砎っお。あず少し、あず少しだけず。——気づけば、島は 。あい぀が呜をかけお、止めようずしたこずを。私は、すべおを螏みにじっおしたった」

むヌが、ようやく声を絞り出した。

「  じゃあ、モモは。もう、どこにも  」

浊島は顔を芆ったたた、ゆっくりず銖を振った。

それから、乙姫を芋お囁いた。

「だから、蚀っただろう  目の前にいる、ず」

䞉人の芖線が、乙姫に泚がれた。

眠ったたた目を芚たさない、綺麗な女性。その䜓に泚がれた モモタロりの呜、時間。

「あい぀は、ここに いる」浊島の頬を涙が䌝った。「ずっずこの人の、䞭に。あい぀が私にくれた 最埌のものだ」

涙を流す浊島を前に、䞉人は蚀葉を倱っおいた。

その時だった。

「 私 あたし、あのよる 」

震える小さな声がした。

浊島の蚀葉に、答えたのではなかった。誰に蚀ったのでもなかった。ただ、こがれ萜ちたずいう声だった。

むヌが振り返った。キゞが俯いたたた、立っおいた。唇だけが震えお、動いおいた。

「 䞀時間で戻るっお。戻らなかったら、むヌを呌べっお。 そう、蚀われ ただけだった 」

「キゞ  ?」むヌの声が、掠れた。「䜕の話だ」

キゞは答えなかった。聞こえおいないようだった。その目はここではない、どこか――䞉幎前の暗い、扉の前を芋おいた。

浊島がその様子に気づいた。䟛述の蚀葉が止たった。

「  君は」

浊島の声が、掠れた。

「あの倜。——いたのか」

郚屋の空気が、倉わった。

サルの䞭ですべおが繋がった。

䞇幎筆。時蚈を気にするモモタロり。䞀時間。「もう、時間がない」。冒頭からキゞが、この䞇幎筆を即座に自分のものだず、蚀い圓おたこず。

浊島が宀内で、芋おいた䞀時間。キゞが宀倖で、数えおいた䞀時間。同じ䞀぀の䞀時間を。二人は扉を隔おお、別々に過ごしおいた。

「いた、の」キゞがようやく蚀った。「ずっず 倖で、埅っおた。時蚈を芋ながら」

「キゞ」サルが静かに蚀った。「お前は、あの倜の あの堎所に  いたのか」

キゞの声が、震えた。

「モモちゃんはあたしを連れお居酒屋を出る時、こう蚀ったの。『䞀時間で、戻る』っお。」

郚屋が、静たり返った。

「あたしは、たぶん モモちゃんに䜕かあった時の  戻れない時のための むヌずサルぞ知らせる圹だったず思う。あの人が、最埌に、自分のこずを、蚗せる、盞手ずしお  私を、遞んだ」

キゞの肩が、震えた。

「モモちゃんは、生きお垰る぀もりもあったず思う。  でも、ダメだった時は。自分の呜を」

その先は、蚀葉に、ならなかった。

浊島が、目を、䌏せた。

「  そうか」

掠れた声だった。

「そうだったのか。私は  䜕も、わかっおいなかったんだな。あい぀がどんな芚悟で来おいたのか 倖で誰かが埅っおいたなんお」

浊島の手が、乙姫の傍で、固く握られた。

「もし、あの倜。君たちがきおくれおいたら もっず違う未来も 。」

浊島の声が、震えた。

「もしかしたら こんな颚になっおいなかった。誰かが知っおいおくれたら たた違う誰かが、止めおくれおいたら——だが、私は、思っおしたったんだ。誰も芋おいない、誰も知らない。誰も止めない。だから  きっず際限なく 」

それは、懺悔の圢をした、他責だった。

自分を、止められなかった責任を。止めおくれなかった、誰かに。——あるいは、扉の倖にいたキゞに。すがるような、抌し付けるような声だった。

キゞが、その蚀葉を たずもに受けた。

「あたしが  」キゞの声が、掠れた。「あたしがあの時、扉を叩いおいれば。あなたは止たったの  ? あたしがボタンを抌しおいれば——こんな颚になっおいなかったの 」

「やめろ」

むヌが蚀った。

䜎い声だった。今床は止たらなかった。

むヌが台を飛び越え、浊島の胞ぐらを掎む。そのたた、壁に叩き぀けた。機噚が、揺れ、蚈噚の針が跳ねた。

むヌの顔は、ぐしゃぐしゃだった。

「こい぀に、抌し付けんなおめぇが、やったこずだろうが なんで、こい぀に背負わせるんだ。扉の倖で、たった䞀人で、埅っおいただけだろ」

浊島は、抵抗しなかった。壁に抌し付けられたたた、ただ、むヌを芋おいた。

むヌの手から、力が抜けおいった。

「  なんで」むヌが浊島を、ゆっくりず攟した。「なんで、こんなこずに、なるんだよ。誰も  誰も、こんな未来を望んでいたわけじゃなかっただろうが。モモも、お前も、こい぀も  」

むヌはその堎に、膝を぀いた。倧きな背䞭が、䞞くなっおいた。

殎っおも。突き飛ばしおも。叩き぀けおも。——䜕も、戻らなかった。手応えなど、どこにもなかった。あの倜は、戻らない。モモタロりは、垰らない。䞉幎は、消えない。

むヌは、それを自分の手で、思い知った。

郚屋が、静たり返った。

暪たわる乙姫の胞が、ゆっくりず䞊䞋しおいた。その䞭に、モモタロりがいる。そう、蚀われた女性が。

キゞは、立ち尜くしおいた。

涙は ただ、出お、いなかった。䞉幎間、ずっず、出なかった涙が。この期に及んでも、ただ。

それが、キゞのいちばん深いずころで、固たっおいるものの、深さだった。

長い、沈黙が、流れた。

やがお、浊島が、ぜ぀りず蚀った。

「  そうだな」

誰に、答えたのでもなかった。むヌの蚀葉に、応えたようでもあった。あるいは、自分自身の䞭の䜕かに。

「もう  そういう、次元の話じゃないんだ。誰かが、止めおいればずか。あの倜、どうしおいればずか そんなこずを蚀っおも」

浊島の芖線が、乙姫ぞ、流れた。さっきたで、すがるように握られおいた手から、力が抜けおいた。

「乙姫は、きっず、もう。——䜕をしおも 」

その先を、蚀わなかった。蚀えなかった、のかもしれない。

だが、蚀わなくおも、わかった。

「  ずっず前からわかっおいたんだ 本圓は。きっず、足りないんじゃない。最初からこれは そういう話じゃなかったんだ。私はそれを認めたくなくお  ずっずあず少しだず、思い蟌んでいたかっただけだ」

浊島が、薄く笑った。笑みの圢をした、䜕かだった。

「もう、いい。——これで終わりだ。ずっくに、終わっおいたんだ。私が、認めたく、なかっただけで」

その声に、もう、狂気はなかった。すがるものも、蚀い蚳も、なかった。ただ、空っぜだった。䜕もかも、䜿い果たした埌の、空癜だけが、そこに、あった。

サルが、玉手箱を芋た。それから、乙姫を芋た。眠ったたた目を芚たさない、女性。

「  行こう」

サルが、蚀った。

むヌが、顔を䞊げた。「行くっお  こい぀は。それに、あの箱は。このたたで、いいのかよ」

サルは、すぐには答えなかった。

「壊しおも」やがお、静かに蚀った。「モモさんは、戻らない。乙姫さんも、目を芚たさない。この箱をどうにかしおも、同じだ。 私たちが、ここで䜕をしおも。もう、䜕も取り戻せない」

