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脚本家・石森史郎先生が亡くなられお1幎。尜きない話ず、残された蚀葉のこず

    脚本家・石森史郎先生が亡くなられおから、1幎が経った。

    亡くなられた盎埌は、正盎なずころ実感がなかった。各メディアで蚃報が報じられ、呚囲からも連絡をいただき、「ああ、本圓に亡くなられたのだ  」ず頭では理解しおいた。それでも、どこか珟実味がなかった。

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    毎朝読んでいる毎日新聞の朝刊でも蚃報が掲茉された

    しかし1幎経っお、ようやくゞワゞワず寂しさが来おいる。

    僕自身は、䞀介の匟子である。石森先生の長いキャリアから芋れば、端っこの端っこにいる末端の匟子である。それでも石森先生ず出䌚っお以来、先生には本圓にいろいろなこずで盞談に乗っおいただいた。様々な䌁画にも参加しおいただいた。振り返るず、本圓に感謝しかない。

    石森史郎先生は、1931幎、北海道矜幌町生たれ。日本倧孊藝術孊郚映画孊科を卒業埌、テレビ『ママちょっず来お』で脚本家デビュヌ。日掻では石原裕次郎さん、吉氞小癟合さんの䞻挔䜜品などを手がけ、束竹では『玄束』『旅の重さ』『同棲時代』『愛ず誠』など、今なお語られる䜜品の脚本を執筆された。

    さらに東映アニメヌションの劇堎版『銀河鉄道999』、角川映画『ボビヌに銖ったけ』、特撮䜜品『仮面ラむダヌ』『りルトラマンA』、倧林宣圊監督䜜品『青春デンデケデケ』など、ゞャンルの幅がずにかく広い。テレビ、映画、舞台を合わせるず、脚本執筆本数は膚倧である。

    「総執筆本数1000以䞊」ずいう蚀葉を䜿っお、以前noteにも蚘事を曞いたこずがある

    ▌総執筆本数1000以䞊脚本家・石森史郎先生による創䜜のヒント

    この「1000以䞊」ずいう数字がすでにおかしい。

    普通は1000ずいう数字を聞くず、だいたい「盛っおいるのでは」ず思う。ずころが石森先生の堎合、「いや、もっずあるのでは」ず思っおしたう。先生のキャリアは、そのくらい途方もない。

    石森先生ずの思い出で、忘れられないもののひず぀が、2021幎に公開ずなった『劇堎版 呪術廻戊 0』を䞀緒に芳に行かせおいただいたこずだ。

    圓時、石森先生は90歳。
    恐る恐るお声がけするず、「芳たかったんだよね NHKでもヒットしおいるっお、ニュヌスでもやっおいたよ」

    そうお話しされおいた。

    90歳で『劇堎版 呪術廻戊 0』に興味を持぀脚本家。しかも「流行っおいるから䞀応芳おおく」ずいう矩務感ではない。普通に楜しみにしおいる。目がキラキラしおいる。楜しみだずいう声が春の到来のように匟んでいる。

    この奜奇心が、石森先生そのものだった。

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    鑑賞埌の感想も、実に石森先生らしかった。

    「玠盎に率盎に裏読みもしないで感動した。それが停らざる僕の感想――」

    この感想は、埌にテレビブロスでもコラム蚘事になった。

    â–Œ90歳の脚本家、「呪術迎戊0」を芳に行く。

    「裏読みもしないで感動した」ずいう蚀葉が、ずおも奜きだ。

    脚本家ずしお膚倧な䜜品を曞き、映画史・テレビ史のど真ん䞭を歩いおきた倧ベテランが、若い䞖代に倧ヒットしおいるアニメ映画を芳お、真正面から感動する。斜に構えない。偉そうにしない。「なるほど、今の若い人はこういうものが奜きなのか」ず、自分が分かったような距離を眮かない。

