
わたしは、なにかになりたかった
第一章 50代になって、急に始めたくなった
50代になってから、やたらと新しいことを始めている。
自分でも、不思議だと思う。
若いころの私は、新しいことを始めるタイプではなかった。
どちらかと言えば慎重派だ。
「もう少し時間ができたら」
「子どもが落ち着いたら」
「お金に余裕ができたら」
そんなふうに、 「今じゃない理由」を見つけるのが得意だった。
だから今の自分を見たら、きっと驚くだろう。
「どうしたの?」
と聞かれる気がする。
でも、その前に。
普段の私は、こんな毎日を送っている。
仕事から帰ると、コートもバッグもそのままに、まずはソファへ倒れ込む。
「ふぅ……」
肩を上げるだけで少し痛い。
座ったつもりが、そのまま天井を見つめて動けなくなる。
頭の中では夕飯の献立だけが、ゆっくり動き始める。
「今日は、あの冷凍食品をチンだな」
その間にご飯が炊き上がる。
そろそろ動かなきゃ。
そう思って立ち上がると、
「ヨイショ」
自分でも笑ってしまうくらい、自然に声が出る。
昔は、おばちゃんってどうしてみんな「ヨイショ」って言うんだろうと思っていた。
今では、その代表選手みたいになっている。
でも、この15分が大事なのだ。
少しだけ充電されて、ようやく体が動き始める。
夕飯を作って、食べて、片づける。
昔みたいに一汁三菜にはこだわらない。
冷蔵庫にあるものを並べて、「まあ、ちゃんとして見えるかな」というところで着地させる。
最後にランチョンマットを敷けば、それだけで少し丁寧な暮らしに見える。
たぶん、これも長年生きて身につけた技だ。
そんな、ごく普通の毎日。
なのに、50代になってからの私は、やたらと「やってみたい」と思うようになった。
きっかけは、一つではない。
子どもが大きくなり、少しずつ親の出番が減ったこと。
夫の働き方が変わって、家にいる時間が増えたこと。
そして更年期。
理由もなくイライラしたり、何をするにも体が重かったり。
「これが年齢ってことなのかな」
そう思う日も増えた。
でも、その一方で、不思議な気持ちも芽生え始めていた。
このまま年を重ねていくのかな。
毎日仕事へ行って、ご飯を作って、休日は家のことをする。
その繰り返しで、気づけば60代、70代になっていくのかな。
そう考えたとき、胸の奥が少しだけざわついた。
若いころみたいに、大きな夢があったわけじゃない。
成功したいわけでも、有名になりたいわけでもない。
ただ一つ。
「自分のために何かをしてみたい。」
そんな気持ちが、ゆっくりと膨らんでいった。
ちょうどその頃だった。
スマホを開けば、「50代から始める〇〇」「大人の学び直し」「新しい趣味」といった言葉が次々に目に入るようになった。
一度見ただけなのに、おすすめはどんどん増えていく。
まるでスマホに、
「ほら、やってみたら?」
と背中を押されているみたいだった。
昔なら、きっと見て終わりだった。
「そのうちね」
そう言って画面を閉じていたと思う。
でも今回は違った。
講座の金額を見て、「高っ!」と思いながらも、画面を閉じるだけでは終わらなかった。
何日分のランチ代だろう。
スーパーなら何回分だろう。
そんな計算まで始めている自分がいた。
それでも最後に残ったのは、
「やってみたい。」
その気持ちだった。
たぶん私は、このとき初めて、自分のために時間とお金を使ってみようと思ったのだ。
第二章 最初の一歩は、自分のためだった
「やってみたい。」
そう思ったものの、すぐに申し込めたわけではない。
私は昔から、何かを買うとき、すぐ別のものに換算してしまう癖がある。
ランチなら何回分。
スーパーなら何日分。
旅行なら一泊できるかな。
だから講座の受講料を見たときも、最初に思ったのは、
「高っ!」
だった。
いや、高いなんてもんじゃない。
「これ、海外旅行に行ける金額やん。」
思わず一人でツッコミを入れた。
画面を閉じては開き、また閉じる。
「今じゃなくてもいいよね。」
そう思おうとした。
でも、その日は少し違った。
もし今やめたら。
たぶん私は、一年後も同じことを言っている。
「もう少し余裕ができたら。」
「そのうちね。」
そんな気がした。
その「そのうち」は、たぶん来ない。
そう思った瞬間、指が勝手に動いていた。
「申し込む」
ボタンを押したあと、急に現実に戻る。
「……押しちゃった。」
しばらくスマホを見つめたまま動けなかった。
でも、不思議だった。
後悔より先に、
「もう逃げられない。」