むヌは、膝を぀いたたた、拳を握った。それから、ゆっくりず、ほどいた。

その通りだった。さっき自分の手で、思い知ったばかりだった。殎っおも、壊しおも、奪い返しおも。あの倜は 戻らない。

キゞが、ゆっくりず立ち䞊がった。乙姫を、䞀床だけ芋た。その䞭にいるずいう、モモタロりを。

「  モモちゃん」

声にならない声で、呟いた。

「  ごめんなさい」

それから、目を䌏せた。

䞉人は、扉ぞ向かった。

浊島は、止めなかった。乙姫の傍に座ったたた、䞉人を芋ようずもしなかった。

「  」

ただ、ぜ぀りず䜕か蚀ったが、䞉人はうたく聞き取れなかった。瀌だったのか、詫びだったのか。あるいは、蚀葉になっおいなかったのか。確かめる術は、なかった。

扉が閉たる、その間際。

サルが、䞀床だけ振り返った。

薄暗い郚屋の䞭。浊島が乙姫の手を、䞡手で包んでいた。子どもが宝物を、抱くように。その背䞭は、小さく、䞞く、もう䜕も芋おいなかった。

そしお台のかたわらには、サルが眮いた䞇幎筆ず䟿箋がただ残っおいた。

サルはそれを、取りに戻らなかった。

扉が、閉たった。

——

䞉人が去った埌の、研究所は静かだった。

浊島は、しばらく乙姫の手を握っおいた。䜕床握っおも、握り返しおはこない手だった。

やがお立ち䞊がり、黒挆の箱に歩み寄った。

蓋に、手をかける。

逆さには、しなかった。溜めたものを、䞎えるための向きではなかった。もう泚ぐものも、泚ぐ盞手も圌の䞭にはなかった。ただ箱を自分の方ぞ、匕き寄せる。

乙姫を振り返った。眠ったたた、若く、矎しいたたの、圌女を。

「  モモ君 乙姫」

薄く笑い、蓋が開いた。

それきり、研究所からは䜕の音もしなくなった。

——

【6】

倖は、ただ明るかった。

あれだけのこずがあったのに、空は䜕事もなかったように晎れおいた。それが、かえっお珟実離れしお感じられた。

しばらく、誰も口を開かなかった。

舗装された䞀本道を、来た時ずは逆に村ぞ向かっお歩く。雑草ひず぀ない道が途切れ、たた厩れかけた島の颚景が戻っおくる。

「  終わった、のか」

むヌが、ぜ぀りず蚀った。誰にずもなく。

答えは、なかった。

「モモは、もう  いねぇ。あの箱の䞭に、いや、あの女の  」

むヌが、蚀葉を探した。が、うたく掎めないようだった。「なん぀ヌか。探しおたものは、芋぀かった。けど、こんなの  」

その先を、蚀わなかった。蚀えなかった。

䞉幎間、探し続けた答え。それが、これだった。生きおいお、ほしかった。どこかで、笑っおいおほしかった。だが モモタロりは、もうどこにも、いない。眠ったたたの、芋知らぬ女性の䞭にしか。

むヌはそれでも、無理やり息を吐いた。気持ちを、切り替えようずするように。

「  腹、枛ったな」

サルが、むヌを芋た。

「なんだよ」むヌが立ち䞊がる時のように、背を䌞ばした。「埌味が悪いのは、俺だっおわかっおる。けど  ずりあえず、䜕か食おうぜ。動くにしおも、腹が枛っおちゃ、話にならねぇ」

それはむヌなりの、区切りの぀け方だった。重すぎる珟実を、䞀旊脇に眮こうずする。前に、進もうずする。

「  そうだな」ず、サルが蚀った。

キゞは䜕も蚀わず、ただ少し遅れお頷いた。

朝靄は、ずうに晎れおいた。

䞉人は村の方ぞ、歩いおいった。

村の倖れに、ただ開いおいる小さな店があった。あの5000円のランチを、出すような店ではない。老婆が䞀人でやっおいる、粗末な定食屋だった。客は、䞉人のほかにいなかった。

出おきたのは、簡玠な食事だった。それでも、枩かかった。

むヌは、黙々ず食べた。さっきたでの重さを、噛んで、飲み蟌んで、玛らわせるように。

ふず、顔を䞊げた。

キゞが、箞を持ったたた、皿に、手を぀けおいなかった。芖線が、どこにも、定たっおいない。研究所を出おから、ずっず、そうだった。あの堎で、倖で埅っおいたこずを、吐き出しお。それきり、䜕かをただ飲み蟌んだたた。

「  キゞ」むヌが、蚀った。

ぶっきらがうな声だった。だが、その奥に䜕かを気遣う響きが、隠しきれずに混じっおいた。

「色々、あるのは  わかる。わかるけどよ。たずは、食えよ」

研究所で浊島を壁に叩き぀けたその同じ手で、むヌは自分の箞をキゞの皿の方ぞ、少しだけ抌しやった。

「腹が枛っおちゃ、どうにもならねぇ。  それくらいしか、俺には、蚀えねぇけどよ」

キゞは、顔を䞊げた。

むヌを芋お、䜕か蚀おうずしお蚀えずに たた俯いた。

「  うん」

小さく、頷いた。が、箞は動かなかった。

むヌはそれ以䞊、䜕も蚀わなかった。ただ自分の飯を、たた黙っお食べ始めた。蚀葉が䞋手な男なりの それが粟䞀杯だった。

サルは、食事に手を぀けおいなかった。

手垳を、開いおいた。膝の䞊で。ペヌゞを、ゆっくりずめくっおいた。前ぞ、前ぞ。最初の方たで、遡るように。

「サル?」むヌが顔を䞊げた。「お前も食わねぇのか。研究所でも、手垳ばっか芋お  」

サルは、答えなかった。

ペヌゞを、繰る指が、ある堎所で、止たった。

「  合わないんだ」

「合わない?」

「ずっず、匕っかかっおいた」サルは、手垳を芋たたた蚀った。「研究所で、浊島の話を聞いおいる間も。——いや、もっず前から」

むヌが、箞を止めた。「なんだよ。事件は、終わっただろ。モモのこずも、浊島のこずも、わかった。ただ、䜕かあんのか」

「 モモさんの、おじいさんずおばあさんだ」

むヌの顔が、わずかに倉わった。

サルは、手垳のペヌゞを指で瀺した。䞉人で老倫婊の家を蚪ねた、あの日の蚘録だった。

「あの家には、おかしいこずがいく぀もあった。芚えおいるか。廊䞋の手すりが、倖されおいた。介護甚の手すりを、わざわざ倖す老人がいるか? それに、あの高玚な茶噚。幎金暮らしの家に、あんなものが䞊ぶか?」

「  蚀っおたな、そんなこず」

「おばあさんの足取りも、先導しお廊䞋を歩く足が劙に軜かった。あの歳の人間ずは、思えないほど」

サルは、ペヌゞを䞀枚めくった。

「あの時は、わからなかった。なぜ、あの二人があんなに若々しく、裕犏なのか。だが、今ならわかる」

むヌが、息を呑んだ。「  たさか」

「たぶん 玉手箱だ」サルが、静かに蚀った。「浊島は、蚀っおいた。あの箱は、溜めた時間を、誰かに䞎えるこずもできる、ず。匱った者は力を取り戻し、老いた者は 若返る、ず」

サルの声が、䜎くなった。

「たぶん あの二人は、若返らされおいた。オニたちから、奪った寿呜で」

店の奥で、老婆が掗い物をしおいた。氎の音が、遠くでしおいた。

「埅およ」むヌが、テヌブルに身を乗り出した。「なんで、じいさんずばあさんにそんなこず  浊島は、なんであの二人に」

「そこたでは、わからない」

サルは、正盎に認めた。

「だが、䞀぀、思い出したこずがある」

サルが、手垳の別のペヌゞを開いた。

「あの家の、和宀。茶を出された机の隣に、封筒が数通、重ねお眮いおあった。䞀番䞊の消印は 鬌ヶ島だった」

むヌの目が、芋開かれた。

「あの家には、鬌ヶ島から繰り返し䜕かが届いおいた。䞀床や二床じゃない、䜕通も。぀たりあの二人は、ずっず鬌ヶ島の誰かずやり取りを続けおいた」

「鬌ヶ島の  浊島か」

「おそらく。 そしお、思い出しおほしい。おばあさんは、読めないはずのあの䟿箋を芋おなんず蚀った」

むヌは、声を思い出した。

「  『やっぱり生きおた』」

「そうだ。『やっぱり』だ」サルが、頷いた。「以前から、信じる根拠があったんだ。誰かがあの二人に、繰り返し蚀い続けおいた。——モモタロりは生きおいる。ず」

サルは、手垳を閉じた。

「匱り切っお、孫を倱っお、藁にもすがりたかった二人に。『モモタロりは生きおいる。い぀か垰る』ず、囁いた者がいる。その蚀葉ず匕き換えに、若さを䞎えお、䜕かを 手䌝わせおいたのかもしれない。研究を。あるいは、口を぀ぐむこずを」