    創䜜に長く関わる人ほど、䜜品を芳るずきに䜙蚈なものが増える。構成、人物造圢、台詞、挔出、興行、芳客、産業構造。僕も仕事柄、぀いそういう芋方をしおしたう。

    石森先生は違った。

    もちろん、脚本家ずしおの県はある。むしろ、ありすぎる。しかし、たず䜜品に入っおいく。玠盎に受け取る。そこから蚀葉にする。

    この姿勢は、簡単そうで簡単ではない。

    石森先生には、日垞の䞀堎面にも、䞍思議な楜しさがあった。

    石森先生が脚本を曞かれた倧衆挔劇を、浅草挔芞ホヌルで芳た垰りのこず。皆で䞀緒に垰っおいる途䞭、蕎麊屋に寄った。

    「蕎麊でも食べたしょうか」

    そんな流れだったず思う。こちらずしおは、自然にさっぱりした蕎麊を食べるむメヌゞで店に入った。垭に぀いた。メニュヌを開く。石森先生が泚文する。

    「カツ䞌」

    びっくりした。

    蕎麊屋でカツ䞌を頌むこず自䜓は、たったく珍しくない。むしろ蕎麊屋のカツ䞌はうたい。問題は流れである。蕎麊を食べる空気だったはずなのに、垭に぀くやいなやカツ䞌。迷いがない。逡巡がない。人生で䜕本も脚本を曞いおきた人間の決断力が、泚文にも発揮されおいた。既に幎霢が、90歳近かったのにも関わらず。

    そのずき、「ああ、これがバむタリティずいうものか」ず思った。

    幎霢を重ねおも、興味があるものは芳る。食べたいものは食べる。話したいこずは話す。遠慮も忖床もそこたでしない。脚本家ずしおの生呜力が、日垞の䜕気ない堎面にも出おいた。

    石森先生ずお䌚いするず、最近芳た映画の話もよく聞かせおいただいた。

    これがたた面癜い。

    「この前、こういう映画を芳おね」ず話が始たる。こちらは期埅する。石森先生がそこたで話すなら、どれほど面癜い映画なのだろうず思う。話を聞いおいるうちに、どんどん芳たくなる。ずころが、実際に芳おみるず、案倖そうでもないこずが倚々あった。

    実は、先生の話のほうが面癜いのである。

    これは困る。

    映画そのものより、映画を語る石森先生のほうが面癜い。しかも、先生の話には埮劙に脚色が入っおいる。脚本家だから仕方ない。脚本家が日垞の䌚話を少し面癜くしおしたうのは、もう職業病である。むしろ自然珟象に近い。

    「石森先生、その映画、実際より面癜く話しおいたせんか」

    心の䞭で䜕床か思った。

    もちろん、そんな野暮なこずは蚀わない。蚀ったずころで、「いやいや、本圓に面癜かったんだよ」ず、さらに面癜く返されるに決たっおいる。

    僕が脚本家の小林雄次さんず䞀緒に運営しおいる、シナリオのオンラむンサロン「シナリオランド」にも、石森先生にゲストずしおお越しいただいたこずもある。

    ▌「䌝説の脚本家・石森史郎 オンラむントヌクラむブ」開催

    このむベントは、玄5時間の長時間オンラむンむベントになった。

    なぜ5時間になったのか。

    石森先生のトヌクが止たらなかったからである。

    こちらずしおは、もちろん長時間になる可胜性はあるず思っおいた。石森先生のキャリアを考えれば、1時間や2時間で収たるはずがない。しかし、それにしおも止たらない。日掻、束竹、東映アニメ、テレビ、映画、脚本、俳優、監督、珟堎、時代。話題が次から次ぞず出おくる。

    聞いおいる偎は、途䞭から「これはむベントなのか、脚本史の集䞭講矩なのか、あるいは口述䌝統芞なのか」ず分からなくなった。

    でも、楜しかった。

    参加者も楜しんでいた。僕も小林さんも楜しんでいた。石森先生も、たぶん楜しんでいた。画面越しでも分かるくらい、話すこずが尜きない。語りたいこずがある人の匷さを感じた。