そんな気持ちのほうが大きかった。
昔の私なら、不安しかなかったはずだ。
でも今回は少し違う。
お金を払ったぶん、やるしかない。
そのほうが、かえって気持ちは楽だった。
申し込んだウォーキング講座。
講師は私より少し年上の女性だった。
派手ではない。
でも、その人が歩く姿を見た瞬間、目が離せなくなった。
背筋がすっと伸びている。
力が入っているわけではないのに、美しい。
「ああ、姿勢って、こんなに人の印象を変えるんだ」
そう思った。
私は、自分の姿勢なんて何年も気にしていなかった。
鏡を見るたび、
「この年齢だから仕方ない。」
そうやって片づけていた。
でも本当は違った。
年齢が気になっていたんじゃない。
「諦め始めた自分」が気になっていたのだ。
レッスンは、決して楽ではなかった。
仕事で疲れて帰ってきて、
「今日は休もうかな。」
と思う日もあった。
オンラインだから、サボろうと思えばいくらでもサボれる。
誰にも怒られない。
それでも私は、できるだけ参加した。
不思議だった。
誰かに言われたからじゃない。
自分で決めたことだから、続けたいと思えた。
講座が終わるころには、歩き方だけでなく、気持ちも少し変わっていた。
前を向いて歩くと、本当に少しだけ前向きになれる。
そんなことがあるなんて、知らなかった。
劇的に人生が変わったわけじゃない。
体重もほとんど変わらない。
「歩き方がきれいですね。」
なんて言われたことも、もちろんない。
本当は、少し期待していたけれど。
でも、それでいい。
人気の少ない駅のホーム。
まっすぐ続く一本道。
そんな場所を歩くとき、私は時々、モデルになった気分で歩いている。
背筋を伸ばして。
少しだけ大股で。
誰も見ていないのに、ちょっとかっこつけて。
そんな自分に気づくと、少し笑ってしまう。
若いころの私なら、きっと恥ずかしくてできなかった。
でも50代になった私は、そんな自分を案外気に入っている。
ウォーキング講座で変わったのは、歩き方だけじゃない。
「自分のために何かを始めてもいい。」
そう思えるようになったことが、一番大きな変化だった。
第三章 今度は、言葉で歩いてみた
ウォーキング講座が終わってしばらくしたころ、今度は別の「やってみたい」が顔を出した。
それが、文章を書くことだった。
私は昔から書くことが好きだった。
作文の時間も嫌いじゃなかったし、手紙を書くのも好きだった。
でも、大人になるにつれて、書くのは連絡事項ばかりになった。
仕事のメモ。
LINEの返信。
マンションの提出物。
毎日文字は書いているのに、「自分の気持ち」を書くことは、いつの間にかなくなっていた。
嬉しかったこと。
笑ったこと。
なんとなくモヤモヤしたこと。
本当はいろいろ感じているのに、「まあ、いいか」と心の中へしまい込む。
そんな毎日だった。
ある日、なんとなく読んだエッセイに、手が止まった。
特別な出来事が書いてあるわけじゃない。
旅行の話でも、成功談でもない。
それなのに、
「分かる。」
と思った。
思わず笑ってしまったり、「私だけじゃなかったんだ」と安心したり。
たった一人の日常なのに、不思議と自分のことのように感じた。
そのとき初めて思った。
こんなふうに、誰かの日常が誰かを元気にすることもあるんだ。
だったら、私が感じていることも、書いてみてもいいのかもしれない。
投稿ボタンを押す日は、今でも少し緊張する。
何度も読み返しては、
「こんなこと書いて大丈夫かな。」
と迷う。
書いては消して、また書く。
最後は半分勢いで「投稿する」を押す。
押した瞬間は、毎回ちょっとだけ後悔する。
「あれでよかったのかな。」
でも、そのあと「スキ」が一つ付く。
たった一つなのに、驚くほど嬉しい。
「読みました。」
そんな小さな合図をもらえた気がする。
コメントをいただける日は、もっと嬉しい。
「私もそう思いました。」
その一言に、何度救われたことだろう。
誰かに褒められたいわけじゃない。
有名になりたいわけでもない。
ただ、自分の言葉が誰かの心にそっと触れた。
そう思えるだけで十分だった。
もっと書けるようになりたい。
そう思って、Webライティングの講座にも申し込んだ。
ところが、現実は思っていたよりずっと厳しかった。
添削が返ってくるたびに、
「なるほど。」
と思うこともあれば、
「そんなにダメだったか。」
と、パソコンを閉じたくなる日もある。
通知は気になる。
でも、怖くてすぐには開けない。
「夕飯を作ってから見よう。」