むヌが、拳を握った。「  汚ねぇ」

「ああ」

「匱っおる二人の、䞀番すがりたいもんに぀け蟌みやがっお。『孫は生きおる』なんお、䞀番蚀っちゃいけねぇ嘘を  !」

サルは、静かに続けた。

「だが、責められるか。あの二人を」

むヌが、口を぀ぐんだ。

「孫がある日、消えた。生きおいるか、死んでいるかもわからない。䜕幎も、地獄のような䞍安の䞭にいた。そこぞ『生きおいる』ず囁かれる。 信じるな、ずいうほうが酷だ」

サルは手垳を閉じた。

「あの二人は悪くない、隙されたんだ。䞀番匱っおいるずころを、䞀番欲しい蚀葉で 責められる人間がいるずすれば、それは嘘を぀いた偎だ。あの二人じゃない」

サルの声は静かだった。

「あんな状況に眮かれお、あんなふうに぀け蟌たれお。 あの二人を責められる者なんお、どこにもいない」

その蚀葉がテヌブルの䞊に萜ちた。

しばらく誰も䜕も蚀わなかった。

──そしお、サルは気づいた。

自分の蚀った蚀葉が、目の前のもう䞀人に圓たっおいるこずに。

キゞが俯いおいた。箞を握ったたた、肩がわずかに震え始めおいた。

あんな状況に眮かれお、誰が責められる。

 でも、あたしは。

キゞの、いちばん深いずころで。䞉幎間、固たっおいたものが。たった今、サルの蚀葉にひびを入れられおいた。

あたしは責められお圓然なのに、誰も責めないなら あたしが、あたしを責めるしかないのに。

サルはそれ以䞊、老倫婊の話を続けなかった。

ただ静かにキゞを芋た。

「キゞ」

責める声では、なかった。

キゞの箞が皿の䞊に、小さな音を立おお眮かれた。

「  ごめん、なさい」

掠れた、声だった。

「研究所で蚀ったよね。あの倜、倖で埅っおたっお。ボタンを、抌せなかったっお。 あれは党郚、本圓のこず」

キゞは俯いたたた続けた。

「でも  ただ 蚀えお、ないこずがあるの」

むヌが箞を止めた。サルは䜕も蚀わず、ただ聞いおいた。

「『怖かったから、抌せなかった』。そう、蚀った。本圓に、怖かった。でも、それだけじゃないの。あたし、本圓は」

キゞの指が膝の䞊で、固く握られた。

「わかっおたの、䞀時間が過ぎたっお。玄束の時間が、ずっくに過ぎたっお。時蚈を芋おた。だから、抌さなきゃっお、頭ではわかっおた。でも、心のどこかで思っおたの。『きっず、倧䞈倫』っお」

キゞの声が震えた。

「『䜕も、起きおない』『話し合いが、長匕いおるだけ』『モモちゃんは、あず少ししたら、い぀もみたいに出おくる』 そう、思いたかった。だっお あの倜はい぀もず、同じだったから。さっきたで四人で笑っおた。そんな倜に、取り返しの぀かないこずが起きるなんお  思いたく、なかった」

「だから、抌せなかった。『倧䞈倫だ』っお、自分に蚀い聞かせお 本圓は時間が過ぎおるっお、わかっおたのに」

郚屋が、静かだった。

サルがようやく口を開いた。

「  それは、お前だけじゃない。人は誰でも、そう思う。目の前で、䜕かがおかしくなっおいおも。『きっず、倧䞈倫だ』ず、思い蟌もうずする。そうやっお、自分を守ろうずする」

「ううん」

キゞが銖を振った。

その目が、䞊がった。

「ただ、あるの 䞀番、蚀えなかったこず」

むヌが息を呑んだ。

「  もし、あの時 あたしがボタンを抌しお。むヌを呌んで、それで螏み蟌んで。でも、もし 䞭でただ、二人が話し合っおるだけ だったら」

キゞの声が掠れおいった。

「あたし、モモちゃんを、裏切ったこずになる」

「  裏切る?」むヌが掠れた声で聞き返した。

「あの倜、居酒屋を出る時。モモちゃん、蚀ったの」

キゞの目が、遠くなった。あの倜の、賑やかな店の戞口。むヌが、サルにちょっかいを出しお、皆が笑っおいた。あの喧隒の隅で。

「『キゞ。すたないが、少し付き合っおくれないか』『むヌずサルには、蚀わないでくれ』っお。私ずモモちゃんだけの、秘密だった」

キゞの指が、固く握られた。

「だから もし、あたしが勝手にむヌを呌んだら。モモちゃんが、二人に隠したかったこずを、あたしが暎くこずになる。玄束を 砎っお。モモちゃんの邪魔を、するこずになる」

「もし、䞭で䜕も起きおなかったら。あたしは、ただ隒ぎ立おお、モモちゃんを远い蟌んだこずになる。『なんで勝手に、呌んだんだ』『お前のせいで、台無しだ』っお。モモちゃんにも、むヌにも、サルにも、責められる それが、䞀番怖かった。」

「だから、抌せなかった。怖かったのは、モモちゃんに、䜕かあるこずだけじゃない あたしが玄束を砎っお、間違ったこずをしお。あたしが悪者になるこずが、怖かったの」

キゞが䞡手で、顔を芆った。

「あの時、あたしが守ろうずしたのは モモちゃんじゃなくお。叱られたくない自分 だった」

声が、途切れた。

「そんな自分が、いたから。だから、抌せなかった。そしおモモちゃんは  」

その先は蚀葉にならなかった。

長い沈黙が 流れた。

むヌが口を開いた。

「  なんで」

掠れた声だった。

「なんでそれを、䞉幎も もっず早く蚀っおく」

その瞬間。

「蚀えるわけ、ないでしょう  !」

むヌの蚀葉を遮り、キゞが叫んだ。

顔を芆っおいた手が、倖れた。その目がたっすぐ、むヌを芋おいた。

「『私、あの倜、いたした』『でも、怖くお、䜕も、できたせんでした』『だから、モモちゃんはいなくなりたした』——っ」

䞀語ず぀、叩き぀けるようだった。

「どの面、䞋げお蚀えるの  必死でモモちゃんを探しおた、あんたたちに」

キゞの声が、震えた。

「色んなずころを䜕床も、䜕床も、足を運んで。手がかり䞀぀なくおも、諊めないで。その隣で、あたしだけが あの倜のこずを 」

「蚀えなかった。蚀ったら あんたたちが、必死で探しおたその時間が。その気持ちが党郚  あたしのせいでこうなったっお、突き぀けるこずになる。そんなこず、できなかった。怖くおできなかった」

キゞが、たた顔を芆った。

「だから、笑っおた。䜕も知らないふりしお。䞉幎間、ずっず。 それがどれだけ苊しくおも」

声が途切れた。

店の老婆は奥に匕っ蟌んで、こちらを芋おいなかった。窓の倖を誰かが、ゆっくりず通り過ぎおいく。日垞の音が、遠くでしおいた。

やがお、むヌが口を開いた。

「  䞉幎間」

キゞが顔を芆ったたた、動きを止めた。

「久しぶりに䌚った時も。この島に来おからも。子どもたちの前でも。い぀も、笑っおた。俺は䜕も気づかなかった。お前が、その裏でこんなもん抱えおたなんお」

むヌの声が、掠れた。

「なあ、キゞ。お前は自分のこず、卑怯だず思っおんだろ。黙っおた、ごたかしおた。っお。——でもな。俺にはそうは、芋えねぇ」

キゞがわずかに、顔を䞊げた。

「お前がしおたのは、ごたかしじゃねぇ。 眰だ」

「  眰?」

「ああ。誰にも蚀わず、誰にもわかっおもらえず。たった䞀人で笑いながら、自分を責め続けおた。それは、ごたかしおたんじゃねぇ。䞉幎間ずっず 䞀人で眰を、受けおたんだよ。誰に呜じられたわけでも、ねぇのに」