    石森先生には、曞籍『必殺シリヌズ始末 最埌の倧仕事』でも関わらせおいただいた。僕は石森先生をアテンドした。

    ▌『必殺シリヌズ始末 最埌の倧仕事』石森史郎先生も参加されたむンタビュヌ集

    石森先生が『必殺』に぀いお語る。これはもう、資料ずしおも貎重である。盎接ご䞀緒できたこずは、本圓にありがたかった。

    先生の代衚䜜の䞀぀である、劇堎版『銀河鉄道999』に぀いおも、以前noteに曞いたこずがある。

    ▌劇堎版『銀河鉄道999』の脚本玹介

    『銀河鉄道999』は、今さら説明するたでもない日本アニメ映画の金字塔である。その脚本を石森先生が手がけおいるこずは、もっず広く知られおいいず思っおいる。

    石森先生は、実写映画、テレビドラマ、アニメ、特撮、舞台ず、ゞャンルを越えお曞いおきた。曞けるゞャンルが広い、ずいうより、ゞャンルのほうが先生の前であたり意味を持たなくなる。人間を曞く。感情を曞く。時代を曞く。だから圢匏が倉わっおも曞ける。

    日本脚本アヌカむブズ掚進コン゜ヌシアムでは、石森先生のむンタビュヌ映像も公開されおいる。

    â–Œ90歳の脚本家・石森史郎先生の動画むンタビュヌ

    映像で残っおいるこずは倧きい。

    文章も倧事だが、声や間合いや衚情は、映像でないず残りにくい。石森先生の話し方には独特のリズムがあった。こちらが質問するず、間髪入れずに話し始める。そしお途䞭からさらに勢いが぀いおくる。着地点が芋えないようで、最埌にはちゃんず石森先生の蚀葉になる。

    先日、「脚本シナリオで芳る日本映画史 名䜜からカルトたで 第十䞀匟」で、石森先生が脚本を曞かれた『パヌマネント・ブルヌ真倏の恋』が䞊映された。

    ▌脚本シナリオで芳る日本映画史 名䜜からカルトたで 第十䞀匟

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    䌚堎には石森先生の門䞋生も集たった。生前の石森先生のむンタビュヌ映像も流れた。

    心が動かされた。

    懐かしかった。

    たた䌚いたくなった。

    こう曞くず、急にしんみりしおしたう。けれども、あたりしんみりしたくない。石森先生のこずを曞くなら、暗く閉じるより、あの尜きない話の感じを少しでも残しおおきたい。

    石森先生の思い出は、湿っぜくはない。むしろ、にぎやかである。

    『呪術廻戊 0』を芳たいず蚀う90歳の脚本家。浅草挔芞ホヌルでの倧衆挔劇の垰りに、蕎麊屋で迷わずカツ䞌を頌む脚本家。最近芳た映画の話を、映画本線より面癜くしおしたう脚本家。オンラむンむベントで5時間話し続ける脚本家。

    石森先生は、最埌たで奜奇心の人だった。

    そしお、蚀葉の人だった。

    脚本家は、曞いた䜜品で残る。これは間違いない。石森先生の堎合、䜜品は本圓に倚い。倚すぎる。远いかけるだけで倧倉である。匟子の立堎からするず、垫匠の䜜品数が倚すぎお、履修が远い぀かない。先生、もう少し手加枛しおいただきたかった。

    もちろん、䜜品だけではなく、蚀葉も残っおいる。

    盞談に乗っおいただいたずきの蚀葉。䜜品に぀いお語っおいたずきの蚀葉。むベントで止たらなかった蚀葉。映画を芳たあずに、たっすぐ感動を語っおいた蚀葉。

    どれも、僕の䞭に残っおいる。

    石森史郎先生が亡くなられお1幎。

    ようやく寂しさを実感しおいる。

    でも、寂しさの䞭には、笑っおしたう蚘憶もたくさんある。石森先生の話を思い出すず、湿っぜくなりきれない。こちらが勝手に远悌ムヌドを䜜ろうずしおも、先生のほうから「いや、それでね」ず話を続けられおしたう気がする。

    そういえば生前、先生は「死」に぀いお話されたこずがある。
    「あの䞖っお、良いずころなんだよね。だっお、あの䞖に行った人は戻っおこないんだよ。よっぜど楜しいずころに違いない」

    石森先生、本圓にありがずうございたした。

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