「お風呂に入ってからにしよう。」
そんなふうに、自分をごまかして時間を延ばす。
結局気になって開くのだけれど、そのたびに少し落ち込む。
私は、何を書きたいんだろう。
そんな夜も、一度や二度ではない。
SNSを見れば、私より上手な人はいくらでもいる。
同じ年代でも、本を出版している人。
仕事にしている人。
たくさんの読者に読まれている人。
比べ始めると、きりがない。
それでも翌日になると、また誰かのエッセイを読んでいる。
そして、
「いいなあ。」
と思う。
いい文章を読むと、不思議とまた書きたくなる。
きっと私は昔から、誰かに憧れて、そのたびに少しだけ前へ進んできた。
だから何度落ち込んでも、またパソコンを開いてしまう。
文章を書く時間は、私にとって、自分と向き合う時間なのだ。
うまく書けない日もある。
何を書けばいいのか分からない日もある。
それでも、言葉を探している時間だけは、不思議と心が静かになる。
ウォーキングで前を向いて歩くことを覚えた私が、今度は言葉で少しずつ前へ進もうとしている。
そんな気がしている。
第四章 私は、まだ途中
最近、友だちとの会話で「もうこの歳だからね」という言葉をよく聞くようになった。
体力のこと。
仕事のこと。
老後のこと。
たしかに、その通りだと思う。
夜更かしをすれば翌日に残るし、鏡を見るたび「あれ、こんな顔だったっけ」と思う日もある。
若いころみたいに、無理はきかない。
覚えも悪くなった。
それでも、不思議なことがある。
年齢を重ねるほど、「このままで終わりたくない」という気持ちも強くなっているのだ。
会いたい人には会いたい。
行きたい場所には行ってみたい。
気になる講座があれば申し込んでみたい。
「やってみたい」と思った気持ちを、できるだけ見ないふりをしたくない。
もちろん、全部がうまくいくわけではない。
新しく始めた習い事では、自分だけ振りが遅れている気がして焦る。
不慣れなパソコン操作にため息をつく。
ライティング講座の添削では、落ち込んでパソコンを閉じる日もある。
それでも翌日には、また少しだけ前を向いている。
そんな自分を、不思議だなと思う。
若いころの私は、「なにかになれる日」が来ると思っていた。
特別な才能が見つかって、「これが私です」と胸を張れる日が来るのだと、どこかで信じていた。
でも50代になった今、ようやく分かったことがある。
人生は、なにかになることよりも、毎日をごきげんに過ごすことのほうが、ずっと難しい。
だから私は、小さな予定を大切にしている。
友だちとのランチ。
美容院。
エッセイの締め切り。
気になっていた展示会。
カレンダーを開くと、大きな予定なんて一つもない。
でも、その小さな予定が、「今週も頑張ろう」と思わせてくれる。
昔は、幸せにはもっと大きな形があると思っていた。
夢が叶うとか。
人生が変わるとか。
でも今の私は知っている。
幸せは、案外地味だ。
仕事から帰ってソファでひと休みする時間。
お気に入りのランチョンマットを敷いて夕飯を食べること。
誰かの文章に笑ったり、自分の文章に「スキ」が一つ付いたり。
そんな小さな出来事が、一日を少しだけ明るくしてくれる。
夜、寝る前にスマホを開く。
友だちから届いたLINEに返信をして、カレンダーを眺める。
来週は友だちとランチ。
その次は美容院。
エッセイの締め切りもある。
そして、その先はまだ白紙だ。
でも、その白い余白を見るたびに思う。
「次は、何をやってみようかな。」
若いころ思い描いていた理想の大人には、結局なれなかった。
もっと器用で、もっと自信があって、もっと迷わず生きているはずだった。
現実の私は、今でも方向音痴だし、道にも迷う。
新しいことを始めては落ち込み、「向いてないかも」と思う日だってある。
それでも、また何かを始めたくなる。
たぶん私は、なにかになりたかったわけじゃない。
昨日の自分より、ほんの少しだけ前に進んでいたかったのだ。
50代になった今も、私はまだ途中だ。
完成なんて、たぶんしない。
でも、それでいい。
明日もきっと、仕事から帰ったらソファに倒れ込んで、「ヨイショ」と言いながら立ち上がる。
そして、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る前にまたカレンダーを開く。
その白い余白に、次はどんな予定を書き込もう。
そう考えている時間が、今の私は結構好きだ。
だから今日も、私は少しだけ前を向いて歩いていく。
まだ、途中だから。