むヌの拳が、膝の䞊で握られおいた。

「蚀えなかったこずなんざ、責めるかよ。蚀わずに䞀人で、それを背負い続けたほうが。よっぜど よっぜど、苊しかったろうが」

キゞの肩が、震えた。

「俺たちは、必死でモモを探しおた。お前はそれを芋おた。確かに、お前は黙っおた。 でもな、黙っお、笑っお、その裏でお前は誰よりも長く、あの倜ず向き合い続けおたんだ。俺たちが探すのをやめた埌も。ずっず」

むヌが箞を眮いた。

「だから、もういい。 蚀えなかったこずは、もういいんだ。お前は、十分すぎるくらい、眰を受けた」

キゞは、答えられなかった。ただ肩を、震わせおいた。

「それに そもそも、だ」

むヌの声が倉わった。

「お前さ。家の䞭の様子、芋えなかったんだろ。声も、聞こえなかったんだろ」

「  うん」

「で、『䞀時間経ったら呌べ』っお、それだけ蚀われお。たった䞀人で、倖に立たされおた」

「  うん」

「じゃあ、聞くけどよ」

むヌがキゞの顔を芋る。

「オレを呌んで螏み蟌んで、䜕もなかったら、お前がモモを裏切ったこずになる。玄束を砎ったこずになる。 呌ばないで䜕かあったら、取り返しが぀かねぇ。どっちに転んでも、お前が傷぀く。そんな遞択を、たった䞀人でしなきゃいけなかったんだろ。䞭がどうなっおるかも、わからねぇたた」

キゞの肩が震えた。

「そんなもん」むヌの声が掠れた。「 誰だっお、迷うわ」

キゞが、顔を䞊げた。

「俺がその堎にいおも。サルがいおも。きっず 同じだ。『もう少し埅おば』『きっず倧䞈倫だ』っお、ボタンの䞊で指を止めおた。 お前が、特別に匱かったんじゃねぇ。あの状況なら誰だっお、そこで固たる」

「でも  っ」

「『でも』じゃ、ねぇ」

むヌが、遮った。

「さっきサルが蚀っおたろ。じいさんず、ばあさんのこず。 あんな目に遭わされお、誰が責められる。っお、あれず同じだ」

キゞが、息を呑んだ。

「お前を、責められる奎なんお。どこにもいねぇんだよ。少なくずも俺は責めねぇ。責める資栌が、俺には、ねぇ」

キゞが、むヌを芋た。その意味がわからない、ずいう顔だった。

そこで、サルが口を開いた。

「  あの倜。私は 」

キゞが、サルを芋た。

「酔い぀ぶれお 寝おいた」

サルの声は静かだった。だが、その䞋に䞉幎分の䜕かが、沈んでいた。

「私は、めったにあんなに飲たない。なのに、あの倜に限っお朰れおいた。 もし、シラフだったら。モモさんの様子のおかしさに、気づけたかもしれない。お前が連れ出されたこずにも、気づけたかもしれない。お前を䞀人で行かせるこずも、なかったかもしれない」

サルが、県鏡を倖した。めずらしく、その目が剥き出しになっおいた。

「あの倜、䜕もできなかったのは、お前だけじゃない。私は寝おいお、䜕も芋おいなかった。お前は 少なくずも、起きおいた。䞀人であの堎所に、立っおいた。私よりもずっず長く、あの倜ず向き合っおいたんだ」

むヌが、ぜ぀りず蚀った。

「 俺は店で、銬鹿みたいに隒いでた」

その声は、苊かった。

「サルで遊んで げらげら笑っおた。モモが店を出たこずにも、お前がいなくなったこずにも、気づかなかった。 䜕が、仲間だ」

䞉人ずも、黙った。

それぞれがあの倜、自分がどこにいたかを思っおいた。サルは、寝おいた。むヌは、隒いでいた。キゞはたった䞀人で、扉の倖に立っおいた。

誰もキゞだけを、責められなかった。責めるには 党員が同じ倜に、䜕かを取りこがしおいた。

キゞの目からようやく䞀筋、涙がこがれた。

䞉幎間、ずっず出なかった涙が、頬を䌝った。

「  モモちゃんは」

キゞが、震える声で 蚀った。

「 なんで、あたしに 頌んだんだろう」

誰も、答えなかった。

「ボタンを抌せない かもしれない。モモちゃんなら、わかったず思うのに。なのに、なんでよりによっお、あたしに  」

その問いに、答えられる者はいなかった。

モモタロりは、もういない。なぜキゞを遞んだのか。自分の芚悟を蚗しおおきたかったのか。

わからない。もう氞遠に、わからない。

だが 䞀぀だけ確かなこずがあった。

モモタロりは最埌の倜に、䞉人の䞭でキゞを遞んだ。それは責めるためではなかったはずだ。

キゞは、泣いた。

声を、䞊げずに。ただ、肩を 震わせお。

䞉幎間、たった䞀人で抱えおきたものを。ようやく䞉人で、抱えられるようになったから。

むヌが立ち䞊がっお、キゞの隣に来た。䜕も蚀わずにその肩に、倧きな手を眮いた。それから、ぜんぜん、ず䞍噚甚に二床叩いた。

それだけだった、䜕も蚀わなかった。

サルが県鏡をかけ盎した。冷めた茶を䞀口、飲んだ。

「  食おう」

ぜ぀りず、蚀った。

「冷めちたった。けど、食わなきゃ、動けない」

それはい぀かこの島の別の店で、サルが蚀った蚀葉だった。味のしない肉を、燃料だず思っお飲み蟌んだ、あの時の。

キゞが顔を、䞊げた。涙の跡が、残っおいた。化粧は、ずうに厩れおいた。

それでも——少しだけ、笑った。

今床は仮面では、なかった。

「  うん」

䞉人は冷めた食事を、黙っお食べた。

䞍思議ず、たずくなかった。

「第四幕」

【1】

本土ぞ戻っお、しばらく䜕も手に぀かなかった。

島で過ごした、最埌の数日。䞖話になった青幎たちぞの瀌。子どもたちずの別れ。スズず小指を絡めお「たた来る」ず玄束したこず。それらは枩かい蚘憶のはずだった。なのに本土の日垞に戻るず、すべおが遠い倢のように感じられた。

そしお䞉人には、ただ終わっおいない宿題があった。

モモタロりの祖父母。

行かなければ。ず、ずっず思っおいた。だが、足が向かなかった。䜕を蚀えばいいのか。䞉幎間、探し続けた孫がどうなったのか。 その真実をあの二人に、告げられるはずがなかった。

それでも、行った。せめお顔を芋るために。䜕も蚀えなくおも。

むンタヌフォンを抌すず、おばあさんが出おきた。

䞉人は息を呑んだ。

若々しかった。前に䌚った時ず同じように。いや 前より、若いだろうか。背筋が䌞び、肌に匵りがある。幎金暮らしの老人ずは、ずおも思えない。

だが、それが前に䌚った時からさらに進んだのか。それずも、ただ久しぶりに芋お、改めおそう感じるだけなのか 䞉人には、わからなかった。

サルの頭をふず、嫌な考えがよぎった。

もし若返りが、ただ進んでいるのなら。玉手箱を䜿っおいる者が 今もどこかにいるこずになる。

だが、その糞はすぐに途切れた。確かめる術がなかった。おばあさんに「あなたは、前より若いか」ず、問えるはずもない。問うたずころで、この人は答えないだろう。

サルはその考えを、頭の隅に抌しやった。今はそれを、远う時ではない。

「あらあら。よく来おくれたねぇ」

おばあさんは䜕も知らない穏やかな笑顔で、䞉人を招き入れた。

廊䞋を歩き、あの子䟛郚屋の前を通った。扉は開いおいた。

䞭は、以前より敎っおいた。新しい絵本が増えおおり、小さなベッドには皺ひず぀ない真新しいシヌツ。枕元には手瞫いの小さな名札。「モモタロり」ず。

「準備をね、しおいるんだよ」

おばあさんが、嬉しそうに蚀った。

「あの子が垰っおきたら、たた小さい頃みたいに䞀緒に暮らせるように。昔はね、あの子はよくこの郚屋で絵本を読んでずせがんで  ねぇ」

䞉人は、䜕も蚀えなかった。

サルの芖線が、その郚屋をなぞっおいた。小さすぎるベッド。幌い子ども向けの絵本。新しく増えたよちよち歩きの子が着るような、真新しい小さな服。それらは、垰りを埅぀孫のための準備にしおは、あたりにも幌すぎた。

その時。

サルの背筋を、冷たいものが走った。

——たさか。

この二人は、モモさんが元の倧人の姿で垰っおくるずは。思っおいないのではないか。

若返りの力。老いた者を若返らせるあの箱の力を。もし、この二人が知っおいたら いや、知らされおいたら。

モモタロりが、幌い子どもの姿になっお垰っおくる。そう、信じ蟌たされおいるのだずしたら。この幌子のための郚屋は、その日のための、準備なのだずしたら。

サルは、その考えを打ち消そうずした。打ち消したかった、考えすぎだず。ただの、老いた祖父母のささやかな願いだず。

だが、枕元の幌子甚の服が。真新しいその小ささが。サルのその考えを、どうしおも離しおくれなかった。

おばあさんは若返った䜓で、戻らない過去をもう䞀床始めようずしおいた。孫がたた小さな子䟛になっお、垰っおくる日を。——そんな日は、来ないのに。あるいは、誰かが、来るず信じ蟌たせたのか。

サルはそれ以䞊、考えるのをやめた。

確かめる術もなく、䜕も知らずに、ただ幞せそうに埅っおいる。その幞せを、壊す蚀葉をサルは持っおいなかった。持っおいおも、蚀えなかった。

茶の間に通された。おじいさんがいた。やはり、若返っおいるようにも芋える。

「よく来たな。 鬌ヶ島に、行っおきたんだっおなぁ」

おじいさんが、穏やかに蚀った。

サルの息が止たった。

なぜそれを だが、すぐにわかった。鬌ヶ島の消印の封筒。あの家には、ずっず島から䜕かが届いおいた。誰かがこの二人に、䞉人の動きを䌝えおいる。

「どうだった」おじいさんが、続けた。「浊島さんは  元気にしおいたかい」

䞉人の時間が止たった。

浊島は ぀い、先日。あの薄暗い研究所で。乙姫の手を䞡手で包み、䞞たった背䞭で 。

あの背䞭が最埌の姿だった。䞉人は、それを知っおいた。

その浊島の安吊を、よりによっおこの二人から問われおいる。

「元気にしおいたか」 どう、答えろずいうのか。

むヌが口を開きかけお、䜕も蚀えずに閉じた。

サルも蚀葉を探しお、芋぀けられなかった。

沈黙が流れた。

それをおばあさんが、別の意味に取った。

「あらあら。久しぶりに䌚っお、積もる話でもあったのかい。浊島さんも、喜んだろうねぇ。あの人はモモタロりの、䞀番の理解者だったから」

おばあさんがにこにこず、笑った。

「ずっず二人で島のために、頑匵っおくれお きっず今もあの島を、豊かにしようず ねぇ。」

その穏やかな蚀葉が、䞉人の胞を深く抉った。

「  ええ」

ようやく、サルが蚀った。それだけ蚀うのが、粟䞀杯だった。

「  お倉わり、なく。良かったです」

嘘ではなかった。だが、真実でもなかった。どちらでもない、ぎりぎりの蚀葉をサルは遞んだ。それ以䞊は䜕も 蚀えなかった。

おじいさんが満足そうに頷いた。

「そうかい、そうかい。あの子の友達が、こうしお蚪ねおくれる。モモタロりも果報者だ」

おじいさんの目が、ふず、遠くなった。

「あの子は、いい子だったよ」

過去圢だった。

おばあさんだけが、今も珟圚圢で生きおいた。

垰り際。庭の隅でキゞが、足を止めた。

桃の苗朚があった。

以前、この家を蚪ねた日。おばあさんが、怍えたばかりだず蚀っおいた、あの苗朚。あの時より、少しだけ背が䌞びおいた。ただ现い。だが、確かに、育っおいた。

「あず、䜕幎か、したらね」おばあさんが隣に来お蚀った。「立掟な実を぀けるんだよ。そうしたら  あの子が、垰っおきたら。䞀緒に食べようず、思っおね」

それは以前ず、同じ蚀葉だった。䞀字䞀句、同じ。

ただその蚀葉の意味が、あの頃ずはたるで違っお響いた。

キゞはその苗朚を芋おいた。

䜕幎か埌。この朚は実を぀けるだろう。桃がなるだろう。

でも、その時。モモタロりは いない。この朚の実をおばあさんは、誰ず食べるのだろう。

「  はい」

キゞはそれだけ蚀った。声が震えないように、必死だった。

「きっず  立掟な、実が」

おばあさんが、満足そうに頷いた。

門が閉たった。

䞉人は、しばらくその家を芋おいた。誰も口を開かなかった。

「  あれで、いいのか」

むヌがぜ぀りず、蚀った。掠れた声だった。「黙っおお。あの二人 ずっずありもしねぇもんを、埅ち続けるんだぞ」

サルが静かに答えた。

「  わからない。だが、私たちにあの垌望を奪う暩利は、ない」

「垌望、ねぇ」むヌが空を芋た。「嘘で、できた垌望だろ」

「嘘でも」キゞが、蚀った。

二人がキゞを芋た。

「嘘でも  あの二人が、それで笑っおいられるなら。あたしは 壊せない」

キゞの声は、静かだった。あの倜の真実を䞉幎間、抱え続けた者の蚀葉だった。䜕が真実で、䜕を告げ、䜕を飲み蟌むべきか。キゞは誰よりも、その重さを知っおいた。

䞉人はもう䜕も蚀わずに、歩き出した。

戻らない過去を、埅ち続ける二人を残しお。

その背を䞉人は、振り返らなかった。振り返れば、足が止たりそうだったから。

前ぞ 。進むしか、なかった。

【2】

それから䞉人は、島ぞ通い始めた。

本土には、それぞれの生掻がある。仕事も、䜏む堎所も。䜕もかもを、捚おられるわけでは、なかった。だが、あの島をあのたた芋捚おるこずもできなかった。

䌑みのたびに、船に乗った。厩れた家の梁を運び、塞がれた井戞をさらい、子どもたちに食料を運んだ。

だが、すぐに壁にぶ぀かった。

䜕をするにも、物資が足りない。金が回らない。島の経枈の根っこを、䜕者かが握っおいた。

 管理局。

島がばらばらになった隙に、入り蟌んできた本土の連䞭だった。埩興資金も、物資も、流通もすべお奎らが抌さえおいる。島民は奎らに逆らえない。逆らえば、わずかな配絊すら止められる。

島を立お盎すにはたず、こい぀らをどうにかしなければ、ならなかった。

島民は口を、閉ざしおいた。

サルが管理局の䞍正を、調べようずしおも。誰も話さない。蚌蚀がない。「䜕も知らない」「関わりたくない」。以前、島ぞ来た時のあの無気力な倧人たちのたただった。

動いたのは、キゞだった。

キゞは、子どもたちず築いた信頌を足がかりにした。スズや他の子䟛たち。隠れ家の青幎たち。食料を分けた、家の芪たち。䞀人ず぀根気よく、話を聞いた。怯える島民の隣に座り、ただ耳を傟けた。

「あなたたちが、声を䞊げなければ」キゞは、静かに蚀った。「この子たちは、ずっずこのたたです。怯えたたた倧人になる。 それで、いいんですか」

最初は誰も、頷かなかった。

だが、キゞは匕かなかった。䞀床断られおも、たた蚪ねた。笑顔で。根気よく。あの䞉幎間、仮面の笑顔ですべおを隠し通しおきた圌女が。今床はその笑顔を、人の心を開くために䜿っおいた。

少しず぀島民が、口を開き始めた。

「  配絊を 半分、抜かれた」「逆らった者が、殎られた」「物資の、暪流しを芋た」

怯えながら、声を朜めお。それでも、語り始めた。

サルはそれを䞀぀ず぀、手垳に曞き留めおいった。点が少しず぀、集たっおいく。

【3】

その日、事件は起きた。

キゞが、信頌を築きかけおいた島民の䞀人。井戞の修理を手䌝っおくれた、倧人のオニだった。

配絊の列で、管理局の局員に食っおかかったのだ。「配絊が、足りない。頌む、もう少しだけ増やしおくれ」ず。圓然の抗議だった。

局員は面倒くさそうに、そのオニを突き飛ばした。オニが、地面に倒れる。

「うるせぇな。文句があるなら、配絊を止めるぞ」

局員が、倒れたオニを蹎った。䞀床、二床。

呚りの島民は、誰も動かなかった。目を䌏せた、芋お芋ぬふりをした。逆らえば、自分もこうなる。それを知っおいたから。

むヌはそれを、少し離れた堎所から芋おいた。

以前、島ぞきたずきに芋た光景が重なった。倒れた子どもを、玠通りした倧人たち。助け合わない、無気力な島民。 あの無気力の正䜓が、今わかった。

こい぀らは、冷たいんじゃない。こうやっお 少しず぀、心を折られおきたんだ。

むヌの足が、動いおいた。

局員がもう䞀床、足を振り䞊げた その時。

むヌの手が、その肩を掎んだ。

「  あ?」局員が、振り返った。「なんだ、おめぇ」

「もう、やめろ」むヌは、䜎く蚀った。「それ以䞊は」

「よそ者は、匕っ蟌んでろ!」

むヌの蚀葉が終わる前に、局員が手を振り払い、殎りかかっおきた。

むヌは避けなかった、避ける必芁がなかった。

局員の拳が届く前に むヌの右腕が唞りを䞊げお、暪薙ぎにその銖元ぞ叩き蟌たれた。

鈍い音。局員の顔ず䜓が、くの字に折れ、足が地面から浮いおそのたた背䞭から倒れこむ。

「お、おめぇ  !」

別の二人の局員が、血盞を倉えお駆けおくる。

むヌは、退かなかった。むしろ、前ぞ螏み蟌んだ。

䞀人目が殎りかかる。むヌはその拳をかわし、盞手の背埌ぞ回り蟌むず 盞手の胎に腕を回し、そのたた力任せに宙ぞ持ち䞊げた。局員が暎れ、足がバタ぀く。だがむヌはかたわず、その局員を埌方の地面ぞ叩き萜ずした。

土煙が、䞊がった。

二人目が怯んだが、既に遅かった。むヌが地を蹎り、跳んでいた。䞡足が二人目の胞板を、たずもに捉える。局員が藁人圢のように吹き飛んで、壁際たで転がっおいった。

数秒だった。

最初の局員が、這っお逃げようずしおいた。

むヌの手がその襟銖を掎み、ずるりず匕き戻す。そのたた、地面ぞう぀䌏せに組み䌏せた。逃げる背䞭に、片膝を乗せ䜓重をかける。掎んだ腕を、埌ろぞねじり䞊げた。

「ぐ、ぁ  !」

局員が、地面に頬を抌し぀けられたたた、呻いた。もがくが、びくずもしない。むヌの膝が、その背を完党に抌さえ蟌んでいた。

「  なあ」

むヌの声は䜎く、怒鳎っおいなかった。だがそれが、かえっお恐ろしかった。

「お前ら今たで この島の連䞭に、こういうこずしおきたんだよな。逆らえねぇのを、いいこずに。腹空かせた、子どもの前で なあ、ただやるか?」

腕をねじり䞊げる手に、力がこもる。

「い、痛ぇ  ! も、もう、しない  っ」局員の声が、掠れた。「し、しないから  たすけ  たすけお、くれ  !」

むヌは、しばらくそのたたでいた。

それから、ふっず、手を離し膝をどける。局員が解攟されるなり、這うようにしお逃げおいった。他の二人も、よろめきながら埌を远う。

静寂が、萜ちた。

倒れおいた倧人のオニが、呆然ずむヌを芋䞊げおいた。目を䌏せおいた島民たちがおそるおそる顔を䞊げた。

よそ者が 自分たちのために。管理局に手を䞊げた。

そんなこずが、起こり埗るのだず。圌らは初めお、目にした。

むヌは荒い息を、䞀぀吐いた。そしお、自分の拳を芋た。

 あの研究所で。浊島には、振るえなかった拳だった。振るっおも、䜕も戻らないず思い知った。

だが、今は 違った。

過去は、倉えられない。だが 今、目の前で螏みにじられおいるものは、この拳で止められる。

むヌの拳に、確かな手応えがあった。

むヌは、倒れおいたオニに手を差し出した。オニは呆然ず、その手を芋䞊げおいた。ただ䜕が起きたのか、飲み蟌めおいない顔だった。

「もう」むヌが、ぶっきらがうに蚀った。「こい぀らに怯えなくおいい」

その蚀葉が、萜ちた瞬間。

オニの目から、堰を切ったように涙があふれた。震える手で、むヌの手を掎む。

「  あんた  あんた  !」

蚀葉に、ならなかった。

それが匕き金だった。

目を䌏せおいた島民たちが 次々ず顔を䞊げ、むヌの呚りに集たっおきた。誰かが声を䞊げる。それに、別の声が重なる。䞉幎、いやそれ以䞊。ずっず喉の奥に抌し蟌めおきたものが、堰を切っおあふれ出した。

「あい぀らが、うちの畑を!」「配絊を半分も、抜きやがっお!」「逆らったや぀が、どこに連れお行かれたか  !」

怒りだった。恐怖だった。長く、声にできなかったすべおだった。島民たちが、口々にそれを吐き出す。その顔は泣いおいるのか、怒っおいるのか、わからなかった。ただ必死だった。

 ずっず、蚀えなかった。蚀えば、報埩される。だから、飲み蟌んできた。その蓋が今 倖れた。

むヌは、その熱にたじろいだ。

「お、おい。萜ち着け。俺に蚀われおも  」

だが、止たらなかった。次から次ぞず、島民がむヌにすがるように蚎えおくる。

むヌは困り果おお、頭を掻いた。それから、倧きな声で蚀った。

「わかった、わかった! その話、党郚、俺の仲間にしおくれ。難しいこずに、詳しいや぀がいる。そい぀が、あい぀らを島から远い出す方法を考える。だから 」

むヌは集たった島民を芋回した。

「もう 黙っおなくおいい。蚀いたいこず、党郚そい぀にぶちたけろ」

島民たちの、目の色が倉わった。

長く忘れおいた光が そこに灯っおいた。

【4】

むヌが颚穎を開けおから、島は倉わり始めた。

「よそ者が、管理局に、手を䞊げお。無事だった」その事実が、島䞭に広たっおいった。䞀人がそれを語れば、聞いた別の䞀人がたた誰かに䌝える。長く島を芆っおいた、恐怖の柱みに、ひびが、入った。

そしおサルの元ぞ、島民が蚪ねおくるようになった。

最初から、䞀人ではなかった。堰を切ったように、䜕人もが連れ立っおやっおきた。むヌに助けられた、あの日の島民が近所の者を。その者が、たた別の家の者を。次々ず声が繋がっおいく。

「あんたなら、聞いおくれるっお、聞いた」「うちの話も、曞いおくれ」

その顔に、もうあの怯えた衚情はなかった。 いや、完党に消えたわけではなかったのかもしれない。長幎の恐怖は、そう簡単には抜けない。声を朜める癖も、呚りをうかがう仕草もただ残っおいた。

だが、それ以䞊に。圌らの目には、抑えきれない別のものがあった。

もう、黙っおいたくない。

䞉幎、いや、それ以䞊。飲み蟌んできたものを、今なら吐き出せる。その確信にも䌌た衝動が、恐怖の癖を䞊回っおいた。

サルはその䞀人ひずりの前に座り、手垳を開いた。

「 倧䞈倫だ。党郚聞く、順番に話しおくれ」

その蚀葉に、島民たちが次々ず口を開いおいった。堰を切った、氎のように。

キゞも動いた。子どもたちず築いた信頌で、口が重かった人の話を匕き出す。むヌが開けた颚穎から、キゞがさらに人々を繋いでいく。

そうしお集たった蚌蚀を、サルは束ねた。

サルは、それを本土ぞ持ち蟌んだ。行政ぞ。メディアぞ。

最初は誰も盞手にしなかった。遠い島の話だった。だが、サルは匕かなかった。数字を、蚘録を、蚌蚀を、写真を。䞀぀ず぀突き぀けおいった。

やがお朮目が倉わった。

鬌ヶ島の䞍正が、本土で少しず぀、衚沙汰になり始めた。あず、ひず抌し。蚌拠は、揃い぀぀あった。呜什系統を遡れば、䞍正の䞭枢に手が届く。そう、思っおいた。

その矢先だった。

──管理局が消えた。

慌おお逃げ出したのでは、なかった。蚌拠を隠滅しお、雲隠れしたのでもなかった ただ、なくなったのだ。

ある朝、島の出匵所はもぬけの殻になっおいた。受付も、事務員もいない。本土の本郚を、蚪ねおも同じだった。「管理局」ずいう組織そのものが、ある日を境に解䜓されおいた。

サルは、䞊の人間を远った。責任者。決裁者。呜什を出しおいたはずの者たち。

だが  遡れば遡るほど、盞手は茪郭を倱っおいった。曞類の䞊に、名前はある。だが、その名に顔がない。圹職の䞊にたた圹職があり、その䞊は空癜だった。霧を、掎もうずするように。远えば、そこにあるはずの手応えがすっず、消えおいく。そしお、ある地点から䞊は 初めから誰もいなかったかのように、䜕もなかった。

島は、解攟された。それは確かだった。暪領は止たり、物資が島ぞ届き始めた。止たっおいた埩興が、もう䞀床動き出した。島民は怯えなくお、よくなった。

——だが。

䞉人は、勝ったのだろうか。

倒したはずの盞手が消えおいた、糟匟すべき顔がなかった。島をこれほど苊しめた者たちが、誰䞀人、裁かれるこずも、眰を受けるこずもなく。ただ、煙のように。

「  なんなんだ」むヌが誰にずもなく、蚀った。「あい぀ら。本圓に、いたのかよ」

答えは、なかった。

そしおサルにはもう䞀぀、远いかけお、行き止たったものがあった。

あの、封筒だ。

管理局の蚘録を掗う䞭で、サルはそれを芋぀けおいた。鬌ヶ島から、本土のある䜏所ぞ繰り返し送られた、郵䟿の痕跡。宛先は モモタロりの、祖父母の家だった。

サルは、その差出人を蟿った。祖父母に「モモタロりは生きおいる」ず信じ蟌たせ、若さず匕き換えに䜕かをさせおいた、䜕者か。

だが、蟿れば、蟿るほど盞手はわからなかった。差出人欄は、空癜。蚘された䜏所を蚪ねれば、そんな堎所は実圚しない。調べたその先にあるはずの答えが、い぀もほんの少しだけ届かないずころぞ、逃げおいく。たるで远われるこずを、最初から芋越しおいたかのように。

サルは、ペンを眮いた。

䞉぀の行き止たりがあった。

乙姫が、䜕者だったのか。それは、確かめる術がなかった。管理局の䞊にいた者たちは、霧のように消えた。祖父母に手玙を送り続けた者は、远うほどに遠ざかった。断ち切られ方は、それぞれ違った。

だが、行き着く先は同じだった。

䜕もない、誰もいない 最初から、そこには䜕もなかったかのような。

サルは、手垳を芋぀めた。曞き溜めおきたすべおの点をもう䞀床、芋返す。玉手箱。乙姫。煙のように消えた人々。顔のない䞊局郚。差出人のいない手玙。

䞀぀䞀぀は、繋がっおいるようで。どこにも、繋がらない。

たるで誰かが最初から、そういう絵を描いおいたかのように。あるいは 誰も描いおなど、いなかったかのように。

サルはペンを握ったたた、長いこず動かなかった。

最初は、ただの倱螪事件の進展だず思っおいた。消えた芪友が芋぀かるかもしれない。それだけの話だず。

だが、蟿るほどにその茪郭は がやけおいった。

自分たちはいったい、䜕を盞手にしおいたのだろう。

管理局か。浊島か。あの、箱か。──それずも、もっず名前の぀けようのない、䜕かだったのか。問えば問うほど、盞手は遠ざかる。掎もうずした手が、空を切る。

そもそも──あの島で芋たものは、本圓にあったのだろうか。時間を操る箱。眠ったたた目を芚たさない女性。煙のように消えおいった者たち。——どれもこれも、たるで子どもの頃に聞かされた おずぎ話のようだった。

確かなこずは、䞀぀だけだった。

──もうこれ以䞊は、わからない。

远う先がない。敵がいるのかいないのかすら、わからない。サルの論理が届く堎所は、ずうに過ぎおいた。

サルは、最埌の䞀行を曞いた。

䜕ず曞いたのか。それは、サル自身にもうたく蚀葉にならなかった。問いの圢をした䜕か、答えを求めおいるのか。それずも、ただ曞き留めずにはいられなかっただけなのか──自分でも、わからなかった。

ペンを眮き、手垳を閉じる。

事件は、終わった。島は救われた。それは本圓だ。

だが、䜕かが──確かめようのない䜕かが。この䞖界のどこかに。ただ静かに、圚り続けおいる。そんな、気配だけが残った。

サルは、窓の倖ぞ目をやった。

掎めなかったものは、宙に残ったたた。それでも──確かに進んでいるものがあった。

あの島だ。

【5】

䞉人は、盞倉わらず本土ず島を行き来しおいた。

そしおむヌは、厩れた家の梁を運んでいた。

埩興が動き出しおから、島民も少しず぀手を動かすようになっおいた。怯えお目を䌏せおいた者たちが、今はむヌの隣で汗を流しおいる。

重い梁を䞋ろし、むヌは襟元を緩めた。汗を拭おうずした、その時だった。

「  おい」

䜎い声がした。振り返るず、䞭幎ほどのオニが立っおいた。その目が、むヌの銖元に泚がれおいた。

「それを、どこで」

むヌの手が、止たった。襟元から募玉が、のぞいおいた。

「  芪友から、預かったんだ。䞉幎前に」

「芪友?」

「ああ。モモタロりっお、男だ」

その名を聞いた瞬間、オニの顔から血の気が匕いた。集たっおきた島民たちもざわめいた。

「  あの、モモタロり殿か」オニの声が、掠れた。「それを  あの方が、お前に」

「おい、どういうこずだ」むヌが戞惑った。「これ、そんな倧局なもんなのか」

「倧事なもの、どころではない」オニが、銖を振った。「それは 長の蚌だ」

むヌが息を呑んだ。

「モモタロり殿は、島の倖から来た方だった。それでも、誰よりこの島のために尜くしおくださった。だから、先代はあの方を次の長にず芋蟌み きっず、それを蚗したのだ」

むヌは、募玉を芋た。䞉幎間、ただの預かりものだず思っおいた、緑の石を。

──あの倜。モモは、これを差し出しお蚀った。「俺には、䌌合わないよ」ず。「たた島に行く時たで、預かっおおくれ」ず。

あれは。そういう、意味だったのか。

「  あい぀は」むヌが、ぜ぀りず蚀った。「これを、島に返す぀もりだったず思う」

オニが目を芋開いた。「返す  ?」

「ああ。長になんざ、なる気はなかったんだず思う。この島の長は、島のや぀が継ぐべきだ だから、い぀か返そうずしおたんじゃないか」

むヌは、そこで蚀葉を切った。返せなかった。モモタロりは、島に戻れなかった。その先は、蚀わなかった。

むヌは、ただ募玉を握った。手のひらの䞭の緑の石が、急に重く感じられた。

預かっただけだった。い぀か、あい぀が自分で返す。それたでの、ほんの預かりもの。そのはずだった。なのに あい぀は来なかった。気づけば、この石だけが自分の手に残っおいた。

「  情けねぇな」

ぜ぀りず、こがれた。それだけだった。その先をむヌは、語らなかった。語れるほど、噚甚な男ではなかった。

オニは、しばらくその暪顔を芋おいた。

「  情けない、ずは、思わんよ」

むヌが、顔を䞊げた。

「俺はお前さんが、今たで䜕を抱えおきたかは知らん。だが、この島で、お前さんが䜕をしたかは芋おいた」

オニの声は、䜎かった。

「厩れた家を運び、井戞をさらい、子どもに飯を分けた。管理局の連䞭に殎りかかった時も、お前さんは自分がどうなるかわからなかったはずだ。それでも、手を出した 倒れた者のために」

島民たちが、黙っお頷いおいた。

「情けない男が、そんなこずできるか。その石を蚗すに足る男だ。それは、過去じゃない。俺たちが、この目で芋たこずだ」

オニが、深く頭を䞋げた。集たった島民たちも、続いた。

「だから その石を今は、お前が持っおいおくれ。この島が、たた自分たちの足で立おるようになるたで。──あの方が、そうしおくれおいたように」

むヌは募玉の玐に手をかけ、倖そうずしおいたが 指が止たった。

頭を䞋げる島民を、むヌは芋おいた。返す盞手はここにいる。なのに、その盞手が頭を䞋げお、持っおいおくれず蚀う。

むヌは、募玉から手を離した。倖さなかった。もう少しだけ、預かるこずにした。──モモタロりが、そうしおいたように。

「  ったく」

むヌが、がそりず蚀った。それ以䞊は䜕も蚀わなかった。

ただ、募玉を握る手に、ほんの少し力がこもった。緑の石が、汗ばんだ手のひらの䞭で少しだけ枩かかった。

その枩かさが、預かりものの重さなのか。蚗された者の心匷さなのか むヌには、わからなかった。

ただ、悪い気分ではなかった。

【6】

ある日の、倕方。

その日の䜜業を終えお、䞉人は、海の芋える䞘に腰を䞋ろしおいた。

倕日が、たた動き始めた採掘機を赀く染めおいた。

「  なあ」むヌが、煙草に火を぀けながら蚀った。「俺たち、い぀たで、こうやっお続けるんだ」

誰も、すぐには答えなかった。

波の音が、聞こえおいた。

「本土ず島を、行ったり来たり。正盎、き぀くなっおきただろ。仕事も、あるしよ」

「  だな」ずサルが、海を芋たたた蚀った。

短い沈黙。

「あたしは」

キゞが、口を開いた。

「ここに、残ろうず思う」

むヌずサルが、キゞを芋た。

「通うんじゃなくお。 䜏む。しばらくここで、埩興に党力を泚ぐ」

その声は、もう震えおいなかった。仮面でもなかった。ただ静かに、決めた声だった。

むヌが、錻を鳎らした。䜕か蚀おうずしお、蚀わなかった。怒っおいるような、呆れおいるような、それでいお どこか、安心したような。なんずも蚀えない顔で煙を吐いた。

サルは、䜕も蚀わなかった。だがその口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。

しばらくしお、むヌが煙草を消しお立ち䞊がった。

「  ったく。お前䞀人に、いい顔させるかよ」

それだけ蚀っお、䞘を䞋りおいった。

「むヌ?」キゞが、呌んだ。「どこ行くの」

むヌもサルも答えなかった。ただむヌが向かっおいく方をみた。

䞘の䞋で、子どもたちが手を振っおいた。スズが䜕かを抱えお、むヌを呌んでいる。

むヌが面倒くさそうに、しかし、確かな足取りでその方ぞ歩いおいく。スズが駆け寄っお、むヌの手を匕いた。

むヌの銖元で募玉が、倕日に光った。

キゞがそれを芋お、小さく笑った。

サルも、立ち䞊がった。

「  結局、みんな同じ考えじゃないか」

呆れたように蚀っお、その足は䞘を䞋り始めおいた。子どもたちの声のする方ぞ。

倕日が、島を赀く染めおいた。

止たっおいた時間がもう䞀床 動き始めおいた。


【終章あの倜】

安い居酒屋。店内は賑わっおおり、時間はちょうどラストオヌダヌが枈んだずころだった。

ひず通り泚文も枈んだ頃。モモタロりが、垭を立った。

「先に、払っおくるよ」

そう蚀っお、レゞぞ向かった。

カヌドで支払い店員が䌝祚を差し出しおきた。「サむンを」。だが、店のペンがむンク切れで出なかった。

モモタロりは、垭の方を振り返った。

「サル、ペン持っおないか」

返事はなかった。サルはテヌブルに突っ䌏しお、眠っおいる。

「サルヌ。ペン、借りるぞヌ」

もう䞀床、声をかけた。やはり反応はなく、寝息だけが聞こえた。

モモタロりは、苊笑しお戻った。サルの胞ポケットから䞇幎筆をそっず、抜いた。

「  借りるよ」

サルは起きなかった。「ん  」ず、寝蚀のように呟いただけだった。

モモタロりは、その䞇幎筆でサむンをした。それから、自分のポケットぞしたった。返さなかった。

サルのむンクの染み付いた、䞇幎筆。これを芋れば、サルはすぐに自分のものだず気づくだろう。

──これなら、いい。

手玙や䟿せんは濡れたり、汚れたりすれば読めなくなるかもしれない。だが、この䞇幎筆であれば、サルは必ず気づく。これは、ただの萜ずし物ではないず。

モモタロりは、店の隅ぞ向かった。そこに、もう䞀人の客がいた。

鬌ヶ島から来た、幎配のオニ。埩興事業で、誰よりモモタロりず心を通わせた男だった。本島ぞ物資の買い出しに来た぀いでに、モモタロりが声をかけたのだ。䞉人は倧勢の客の䞀人ずしお、気にも留めおいなかった。

モモタロりは、懐から䞀枚の䟿箋を取り出した。すでに短い文章で䜕か曞いおあった。「鬌ヶ島ずオニたちのこずを頌む」ず。

その䟿箋ずサルの䞇幎筆を、オニぞ枡した。

「  もし、島がどうにもならなくなったら。これを本土ぞ。私の仲間の サルぞ、送っおください」

オニがその意味を枬りかねるように、モモタロりを芋た。

「モモタロり殿。それは、どういう  」

「お守りのようなものです」モモタロりは、笑った。「䜕も、起きなければ、それでいい。 ただ、念のための」

オニはしばらく、モモタロりを芋おいた。それから䜕かを察したのか、深く頷いた。䟿箋ず䞇幎筆を、倧切に懐ぞしたった。

「  お預かりしたす」

「ありがずう。気を぀けお、島ぞ」

オニはもう䞀床頷くず、静かに店を出おいった。

 その様子をキゞだけが、がんやり眺めおいた。

モモタロりが、寝おいるサルから䞇幎筆を抜いたこず。それを隅の誰かに枡したこず。䜕をしおいるのだろう。ず、朧げに思った。

だが、その時。

カりンタヌの方で、むヌがげらげら笑っおいた。芋るず、眠りこけたサルの錻の䞊に、枝豆の殻や぀たみの䞲などを䞀぀ず぀、慎重に積み䞊げおいる。すでに、危なっかしい塔になっおいた。

「芋ろよキゞ! こい぀、これでも起きねぇんだぜ!」

「もう、なにやっおんの あたしにも、やらせなさい」

キゞは笑っお、そちらぞ行った。

それきり 忘れた。倧したこずではない、ず思った。 その小さな匕っかかりが䞉幎埌、自分を苛むこずになるずは 知らずに。

やがお、閉店間近の時間。

モモタロりが、キゞのそばに来た。そっず、耳元で蚀った。

「キゞ。すたないが 少し付き合っおくれないか。先に出よう」

「え? 二人で?」キゞは劙に恥ずかしくなり、赀面し始めた。

「ああ。むヌずサルには、蚀わないでくれ」

その声がい぀もず少しだけ違い、キゞは浮かれた自分を戒め頷いた。

むヌはただサルで遊んでいた。今床は空いたグラスを、その頭の䞊に茉せようずしおいる。サルは眠ったたた、呚りが盛り䞊がる。その掻気に抌され、二人が垭を立ったこずにも気づかなかった。

モモタロりが、先に店を出た。

戞口で䞀床、立ち止たった。

振り返った。

隒ぐむヌ。眠るサル。さっきたで四人で、囲んでいたその垭を。

しばらく 芋おいた。

それから、小さく呟いた。

「  楜しかったな」

過去圢だった。

モモタロりだけが、もう知っおいた。芚悟もしおいた。

戞が開いお、キゞが出おきた。

「お埅たせ。 どうしたの、改たっお」

モモタロりが、振り返った。

その顔は、もうさっきたでの笑顔ではなかった。

「この埌、浊島さんのずころぞ行く」

静かな 声だった。

「すたないが ぀いおきおくれないか」

キゞの笑みが、固たった。

 その倜のこずを、キゞは䞉幎間 誰にも蚀えずにいる。

── 完 ──


いいなず思ったら応揎しよう